EP 5
人魚姫リーザの里帰り危機と、深海王国シーランからの使者
地下二百メートルの過酷な密輸坑道から地上へと戻ってくると、そこには抜けるような秋晴れの青空と、ポポロ山の爽やかな高原の風が広がっていた。
直前まで炎魔将軍グレンと鉄板を囲んで肉を喰らい、地酒イモッカを酌み交わしていた赤城鷹人は、作業ジャケットの肩についた煤を払いながら、大きく伸びをした。
左腕の傷だらけの金属製腕時計に目をやると、時刻は正午を少し回ったところだ。
「……ふぅ。地下の風通しを直したと思ったら、今度は地上で何の騒ぎだ?」
鷹人が呟いた視線の先――村の中央広場から、壊れた拡声器を通した、あまりにもやかましく、それでいて天性の美声が風に乗って響き渡っていた。
「――五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイッ!
銅でもない! 銀でもない! 狙い打つのは真鍮のゴールド!
穴の向こうに未来が見える〜! 絶対無敵のスパチャアイドル、リーザちゃんですわぁーーッ!!」
広場の中央、スーパー『タローマート』の裏から拾ってきたという木製のみかん箱。
その上に仁王立ちしているのは、海底の真珠を思わせる艶やかな青銀色の長髪と、澄み切った瞳を持つ絶世の人魚姫――リーザ・シーラン・リヴァイアサンだった。
だが、その神聖な血統とは裏腹に、身にまとっているのはワゴンセールで百円で買ったというヨレヨレの小豆色芋ジャージ。足元にはゴム底のすり減った便所サンダル。
トイレットペーパーの芯をガムテープで巻き付けた自作マイクを両手で握りしめ、腰を激しくグラインドさせながら熱唱している。
みかん箱の前には、農作業帰りの初老の農民が二人と、先ほど地下から上がってきたドワーフが三人。
パラパラと錆びた五円玉が足元の古びた木製賽銭箱へと投げ込まれるたび、リーザは満面の笑みで「毎度ありですわーっ!」と叫んでいた。
「……相変わらず、涙ぐましいゼロ円サバイバルをやってやがるな」
鷹人が苦笑いしながら作業ジャケットのポケットに手を突っ込んだ、その時だった。
――ズザザザザザザザッッッ!!!!
村の中央通りを貫く用水路の水面が、突如として煮えたぎるように激しく逆流を始めた。
大気を引き裂く重厚な水圧音とともに、数十本の水柱が噴水のように天へと吹き上がる!
「な、なんやなんや!? 今度は用水路の破裂か!?」
純金算盤『十露盤』を脇に抱えたニャングルが、猫耳をピクピクと尖らせて飛び退く。
水煙の奥から現れたのは、全身を漆黒の濡れた甲殻鎧で包み、手には巨大な三叉銛を構えた筋骨隆々たる戦士たち――約十名。
背中には巨大な背ビレ、頭部には知性を湛えた白黒の獰猛な紋様。
外洋最強の戦闘民族にして、深海王国シーランの鉄血憲兵隊――『鯱目族』の精鋭部隊であった。
「ひ、ヒイィィッ!? 鯱目族や! シーラン国の絶対脱走阻止部隊が、なんでこんな山奥の農村に攻め込んできとるんや!?」
ニャングルが目を丸くして算盤を取り落としそうになる。
自警団長マンミアが、先ほど鷹人に完璧にオーバーホールしてもらったばかりの巨大盾『アグニ』をガシャンと構え、鋭い闘気を放って前に割り込んだ。
「そこまでであります! ポポロ村の敷地内において、武器を抜いての領空侵犯は許しません!」
だが、部隊の先頭に立っていた鯱目族の隊長は、マンミアの威圧を意に介さず、冷徹な漆黒の双眸をみかん箱の上の少女へと真っ直ぐに向けた。
そして、手にした深海真珠の封蝋が施された巨大な青金色の巻物――『女王の親書』をバサリと広げ、地響きのような重低音で読み上げ始めた。
「――シーラン国第一王女、リーザ・シーラン・リヴァイアサン殿下とお見受けする!」
「ふぇ……? 鯱目族の、オルカ隊長……?」
リーザがトイレットペーパーの芯を取り落とし、間抜けな声を上げる。
「我が君主、深海王国を統べる絶対女王リヴァイアサン陛下より、直筆の勅命である!
『愛娘リーザへ。貴女から届く手紙には「帝都の大舞台で満員の観衆を前に愛を届けている」と書かれていたが、我が軍の潜入調査により、貴女が緩衝地帯の僻地にて芋ジャージを纏い、みかん箱の上で雑草を齧りながら五円玉を拾い集めているという痛ましすぎる実態が判明いたしました。
王族の尊厳を著しく毀損する行為は即刻停止し、本日正午をもって地上親善大使の任を解除。直ちに本国アビス・パレスへ帰還し、深海牢獄にて三千回の王族マナー再教育講習とお見合い百番勝負に臨むべし。拒否した場合は、鯱目族による強制身柄拘束を執行する』――以上である!」
静寂が、広場を支配した。
風に吹かれ、みかん箱の上のリーザの小豆色ジャージの裾がパタパタと虚しく揺れる。
「………………」
リーザの顔面から、サーッと血の気が引いていく。
透き通るような白肌が青ざめ、エメラルドグリーンの瞳がカタカタと痙攣し始めた。
「お……お母様に……バレて……ますの……!?」
「殿下、お覚悟を。すでに本国へ連行するための特注移送用水槽馬車を手配しております。……さあ、みかん箱からお降りください」
オルカ隊長が無慈悲に一歩踏み出した――その瞬間だった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
鼓膜を劈くような絶叫とともに、リーザはみかん箱から跳躍した!
向かった先は、広場の端で腕を組んで立っていた赤城鷹人と、駆けつけてきたキャルル村長の足元だった!
――ズザザザザザザザッッッッ!!!!
砂煙を巻き上げながら、見事なフォームで地面を膝で滑走する『光速スライディング土下座』!
リーザは鷹人の安全靴とキャルルの特注靴へ両手で必死にしがみつき、滝のような涙と鼻水を流しながら絶叫した。
「助けてぇぇぇぇッ! キャルル様! 鷹人の旦那様ぁぁぁッ!!
深海に連れ戻されたら、太陽の光も浴びられず、一生クラゲの酢の物を食べさせられながら、顔も見たことのない鯱や鮫の貴族とお見合いさせられてしまいますのぉぉッ!
嫌ですわ! 私は……私はこのみかん箱の上から、歌で全宇宙を救うトップアイドルになるまで、絶対に帰りたくありませんのぉぉーーッ!!」
「り、リーザちゃん、落ち着いて……! 鼻水が靴についちゃうよぉ!」
キャルルが困惑しながら胸元の人参刺繍ハンカチを取り出す。
そこへ、燕尾服をまとった人狼執事リバロンが、音もなく白手袋で眼鏡を押し上げながら滑り込んできた。
「おやおや……ずいぶんと物々しいお迎えですねぇ。オルカ隊長殿、当ポポロ村の領内において、正当な法的手続きを経ない王族の強制連行は、大陸緩衝地帯慣習法第十二条に抵触いたしますよ」
オルカ隊長がギロリとリバロンを睨みつける。
「法だと? シーラン国の内政問題に、地上の小村が口を挟むな! 我が女王陛下はすでに沿岸部の国境海域まで親征軍を率いて現着されておられるのだ! もし王女の引き渡しを拒むというのであれば……貴様らの村ごと、大津波で海草の藻屑に変えてくれるわ!」
「ひ、ひぃぃ……! 女王リヴァイアサン本人が直々に沿岸部まで来とるんか!?」
ニャングルが喉をゴクリと鳴らし、キセルをガリッと噛んだ。
「アカン……あいつは神話の時代から外洋を支配しとる本物の怪物や。怒らせたら三大国だろうが平気で港ごと沈めよる。……せやけど鷹人はん、逆に言えばやな……」
ニャングルの瞳に、ギラリとした銭ゲバの光が宿る。
「シーラン国は大陸中の極上水産資源の総本山や。荒波の怪魚『マグローザ』の大トロ、深海の幻の蟹『キングクラブ』……! あの女王と直談判して、ポポロ村への独占供給ルートを一本引くことができたら……ウチの村の経済圏は、帝都の全デパートを牛耳れるレベルで大化けするでぇ……!」
「金儲けの話は後だ、ニャングル」
騒乱をピシリと断ち切る、ドスの利いた静かな低音が響いた。
赤城鷹人である。
鷹人は足元にしがみつくリーザの頭にポンと無造作に手を置くと、作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、取り出したのはあの安っぽい黄色い百円ライター。
静かな広場に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く木霊した。
――カチッ、シュボッ。
親指の腹でヤスリを弾く。
揺れる小さな橙色の炎。
先端に火を吸い付け、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが、漂っていた生臭い潮風と緊張感をスッと解きほぐしていく。
続けて鷹人は、胸ポケットから大粒の青森県産ニンニクを一片取り出すと、手際よく薄皮を剥ぎ、ライターの炎を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクの表面がパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
滲み出る濃厚な植物油のエキス。
直後、冷涼な秋の空気を一瞬で塗り替えるほどの、猛烈に甘く香ばしい焦がしニンニクのアロマが空間全体へ爆散した!
「うおっ……!? な、何だこの芳醇な香りは……!?」
「鼻腔を直接殴られたような、暴力的なスタミナの気配だぞ……!?」
鯱目族の戦士たちが思わず鼻をヒクつかせ、武器を構える手を緩める。
鷹人は火を吹き消すと、軽く焦げ目のついた熱々のニンニクを前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「……ん。胃袋に火が入ったぜ。血が巡る」
五臓六腑がカッと熱くなり、動体視力と神経伝達が戦闘態勢へと研ぎ澄まされていく。
鷹人は紫煙をゆっくりとオルカ隊長へ吹きかけると、冷徹な現場監督の瞳で彼を見据えた。
「親が娘の安否を心配して、実家へ呼び戻そうとする気持ちは分かる。……だがな、隊長さん」
「な、なんだ貴様は……!?」
「本人がまだ現場でやり残した仕事があるって泣いてるのに、力づくで道具(みかん箱)を取り上げて連れ戻すのは、現場の職人の筋が通らねぇんだよ」
鷹人は大股で歩み寄り、みかん箱を片足でトンと踏み鳴らした。
「みかん箱の上だろうが、武道館のステージだろうが、自分の足で立って客の前に出てる以上、こいつは立派に現場で汗を流す一人の職人だ。……娘の仕事ぶりを見もせずに『雑草食ってるから恥ずかしい』で片付ける母親なら、現場監督が直接会って、話をつけてやるのが筋ってもんだろ」
「た、鷹人の旦那様……!」
リーザが潤んだ瞳で鷹人を見上げる。
オルカ隊長は呆気に取られた後、鼻先でせせら笑った。
「フン……! 人間の現場作業員風情が、あの深海の絶対君主、神話の女王リヴァイアサン陛下と対等に対話できるとでも思っているのか!? 沿岸部へ来れば、陛下の放つ神話級の水圧と威圧感だけで、貴様のような生体出力1馬力の人間など一瞬で圧殺されるぞ!」
「やってみなきゃ分からねぇだろ。言葉が通じなくても、拳と美味いメシ、あとはエンジン音があれば世界中どこでも生きていける。……それが俺の現場の信条だ」
鷹人はニヤリと笑うと、ガレージの方角へ向けて鋭い現場号令を飛ばした。
「おい、イグニス! ダンプのキーを回せ! 暖機運転だ!」
「おうよッ! 合点承知だぁッ!!」
詰所の奥から走ってきた竜人イグニスが、十トンダンプ(いすゞ・ギガ)の運転席へ飛び乗り、直結スタータースイッチを捻った!
重厚なセルモーターが大地を抉るように唸りを上げる!
――キュルルルッ、キュルルルルッ……!
直後、圧縮されたシリンダーの奥で超高圧のディーゼル軽油が爆発的に着火した!
――ズドォォォォォォォォォォンッッッッ!!!!
村の中央広場全体を震わせる、猛烈な直列6気筒ターボディーゼルエンジンの咆哮!
頭上のストレートマフラーからモクモクと立ち上る黒煙と、焼けたオイルの匂い。
純粋な内燃機関が放つ「機械の命の鼓動」が、百メートル四方の大気全体をビリビリと共鳴させていく。
「ひゃあぁぁっ!? な、なんという地響きだ……!?」
「魔力ではない……鉄と油が擦れ合う、純粋なる物理の怪物の咆哮か!?」
百戦錬磨の鯱目族の戦士たちが、ダンプの威容と爆音に圧倒されて思わず後ずさった。
鷹人はダンプのステップへ飛び乗り、助手席から身を乗り出す。
「おい、リーザ! みかん箱と拡声器を持って荷台に乗れ!
キャルル、ニャングル、マンミア! 沿岸部までの現場視察と交易交渉の段取りを組むぞ!
――親娘のケンカだろうが国家間の摩擦だろうが、美味いメシを食わせて腹を割って話せば、大抵のトラブルはケジメがつくもんだ!」
「は、はいですわぁぁッ! どこまでもついていきますのぉぉッ!!」
リーザはみかん箱を小脇に抱え、猛ダッシュでダンプの荷台へとよじ登った。
「ふふっ、決まりだね! リバロン、親書への受諾返書と、沿岸部での安全協定書を作成して!」
「かしこまりました、キャルル様。すでに全条項の起草は完了しております」
「よっしゃあ! 沿岸部へ突撃や! 深海の海産物利権、丸ごとポポロ村で囲い込んだるでぇぇッ!!」
エアブレーキの快音がプシューッ! と響き渡り、十トンダンプの巨体が南の街道へ向けて滑らかに動き出す。
逃げ隠れするのではなく、正面から母たる絶対女王の元へ乗り込み、現場の筋を通す。
ポポロ村の仲間たちと現場の兄ちゃん・赤城鷹人を乗せた鉄の巨人は、深海王国シーランとの巨大な運命の激突へ向けて、力強く走り出したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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