それぞれの思惑
畑一面に、青々とした葉が揺れていた。
土から伸びた茎には、丸々とした実がいくつも実っている。少し離れたところでは麦も穂を垂らし、風が吹くたびに、黄金色の波がゆっくりと畑を渡っていく。
「今年は豊作だな、頭領」
「ああ。頑張って耕した甲斐があった」
「あのなあ。毎年言うけど、お前がやらなくていいんだぞ? 他に仕事色々あるだろ……」
魔王が死んでから十年余り。あの戦争が終わったあとも、俺たち魔族の暮らしは終わらなかった。
人間たちは、魔王の死を知ると、今度は魔族狩りを始めた。追われた者。家を焼かれた者。仲間を殺された者。行き場を失った俺たちを集め、互いに身を守って暮らせる場所を作ったのが、この男――頭領だ。昔からの馴染みだが、昔っから、本当にすごいやつだった。
「暗くなってきたな。そろそろ戻ろうぜ」
「ああ」
俺と頭領が振り向いた、そのときだった。
「報告! 報告ー!」
森のほうから、警備隊が駆けてくる。息を切らした若い魔族が、頭領の前で足を止めた。
「報告! 森で人間に遭遇しました!」
「全員無事か?」
「はい! 交戦になりましたが、こちらの被害はゼロ!」
「それは良かった」
頭領が安堵したように息を吐く。だが、その視線が警備隊の後ろへ向いた。
「……後ろの女は?」
縄で縛られた人間の女が、二人に引きずられてやってきた。俺は思わず舌打ちした。人間。いつ見ても、胸糞が悪い。
「ええ、それでこいつが問題なんですが……」
男は困ったように頭を掻く。
「何回殺しても、死なないんです」
頭領の眉がぴくりと動く。
「死なない……?」
「はい! 他の三人は確実に仕留めたんですが……コイツだけは首を切っても、心臓を潰しても死なないんです!」
地面に這いつくばる人間の女を見る。
細い身体だった。少し殴っただけでも死んでしまいそうなのに、目だけは違った。隙さえあれば殺してやる。そんな鋭い目をしている。
不死身、か。本当かどうかは分からない。だが、本当なら都合がいい。俺は人間が嫌いだ。本当に、大嫌いだ。姿を見るだけで、殺したくなる。
頭領がしゃがみ込み、女の目を見た。
「お前は、なぜ魔族を傷つける」
「……あなたたちは、私の大切な人を殺した」
「お互い様だ」
その言葉に、胸の奥がざらついた。
お互い様。そんな言葉で済ませられるものか。先に手を出したほうが悪い。原因を作ったほうを叩き潰さなければ、何も終わらない。
「頭領。俺にやらせてくれないか」
「どうした、急に」
「本当に不死身か、俺が確かめる」
女を見下ろす。
「もし本当だったら……永遠に苦しめてやる」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だ」
笑いが漏れた。
「人間に恨みを持ってる魔族は大勢いる。こいつに、その恨み全部を背負わせるんだ」
「……駄目だ」
頭領は立ち上がった。
「ここは俺に任せてほしい」
⋯⋯甘い。甘いんだよ、昔からお前は。人間に慈悲を与えるな。そうしなければ、またやり返される。俺たちは、それを嫌というほど思い知らされてきた。
「答えろ、女。お前は今まで何人の魔族を殺した」
「十人……」
「……今回、何度死んだ」
「……三回」
「そうか……では、覚悟しろ」
頭領はそう言うと、女に一歩近づいた。
爪が閃く。
女の首が、地面へ落ち、血が飛び散った。
だが、落ちた頭は、すぐに灰へ変わった。さらさらと崩れ、風に散っていく。そして、首の断面から、肉が盛り上がった。骨が形を作り、皮膚が張る。髪が伸びる。
ほんの数秒のうちに、新しい頭が生えてきた。
「……化け物め」
思わず呟いた。
女が目を開いた瞬間、また爪が走った。首が飛ぶ。灰になる。生える。
三度目。
四度目。
頭領は何も言わず、女が目を覚ますたびに、その首を刎ねた。
◇
七度目。
新しい頭が生え終わるのを待って、頭領はようやく爪を下ろした。
「二度と我々を傷つけるな」
頭領は静かに言った。
「そうするなら、今回だけは見逃してやる」
「……わかった」
女が小さく頷いた。
立ち上がった女がふらふらと遠ざかり、その背中が森の中へ消えていくまで、俺たちは一言もしゃべらなかった。
⋯⋯俺には、到底理解できなかった。なぜだ。なぜ、見逃す。
「頭領……アンタは甘すぎる」
頭領が振り返る。
「ヤツらに慈悲なんかいらない!」
「慈悲じゃない」
「じゃあ、なんだ!」
怒りが収まらない。
「なんでアイツを信じた! 大切な人を殺された、だァ? そんなの、嘘っぱちだろ! 殺したのが十人で済むかも分からない!」
「……そうだな」
頭領は否定しなかった。それがまた腹立たしかった。
「だったら!」
「忘れるな」
頭領は、静かに俺を見る。
「……何を」
「俺たちの歴史を」
胸の奥が、ざわついた。
「人間は、つまらない理由で俺たちを迫害した。俺たちの住む場所を奪い、追いやった。大勢の仲間が殺された」
「だから! 言ってんだろうが!」
俺は拳を握った。
「やられたらやり返すんだろうが!」
「そして魔王は、人間を大勢殺した」
「……何が言いたい」
「報復は報復を生む」
頭領の声は、どこまでも静かだった。
「戦わなくて済むなら、それが一番だろう」
「っ……」
喉の奥が震えた。
「この……腑抜け野郎があぁッ!」
「わっ、落ち着いて! 頭領も!」
警備隊が慌てて割って入る。だが、俺はもう止まれなかった。
こいつの甘さに辟易しているやつは、俺の他にも大勢いる。こいつだって、仲間を何人も殺されたはずだ。それなのに、どうして、そこまで人間を許せる。
いや、違う。こいつは、憎しみを抱えたまま、それでも終わらせようとしている。だから、余計に腹が立つ。
「……俺と勝負しろ」
気づけば、口にしていた。
「負けた方が、ここから出ていく。それでどうだ」
「……いいだろう」
頭領は、ためらいもしなかった。
「それでお前の気が済むなら」
◇
俺は、傷だらけの身体を地面に投げ出していた。
空が、やけに遠い。
頭領は強かった。
俺は、こいつが戦うところをほとんど見たことがない。だから、どこかで思っていたのかもしれない。もしかしたら、勝てるんじゃないかと。
……馬鹿だった。手加減されていなければ、俺は死んでいた。
「考え直せ」
頭領が、こちらを見下ろしている。
「お前が出ていく必要はない」
また、それか。最後まで甘い。
強くて、優しくて、頭も良くて、人望もある。昔から、こいつには敵わなかった。俺は、こいつが羨ましかったのかもしれない。
ゆっくりと身体を起こす。全身が痛い。
「一度言ったことだからな……撤回する気はない」
俺は立ち上がり、口の中に溜まった血を吐き捨てた。
「だけど、最後に一つだけ言わせてもらうぜ」
顔を見ると、また何か言ってしまいそうだった。だから、背を向けたまま続ける。
「断言する。ヤツらは……人間は、俺たち魔族を徹底的に悪役にする。百年先も、千年先もだ。人間がいる限り⋯⋯俺たちはずっと悪役だ」
捨て台詞は終わった。もう、ここにいる理由はない。俺は歩き出した。
「……死ぬなよ」
やつの言葉に、足が止まった。
振り向かずに俺は答えた。
「お前こそ」
喉の奥から、声を絞り出す。
「⋯⋯人間如きに、殺されるんじゃねえぞ」
それが、俺たちの最後の会話だった。




