第27話:玉座の間と、お母さんの礼法
白亜の石材で築かれたラングレイ王宮。その最奥に鎮座する「玉座の間」へと続く大廊下は、磨き抜かれた大理石が鏡のように周囲を映し出していた。
居並ぶ近衛騎士たちの重厚な鎧の光、そして物珍しそうに、あるいは値踏みするようにこちらを見つめる貴族たちの視線。
「……ママ。……ここ、やっぱり嫌。……みんな、目が笑ってない」
少年の姿をしたハルが、セナのドレスの裾をぎゅっと握りしめて囁いた。
セナは、ハルの小さな手に自分の手を重ね、優しく微笑みかけた。
「大丈夫よ、ハルくん。……ママがついてるわ。……レイくんも、背筋を伸ばして。……あなたは私の誇らしい騎士様なんだから」
「……うん、わかったよ、ママ! ……僕、負けないから!」
レイは、セナが仕立てた「騎士仕様」の冬服の襟を正し、一生懸命に顎を引いて歩を進めた。
セナは、かつての事務職時代に受けた「ビジネスマナー研修」と、数多の理不尽なクレームを捌いてきた「鋼のメンタル」を呼び起こしていた。
(……相手が国王陛下でも、取引先の重役だと思えばいいわ。……正確な挨拶、隙のない所作、そして『NO』と言える勇気。……お母さんの実務能力、見せてあげるわよ)
巨大な扉が左右に開かれ、広大な玉座の間が姿を現した。
正面の玉座に座るのは、ラングレイ王国の最高権力者。その傍らには、複雑な表情を浮かべたジルヴェールが控えている。
セナは、一寸の狂いもない優雅な動作で、玉座の前で膝を折った。
事務員時代に培った「一秒を惜しむ効率性」が、今は「一ミリを惜しむ様式美」へと昇華されている。その完璧な礼法に、ざわついていた周囲の貴族たちが一瞬で静まり返った。
「……面を上げよ。……其方が、国境の物流を救い、我が国の守護龍を連れ戻した『セナ』か」
国王の重厚な声が響く。セナは顔を上げ、穏やかな、しかし確固たる意志を秘めた瞳で国王を見据えた。
「……はい、陛下。……過分なお言葉、恐縮に存じます。……私はただ、家族と隣人の平穏を守るために、自分にできることをしたまでにございます」
「……謙遜を。……ジルヴェールからは聞いている。……其方の持つ『管理能力』は、もはや一個人の領分を超えているとな。……どうだ、セナ。……この王宮の文官長として、我が国の歪んだ帳簿と、滞った行政を立て直してみぬか? ……望むだけの地位と報酬を約束しよう」
広間に衝撃が走った。
名もなき「お母さん」が、いきなり国の中枢を担う「文官長」に指名されたのだ。
だが、セナの答えは、最初から決まっていた。
「……陛下。……お言葉ですが、私は現在、この子たちの『お母さん』という専任職に就いております。……他のいかなる重職も、これ以上のやりがいは感じられません。……せっかくのご提案ですが、謹んで辞退させていただきます」
さらりと言ってのけたセナに、今度は文官たちが憤慨した。
「不遜なり!」「陛下の温情を無下にするとは!」と、非難の声が上がる。
その殺伐とした空気を切り裂いたのは、セナの背後から放たれた、冷徹なまでの「神威」だった。
「――母様を、困らせるな」
ハルが、少年の姿のまま一歩前に出た。
その瞳は紅く燃え、周囲の空気を物理的に震わせるほどの魔圧を放っている。
「……僕は、この人の息子としてここにいる。……守護龍としての僕が必要なら、母様の望む形(平穏)を邪魔するな。……勝手な決めつけは、火傷するよ?」
守護龍の「警告」。
ハルの気高き声に、騒いでいた文官たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
続いて、レイもまた一歩前に出て、王子の剣を指差しながら、凛とした声を上げた。
「……ママは、僕たちが守るから大丈夫です! ……僕、もっと強くなって、ママを泣かせるような悪い大人を、全部やっつけちゃうんだから!」
レイの、迷いのない自負。
二人の子供たちの、あまりに純粋で力強い「母への愛」に、国王は呆気にとられた後、豪快に笑い出した。
「……ははは! ……これは一本取られたな。……守護龍に脅され、騎士見習いに叱咤されるとは。……なるほど、ジルヴェールが『彼女には勝てない』と言った理由がよくわかった」
国王は、セナに向けられた鋭い視線を片手で制した。
「……セナよ。……其方の決意、しかと受け止めた。……無理に文官にとは言わぬ。……だが、其方たちをただの客として扱うのも惜しい。……しばらくの間、王都の離宮を貸し出す。……そこで、我が国の『腐敗』を、その目で見てから判断してくれぬか?」
「……『仮住まい』としてであれば、お受けいたします」
セナは微笑を崩さずに答えた。
交渉成立。ジルヴェールが、心底ホッとしたように肩の力を抜くのが見えた。
拝謁を終え、離宮へと向かう廊下を歩いている時のことだ。
前方から、華美な装束に身を包んだ一団が歩いてきた。第一王子の側近たちだ。
彼らは、セナたちとすれ違いざま、レイに向かって冷ややかに鼻で笑った。
「……ふん。……森の迷子が一人混じっただけで、随分と賑やかになったものだ。……田舎の泥臭さが、この高貴な王宮にまで染み付かなければいいがな」
露骨な侮辱。
レイは拳をぎゅっと握りしめ、顔を赤くして立ち止まった。
だが、セナはその言葉を聞き逃さなかった。彼女は立ち止まり、優雅に振り返ると、側近たちの目を真っ直ぐに見据えた。
「……あら。……泥の汚れは石鹸で落ちますが、心の『汚れ』は、どうやって落とされるおつもりかしら? ……もしよろしければ、私が事務的に、その『不備』を指摘して差し上げましょうか?」
セナの、冷徹な微笑み。
事務職がクレーマーを撃退する時の、あの「有無を言わせぬ圧」に、側近たちは言葉を失って逃げるように立ち去った。
「ママ……。……ありがとう」
「いいのよ、レイくん。……これからの王都生活、前途多難な『在庫状況』みたいだけれど。……ママが全部、綺麗に整理してあげるからね」
セナはレイとハルの手を強く握り直し、離宮の門をくぐった。
王都編、本格始動。
お母さんの「事務能力」と「愛情」は、今、巨大な国家という組織を相手に、その真価を問われようとしていた。
管理日誌の最後の一行。
『第二十七案件:国王拝謁、および仮住まいへの入居。
特記事項:玉座の間より、うちのキッチンのほうが落ち着くわね。
……レイくんの勇気、ハルくんの警告、共に満点。
……さて、王都の『不備』、徹底的に洗い出させてもらうわよ』




