査察を配信しちゃうって本当ですか?
私、麻婆豆腐も大好きなので。
1. 査察団到着の報
「査察団の派遣が決定したとの通達が、
たった今、テラから届きました」
秘書官の報告に、レイモンドの顔から一瞬で血の気が引いた。
「さ、査察団って、テラから? いつ来るんですか!?」
「通達によると査察団の乗艦はこれからすぐ出発するとのこと。
4日後に到着との見積もりです」
「あ……そ、そうか。政府間の通信は一瞬でしたね。
実施方法に何か指定は?」
「査察団は非公開での実施を求めてきております」
「い、いや待って、俺、何も悪いことしてないですよね? 」
「存じ上げません」
秘書官は淡々と答えて一礼し、退室していった。
一人になった執務室で、レイモンドは机に突っ伏した。
(4日……。4日って、逆に長いな。
逃げる時間はあるのに、逃げ場はどこにもないっていう……)
彼を不安にさせたのは「非公開」という形式であった。
密室で何を問われて、何を認めさせられるのか。
考える時間だけが、無駄にたっぷりと与えられていた。
その直後、いつも通りの配信の時間がやってきた。
カメラの前に座っても、レイモンドはどこか上の空だった。
〈査察団くるってニュース見ましたよ〉
〈就任してすぐ査察されるって草〉
〈警戒されてますねwww〉
コメントに突っ込まれ、レイモンドは思わず口を滑らせた。
「そう、来るんですよ。査察団。4日後に」
コメント欄が一気に沸いた。
〈中央、焦ってる証拠だろこれ〉
〈次の配信、査察後か。それとも獄中配信ww〉
本人にとっては恐怖以外の何物でもなかったが、
視聴者たちの反応はお祭りの様相を呈していた。
「生きてたら次回には査察の話します」
という投げやりな一言で、その日の配信は締めくくられた。
「……逃げたい」
配信を終えた後、誰もいない部屋で呟いた声は、
誰にも届かず、壁に虚しく吸い込まれた。
2. デュボワの発破
査察当日。レイモンドはまずデュボワに捕まった。
「クラーク代表」
「は、はい」
デュボワはまっすぐにレイモンドを見据えた。
「今日という日を自治権拡大の一里塚にすべきよ。
この査察は、中央に対して、私たちが臆していないことを示す絶好の機会よ」
「あ、あの、俺、そんな大それたことは……」
「いい? 譲歩は禁物よ。
少しでも弱腰な態度を見せたらテラは付け込んでくる。
堂々と自治権拡大の正当性を主張すればいいから」
「は、はあ……」
レイモンドは生返事をしながら、内心で頭を抱えていた。
(いや堂々とって言われても、俺、そこまで強気じゃないんですけど……)
3. モリタの釘刺し
デュボワと入れ替わるように、今度はモリタが穏やかな足取りで近づいてきた。
「クラーク代表。少しよろしいですか」
「は、はい、モリタ先生」
「今日の査察、くれぐれもお気をつけて。
中央を刺激するような発言は、絶対に慎んでください」
「あ、はい。」
「対決姿勢は避けてくださいね。
感情的な物言いは、こちらの立場を悪くするだけです。
あなたは元々、対話を大事にする方だと、私は信じています」
モリタは柔らかく微笑んで、そのまま去っていった。
廊下に一人残されたレイモンドは、両手で顔を覆った。
「……知らんがな」
小さく、しかし切実な声だった。
(堂々と主張しろって言われたと思ったら、対決するなって言われて。
どっちだよ。同時にできるわけないだろ……)
結局のところ、レイモンドの頭の中を占めていたのは、
自治権の未来でも、テラとの関係でもなかった。
早く終わってくれ、それだけを願って、レイモンドは会議室へと向かった。
4. 保身
査察団は議事堂の奥、小さな会議室で待っていた。
先頭に座っていたのは、見覚えのある顔だった。
「チェン・オードリーです。
植民統括省補佐官として、本査察の責任者を務めます」
レイモンドは、その見覚えある顔を見て、ひきつった笑いを浮かべた。
(オードリー。よりによってなんでお前が来るんだよ……)
「クラーク代表。
本日は、非公開の場にて、あなたの思想的背景、
及び一連の言動の意図について、確認させていただきます」
事務的な声だった。
かつての同期としての親しみは、そこには微塵も感じられない。
聴取が始まる直前、レイモンドは震える手を挙げた。
「あ、あの、一つよろしいですか」
「何でしょうか」
「これ……配信、していいですか」
会議室の空気が固まった。
「配信、とは」
レイモンドは焦りからつい早口で続けた。
「密室で何やり取りしたかわからないって、一番怖いじゃないですか。
後で『言った』『言ってない』ってなったら、
俺、絶対言い逃れできないですし。あ、あなた方もですけど。
そんなことになるならみんなに見てもらいたいなと。」
オードリーは、しばらく無言でレイモンドを見ていた。
査察団の一人が、耳打ちする。
「前例のない要求ですが、拒否した場合、
こちらが情報を隠蔽していると受け取られかねません」
オードリーは小さく息を吐いた。
「分かりました。公開の場での聴取ということで進めましょう」
5. 公開査察
狭い部屋では配信をする設備が整わないということで、
急遽、本会議場が開放されることになった。
議事堂の職員が、急な移動劇に気づいてざわつき始める。
中継も急遽つながれ、この数日ずっと気を揉んでいた視聴者たちが、
次々とアクセスしてきた。
〈え、査察、公開になったの?〉
〈非公開の予定だったのに、代表が申し出て公開にさせたらしい〉
〈中央の圧力を可視化する気だ〉
〈これは相当な覚悟だぞ〉
〈チャンネル登録者増やしたいだけでは?〉
本人の与り知らないところで、また一つ、評価が積み上がっていく。
(よかった……これで密室で変なこと言われて詰まされる心配はない……)
レイモンドはただ、心底ほっとした顔をしていた。
政治的な意図など、欠片もなかった。
6. かみ合わない尋問
「では、始めます」
オードリーは資料を手に、淡々と質問を始めた。
「あなたの配信内では、
しばしば中央の食料政策への批判的な言及が見られます。
あなたは中央政府の政策を根本から変えたいとお考えですか」
「い、いや、政治的意図とかじゃなくて、
単純に……不味いものは不味いって言ってるだけです」
「輸送税、及び新食材の認可制度についても、
批判的な発言をしていますね」
「あれは、俺たちの生活に直結する話だからで……
別に、中央政府そのものをどうこうしようとか、
そういうのじゃ……」
政策の話を聞きたいオードリーと、
単に自分の実感を話して話を終えたいレイモンドが、
微妙にすれ違っていく。
オードリーは表情を変えないまま、次の質問に移った。
「では、中央大学在学中の交友関係について伺います。
当時から、植民地の自治や、
標準化政策への批判的な視点をお持ちでしたか」
「……いや、そんな高尚なこと考えてなかったですよ。
ただ、飯がまずかったから、まずいって言ってただけで」
「では、標準化そのものについては、どうお考えですか。
中央標準食のような、均一化された食料政策について」
「あー……それはまあ、正直、良くないと思いますけど」
「良くない、というのは」
レイモンドは、少し考え込んでから、ふと身を乗り出した。
「あ、そうだ。分かりやすい例があるんですよ」
会議室の空気が一瞬、止まった。
「オードリーにも、昔、麻婆豆腐作ったことあるよね。
本格的なやつ。花椒を、限界まで効かせたやつ」
オードリーの眉が、わずかに動いた。
「ああ、あれ。半日、舌が痺れて味覚戻らなかったんだけど」
「そうそう、痺れましたよね。
でも、あれ、痺れも込みで美味いんですよ」
レイモンドは構わず続けた。
「花椒の痺れって、味を邪魔してるように見えて、
実は舌をリセットしてくれるんです。
だから、辛味も旨味も、ずっと同じ強さで感じ続けられる。
だから俺、ああいう刺激的なやつ、大事だと思うんですよね。
画一的にせずに、
いろんな刺激とか癖とかを込みで残しとくのが。
角を全部削って均された味だけにしちゃうと、
逆に何にも残らないっていうか」
言い切って、満足げに話を終えた。
政治的な含意など、微塵も意識していない、
ただの食の持論だった。
オードリーは、しばらく無言でレイモンドを見ていた。
(こいつ、査察の場で、何を自分から語り出してるんだ)
学生時代から変わっていない。
麻婆豆腐一つで三時間語れる男は、
査察の緊張感すら平気で自分のペースに巻き込んでくる。
だが、会場の空気は、オードリーの呆れとは違う方向に動いていた。
査察団の一人が、隣の同僚に小声で囁いた。
「『均された味だけでは何も残らない』か」
「標準化政策への、明確な批判とも取れますね」
オードリーは、その囁きを聞きながら、何も言わなかった。
ただ、資料にペンを走らせる手が、わずかに止まった。
(こいつは、本当に、麻婆豆腐の話をしてるだけだ。
呆れるくらい、いつも通りだ
だが、本当にそうなのか)
分かっていた。
分かっていたはずなのに、その言葉を、この場で否定する材料を、
オードリーは持っていなかった。
その一方視聴者のたちは全く違うようにとらえていた。。
〈「均された味だけでは何も残らない」名言すぎる〉
〈中央の同化政策への痛烈な批判じゃん〉
〈査察官相手に一歩も引かないの、格好良すぎる〉
〈でも感情的じゃない。生活者の実感通り。さすがだ〉
レイモンドの心の中は、しかしまったく別の場所にあった。
(早く終われ。早く終われ。
デュボワさんにもモリタさんにも角が立たない着地点、
どこにあるんだよ)
そうこうしているうちに、オードリーが資料を閉じた。
「以上で、本日の聴取を終わります。ご協力、感謝します」
「あ、はい、こちらこそ……その、お疲れ様でした」
レイモンドは心底ほっとした顔で、深く息を吐いた。
(終わった……終わった終わった終わった)
査察団が退場していく中、オードリーだけが一瞬、
足を止めた。振り返らずに、小さく呟いた。
「……相変わらず、変なところで人を振り回すのね、あんたは」
その声は、レイモンドには届かなかった。
7. 報告書の行方
査察団の帰艦後。
テラへ向かう艦内で、オードリーは聴取記録をまとめながら、
何度もペンを止めた。
「被聴取者は、政治的意図を明確に否定。
ただし、聴取中の発言
『均された味だけでは何も残らない』
については、
標準化政策に対する批判的示唆と解釈しうるとの意見が査察団内にあり」
書きながら、オードリーは眉根を寄せた。
(本当に、何も考えてない。それは分かってる。分かってるはずなのに)
脳裏に浮かぶのは、学生時代、
麻婆豆腐を三時間語り続けたあの男の、屈託のない笑顔だった。
(だからこそ、厄介なのかもしれない)
8. 査察の評価
査察団を見送った後、レイモンドは執務室で、ようやく人心地ついていた。
そこにデュボワが早足で駆け付けてきた。
「代表! 見事だったわ!
あの『均された味だけでは何も残らない』
あれは私の心も響いたは。中央への痛烈な一撃よ!
配信でみんなあなたの言い回しに感服したはずよ」
「え、いや、あれはただの麻婆豆腐の感想で……」
「謙遜はいいのよ」
モリタも、穏やかな足取りでやってきた。
「感情的にならず、終始、対話の姿勢を崩しませんでしたね。
あなたらしい見事な切り返しでした。
それが配信という形で皆に伝わったのも素晴らしい。」
「あ、いや、それも、ただ飯の話をしてただけで……」
両者とも、レイモンドの言葉を最後まで聞かず、満足げに去っていった。
一人残されたレイモンドは、天井を仰いだ。
落ち着こうと査察の配信のアーカイブを見てみると、
想定外の盛り上がりを見せていた。
(……なんで査察配信がこんなに盛り上がってんの!?
俺、麻婆豆腐の話しかしてないんですけど!?
あと、堂々と主張しろってのと、刺激するなってのと、
結局どっちも聞けてないんですけど、それは誰も怒らないんですか!?)
コメント欄には、なおも称賛の声が並び続けていた。
レイモンドの心の叫びは、今日もまた、誰にも届かなかった。
さてさて、高々麻婆豆腐の話で
周りの警戒心や期待がさらに上がってしまいました。
この後これがどう転がるのか。
あるいは次は何の料理で無理やり話をつなげるのか。
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