EP 8
テント暮らしの竜人イグニスと、仮病の剣士フェイト
村の北門の街道から轟く、山賊たちの粗暴な怒号と魔獣の唸り声。
だが、昨晩までなら村中がパニックに陥っていたであろうその声も、一夜にして頑強なコンクリート基礎と高張力鋼板メッシュの防護陣地に生まれ変わった防壁の内側では、どこか遠い雑音のようにしか響かなかった。
「おい、団長さん。集金人のお出ましだぜ。……自警団の頭数は揃ってんのか?」
ミニショベルの履帯から身軽に飛び降りた赤城鷹人は、作業ジャケットのポケットに手を突っ込みながらマンミアへ声をかけた。
「は、はいっ! 自警団の主力部隊は、詰所の裏手にて待機中であります! ただちに召集を――」
マンミアが号令をかけようとした、その時だった。
詰所の裏手にある広場の隅から、ノッソリと巨大な影が這い出してきた。
「ふあぁぁぁ……うるせぇなぁ。朝っぱらから誰が騒いでんだよ……」
そこに立っていたのは、身の丈二メートルを優に超える筋骨隆々たる偉丈夫だった。
頭部には紅蓮の炎を宿したような立派な二本角、首筋から腕にかけては頑強な深紅の竜鱗。背中には身の丈ほどもある巨大な戦斧を背負い、一目見ただけで並の魔獣なら気圧されるほどの圧倒的な威圧感を放っている。竜人族の自警団員、イグニス・ドラグーン(二十五歳)である。
だが――その神話の戦士のような偉容とは裏腹に、彼が着ているのはホームセンター『タローマン』のワゴンセールで買ったヨレヨレの灰色のシャツに短パン。
そして彼が這い出てきたのは豪壮な兵舎などではなく、自警団詰所の裏庭の土の上にペグで打ち付けられた、薄汚れた三人用の耐火ドームテントだった。
「お、おいイグニス! 貴様、またそのテントで寝ていたのか! 緊急配備のサイレンが聞こえなかったのか!」
「へっ、マンミア団長かよ。聞こえてるっての。……それより団長、今月の給与明細、なんとかならねぇのかよぉ!」
イグニスは頭を抱え、涙目で懐から一枚の羊皮紙を突き出してきた。
「基本給三十万円から、先週の開墾で燃やした鍬の弁償代五万円! パトロール中にくしゃみして吹き飛ばした詰所の外壁修理費八万円! 住民票再発行手数料三千円! 手取りが……手取りがたったの十四万円だぞぉぉッ! これじゃ家賃払えなくてテント暮らしから抜け出せねぇよ!」
「自業自得だ大阿呆ッ!」
マンミアがアグニのパイルバンカーをガシャンと構え、蹄を激しく踏み鳴らした。
「貴様が火力を一切加減せず、ちょっとした害獣退治で山林ごと更地にするからだ! そもそもアパート『ポポロ・コーポ』に入居した初夜、部屋で火吹き芸を披露してモルタルごと全焼させたのを忘れたとは言わせんぞ! 火気厳禁の生物が木造住宅に住めると思うな!」
「う、ぐ……! あれはちょっと油断しただけで……! くそっ、今月こそは印刷工房で『帝都の高級ホテルでくつろぐ俺様』の魔導フォトショ合成写真を作って実家の里へ送らなきゃならねぇのに、写真代が足りねぇよぉ……!」
地面に膝をついて頭を抱える竜人。
その見事なまでのダメっぷりを見つめ、鷹人は呆れたように息を吐いた。
「……おいおい。身体のフレームは超一級の重機並みなのに、燃費と安全管理が壊滅的なオペレーターだな」
「あぁん? なんだてめぇは! 見たことねぇ作業着着やがって……! 俺様を誰だと思ってやがる! 竜人族の誇り高き戦士、イグニス様だぞ! 今年で二十五歳、ポポロ村の防衛最高幹部だ!」
ドヤ顔で胸を張るイグニス。
だが、その自己紹介を聞いた瞬間、マンミアの琥珀色の瞳がピクッと跳ね、妙に湿っぽい哀愁を帯びた眼差しでイグニスを見下ろした。
「……そうか。イグニス、お前も……今年で二十五歳だったな……」
「え? な、なんだよ団長、その同情と憐憫が混ざったような生温かい目は……!?」
「何でもない。……今夜、タローマートの半額ケーキをテントの前で半分こしてやろう。泣くな、四半世紀の孤独よ……」
「何が四半世紀だよ!? 意味分かんねぇよ!!」
「おいおい、コントやってる場合じゃねぇぞ」
鷹人が苦笑いしながら割って入る。
と、その時――詰所の影から、銀色に輝く豪奢な鎧を身にまとった青年が、ヨロヨロとした足取りで現れた。
◆
身につけているのは、朝日に白銀の輝きを乱反射させる見事なミスリルフルプレートアーマー一式。
腰には抜身の魔導両手剣『ミスリルソード』。切れ長の涼しげな目元を持つ優男で、全身から溢れ出る闘気の純度は極めて高い。
ルナミス帝国の冒険者ギルドで「A級」の認定を受け、現在は月給三十万円で村の自警団に雇われている凄腕の剣士――フェイト・ラック(二十五歳)だった。
だが、その神話の英雄のような装備とスペックとは裏腹に、フェイトの顔色はドブ色に濁り、胃を両手で押さえながら幽鬼のようにフラフラと歩いていた。
「だ、団長……おはようございます……」
「おお、フェイト! ちょうどいいところに来た! 山賊の先遣隊が北門に迫っている、直ちに迎撃位置へ――」
「す、すみません団長……急で大変申し訳ないのですが……本日は、身内に不幸がございまして……忌引の特別休暇をいただきたく……」
フェイトは震える手で、ポケットから「有給・慶弔休暇申請書」を取り出して差し出してきた。
マンミアが目を細め、ジト目でフェイトを睨みつける。
「フェイト……貴様、先週も『身内の葬式』で休まなかったか?」
「は、はい……先週は、実家の祖父の三回忌でして……」
「その前の週は?」
「親友の従兄弟の、隣の家のおばさんの友達の……飼い犬が亡くなりまして……その告別式にどうしても参列せねばならず……」
「もう完全に赤の他人じゃねぇか!!」
鷹人は思わずタバコを取り落としそうになりながら、鋭いツッコミを叩き込んだ。
「親友の従兄弟の隣のババアの友達の犬って、地球の詐欺師でももうちょっとマシな言い訳を考えるぞ! おいアンちゃん、顔色が完全に徹夜明けのパチンカスそのものだぞ。何があった?」
「う、うぐぅ……!」
図星を突かれたフェイトが、血吐くような思いで胸元から一枚の銀貨を取り出した。
表面に太陽、裏面に三日月が刻まれた、何の変哲もないコインだ。
「昨夜……寝る前に、魔導通信石で『帝都ビッグドリーム宝くじ』の当選発表がありまして……一等前後賞合わせて金貨三千枚……! どうしても当てたくて、俺のユニークスキル【コイントス】を使ったんです……!」
「コイントス?」
鷹人が眉をひそめると、横からニャングルがキセルを燻らせながら、深いため息とともに解説を入れた。
「フェイトの固有スキルや。コインを投げて『表』が出れば、身体能力も運気も一時的に2倍に跳ね上がる。万が一コインが縦に直立したら能力100倍という奇跡の博徒スキルや。……ただな、もし『裏』を引いたら、運気と体力がどん底まで急降下して、丸一日猛烈な吐き気と倦怠感で寝込む羽目になるんや」
「で、見事に裏を引いて寝込み、宝くじも下二桁すらカスりもしなかったと」
「その通りですぅぅ……! 気持ち悪い……立ってるだけで三半規管が回転木馬みたいに回ってる……! ミスリルアーマーが鉛のように重い……帰って布団に潜りたい……!」
ガタガタと震えながら座り込むA級冒険者。
着ているミスリル装備一式も、以前新聞社の懸賞でコイントスを当ててせしめた景品だという。実力は間違いなくA級なのに、ギャンブル中毒のせいで肝心な時にまったくアテにならない男だった。
「……なるほどな」
鷹人は頭を抱えた。
手取り十四万のテント暮らしで器物を壊しまくる竜人。
コイントスで自爆して親戚の犬の葬式を捏造するA級剣士。
そして、二十五歳未婚に涙するケンタウロス団長に、血を吐く聖女村長、金計算に狂う猫耳商人。
「おいおい……ポポロ村自警団、クセが強すぎる現場作業員しかいねぇのかよ」
◆
「おいコラァァッ! 出てこいポポロ村の百姓どもぉ!」
「今月の『暴行しない券』の集金だ! 契約更新の金貨百枚を耳を揃えて出しやがれ! 払えねぇなら、契約約款の第七条に基づき、村落全域の家屋を放火・解体して住民全員を奴隷商人に売り飛ばすぞぉぉッ!」
防壁の向こうから、拡声魔導具を通した山賊の恫喝が響き渡った。
木製のバリケードを蹴破ろうと、十数頭の獰猛な突撃魔獣と、蛮刀を担いだ凶悪な山賊たちが防壁の前面へ雪崩れ込んでくる。
だが――。
ガギィィィィンッッ!!
「ぐえっ!?」
先頭を走っていた突撃魔獣が、勢いよく頭から突っ込み――火花を散らして弾き飛ばされた。
丸太を縛っただけのボロ壁だったはずの場所には、地面深くにコンクリートで根入れされ、鷹人が神業のアーク溶接で組み上げた高張力鋼板メッシュが、微動だにせず立ちはだかっていたのだ。
「な、なんだこの壁はぁ!? 鉄網が張ってあるぞ!?」
「斧が通らねぇ! 跳ね返されたぞ!」
狼狽する山賊たち。
防壁の上からその様子を見下ろしながら、イグニスが目を血走らせて巨大戦斧を握りしめた。
「へっ、よく分からねぇが頑丈な壁じゃねぇか! よし、俺様がここから『ドラゴニック・ブレス』で山賊ごと綺麗サッパリ焼き払って――」
「待てアホンダラァ!」
ニャングルが即座に算盤でイグニスの後頭部をスパンと叩いた。
「お前が壁の上から火ィ吹いたら、熱膨張で鷹人はんが直してくれた鉄骨が歪むやろが! 修繕費として来月の給料からさらに六万円天引きすんぞ!!」
「ひぎゃああっ!? 手取り八万円になっちまう! タローソンの見切り品パンすら買えなくなるぅぅ!!」
頭を抱えて絶叫するイグニス。
一方、フェイトはというと、青白い顔で銀貨を指先に乗せて震えていた。
「こ、ここで……ここでコイントスで『表』を出せば……! 俺は一撃で山賊どもを両断する伝説の英雄になれる……! 頼む、表、表出てくれぇぇぇッ!!」
ピィンッ! と高くコインが放り投げられる。
回転しながら落ちてきた銀貨を、フェイトが手の甲でパチンとキャッチした。
恐る恐る指の隙間から覗き込む――。
「……う、裏ぁぁぁぁッ……!!」
「またハズしとるやないかい!!」
ニャングルがキセルを取り落として絶叫した。
全身の力が抜け、フェイトはドサリと防壁の上に四つん這いになり、口から魂のような白い煙を吐き出した。
「うぅ……だめだ……重力が三倍になった……胃液が逆流する……団長、やっぱり親戚の犬の葬式に……」
「貴様という男はぁぁぁッ!!」
パニックに陥る自警団の面々。
そんな惨状を前に、赤城鷹人は深いため息を吐くと、作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
硬質な着火音とともに、揺らぐ小さな橙色の炎。
先端に火を吸い付け、深く煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、紫煙。
ツンとしたタバコの香りが風に乗り、騒ぎ立てていたイグニスやフェイト、マンミアたちの視線が、自然と鷹人の横顔へと集まった。
「おい、トカゲの兄ちゃん」
鷹人は紫煙の向こうから、鋭い眼光でイグニスを見据えた。
「火を吹くことだけが能じゃねぇだろ。あんたのその見事な体躯と膂力は、飾りか? 道具の使い方さえ間違えなきゃ、火なんざ使わなくても現場の主役になれるぜ」
「え……? お、俺様が……?」
続けて鷹人は、地面に倒れて震えているフェイトの襟首を、片手でグイッと掴んで強引に立たせた。
「おい、ギャンブル野郎」
「う、うぅ……吐き気が……」
「二分の一の運任せなんざ、一番下らねぇギャンブルだ。現場で頼れるのはな、最後に自分が叩き込んだ肉体の記憶だけだ。……A級の看板背負ってんだろ。立って剣を構えな。吐き気なんざ、敵の鼻っ柱を一発ぶん殴れば吹き飛ぶぜ」
「あ……」
鷹人のドスの利いた、だが不思議と腹の底に力が入るような現場指揮官の声音に、フェイトの瞳にわずかな光が戻った。
「マンミア団長」
「は、はいっ! 鷹人殿!」
「防壁の扉を開けろ。……現場にゴミが散らかってると、作業の邪魔で仕方がねぇ。俺が直々に、あの集金ヤクザどもの相手をしてやるよ」
鷹人はタバコを携帯灰皿に押し込むと、左腕の金属製腕時計のバックルをカチリと外した。
分厚いステンレスのコマを、無造作に左手の拳へと巻き付けていく。
気のいい現場の兄ちゃんの瞳の奥で、猛獣の光がギラリと灯った。
読んでいただきありがとうございます。
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