第25話:王都の招待状と、お母さんの決断
聖域に、かつてないほど重厚な響きの蹄の音が近づいていた。
現れたのは、隣国の第三王子、ジルヴェール率いる親衛隊。だが、その目的はこれまでの物資供給とは一線を画していた。
「セナ。……今日は、隣国ラングレイの国王たる父の名代として、君に正式な親書を届けに来た」
ジルヴェールは、かつてないほど真剣な、それでいてどこか申し訳なさそうな顔で、金糸をあしらった封書を差し出した。
セナは「鑑定」を使い、その封蝋に込められた「王族の魔力」を確認してから、静かにそれを受け取った。
『聖域の主、セナ殿へ。
我が国の守護龍ハルを救い、国境の危機を物流の知恵で救った貴殿の功績は計り知れない。
つきましては、貴殿とご家族を「国賓」として王都へ招待したい。……国王より、直接の感謝を伝えたいとの意向である』
セナは、前世の事務職時代に培った「リスク管理」の感覚が、警鐘を鳴らしているのを感じた。
単なる感謝状であれば、伝書鳥で十分だ。わざわざ王子が自ら現れ、「国賓」という重い肩書きを持ち出すのは、裏に「別の狙い」がある。
「……ジルヴェールさん。……これ、ただの食事会のお誘いじゃありませんね?」
セナが鋭い視線を向けると、ジルヴェールは力なく溜息をついた。
「……隠しても無駄か。……王都の文官や貴族たちは、ハルの復活を奇跡だと騒いでいる。だがそれ以上に、国境を救った『空輸隊』と、君が構築した『聖域の管理システム』に戦慄しているんだ。……彼らは、君という有能な管理者を、国の組織に組み込みたいと考えている」
「……やっぱりね。……人材の引き抜き(ヘッドハンティング)の勧誘だわ」
セナは、事務的に現状を分析した。
王都へ行けば、セナの能力はより多くの人を救えるかもしれない。だが、それは今の「家族の平穏」と「定時退社」を捨て、王宮という巨大な組織の歯車になるリスクを孕んでいる。
拠点のテーブルを囲み、セナは家族会議を開いた。
「ハルくん、どう思う? ……王都には、あなたの故郷のお城があるけれど」
少年の姿をしたハルは、セナの服の裾をぎゅっと掴み、首を振った。
「……あそこ、嫌い。……冷たい石の壁ばっかりで、ママのご飯もない。……でも、ママが行くなら、僕も行くよ。……ママを一人にしたら、また変な大人に捕まっちゃうから」
ハルの瞳には、過去の「兵器」としての記憶と、それを上回る「お母さんを守る」という強い意志が宿っていた。
一方、レイは不安そうにセナを見上げている。
「ママ……。王都って、悪い騎士様がいっぱいいるの? ……僕、ママから離されたくないよ!」
「大丈夫よ、レイくん。……誰が来ても、私があなたたちの手を離すわけないでしょ?」
セナはレイを強く抱き寄せた。その温もりを確かめるように、メルディとロレッタも真剣な顔で口を開く。
「セナ殿。……王宮の文官たちは、論理だけでは動きません。……彼らはあなたの能力を『国力』として計算しています。……行くのであれば、相応の覚悟と『条件』が必要です」
「はわわ〜、セナさん! 私も一緒に行きますぅ! 王都の美味しいお菓子を食べて……じゃなくて、セナさんのボディーガードをしますからぁ!」
家族全員の想いを受け、セナは決断を下した。
彼女は、王子ジルヴェールに向き合い、一枚の「逆提案書」を突きつけた。
「ジルヴェールさん。……王都への招待、お受けします。……ただし、事務職として、三つの『絶対条件』を提示させていただきます。……これを国王陛下が承認されない限り、一歩も聖域を動きません」
ジルヴェールは、その鉄壁の交渉術に圧倒されつつも、静かに耳を傾けた。
「一、ハルくんの『自由』を絶対に縛らないこと。二、レイくんの『教育環境』を最高の状態で保証すること。……そして三。私たちが不在の間、この聖域とマーサさんたちの安全を、騎士団の精鋭をもって二十四時間体制で守り抜くこと。……いいですね?」
セナの要求は、国家予算をも揺るがしかねない重いものだった。だが、彼女にとっては「家族と隣人の笑顔」を守るための、最低限のラインだった。
「……承知した。……その条件、私が命に代えても父上に認めさせよう。……君の家族は、私が守る」
王子の誓い。それを受け、セナはいつもの「お母さん」の顔に戻った。
「よし! 決まりね。……お出かけなら、完璧な準備をしなきゃ! レイくん、ハルくん、お着替えの在庫を確認するわよ!」
翌日から、聖域は「王都への旅」に向けた大忙しのパッキング会場となった。
セナは前世の旅行準備の記憶を掘り起こし、移動中の食料、子供たちの体調管理薬、そして王宮での「事務作業用」のノートまで、隙間なく鞄に詰め込んでいく。
「ママ、これ、お揃いの冬服も入れる?」
「ええ、もちろんよレイくん! 王都の人たちに、うちの子供たちが一番格好いいところを見せつけなきゃね!」
ハルは、「ママ、ハチミツの瓶、もう一つ入る?」と、ロレッタを巻き込んでおやつの在庫を増やそうと画策している。
賑やかなパッキングの光景。
セナは、管理日誌の最後の一行を、力強い筆致で締めくくった。
『第二十五案件:王都への「家族旅行」の決定。
特記事項:王子ジルヴェールとの「完全合意」を締結。
……王都の文官たちがどんなに手強い『計算機』でも、お母さんの愛は計算外だってことを教えてあげるわ。
……在庫:勇気とワクワク感、無限大。……さあ、新しい世界を、みんなで見に行きましょう!』
魔獣の楽園は、お母さんのロジカルな決断と家族の絆を背負い、ついに森の境界線を越えて、外の世界へと大きく一歩を踏み出すことになった。
セナは、窓から見える聖域の景色を一度だけ愛おしそうに見つめ、愛する子供たちの手を引いて、銀色の馬車へと乗り込んだ。




