ごめんね勇者
酒を飲まないと、やってられなかった。朝から飲んで、昼にも飲んで、夜もまた飲んで⋯⋯。酒が抜けている時間のほうが、少ないくらいだった。
「おい、また来てるぜ。あれが噂の⋯⋯」
「無能勇者様だ」
「まだ生きてたのか」
酒場で聞こえてくる声に、いちいち反応はしない。もう慣れた。
勇者。かつて僕は、そう呼ばれていた。魔王を倒すため聖剣に選ばれ、仲間たちと旅をした。
そして今は『無能勇者』。『鋼の魔人』を生み出し、人類を後退させた男。僕が知る限り、この世界で最も不名誉な二つ名だった。
「……もう一杯」
通りがかった女給に、空になったジョッキを見せる。
「昼から飲みすぎですよぉ」
呆れたように言われる。
「別にいいでしょう。僕にはもう何もないんだから」
「もぅ、そんなこと言わないでくださぁい」
勇者の力は、もうない。仲間もいない。魔王を倒すという目的も、とっくに消えた。僕に残っているのは、酒と後悔だけだった。
「相席、いいかしら」
突然、声をかけられた。
顔を上げると、若い女性が立っていた。僕より同じくらいか、少し下に見える。ただ、妙に落ち着いた雰囲気をしていた。
「……好きにして」
「ありがとう」
女性がテーブルにつくと、さっきの女給が戻ってきた。
「ご注文が決まったら呼んでくださいねぇ」
「パンとスープを」
「お酒は?」
「いりません」
「分かりましたぁ」
彼女たちの言葉を聞きながら、僕はただ、ぼーっとしていた。
◇
「お待ちどうさまぁ! パンとスープでぇす!」
「ありがとう」
料理が届くと、彼女は髪をまとめ、こんな酒場には似つかわしくない上品な手つきで食事を始める。僕はというと、先に運ばれてきた酒をもう飲み干していた。
「おい、姉ちゃん! そんな辛気臭ぇ『無能勇者様』のとこにいないで、椅子こっちに持ってこいや!」
「遠慮するわ」
隣のテーブルの男が彼女に威勢よく声をかけたが、一瞬で振られると、何も言わずに自分のテーブルへ向き直った。
「無能勇者?」
「その名の通りさ。⋯⋯いや、無能『元』勇者といった方がいいかな」
僕は自分の前にあるジョッキを指差して、自嘲気味に笑った。
「勇者が昼間から、こんなに飲まないでしょ」
「飲むんじゃない?」
変な女の人だった。だから、何となく語りたくなったのかもしれない。
「⋯⋯『鋼の魔人』は知っているかい?」
「ええ。どんな攻撃も効かないっていう、最強の魔軍四天王のことでしょ?」
知らない人の方が少ないか。
「ああ⋯⋯それが、僕の罪なんだ」
僕は一気にしゃべった。彼が⋯⋯鋼の魔人が、本来は純朴な少年だったこと。ともに冒険したこと。彼が無敵の体を持っていたが故に、気持ちを無視して、道具のように扱ってしまったこと。その結果、彼は人間を見限って魔軍に入ってしまったこと。
「最低ね」
バッサリと切られた。否定するつもりはなかった。僕は最低だ。自分でもそう思う。今だって、思い出すだけで胸が締め付けられる。
「でも、いい時代になったわ」
「……は?」
思わず聞き返した。
「だって、戦争が止まったでしょう? 鋼の魔人が、あまりにも強すぎるから」
「……そう言えなくもないけど」
「じゃあ、いい時代よ」
近くの席から、舌打ちが聞こえた。だけど、彼女はまったく気にしていない様子だった。
「それで?」
「何が」
「仲直りできなかったのね?」
「……うん」
僕は二年間、何度も魔族領へ向かった。彼に謝るために。僕が当初の目的も忘れて、そんなことばっかりしているものだから、仲間はみんな離れていった。
そして、最後に彼と会ったのは、四年前だ。
「彼に言われたんだ。もう二度と来るな、卑怯者が⋯⋯って」
「何があったの?」
「……僕が知らないところで、軍が動いていた」
あの日、僕は本当に謝るだけのつもりだった。なのに、僕が彼と話している隙をついて、軍が魔族領へ攻め込んだ。
僕は何も知らなかった。でも、彼にとっては関係ない。人間の軍が攻めてきて、そのとき、僕がそこにいた。
「……それ以来、行ってない」
「怖いの?」
「違う」
即答した。でも、空のジョッキをじっと見つめて⋯⋯少し考えてから、言い直した。
「いや⋯⋯怖いんだと思う」
彼女はスプーンを持ったまま動きを止めた。でも、しばらくすると、とても優しい笑みを浮かべながらこう言った。
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
「……え?」
女性はスープを飲みながら、平然と言った。
「私も、会ってみたいと思っていたの。魔王に」
隣の席の男が、酒を吹き出してこちらを向いた。目が合う。何を言っているんだ、こいつ。そんな顔だった。たぶん、僕も同じ顔をしていた。
「え、魔王に?」
「ええ」
あまりにも軽い調子だった。
でも、僕も何だか心だけ先走っていた。もう一度彼に会いたい。彼に謝りたい。
「⋯⋯僕はただの飲んだくれだから、キミのことを守れるかわからない。死ぬかもしれないよ」
「死なないわ。あなたは自分の身だけ守って」
どこからその自信が来るのか。もしかして、見かけによらず、ものすごく強い戦士なのだろうか。
「あ、あともう一つ。魔族を一人も殺さないって約束して」
「え⋯⋯それ、すごく難しいんじゃないかな」
僕は彼女を見る。彼女は僕をじっと見つめ返していた。⋯⋯睨まれているような気がする。
「行くの? 行かないの?」
「⋯⋯い、行きます」
こうして僕は、四年ぶりに魔族領へ向かうことになった。
◇
道中、何度か魔族に見つかりそうになった。だが、彼女は本当に約束を守ろうとしていた。隠れる。逃げる。回り道をする。正直、戦った方がマシなのでは? と思うくらい、僕たちはゆっくり、ゆっくりと進んだ。
彼女は、動きこそ戦士のようなキレはなかったけれど、冒険には慣れているのか、疲れを見せることはなかった。
色々と聞いてみたものの、彼女は自分のことになると、決まって口を閉ざした。
◇
「止まりなッ!」
山道へ差しかかったとき、僕らの目の前に火柱が立ち上った。炎の向こうを見上げると、切り立った岩の上に、魔族の女が立っていた。
「こんなとこまで、人間が何の用だい?」
赤い肌に、銀色の髪。魔軍四天王の一人『轟炎』だ。まずいな⋯⋯いや、僕を知っている相手に出会えたのは、逆にチャンスなのかもしれない。
「……おやぁ? 誰かと思ったら『ごめんね勇者』じゃないか!」
「素敵な名前ね」
彼女は四天王だと知らないのだろうか。『轟炎』を前にしても、さっきの魔法を見ても、その表情にはなお余裕があった。
「アッハハハハ! 何だい? 聖剣も持てなくなったのに、今さら魔王様と戦いにきたのかい?」
「……ここを通してほしい。『鋼の魔人』に会いにきた」
「……またそれかい。アンタもしつこいねえ……」
轟炎の顔から、笑みが消えた。
「アタシが言えるのはひとつだけ」
片手を上げる。その掌から、黒い炎がボッと噴き上がった。
「引き返さないなら、この場で消し炭にするよ」
僕は剣に手を伸ばさなかった。
「僕たちは魔族を傷つけないことを誓って、ここに来た」
「だから?」
「戦わない」
轟炎が僕らを睨む。
「何を言っても変わらないよ。人間が来たら追い返す。言うことを聞かないなら殺す。それがアタシたちのやり方だ。ここから先は、通さない」
「頼む。どうしても会いたい。会って、謝りたいんだ」
僕は地面に座り込み、額をつけた。そういえば、彼にも土下座したな。そのうち僕は『土下座勇者』と呼ばれそうだ。
そんなことを考えていると、隣から物音がした。見ると、彼女も同じポーズを取っていた。……どうして彼女に、そこまでする義理があるんだろう。
「はあ……命乞い以外で魔族に土下座するのなんて、アンタらくらいだよ」
轟炎が深いため息をついた。
「……絶対、誰にも言うんじゃないよ」
その声には、今までにない重さがあった。
「もし約束を破ったら……アタシの命を賭けて、地の果てまで追い詰めてでも殺してやるから」
僕は隣を見る。こんなことに彼女を巻き込んでいいものか。
「私は構わないわ。約束は守る」
迷いのない声だった。どこまでも頼もしかった。
「わかった……」
轟炎はそう言うと、しばらく黙り込んだ。
「……ハガネのボウヤは、もう死んだ」
「……え?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「……死んだ?」
「ああ……半年ほど前。病気だった」
胸の奥が、冷たくなった。
死んだ。
彼はもう、いない。
長い沈黙が流れた。
「……彼は⋯⋯魔軍にいて⋯⋯幸せ、だったか?」
「そんなのは、アタシが決められることじゃない。でも……最期まで、魔王様のそばにいたよ」
その言葉を聞いて、少し胸が痛んだ。僕には、できなかったことだ。彼のそばにいることも。最後に、もう一度話すことも。
轟炎が続ける。
「……いいかい。アンタも、隣の女も。今の話は絶対に口外すんじゃないよ。ボウヤがいないとなれば、どうせまた攻めてくるだろ」
言い返すことはできなかった。実際、僕ら人間は、いつもそうなんだろう。僕は深く頷いた。
「……もしよければ、魔王に伝えてくれないか」
喉が震える。
「『ごめんね勇者』から……お悔やみ申し上げると」
「……分かった」
轟炎が頷く。
隣にいた彼女が、口を開いた。
「私からも、お願いします」
轟炎が彼女を見る。
「あなたとの約束は、守っていると」
「約束?」
「ええ。人間の女から。それだけで、通じると思います」
「……そうかい」
轟炎は、しばらく彼女の顔を見つめていたが、やがて、ほんの少しだけ目を細めた。
「分かった。確かに伝えとくよ」
そして、ふっと息を吐く。
「……あーあ。魔王様に怒られるかもねえ」
轟炎は苦笑しながら、ひらひらと手を振った。
「さあ、アンタたちは、もう帰んな」
◇
人間領へ戻る間、僕はほとんど喋らなかった。
彼は死んだ。僕は、最後まで許してもらえなかった。それでも帰り道の空は、何故だか妙に綺麗だった。
「……僕さ」
少し後ろを歩く彼女に声をかける。
「うん」
「もう一度、やり直してみようと思う」
「何を?」
「人生を」
彼女は、少しだけ笑った。
「そっか」
それ以上、何も言われなかった。それでよかった。
僕は僕の人生を、もう一度始めよう。四年前に置き去りにしたものを、少しずつ拾いながら。
◇
町の入口で、僕たちは足を止めた。
「本当にありがとう。キミのおかげで、色々吹っ切れたよ」
「どういたしまして」
僕は、彼女の顔を見る。そういえば、彼女はこのあと、どうするんだろう。
「この街に住んでるのかい?」
「いいえ。私は一カ所にいるの、嫌いなの。だから、また旅に出るわ」
「どこへ?」
彼女は笑った。
「決めてない」
やっぱり、不思議な女性だった。僕は、もう少し彼女と一緒にいたいと思った。⋯⋯だけど。
「また、会えるかな」
「ええ。また会いましょう」
最後に、笑顔を交わした。彼女は、旅人らしく軽い足取りで歩いていった。
僕は、彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから、反対の道へ歩き出した。




