過去に追われる男
「ああ、クソ痛え……」
身体中、擦り傷と打ち身だらけだが、崖から転がり落ちてそれで済んだんだから、相当に悪運が強い。
俺は、森の中で追われている。何の罪か知らないが、何人か殺したと思うから、たぶんそれだろう。
俺には、指を鳴らすと一時間前からやり直せるという能力がある。だが、一度使うとまた使えるようになるまで一時間。そのせいで過去にヘマをしてしまい、罪を犯す前に戻れないところまできてしまった。
そこからは、盗んだり、殴ったり、戻したり、戻さなかったり。結局、誰に何をしたことになっているか把握していない。
とにかく、捕まるだけならいいが、その場で殺されてしまったら元も子もない。うまく逃げるか、隠れるか⋯⋯。
「うわっ!」
いってえ⋯⋯! 足がもつれた⋯⋯あークソ、鼻血だ。あと二十分は逃げ回らなきゃいけねえのに。でも、そこから一時間前に戻れば、まだ望みはある。今度はもう少し安全な道で逃げよう……。
「大丈夫?」
顔を上げると、若い女が立っていた。なんでこんな森の中に?
「怪我だらけじゃない。鼻血も出てるわよ。崖から落ちたの?」
おい、見てたのか? 当たってんだよ。しかしマズいな。目撃者ってやつだ。マズい。俺はすぐに身体を起こした。
「あ……大丈夫なんで」
「手当てしないと。じっとしてて」
おい、やめろ。俺は追われてるんだよ。すぐに逃げなきゃいけないんだよ。邪魔すんなクソ女。
「いや、ホントに大丈夫なんで! 急いでるんで……」
女が下を向いてカバンを漁り始める。
しめた。
俺は腰に下げていたハンマーを手に取り、振り上げた。
ゴッ……
鈍い音が響いた。女は叫び声を上げる間もなく、地面に倒れ込んだ。
⋯⋯死んだ。
俺の邪魔をするからだ。つーか、すぐ逃げりゃあ、殺す必要もなかったな。まあいいか。
思い返せば、慣れたもんだと思う。もう手が震えることもなくなった。それでも、やっぱり最初の一回だけは、今でも夢に出てくる。
さて、分かれ道だが⋯⋯あー、悩んでも仕方ねえ、右でいいか。とにかく二十分。いや、あと十五分逃げ切ればやり直せる。そしたら傷も治るし、仕切り直しだ……!
「そっちは駄目よ!」
後ろから、女の声。
……は?
……え? なんで? いや、待て待て待て待て。
え、なんで普通に立ってんの? 死んだよな?
と、とりあえず逃げねえと!
「ちょっと、駄目だったら! 待ちなさい!」
あ、そうか。あの女が死んでないってことは、俺はやり直したのか。うん、やり直してるな、俺。
⋯⋯いや、なんでだ? 俺はいつから戻ってきた? 全然、先の記憶がないぞ。
いやいや、そんなはずない。あれは確かに死んでた。生き返るわけねーだろ。え? 確実にやり直してるな、俺。うわ、何やってんだよ。
つーことは、あと一時間……おいおい、嘘だろ? まだ一時間も逃げ回らなきゃいけないのか? しかも、やり直してもここからかよ! ああ、全身が痛え! ああ、クソ、クソ! 最悪だ、最悪だ!
◇
あー、しくじったなァ。あのヤロー、まさか崖から飛び降りるとは思わなんだ。そこまでの度胸があったとはねぇ。死体はないから生きてるとは思うが、逃がしたとなったら皆さんに顔向けできねえ……。
「先生、見失ってしまったんでしょうか……」
「ご安心ください。『隻眼の鷹』の異名にかけて、必ずや生け捕りにしてみせましょう」
……と、まあ。オレはご遺族の皆さんに頼まれて、森へ逃げ込んだヤローを追っている。若い娘さんばかりを狙う、卑劣な犯罪者だ。
仕事だから追ってる? そりゃそうだ。でもな。それ以上に、オレは悪ィヤツが大嫌いなんだ。絶対にとっ捕まえてやる。
「先生、誰かいます!」
見ると、少し先に娘さんが立っていた。なんでこんな森の中に? まあ、いるもんは仕方ねえ。
「あー、嬢ちゃん。悪ィけど、この辺で怪しいヤツ見かけんかったかい?」
「いたわ。怪我の手当てをしようとしたら、いきなり殴ってきた恩知らずの男が」
「殴られた?」
「ええ。後頭部を硬い物で。ハンマーか何かだとおもうわ」
それです。まさにその男ですわ。っていうかこの娘、大丈夫なの?
「あんた大丈夫なのかい……?」
と、ご遺族の一人。そう、オレもそれ聞こうと思ってた。
「大丈夫、ちょっと痛かっただけ」
ンなわけあるかい……あれか? すごい石頭なのか? 皆さんがザワつく。まあ、無事で何より。
「それであなたたち、あの男を追っているの?」
「そうなんだ、どっちにいったか……」
「あぁーっと! ちょっとお待ちいただけますかァ!」
オレは、道を尋ねようとしたご遺族を制した。
……だって、アヤしすぎんよ、こんな森の中で女一人。頭を鈍器で殴られたっつーわりにはケロッとしてる。オレたちを明後日の方へ誘導して、アイツを逃がそうって魂胆じゃねーだろな。
オレには、生まれつき妙な力がある。オレは『百発百中』って呼んでるが、遮るモンさえなけりゃ、狙って投げたモンは何でも当たる。ついでにカンも当たる。
ただ、すごーく、極々稀に。盛ッ大に外す。それこそ、外したときは生命の危機を感じる事態に陥るくらい、大外しする。だがそれも含めて、賭けっていうのは嫌いじゃなかった。
「嬢ちゃん。今からオレと一緒に『いっせーのーせ』で男の逃げた方向を指差してもらえんかナ」
「いいけど……どうして?」
「心の準備ってやつ?」
オレには今、二つの『カン』が働いてる。一つは、あのヤローが右の道に逃げ込んだであろうってコト。で、もう一つは……この嬢ちゃんが、信用できるってコトだ。
普通に考えりゃ、疑わしい。でも、オレのカンがそう言ってる。この嬢ちゃんが右だと言えば……こりゃあ、ワクワクするねえ。
「よーし、それではご唱和ください。いっせーのー⋯⋯」
「「せ!」」
オレたちは、二人同時に右を差した。
「……ヒュウ! 大当たりィ」
「どういうことかしら?」
「いやいや、こっちの話だよレディ。さー皆さん、こっちに逃げたのは間違いないみたいです!」
「「おうっ!」」
威勢よく声が上がる。さァ、追跡開始だ。
「待って」
レディがオレたちを呼び止めた。
「そっちの道、対策なしで入ると出られなくなるわよ。延々同じところをぐるぐる彷徨う羽目になる」
「……へ?」
「別名、迷いの森」
「迷いの森……」
「私が名付けたの」
あーら、そう。好きよ、そのネーミングセンス。
「随分詳しいみたいだナ……」
「ええ。さっき、ちょうど抜け出したところだから」
「さっき?」
「三日目くらいから、どうしようかと思ったわ」
マジで大丈夫なの? この娘。
「とにかく」
嬢ちゃんは森の奥へ目を向けた。
「私も着いていくわ。歩きながら、あちこちに印をつけてきたから」
「ほうほう⋯⋯印を」
「ええ。木に傷をつけたり、石を積んだり。なんとか脱出するために、ね」
「なるほどォ」
やるじゃねえか。ヤバい嬢ちゃんには違いねえが、こりゃあオレたちにとって女神サマなのかもしれねぇな。
「皆さん、どうします? ワタクシ一人で行ってふん縛ってきてもいいですが」
「いえ、私たちも一緒に行きます!」
「ああ。アイツを一刻も早く地獄に叩き落としてやりてえんだ……」
「先生、お願いします!」
士気は十分。なら、あとは簡単だ。待っとけよ、極悪人。過去を清算させてやるぜ。
オレは森の奥を睨んだ。
「さーて、詰めといきますかァ」




