EP 9
黒衣の執事リバロンと、怪奇野菜「ガーリッ君」の収穫
村の北門の頑強な防壁の外で、山賊の斥候たちが下卑た声を張り上げていた。
鷹人が左手の金属製腕時計を拳に巻き付け、防壁の扉を開けさせようと一歩踏み出した、その刹那だった。
――スッ。
風の音すら置き去りにするような滑らかな足取りで、鷹人と山賊たちの間に、一人の長身の男が音もなく滑り込んできた。
身にまとっているのは、寸分の乱れもなく仕立てられた黒漆の燕尾服。
白手袋をはめた指先、銀の懐中時計のチェーン、そして整えられた銀灰色の短髪の間から覗く、鋭敏な人狼族特有の尖った耳。年齢は三十歳前後。糸のように細められた両目の奥に、底知れぬ怜悧な光を湛えた美丈夫だ。
ポポロ村の村宰相にして、キャルル村長に絶対の忠誠を誓う筆頭執事――人狼族のリバロンであった。
「おや……? 朝の清々しい風情を害する羽虫が、ずいぶんと騒がしいですね」
リバロンは穏やかな笑みを崩さず、胸ポケットから取り出した一枚の薄い和紙風の名刺を、器用に人差し指と中指で挟んだ。
「な、なんだぁこの気取り腐ったスカし野郎は! みかじめ料の先払いを要求しに来てやったんだよ! 邪魔すんなら首をチョンパして――」
山賊の頭領格が、逆上して身の丈ほどもある大刀を力任せに振り下ろした。
一撃で人間を両断する剛腕の太刀筋。
だが、リバロンは微動だにしなかった。ただ軽く、指先の名刺を大刀の軌道へ向けてスッと水平に払っただけだった。
――ピシィッ。
甲高い、紙を裂くような乾いた音が荒野に響く。
次の瞬間、山賊が握っていた極厚の鋼鉄の大刀が、バターのように滑らかに斜め真っ二つに両断され、ドサリと砂利の上に落ちた。
「……は?」
「当ポポロ村と貴方方『赤砂の牙』との間で締結された『治安維持定額協定(暴行しない券)』約款、第七条第二項。『月額利用料の納入期限は、毎月指定日の正午とする』。……現在の時刻は、午前八時十五分。期限前の不法侵入および暴力による威迫は、明白な契約不履行並びに威力業務妨害に該当いたします」
リバロンは切断された刀の破片を一瞥もせず、糸目の笑みのまま、名刺の角を山賊の喉元へピタリと突きつけた。
名刺の紙片から立ち上る、鋼鉄をも容易に消滅させかねない濃密な人狼の生体闘気。山賊の男の喉元から、恐怖のあまりタラリと脂汗が滴り落ちる。
「これ以上の越権行為に及ぶのであれば、ルナミス帝国・レオンハート王国双方の法務管轄へ即座に通報し、貴方方の本拠地へ違約金請求並びに差し押さえ執行官を派遣いたしますが……いかがなさいますか?」
「ヒィッ……!? ひ、引き上げだ! おい、正午にまた来てやるからな! 首を洗って待ってろ!」
山賊たちは尻尾を巻いて、転がるように荒野の彼方へと逃げ散っていった。
◆
「……へぇ」
その神業の立ち回りを背後から眺めていた鷹人は、感嘆の息を漏らした。
薄い紙一枚に闘気を通して鋼鉄を両断する武力もさることながら、相手のヤクザじみた恫喝を「契約書の約款」で完全に手玉に取るその事務処理能力。地球のどんな一流企業の法務部でも即戦力になる男だ。
リバロンは名刺を燕尾服へスッと戻すと、音もなく振り返り、鷹人に向かって深々と優雅な一礼を捧げた。
「お初にお目にかかります、異界の技師殿。ポポロ村の村宰相兼執事を務めております、リバロンと申します。……一夜にしてこの堅牢なる防壁と水路を築き上げた手腕、見事というほかございません。主であるキャルル様をお救いいただいたこと、心より御礼申し上げます」
「赤城鷹人だ。礼なんざいいさ。……あんたこそ、いい腕の番頭さんだな。話が早くて助かるぜ」
鷹人はニヤリと笑い、右手を差し出した。
煤と油に汚れた現場作業員の手と、手入れの行き届いた白手袋の手が、ガッチリと固く握り合わされる。
互いに言葉を多く交わさずとも、修羅場を潜り抜けてきた男同士のプロフェッショナリズムが、一瞬で通じ合った。
「さて、鷹人殿。正午にはあの山賊どもが本隊を連れて再度現れる手筈となっておりますが……その前に一つ、貴殿にお願いしたい現場仕事がございまして」
「現場仕事? 防壁の補強ならもう終わってるぜ」
「いえ、防衛戦に向けた『糧食の調達』にございます」
リバロンがそう言って示したのは、村の東側に広がる鬱蒼とした丘陵地帯だった。
「戦の前には、兵士たちの士気と体力を極限まで高める滋養強壮の食材が不可欠。当村の東の畑には、大陸随一の薬効を誇る幻のスタミナ根菜が自生しているのですが……少々、収穫に難がありましてね」
「スタミナ根菜? どんな野菜だ?」
「ニンニクの突然変異種……通称『ガーリッ君』と呼ばれております」
「――ニンニクだと!?」
鷹人の目の色が、カッと輝いた。
世界を放浪し、自衛隊の演習地でも毎晩炙って齧り続けてきた、鷹人の唯一無二のソウルフード。
「話は決まりだ。現場へ案内しな。ニンニクの収穫なら、俺以上の適任はいねぇよ!」
◆
――だが、その自信は、東の畑の入り口に立った瞬間、猛烈な違和感へと変わった。
「ウッ……ゲホッ、ゴホッ! な、なんだこの臭いは……!?」
風上から漂ってきたのは、食欲をそそる香ばしさなどでは断じてなかった。
生のニンニクの刺激臭を十倍に濃縮し、そこに未成年お断りのエグみと腐敗ガスを混ぜ合わせたような、催涙ガス一歩手前の猛烈な悪臭ハザードである。
畑の畝を見下ろすと、土から突き出た拳骨大の白いニンニクたちに、なぜか中年親父のような顔面が浮かび上がっていた。
しかも、そのニンニクどもが、口々に耳障りな甲高い声でペラペラと喋り散らかしているのだ。
『おい聞いたかァ!? 隣町のルナミス支店長、裏で部下のボーナスピンハネして競馬ですってよォ!』
『タローソンの店長、賞味期限切れのから揚げを夜勤のバイトに無理やり食わせて胃もたれさせてるらしいぜ!』
『マンミア団長の部屋のクローゼットの奥! 通販で買った「添い寝専用・筋肉抱き枕」が隠してあるぞォォ!』
「な……な、何故それを知っているのだ貴様らぁぁぁッ!!」
畑の端で、マンミアが顔面を真っ赤にしてパイルバンカーを構え、羞恥と怒りで涙目になっていた。
「ひどいやろ、鷹人はん。あれがポポロ村名物の怪奇野菜『ガーリッ君』や。大地の大気マナと大衆紙の三面記事電波を吸い上げて育つせいで、猛毒じみた悪臭と、近隣のドス黒いゴシップを四六時中喚き散らしとるんや」
ニャングルが鼻を摘みながら、遠巻きに解説する。
畑の周囲には、すでに精神攻撃と悪臭に耐えかねて泡を吹いて倒れている自警団の若手が数名転がっていた。
「近寄るだけで涙が止まらなくなって、耳元で他人の恥ずかしい秘密を暴露されて精神崩壊するんや。せやから村の連中も怖がって誰も収穫できんのや……!」
「よし、俺様が遠くから炎のブレスで畑ごと焼き払ってやるぜ!」
「野菜ごと灰にしてどうすんねんアホンダラァ!」
イグニスがニャングルに算盤で後頭部を叩かれている横で、鷹人は静かに作業ジャケットの袖を捲り上げた。
「悪臭とゴシップか。……要するに、適切な保護具を着けて、段取り通りに物理で収穫すりゃいいだけだな」
鷹人は意識を研ぎ澄まし、【リサイクルマスター】を展開した。
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【所持スクラップPt:13,645 Pt】
・カタログ選択:【地球化学工場廃棄品・産業安全衛生保護具カテゴリー】
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(地球の化学薬品工場で型落ちになって倉庫に眠っていた、3M社製の産業用全面形防毒マスク一式。有機ガス・酸性ガス用高機能吸収缶付きだ。消費ポイント、わずか20Pt)
――ヒュン。
鷹人の手元に、頑丈なポリカーボネート製レンズと、二連の大型フィルター缶を備えた無骨な軍用じみた防毒マスクが出現した。
カチリ、と頭部バンドを締め上げ、密着性を確認する。
視界はクリア、空気は完全ろ過。猛烈なニンニクの異臭は、1ミリたりともマスクのゴムパッキンを通過できない。
さらに耳には、自衛隊時代に射撃訓練で愛用していた防音イヤーマフを装着した。
「……よし。現場に入るぞ」
足元には、村の鍛冶小屋から借りてきた頑丈な一本刃の農用鍬。
鷹人は完全防備の異様な姿で、ズカズカと悪臭渦巻くガーリッ君の畑へ足を踏み入れた!
『な、なんだァてめぇは!? 変な仮面つけやがって!』
『おい、聞けよ! お前の着てる作業着の型番、地球のホームセンターで二千九百八十円――』
「うるせぇよ」
――パコォォォォンッッ!!
乾いた快音が、静かな畑にこだました。
鷹人は一切の躊躇なく、喚き散らすガーリッ君の頭頂部へ向けて、鍬の平らな背を容赦なく叩き落としたのだ!
『あべしッ!?』
白目を剥いて即座に気絶するガーリッ君。
鷹人は茎を鷲掴みにすると、テコの原理を利用してスポォォン! と見事な手際で土中から引っこ抜いた。
『ひ、ひえぇぇっ!? 仲間が一撃で黙らされたぞ!』
『暴力反対! 言論の自由を――』
――パコンッ! パコォン! ガコォンッッ!!
無駄のない、精密機械のような正確無比なスイング。
一打で脳震盪を起こさせて黙らせ、二挙動目で根を傷つけずに収穫し、三挙動目で背後のカゴへ放り込む。
自衛隊の工作部隊仕込みの流れるような作業工程に、ガーリッ君どもの口撃は一切通用しない。
わずか十五分の間に、畑を埋め尽くしていた数十個の怪奇ニンニクは、ことごとく頭を叩かれて気絶し、山盛りの籠の中へと整然と収容されていった。
「……ふぅ。これで現場の草むしりは完了だな」
防毒マスクを外し、額の汗を拭う鷹人。
畑の外で呆然と立ち尽くしていたキャルルやマンミア、ニャングルたちは、顎が外れそうなほど口を開けて固まっていた。
「す、すごい……! あんなに誰も近づけなかったガーリッ君が、あんな手際よく……!」
「鍬の扱いがプロの農夫以上やないかい……! ほんまにこの男、何者やねん……!」
◆
詰所の前の中庭に、昨晩の極厚鉄板が据え付けられた。
収穫されたガーリッ君たちは、叩かれた衝撃ですっかり毒気とゴシップ癖が抜け落ち、純白の瑞々しい大玉ニンニクへと変貌していた。
鷹人は手際よく薄皮を剥ぎ、一房一房を掌の上で転がす。
その身は水晶のように透き通り、中からは溢れんばかりの高純度なスタミナエキスが滲み出ていた。
「さて……まずは味見といこうか」
鷹人は作業ジャケットの胸ポケットから、あの安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを取り出した。
大粒のガーリッ君の先端を指でつまみ、親指の腹でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
静かな空間に、硬質な着火音が鋭く響く。
揺れる小さな橙色の炎。鷹人は剥きたてのガーリッ君に、ライターの炎をじっくりと当てがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られた表面が、パチパチと音を立てて香ばしい狐色に染まっていく。
瞬間――畑での悪臭が嘘であったかのように、鼻腔を甘く麻痺させるほどの、超濃縮された極上のニンニクアロマが中庭いっぱいに爆散した!
「うわぁぁぁ……っ!? な、なんて甘くて芳醇な匂いなの……!?」
「ごくり……」
マンミアの喉が大きく上下し、イグニスは涎を垂らして目を輝かせる。
鷹人は火を吹き消すと、軽く焦げ目のついた熱々のガーリッ君を、そのまま前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「…………っ!!」
鷹人の背筋に、電撃のような衝撃が突き抜けた。
美味い。次元が違う。
火を通したことでエグみは完全に消失し、口いっぱいに広がるのは、まるで濃厚な焼き芋や完熟フルーツを思わせるクリーミーな甘味と、暴力的なまでの滋養の旨味。
胃の腑に落ちた瞬間、カッと全身の血液が沸騰し、五臓六腑に凄まじい活力がみなぎってくるのが分かった。
「……最高だな。地球の一級品を遥かに超えてやがる」
鷹人は残りのガーリッ君を鉄板の上に並べ、スキルで召喚した地球の純正ラードと醤油で一気に炒め上げた。
ジュウウウウウウッッ!!
立ち上る暴力的な香気。
皿に盛り付けられた熱々のガーリッ君炒めを、キャルルやマンミア、自警団の面々が一心不乱に口へと放り込む。
「おいしいぃぃぃっ! 体中がポカポカして、魔力が無限に湧いてくるみたい……!」
「うおおおおッ! 力が……力が溢れて止まらねぇぞ! 手取り十四万の悔しさなんざ一瞬で吹き飛んだぜぇぇッ!」
「あ、頭痛が消えた……! コイントスの吐き気が嘘のように晴れ渡っていく……!」
寝込んでいたフェイトまで飛び起き、皿を奪い合うように貪り食っている。
全員の顔に、漲る活力と戦意が満ち満ちていた。
「素晴らしい。これほどの士気高揚、いかなる軍楽隊の演奏でも成し得ませんね」
リバロンが優雅に銀のフォークを置き、満足げに微笑んだ。
鷹人は食後の一服として、紙巻きタバコを唇にくわえた。
カチッ、と100円ライターで火をつけ、青白い紫煙を天へと吐き出す。
「…………ふぅーーーーっ」
紫煙の向こう、村の時計塔の針が、刻一刻と「正午」へと近づいていた。
北の地平線からは、大地を揺るがす不吉な地響きと、大軍勢の砂煙が立ち上り始めている。
鷹人はニヤリと無精髭の口元を吊り上げ、金属製腕時計の重みを確かめた。
「腹ごしらえは終わったぜ。……さて、法外な集金ヤクザどもに、本物の現場のケジメってもんを教えてやるか」
読んでいただきありがとうございます。
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