第5話 空席。
結局、1週間たっても教室にエミールが現れることはなかった。彼の座る予定だった机を眺めて、ジャクリーヌは盛大にため息をついた。
「あなたの幻の婚約者にお目に掛かれるのを楽しみにしてたんだけどねえ」
休憩時間にポーラが私の肩をポンポンッと叩く。
…幻ね、なるほど。
「そうよ、真っすぐな金髪がサラサラで、瞳はサファイアブルー。背も高くて、家庭教師が次々に変わるほど頭もいいのよ。ポーラ嬢に紹介したら惚れちゃうかもね?」
「はいはい」
「もう…お父様に言って、やめちゃおうかしら」
「浮気したわけじゃないしね、相手は5歳児でしょ?婚約を解消するにしても、妹思いの兄、なら、正当な理由とは言えないわよ?」
「…そうねえ」
ポーラも侯爵家の御令嬢だ。言っていることは正論。彼女だって家の決めた婚約者と学院を卒業したらすぐに結婚するらしいし。そこに恋愛感情は…今のところはない、と言っていた。
「私の婚約者なんか7つも上ヨ?女の一人や二人、三人や四人いても不思議じゃないわ」
隣の席に腰かけて、ポーラが頬杖を突く。
「…それは…ポーラとしては許せる範囲なわけ?」
「許すもなにも…父親にそこに嫁に行けと言われたら、従う以外の選択がない、って感じ?あわよくば、結婚してから少しでもいい関係が築ければいいかなあ」
「なるほどねー」
…そんなものか。貴族の婚姻なんて、愛し愛されて、なんて…小説やおとぎ話みたいなわけにはいかないか。
ジャクリーヌはポーラと並んで頬杖をついて、また一つため息をつく。
その日、家に帰ると父親が待っていた。
「お前も来い」
そう言われて、制服のまま応対室に向かった。
応対室には一人の紳士が立ったまま待っていた。
余りに疲れ切った顔で、ジャクリーヌはそれがエミールの父親だとすぐには気が付かなかった。
「お待たせしたね、ダヴィド卿」
父がそう声をかけたので、ジャクリーヌはお辞儀をした頭を上げて…まじまじと見てしまった。おじさまはしばらく見ていないうちに、10歳も年を取ったように見えた。白髪も増えたようだし、目の下のクマも凄い。
「ご無沙汰しました、エロワ侯爵殿…」
椅子を勧められて座ったエミールの父が言いにくそうに切り出したのは、私の婚約者のエミールの話。義妹が不憫で仕方がないと、学院の高等部に行かない息子の話だ。
「教育は家庭教師で、まあ…十分すぎるほど学ばせてはいるのですが…」
歯切れが悪い。微妙に肝心なことを濁しているからだろう。
「いや、しかし、学院は学問のためだけではない。今後の社交にも係わることだしね。人間関係の練習には必要な過程だと私は思うがね」
父がズバリと言うと、エミールの父は顔色を変えた。
「ええ…ええ、そうですね。そこで、エミールをスージ国の全寮制の男子校に入れたいと思っておりまして」
「ほう。随分とレベルが高いところを狙ったな」
「ええ…まあ。ただ、5年間になりますので、卒業が21歳になりまして、その…」
本来は学院を卒業して1年準備期間を置いて19歳には私はエミールのもとに嫁ぐ予定だった。21歳となると…貴族令嬢の結婚の適齢期ぎりぎりになる。
ちらりっ、とおじさまが私の顔を見た。
「そういうことなら致し方ないだろう、なあ、ジャクリーヌ?」
「…ええ…まあ…」
父がなんてことないように言うので、私は差しさわりのない返事をした。




