EP 8
時速80キロの配達員! 始祖竜ロードとの遭遇
深海王国シーランとの間で「超低温急速冷凍物流網」の開通を見届け、獲れたての極上マグローザを冷凍コンテナに満載してポポロ村へ帰還した翌朝。
高原の澄み切った秋空の下、ポポロ村のメインストリートには、かつてないほどの平和で長閑な空気が漂っていた。
――カチッ、シュボッ。
静かな朝の通りに、乾いた硬質な金属の着火音が鋭く響き渡る。
親指の腹でヤスリを無造作に弾く。
取り出したのは、地球の百円均一ショップで調達した、何の変哲もない黄色いプラスチック製の使い捨てライターだ。
唇にくわえた紙巻きタバコの先端へ橙色の炎を近づけ、深く煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが朝の冷涼な空気に溶け込み、肺の奥から心地よい覚醒を運んでくる。
赤城鷹人は、スーパー『タローマート』の搬入口の前に停めた十トンダンプのステップに腰掛け、左腕の傷だらけの金属製腕時計に目をやった。
時刻は午前十時十分。
シーランから持ち帰った超特大の冷凍マグローザやキングクラブは、すでに新設された村の地下冷凍倉庫へと手際よく格納され、料理自慢のおばちゃん連中が今夜の宴会に向けて嬉々として仕込みを始めている。
「……さてと。ダンプの荷台の洗浄も終わったし、少し早めの昼飯の段取りでもすっか」
鷹人がタバコの灰を携帯灰皿へトントンと落とし、立ち上がろうとした――その刹那だった。
遥か北の街道の彼方から、大気をビリビリと切り裂くような凄まじい風切り音と、不穏極まりない金属の悲鳴が突進してきた!
――キリキリキリッ! ギャリギャリギャリッッ!!
――カッカッカッ、ガラガラガラガラッッ!!
「……あ?」
鷹人が目を細めると、砂煙を猛烈に巻き上げながら、ありえない速度で街道を爆走してくる一つの影があった。
車輪から火花を散らしながら走っているのは、なんと一台のボロボロの「魔導アシスト付きママチャリ(実用自転車)」!
速度は優に時速八十キロを超えている!
サドルに跨っているのは、人間ではない。
緑色の硬質な鱗に覆われたトカゲ顔、引き締まった二足歩行の体躯を持つ走竜――『ジオ・リザード賢竜種』の青年だった。
首からは受託アプリが起動した魔導通信石をぶら下げ、背中には見慣れた巨大な真四角の緑色スクエア保温バッグ――『ルナ・イーツ』のロゴがデカデカと輝いている。
だが、そのトカゲ配達員の表情は、完全にパニックに染まりきっていた!
「ど、どけどけぇぇぇぇぇッッ!! アカン! ブレーキワイヤーが千切れてもうて、ブレーキが1ミリも利かへんのやぁぁぁッ!! 止まらへん! 激突してまうぅぅッ!!」
コテコテの関西弁で絶叫しながら、猛スピードのママチャリが、タローマートのコンクリート壁へと一直線に突っ込んでくる!
街道にいた村人たちが「ひゃあああっ!?」と悲鳴を上げて左右へ飛び退いた。
時速八十キロの鉄と生体の質量弾頭。生身でぶつかれば、壁ごと粉微塵に吹き飛ぶ大事故だ。
だが――赤城鷹人は、眉ひとつ動かさなかった。
「……おいおい。ブレーキの点検もしねぇで全開走行たぁ、現場の安全基準違反だぜ」
タバコをくわえたまま、鷹人は安全靴の爪先をスッと半歩前へ滑らせた。
突進してくる自転車の真正面へ、一切の力みを捨てて悠然と立ち塞がる。
「アホか兄ちゃん! 轢き殺してまう! 避けろぉぉッ!!」
トカゲ配達員が目を剥いて叫んだ――その衝突のコンマ〇一秒前。
鷹人の全身から、一切の摩擦が消え去った。
『五輪書』に記された「秋水の身」――相手の運動エネルギーのベクトルを完全に読み切る究極の脱力。
――スッ。
鷹人は飛来する自転車のハンドルと前輪のフォークを、紙一重の体捌きで見切ると、右手を自転車の荷台フレームへ、左手をトカゲ配達員の胸元へ、吸い付くように滑り込ませた。
柔道黒帯と海外の実戦MMAで培われた重心移動。
相手の時速八十キロの猛烈な前進慣性を、自らの腰の回転を通じて円弧の軌道へと綺麗に受け流し、アスファルトの上で滑らかに一回転させる!
――ズザザザザザッッ……キュッ!
砂煙がフワリと舞い上がり、次の瞬間には、自転車とトカゲ配達員は壁のわずか十センチ手前で、まるで最初からそこに静止していたかのようにピタリと停止していた。
鷹人は左手でトカゲの首根っこを軽く支え、右足の安全靴の爪先で、グラついていた前輪をカツンと止めた。
所要時間――わずか一秒。
「…………は?」
トカゲ配達員は両手でハンドルを握りしめたまま、白目を剥いて硬直していた。
恐る恐る目を開け、目の前の無傷の壁と、自分を片手で軽々と静止させている作業着の青年を見上げる。
「わ、ワテ……生きとる……? というか兄ちゃん、なんや今の神業の合気道は!? 時速八十キロで突っ込んだチャリを、片手と体捌きだけで無傷で止めよったで……!?」
「怪我がなくて何よりだ。……だがな、配達員の兄ちゃん」
鷹人は携帯灰皿へタバコの灰を落とし、自転車の足回りを顎でしゃくった。
「前後のブレーキパッドが完全に摩耗して、台座の真鍮がリムを直接削ってやがる。おまけにチェーンが二コマ分も伸びきってテンショナーから脱落寸前、後輪のハブベアリングはグリス切れで焼き付きを起こしかけてるぞ。……よくこんなガタガタの棺桶で帝都から走ってこれたな」
「う、うぐっ……! 耳が痛いこと言わんといてぇな!」
トカゲ配達員は頭を抱え、情けない声を上げた。
「ワテの名はロード! 帝都で『ルナ・イーツ』のトップランカー張っとるフリーターや! 今朝、帝都のセレブから『ポポロ村のタローマートでしか売っとらん限定の月光薬と高級野菜を大至急買って届けてくれ』っちゅう超高額案件を受託してな! チップに目が眩んで街道をぶっ飛ばしてきたんやけど、峠の下りで急にブレーキがバチン言うてスカスカになってもうたんや……! あぁ、これじゃあ帰りの配達ができへん! 今日の売上がパーやぁぁッ!」
「道具をいたわれねぇ奴に、いい仕事は回ってこねぇよ。……まあいい。足止め食らって泣いてる現場の同業者を見捨てるほど、俺もお人好しじゃねぇからな」
鷹人はニヤリと無精髭の口元を吊り上げると、作業ジャケットの袖を捲り上げた。
「そこの道端にチャリをひっくり返せ。十分で、新車以上に回る足回りに仕立て直してやるよ」
「え……? じ、十分で……!?」
鷹人は頭の中のユニークスキル【リサイクルマスター】を起動した。
現在、所持スクラップPtは【109,050 Pt】。
カタログから「地球のプロショップ解体資材・競技用自転車デッドストック」を検索する。
(地球の老舗スポーツサイクル店が閉店でスクラップヤードに放り投げた、最高峰のシマノ製高耐久チェーン、フッ素コーティングワイヤー、超高摩擦セラミック複合ブレーキパッド……日本の町工場が削り出した、一級品の精度だ)
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【所持スクラップPt:109,050 Pt】
・カタログ選択:【自転車プロショップ倒産品・高耐久サイクルパーツカテゴリー】
・カタログ選択:【産業用超微粒子フッ素潤滑ケミカルカテゴリー】
【召喚リスト】
・シマノ製・高強度防錆メッキサイクルチェーン(9速対応・高張力仕様)(消費:30Pt)
・SUS304ステンレス製・テフロン低摩擦ブレーキワイヤー一式(消費:15Pt)
・全天候型・放熱フィン付き超高制動セラミックブレーキシュー4組(消費:20Pt)
・ワコーズ製・極圧チェーンルブ&超耐久リチウムグリススプレー(消費:15Pt)
合計消費Pt:80 Pt ――【召喚実行】
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――ヒュンッ!
砂利の上に、鈍い銀光を放つピカピカのチェーンと、特殊なブレーキパッド、そして琥珀色のスプレー缶が出現した。
「なっ……!? 空間召喚魔法か!? なんやその見たこともない精密な鉄の小物は……!?」
ロードが目を丸くして飛び上がる横で、鷹人の指先はすでに電光石火の速度で動いていた。
カチッ、シャキッ、クルクルクルッ。
チェーンカッターで伸びきった古いチェーンを一瞬で切断。新品の高強度防錆チェーンを掛け、チェーンプライヤーでミリ単位の張り具合に調整する。
擦り切れたワイヤーを抜き去り、低摩擦テフロンワイヤーを通すと、インナーエンドをカシメて遊びを二ミリに固定。
さらに、ホイールのリムをパーツクリーナーで脱脂し、放熱フィン付きセラミックブレーキシューを左右対称にピタリと装着した。
仕上げに、チェーンとハブの奥へ、極圧チェーンルブをプシューッ! と吹き付ける。
所要時間――わずか七分。
「よし、組み付け完了だ。……ほらロード、ペダルを回してみな」
「お、おう……!」
ロードが半信半疑のまま、ひっくり返した自転車のペダルを指先で軽く弾いた。
その瞬間――。
――スゥゥゥゥゥゥ……ッ。
信じがたい静寂。
先ほどまでのガラガラという耳障りな金属ノイズは跡形もなく消え去り、後輪のラチェットが、まるで精密機械のように澄み切った微音を立てて、摩擦ゼロの滑らかさで超高速回転を始めたのだ!
「な……なんじゃこりゃあぁぁぁッッ!?」
ロードのトカゲの顎がガクンと外れた。
「信じられん……! 抵抗がまったくない! 指一本で弾いただけで、車輪が永久機関みたいに回り続けてやがる! ブレーキレバーの引きしろも、カチッと吸い付くように指に馴染むぞ! 新車の百倍……いや、帝都の最高級魔導ロードバイクより滑らかやないかい!!」
「基本を押さえた段取り通りのメンテだ。……これなら、時速百キロで下り坂を攻めてもピタリと止まれるぜ」
鷹人はウエスで手の油を拭い、満足そうに頷いた。
その時、ロードの細い腹の底から、盛大な空腹の咆哮が響き渡った。
――ぐうぅぅぅぅぅぅぅ……ッ!
「あ……しもた。朝から飲まず食わずでぶっ飛ばしてきたから、燃料がすっからかんやったわ……」
ロードは照れくさそうに頭を掻くと、背中のスクエアバッグの底から、一つの平たいプラスチック容器を取り出した。
タローソンのシールが貼られた、カチカチに冷え切って脂が白く固まった廃棄品の『肉椎茸丼』である。
「ワテの昼飯はいつもこれや。タローソンの裏口で店員から貰った廃棄弁当。……せやけど、冷え切った油は胃もたれするからなぁ。兄ちゃん、ちょっと面白いもん見せたるわ」
ロードはニヤリと笑うと、冷え切った弁当のフタの上へ、トカゲの鋭い爪先をかざした。
その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、神話の原初を思わせる深遠な蒼茫の光が揺らめく。
――チッ、チッ、チッ……ポワァァァン。
微弱な時間逆行パルス――『局所的リワインド』の照射。
白く固まっていた脂が瞬時に溶け去り、カチカチだった米麦草がふっくらと膨らみ、肉椎茸からジュワッと熱々の甘辛ダレが湯気となって立ち上った!
わずか一秒で、十二時間前の「厨房で出来立てを盛り付けた瞬間」へと、物理時間が巻き戻されたのだ!
「へへっ、どうや! ワテ特製の『時間巻き戻し温め直し』や! 電子レンジ魔導具も要らへん、エコな裏技やろ!」
ロードが得意げに胸を張る。
常人なら「時間魔法の奇跡」に腰を抜かすところだ。
だが――赤城鷹人は、眉毛一本動かさなかった。
「……へぇ。便利な手品だな。だが、ロード」
「あん?」
「時間を戻しただけじゃあ、ただの『冷める前の飯』だ。……現場で戦う男の胃袋にゃあ、もう一味、魂を叩き起こす『点火プラグ』が必要だぜ」
鷹人は作業ジャケットの胸ポケットから、大粒の青森県産ニンニクを一片取り出した。
手際よく薄皮を剥ぎ、あの黄色い百円ライターを取り出してヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
揺らぐ小さな橙色の炎。
剥きたての生ニンニクの先端へ、直火をじっくりとあてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
パチパチと音を立てて香ばしい狐色の焼き目がついていく。
滲み出る濃厚な植物油のエキス。
直後、秋の爽やかな空気を一瞬で塗り替えるほどの、猛烈に甘く香ばしい焦がしニンニクのアロマが空間全体へ爆散した!
「うおっ……!? な、なんやこの猛烈に美味そうな匂いは……!?」
ロードの鼻の穴がピクピクと大きく広がる。
鷹人はサバイバルナイフの腹で、熱々の炙りニンニクをバチン! と叩き潰すと、ロードの温め直した肉椎茸丼のど真ん中へ、ドン! と投下した。
さらに、地球の特選本醸造醤油をタラリと垂らす。
――ジュワァァァッ……!
「ほらよ。伸びねぇうちにガツガツかっ食らいな」
「い、いただきますッ!」
ロードは割り箸をパチンと割り、炙りニンニクとタレの絡んだ肉椎茸、そして白飯を山盛りにすくって口の中へ放り込んだ。
――ハフッ、ハフッ、ジュワッッッッ!!!!
「――!!!!????!!!!」
ロードの全身の鱗が、ボッと音を立てて逆立った!
目を限界まで見開き、咀嚼するごとにトカゲの顔面が真っ赤に紅潮していく。
肉厚な肉椎茸から溢れ出す濃厚なキノコのエキス。そこに、直火で炙られたニンニクの暴力的なまでの香ばしさと果実のような甘み、焦がし醤油のキレが完璧に融合し、疲労困憊の五臓六腑をガツンとぶん殴ってくる!
「う……う、うんめぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!! なんじゃこりゃあぁぁッ!? タローソンのいつもの廃棄弁当が、帝都の三ツ星料亭の特上スタミナ重に化けとるやないかい!!」
ロードは猛烈な勢いで箸を動かし、わずか一分で米粒一つ残さず丼を空っぽにした。
腹をさすりながら、魂の底から至福のため息を漏らす。
「ぷはぁぁぁ……! 生き返ったわ……! 美味い……こんな美味い現場飯、何千年ぶり……いや、生まれて初めて食うたわ……ッ!」
「だろ? 言葉が通じなくても、拳と美味いメシ、あとはエンジン音があれば世界中どこでも生きていける。……それが俺の現場の信条だ」
鷹人はタバコに火をつけ直し、紫煙をゆっくりと青空へ吹き出した。
ロードはその言葉を反芻し、フッと破顔して笑った。
「へっ……ええ言葉やな、兄ちゃん。ホンマそれや。世の中の連中は、世界征服だの領土争いだの、神々のくだらんプロレスに血道を上げとるけど……アホくさくてやってられんわ! 朝から晩まで書類にハンコ押して、他人のケツ拭いて何が楽しいねん! そんな重たい看板背負うくらいなら、ワテはチャリ飛ばして美味い飯食うて、漫喫でゴロゴロしとる方が億倍幸せや!」
「違ぇねぇ。足元の地に足をつけて、汗流して美味い飯を食う。それ以上の生き方配慮なんざ、世界中どこ探したってねぇよ」
二人の間に、種族も素性も超えた「現場を生きる男同士」の痛快な連帯感が芽生えた。
その瞬間、鷹人の頭の中に澄み切った軽快な電子音が鳴り響いた。
――ピロリロリンッ♪
『特大規模善行を検知しました』
『事象:神話の始祖竜クロノ(配達員ロード)の車両完全整備による重大交通事故の未然防止』
『事象:過酷な物流労働に従事する現場配達員への完全栄養・スタミナ支援』
『判定:一切の私欲なき、純粋なる職人技術による交通安全と労働者救済』
『スクラップPt +8,000Pt を獲得しました』
(よしよし、消費分を差し引いても所持ポイントは【116,970 Pt】か。手堅く大台を伸ばせたな)
鷹人が胸の中でニヤリと笑っていると、ロードは軽やかに愛車のサドルへ跨った。
ペダルを踏み込んだ瞬間、摩擦ゼロの車輪が風を切り、軽やかな加速音を響かせる。
「兄ちゃん、名前は?」
「赤城鷹人だ。しがない現場の作業員だよ」
「タカトの兄ちゃんやな! ワテはロードや! チャリの整備と極上のニンニク飯、ほんまにおおきに! またポポロ村に配達に来る時は、帝都の美味いスイーツでも土産に持ってきたるわ! ほな、配達行ってきまーす!」
――ビュオォォォォッッッッ!!!!
時速八十キロの猛烈なトップスピードで、ママチャリの影がタローマートの前から街道の彼方へと軽快に走り去っていった。
その背中を見送りながら、赤城鷹人は再び百円ライターを取り出し、親指でヤスリを弾いた。
――カチッ、シュボッ。
「悪くねぇ走り屋だ。……さて、俺も現場に戻るか」
紫煙をゆっくりと秋空へ吐き出す鷹人。
地下のドワーフ、海の女王、そして時空を超える配達竜。
現場の筋を通し続ける男の周囲には、今日もまた一人、絶対に裏切らない強力な「現場のダチ」が刻み込まれるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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