第19話:月夜の誓いと、成長の証
国境の砦への緊急支援物資の「空輸」という大仕事を終えた日の夜。
辺境の森は、これまでにないほど深く、穏やかな静寂に包まれていた。
拠点のテーブルには、砦の指揮官から届いたばかりの走り書きの書状が置かれている。
『物資受領。これほど迅速、かつ完璧に整理された支援は見たことがない。兵士たちの士気は劇的に回復した。……空から現れた「白い雲の騎士」に、心からの感謝を』
「……『白い雲の騎士』、ね。ふふ、素敵な二面性だわ」
セナは、ランプの灯火の下でその書状をなぞり、安堵の溜息をついた。
事務職としての完璧なパッキングと、レイくんのテイマーとしての才能、そしてハルくんの魔力が合致して成し遂げた、小さな奇跡。
その立役者たちは今、泥だらけになった「騎士の服」を脱ぎ捨て、セナの手で温められたお風呂でさっぱりと汗を流したところだった。
「ママ! 僕、もう眠くないよ。まだ起きてていい?」
「キュイッ!」
パジャマ姿のレイくんが、濡れた髪をタオルで拭きながらキッチンへ駆けてくる。その背後には、同じくパジャマ姿のハルくんが、セナの影を追うようにぴたりと付いている。
「だめよ、レイくん。今日は大冒険をしたんだから、しっかり体を休めないと。……ハルくんも、魔力をたくさん使ったでしょ? ほら、温かいミルクを飲んだら、お布団に行きましょうね」
セナはお母さんらしく、二人のコップにハチミツを入れたホットミルクを注いだ。
二人が美味しそうにそれを飲み干すのを見届けると、セナは「おやすみなさい」のキスをそれぞれの額に落とした。
……だが。
一時間後、セナがメルディさんとロレッタさんと共に、明日の「在庫管理」の打ち合わせを終えて寝室へ向かおうとした時のことだ。
「……あら?」
拠点のテラスへと続く扉が、わずかに開いている。
セナが不思議に思って外を覗くと、そこには月明かりに照らされた、二人の小さな背中があった。
「……セナ殿。……彼ら、まだ起きていたのですね」
「はわわ〜、レイくんたち、何を内緒話してるんでしょうか〜?」
メルディさんとロレッタさんも、セナの背後からそっと様子を伺う。セナは「しっ」と指を唇に当て、物音を立てずにそのやり取りを見守ることにした。
テラスの縁に腰掛け、夜空に浮かぶ銀色の月を見上げているレイくんと、少年の姿のハルくん。
「……ねえ、ハル。僕、今日、砦の人たちが『ありがとう』って言ってくれた時、すごく胸が熱くなったんだ」
レイくんが、膝の上に乗せた小さな木の杖を慈しむように撫でる。
「今まで、僕はママに守られてるだけだった。……でも、今日は僕がクラウド・シープたちを案内して、ママの作った荷物を届けた。……僕、もっと強くなりたい。……騎士様みたいに剣が上手になるだけじゃなくて、ママが困った時に、真っ先に助けに行けるような、本当の『パートナー』になりたいんだ」
レイくんの言葉は、以前の「やきもち」とは違う、一人の自立した男の子としての決意に満ちていた。
ハルくんは、隣で静かにレイくんの言葉を聞いていたが、やがてゆっくりと頷き、レイくんの小さな手を自分の手でぎゅっと握った。
ハルくんの瞳が、月光を反射して紅く、鋭く輝く。
そこには、セナの前で見せる甘えん坊の子供の顔はなかった。
かつて隣国を護り、そして今はセナという「愛」によって再び力を取り戻しつつある、誇り高き守護龍としての覚悟。
ハルくんは、声に出せない代わりに、心の中で猛烈に叫んでいた。
(……母様。……あなたの平穏を乱すものは、僕が、この爪と火で、すべて焼き払ってあげる)
ハルくんの喉の奥が、熱を帯びるようにわずかに震える。
彼は、自らの内に眠る強大な力を、セナというたった一人の女性を守るために、どう行使すべきかを考え始めていた。それは、隣国にいた頃の「義務」としての守護ではなく、自らの意志で選んだ「愛」のための守護。
ハルくんは、自分の「声」が、もうすぐ戻ってくる予感を感じていた。
セナに、伝えたい言葉がたくさんある。
「大好き」という言葉。
「僕が守る」という誓い。
それを伝えるための言葉を、彼は今、自らの魂を削るようにして紡ぎ直そうとしていた。
「……ハル。……僕たち、二人で頑張ろうね。ママの『楽園』を、ずっと守っていこう」
レイくんが笑いかけ、ハルくんもまた、言葉なき約束を交わすように強く握り返した。
テラスの影で、セナは涙が出そうになるのを必死に堪えていた。
前世の事務職時代、彼女は「成長」という変数をあまり好まなかった。予定通りに動く物流、狂いのない数字。それこそが美徳だったから。
けれど、異世界でお母さんになった彼女にとって、この「予測不可能な子供たちの成長」こそが、何よりも尊く、美しい資産になっていた。
「……セナ殿。……彼らはもう、私たちが守るだけの対象ではありませんね」
「本当ですぅ……。レイくんも、ハルくんも、とっても頼もしい騎士様です〜」
メルディさんとロレッタさんが、優しく囁く。
セナは大きく頷き、意を決してテラスへと踏み出した。
「こらこら、夜更かしさんたち。……明日もお仕事(冒険)があるのに、そんなところで風に当たってちゃダメでしょ?」
「あ、ママ!?」
「キュイッ!」
二人は弾かれたように振り返り、大慌てでいつもの「子供」の顔に戻った。
セナは二人をまとめて抱き寄せ、その温かな体温を胸いっぱいに吸い込んだ。
「……レイくん、ハルくん。……あなたたちの気持ち、とっても嬉しいわ。……でも、ママにとっては、あなたたちが元気で笑っていてくれることが、何よりの『報酬』なのよ。……わかった?」
「……うん。……ごめんね、ママ」
「キュイ……」
二人は申し訳なさそうにセナの服に顔を埋めた。
セナは二人を寝室へと促し、冷えないように布団をしっかりと掛け直してあげる。
やがて、安らかな寝息を立て始めた二人。
セナは管理日誌を開き、窓の外の月を一度見上げてから、万年筆を走らせた。
『第十九案件:夜間警備(お喋り)への対応。
特記事項:レイくんは「騎士」の志を。ハルくんは「守護」の覚悟を。
……二人の成長という、予測不能で素晴らしい変数が、この楽園の未来を書き換えようとしている。
……明日は、きっと新しい風が吹くわ。
……それも、誰よりも優しくて、力強い風が。』
夜の静寂。セナは、ハルくんが寝言のように「……ま、ま……」と小さな声を漏らしたのを、聞き逃さなかった。
それは、明日の大きな変革を告げる、静かな福音のように、セナの心へと響いた。




