第26話:王都の門と、お母さんの「受付整理」
揺れる馬車の窓から見えたのは、天を突くほどに巨大な石造りの城壁だった。
隣国の首都、王都ラングレイ。森の緑とは対照的な、無機質で圧倒的な威容を誇るその門を前に、セナたちの旅は一つの大きな節目を迎えようとしていた。
「わあ……! ママ、見て! お山より高い壁だよ!」
レイが身を乗り出して叫ぶ。初めて見る巨大な建造物に、彼の瞳は期待と不安で激しく揺れていた。
その隣で、少年の姿をしたハルは、セナのブラウスの裾をぎゅっと握りしめていた。
「……人が、いっぱい。……ママ、ここの空気、重くて嫌い」
「大丈夫よ、ハルくん。……ママがずっと手を繋いでるから。……レイくんも、あんまり身を乗り出すと危ないわよ」
セナは、二人の息子を左右に抱き寄せ、その温もりを確かめるように抱きしめた。
お母さんとしての慈愛を保ちつつも、セナの視線は既に、城壁の正門前に広がる「異常な光景」を冷静に分析していた。
(……何かしら、あの渋滞。……物流の基本を無視した、最悪の滞留だわ)
馬車が正門の手前数百メートルで、完全に停止した。
見渡す限り、入国を待つ馬車、商人、そして避難民たちの列が、ぐちゃぐちゃに絡み合って立ち往生している。あちこちで馬の嘶きと、苛立った人々による罵声が飛び交っていた。
「……セナ殿。……王都の検問所は、魔獣被害の影響で入国審査を強化しているようですが……。……これは、少し酷すぎますね」
メルディが眼鏡をクイと押し上げ、窓の外の混乱を見て眉をひそめる。
セナの「鑑定」が、検問所の窓口付近のデータを拾い上げた。
『ステータス:業務飽和。原因:不適切な動線設計、書類確認の重複、および検品手順の未定型化』
事務職としての血が、セナの体内で沸騰し始めた。
これは「お節介」の範疇を超えている。このままでは、馬車の中にいるレイやハルの体力が削られるだけでなく、運ばれている生鮮食品もすべて腐ってしまう。
「……メルディさん、ロレッタさん。子供たちをお願い。……ちょっと、受付の様子を見てくるわ」
「ええっ!? セナさん、どこへ行くんですかぁ〜!?」
ロレッタの制止も聞かず、セナは馬車から飛び出した。
彼女はドレスのような旅装をまといながらも、その足取りはかつての物流センターの現場を歩く時のように、迷いがなかった。
検問所へ突撃したセナの目に映ったのは、山積みの書類を前にパニックに陥っている若手の文官たちと、要領を得ない指示を飛ばす年配の衛兵たちだった。
「……はい、そこ! 書類を出す前に荷物を解かないで! ……二度手間でしょ!」
セナの声が、混乱の渦の中心に凛と響き渡った。
文官たちが驚いて顔を上げる。そこに立っていたのは、見たこともないほど自信に満ちた、そして恐ろしく「仕事ができそうな」オーラを放つ女性だった。
「な、なんだ君は! ここは立ち入り禁止……」
「黙って私の言う通りに動いて。……そこのあなた! 馬車の列を三列に分けて。左は『物資』、真ん中は『身分証あり』、右は『避難民』よ! ……メルディさん、こっちへ! 書類の一次検品を頼めるかしら!」
馬車から降りてきたメルディが、諦めたように溜息をつき、セナの隣に並んだ。
「……承知いたしました、セナ殿。……これより、臨時入国審査のフローを構築します」
そこからは、まさに「セナ劇場」だった。
セナは、混乱していた人々の波を、事務的な「動線管理」で瞬時に整理していった。
「はい、商人の皆さんは先にギルド証を提示して! ……避難民の方はロレッタさんのところへ! 温かいお茶(常備品)を飲んでから列に戻って! ……衛兵さんは、荷物検査じゃなくて『導線の確保』に集中して!!」
セナの見事な采配により、数時間待ちだと思われた大渋滞が、目に見える速さで解消されていく。
文官たちは、セナの出す「一言で全てが伝わる指示」に魔法でもかけられたかのように従い、無駄のない動きでスタンプを押し始めた。
遅れて馬車で到着したジルヴェールが、その光景を見て絶句した。
自分の国の、それも最も厳重であるはずの王都の門が、一人の「お母さん」によって完璧に支配されている。
「……セナ。……君は、到着早々、我が国の行政を改革するつもりか?」
「あら、ジルヴェールさん。……これくらい、事務の基本ですよ。……それより、お腹を空かせた子供たちが待っています。……早く入城の手続き(チェックイン)を済ませていただけますか?」
セナは、少しだけ乱れた髪を整え、いつもの「お母さん」の笑顔に戻った。
ジルヴェールは、呆れ果てたように、けれど深い尊敬を込めて、自らの身分証を検問所の窓口に差し出した。
「……全隊、入城する。……この女性が作った『秩序』を乱すな!」
セナたちは、再び馬車に乗り込み、王都の中へと入っていった。
門をくぐる際、レイは窓から身を乗り出して、セナが整理した整然とした列に向かって手を振った。
「ママ、かっこよかったよ! ……悪い騎士様たちも、みんなママの言うことを聞いてたね!」
「キュイッ! ……ママ、すごい」
ハルも満足げに喉を鳴らす。
だが、馬車が王宮へと近づくにつれ、セナは窓の向こうから突き刺さる、無数の視線を感じていた。
高台にある王宮のテラス。
そこから見下ろす、豪華な服を着た王族や、冷徹な瞳をした文官長たち。
彼らにとって、セナという存在は、ただの「守護龍の保護者」ではなく、自分たちの既得権益を根底から覆しかねない、危険な「変革者」に見えていた。
セナは、愛用の管理日誌を取り出し、最後の一行を書き加えた。
『第二十六案件:王都入国手続き。
特記事項:検問所のロジスティクスが最悪だったため、暫定的に改善指導。
……王宮の内部も、きっとこの渋滞と同じくらい『不備』だらけなんでしょうね。
……在庫:お母さんのやる気と、家族の絆。……さあ、王都での『定時退社』を目指して、お仕事(交渉)を始めましょうか』
白亜の王宮の門が、重々しく開かれる。
セナはレイとハルの手を強く握り、これから始まる「王都での戦い(あるいは平穏な暮らしへの交渉)」に向け、静かに顎を引いた。




