EP 6
自警団長マンミアと「25歳」の地雷
「……未婚クライシス、ねぇ」
鷹人は作業ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、役場の裏手に隣接する石造りの詰所を見上げた。
外壁にはところどころ魔獣の爪痕や、砲撃の破片で削れたような痕跡が残っている。周囲にはドンガン製の土嚢が無造作に積まれ、村の行政施設というよりは最前線の前線司令部といった趣だ。
「そうなんよ鷹人はん。ウチらの村の防衛線をたった一人で背負い込んどる、生真面目すぎて不憫なケンタウロスの姐さんや。能力は帝国騎士団の隊長クラスなんやけどな、いかんせん心の装甲がペラペラで……」
ニャングルが真鍮のキセルを燻らせながら、やれやれと首を横に振る。
隣では、鷹人の炙りニンニクで血色を取り戻したキャルル村長が、胸元の人参刺繍ハンカチをギュッと握りしめながら小声で耳打ちしてきた。
「鷹人さん、詰所に入る前に一つだけ……絶対に破っちゃいけない村の最重要禁則則をお伝えしておきます」
「禁則?」
「はい。『25』という数字は、絶対に口にしてはなりません」
「は……? 25?」
「だめっ! 声が大きいよ!」
キャルルが慌てて跳ね上がり、鷹人の口を小さな両手で塞いできた。真紅の瞳は真剣そのもので、長い兎耳がパタパタと焦るように揺れている。
「この村ではね、公文書の『第25号』は永久欠番、カレンダーの『25日』は『24日(後編)』って表記する暗黙のルールがあるの! もしマンミアさんの前でその数字を不用意に踏んだら……自警団詰所ごと更地にされちゃうからね!」
「……どんな地雷原だよ」
鷹人は呆れ顔で眉根を寄せたが、とりあえず首を縦に振った。
現場において、現地のローカルルールや職人のこだわりを尊重するのは基本中の基本だ。図面外の地雷を踏んで余計な工程を増やすのは、腕利きの技術屋のやることではない。
ギィィ……と重厚な鉄の扉を押し開け、三人は詰所の中へと足を踏み入れた。
◆
詰所の中は、ツンとした金属油と火薬の匂いが充満していた。
奥の作業机の前に、その人物はいた。
――息を呑むほど均整の取れた、威風堂々たる偉容。
上半身は引き締まった褐色肌の女性。深い栗色の長髪を後ろで束ね、鋭利な刃物を思わせる凛とした琥珀色の瞳。着ているのは無骨な黒革のタクティカルベストとアームガードだ。
そして下半身は――筋骨隆々たる四肢を持つ、見事な毛並みの巨馬の肉体。
蹄には滑り止めのミスリル蹄鉄が打ち込まれ、床を踏むたびにコォン、コォンと重低音が響く。
彼女の背中には、人間の身の丈をゆうに超える巨大な鋼鉄の盾が背負われていた。盾の中央には極太の油圧シリンダーと、魔導杭を射出するための無骨な機構――対攻城用シールドパイルバンカー『アグニ』。
ポポロ村自警団長、マンミアである。
だが、その勇猛な立ち姿とは裏腹に、彼女の手元からは微かに「ぐすっ……」という鼻をすする音が漏れ聞こえていた。
「……どうせ私など、馬よ。下半身が馬の女など、誰も求めてくれないのだ……。今年のクリスマスも、どうせタローマートの半額ケーキを一人でスプーンで抉りながら泣き寝入りするに決まっている……。愛など幻……恋など妄想……うぅ……っ」
パイルバンカーの撃発レバーをオイル布で磨きながら、マンミアは机の上に涙の染みを作っていた。
「マンミアさん、入るよ〜」
「ひっ!?」
キャルルが明るく声をかけると、マンミアは弾かれたように跳ね起き、即座にオイル布を背中に隠して直立不動の姿勢を取った。
「し、失礼した村長! 自警団長マンミア、異常なしであります! 決して……決してタローマンの通販カタログの『一人用抱き枕特集』を眺めていたわけではないのであります!」
「うん、誰もそんなこと聞いてないから大丈夫だよ!」
キャルルが苦笑いを浮かべ、隣の鷹人へと視線を送った。
「マンミアさん、紹介するね。この方は赤城鷹人さん。街道でモリスさんの馬車を助けてくれて、さっき役場で怪我人たちの応急手当をしてくれた現場の技術者さんだよ」
マンミアの琥珀色の瞳が、キッと鷹人を見据えた。
油と煤に汚れた無骨な作業ジャケット、泥を踏み固める安全靴、そして左腕に巻かれた傷だらけの金属製腕時計。歴戦の武人であるマンミアには、鷹人の立ち姿だけで、彼が修羅場の現場を幾重にも潜り抜けてきた「本物」であることが瞬時に伝わったらしい。
「……貴殿が。モリス殿から報告は受けている。1馬力と侮られた状態から、素手の制圧術で『赤砂の牙』の魔獣を瞬殺したそうだな。村を預かる身として、感謝申し上げる。私はケンタウロス族のマンミアだ」
礼儀正しく、凛とした声で頭を下げるマンミア。
鷹人もまた、作業着のポケットから手を出し、軽く右手を挙げた。
「赤城鷹人だ。よろしくな、団長さん。……まあ、大層な挨拶は抜きにしようぜ。俺はただの現場作業員だ。年齢は今年で――」
――あ。
背後で、キャルルとニャングルが同時に息を呑み、顔面を真っ青に染めた。
だが、鷹人の口から言葉はすでに放たれていた。
「――二十五歳。あんたとそう変わらねぇだろ」
静寂。
詰所の中の空気が、ピシィィィッ……と音を立てて絶対零度へと凍りついた。
「ひ、ひええぇぇぇぇッ!!」
「踏んだぁぁぁぁッ! 対地跳躍式超大型地雷を、両足でジャンプして踏み抜きよったぁぁぁ!!」
キャルルが頭を抱えてしゃがみ込み、ニャングルはキセルをポロリと落として絶叫した。
マンミアの動きが、完全に停止していた。
ピクッ、ピクッと、馬の耳が痙攣するように震える。
琥珀色の瞳孔が限界まで拡大し、琥珀の奥にじわりと大粒の涙が浮かび上がってきた。
「に……にじゅう……ご……? 今年で……にじゅう、ごさい……?」
「……? ああ、そうだが」
「同い年……! 貴殿も……25歳なのか……ッ! なのに……なのに何故だ……!? 貴殿からは、そんなにも頼もしく、人生の酸いも甘いも噛み分けた大人の男の余裕が漂っているというのに……ッ! それに比べて、私は……私はどうだぁぁぁっ!!」
ドッガァァァンッ!!
マンミアの前脚が激しく床を踏み鳴らした。石畳の床にバキバキと蜘蛛の巣状のヒビが入る。
「25年! 四半世紀! 生まれてこの方、恋人いない歴25年ッ! 誰からも『今度の日曜、空いてる?』などと誘われたことすら一度もないッ! 『頼りになる自警団長』『ポポロ村の鉄壁』などと煽てられ、気づけば同年代の町娘たちは皆子持ちになり、私に残されたのはこの無骨なパイルバンカーと、タローマンの特売プロテインの空き箱だけだぁぁぁッ!!」
「マンミアさん落ち着いてぇぇ! 鷹人さんは何も悪くないから! 25って数字はこの世に存在しないからぁぁ!」
「せや! 今年は令和6年や! 四捨五入したら30……いや余計アカン! 誰か胃薬持ってこい!!」
泣き叫びながら前脚をバタつかせるケンタウロス美女と、それを必死で羽交い締めにして宥める月兎と猫耳。
カオス極まる詰所の中で、鷹人はただ一人、平然とした顔で胸ポケットから紙巻きタバコを取り出した。
唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
静かな空間に、硬質な着火音が鋭く響いた。
小さな橙色の炎でタバコに火を移し、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込む。
「…………ふぅーーーーっ」
吐き出された一筋の紫煙が、荒れ狂う詰所の空気をゆっくりと切り裂いていく。
紫煙のツンとした香りに包まれ、マンミアの猛荒れがピタリと止まった。
「おい、団長さん」
鷹人は紫煙の向こうから、冷徹で、だがどこか温かみのある瞳でマンミアを見据えた。
「四半世紀、真面目に現場を守ってきたんだろ。何一つ恥じることなんざねぇよ」
「……え?」
「世の中の軽薄な連中は、すぐ色恋だの肩書だので他人の人生を値踏みしたがる。だがな、寒風吹きすさぶ夜にバリケードに立ち、泥に塗れて誰かの日常を守り抜いてきたその手と脚は、何者にも代えがたい本物の職人の証拠だ。……俺は、そういう真面目に現場を回してる奴が一番好きだぜ」
「あ……」
マンミアの琥珀色の瞳が、ぽかんと見開かれた。
これまで誰も言ってくれなかった言葉。「頼りになる」ではなく、「守ってくれたことへの敬意」。
マンミアの褐色の頬が、ボッと音を立てるかのように朱に染まっていく。
(な……な、なんなのだ、この男は……!? 煙草の煙越しに見せるその顔……無精髭のくせに、どうしてこれほど胸を打つような、大人の包容力を放っているのだ……!?)
「……それにだ」
鷹人は灰を指先で弾くと、マンミアの背中に据え付けられた巨大なシールドパイルバンカー『アグニ』へと歩み寄った。
「団長さん、あんたこれ……ずいぶんと無理させて使ってるな」
「え……? アグニのことか?」
鷹人は手袋を外した素手で、アグニの装甲板とシリンダーの継ぎ目をコツコツと叩いた。
工業高校、期間工、そして陸上自衛隊の工作部隊で何千機という重機や兵器を整備してきた鷹人の耳と指先は、機械が発する「悲鳴」を一瞬で聞き分ける。
「第2シリンダーの油圧パッキンが経年劣化で硬化してる。マナオイルが微量に漏れて、圧が逃げてるな。……それに、撃発用のメインスプリングの焼き入れが甘ぇ。このままだと、あと三回フル装填でぶっ放したら撃針が折れてジャミング(不発)を起こすぞ」
「な……ッ!?」
マンミアは息を呑んだ。
それは、ここ数週間の戦闘で彼女自身が密かに感じていた「違和感」そのものだったからだ。杭の射出速度がわずかに落ち、引き金に妙な引っかかりを覚えていた。だが、村には腕の良い兵器鍛冶がおらず、騙し騙し使っていたのだ。
「ど、どうしてそれを……!? 一目見ただけで分かるのか!?」
「機械の命の鼓動を聴くのは、エンジニアの基本だ。……ちょっと貸してみな。現場の道具がナマクラじゃ、命が幾つあっても足りねぇ」
鷹人は意識を集中させ、頭の中のスキルを展開した。
――――――――――――――――――――
【所持スクラップPt:3,360 Pt】
・カタログ選択:【地球整備工場廃棄品・ミリタリーグリス一式】
――――――――――――――――――――
(地球の重機整備工場で余った高圧耐熱フッ素ゴムパッキン、米軍規格の極圧モリブデングリス、高張力鋼の予備スプリング……消費ポイントは、たったの15Ptだな)
――ヒュン。
作業台の上に、青い缶に入ったグリスと、黒いリング状のゴムパーツ、そして新品の工具セットが静かに出現した。
「お、おい貴殿!? またその無詠唱召喚を……!」
「動くなよ、すぐ終わる」
鷹人はタバコを携帯灰皿に揉み消すと、作業ジャケットの袖を捲り上げた。
ラチェットレンチを高速で回転させ、アグニの重厚な装甲ボルトをあっという間に緩めていく。
摩耗したパッキンをナイフの先で器用にほじくり出し、地球の耐熱フッ素パッキンを滑り込ませる。シリンダー内部のスラッジ(油カス)を拭き取り、極圧モリブデングリスを指先で丹念に塗り込んでいく。
無駄のない、流れるような指先の動き。
金属と油に塗れた鷹人の横顔から、一切の雑念が消え失せていた。
その真剣な眼差しを、マンミアは息を呑んで見つめていた。
自分の命を預けている唯一無二の相棒を、これほど大切に、慈しむように触れてくれる男を、彼女は生まれて初めて見たのだ。
(あ……あたたかい手だ……。私の武器を……こんなにも真剣に……)
トクン、とマンミアの胸の奥で何かが跳ねた。
ケンタウロスの女性にとって、武器や背中は自らの魂そのものに等しい。そこに土足ではなく、極上の敬意と確かな技術で触れられた瞬間、彼女の「恋人いない歴25年」の頑なな心の防壁は、音を立てて瓦解し始めていた。
――カチッ、ガキンッ!
「よし、組み上がったぜ。試してみな」
鷹人がアグニの撃発レバーを引いた。
瞬間、これまで聞いたこともないような澄み切った金属音が詰所に響き渡った。
摩擦ゼロで滑らかに後退する極太のシリンダー。一切のガタつきがない、完璧な密閉圧力。
「す……すごい……! まるで新品……いや、最初に支給された時よりも遥かに滑らかだ……ッ!」
マンミアは両手でアグニを抱きしめ、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせた。
そして、顔を真っ赤に染めながら、もじもじと前脚の蹄を擦り合わせる。
「あ、あの……た、鷹人殿……! その……不躾な質問なのだが……貴殿には、その……こ、恋人などは……おられるのか……?」
「ん? 現場を転々としてるからな。そんな暇はねぇよ。仕事とタバコと美味い飯がありゃ十分だ」
「――ッ!!」
フリー! 独身! しかも同い年の25歳!
マンミアの長い馬尾が、嬉しさのあまりブンブンと扇風機のように回転し始めた。
「おーいキャルル、見てみいあの姐さん。完全に恋する乙女の顔になっとるで。チョロすぎるわ」
「う、うん……でも、マンミアさんが嬉しそうでよかった……かな?」
生温かい視線を送る猫耳と月兎をよそに、鷹人は詰所の窓から外の荒野を見据えた。
夕闇が迫る中、村の外縁部を取り囲む粗末な木造防壁と、老朽化して水漏れを起こしている石造りの送水管が視界に入る。
「団長さん。浮ついてるところ悪いが、仕事の話だ」
「は、はいっ! なんでありましょうか、鷹人殿!」
直立不動で答えるマンミアに、鷹人はニヤリと不敵な笑みを向けた。
「明日は山賊の集金日なんだろ。……この村の防壁と水道管、全部ガタがきてるぜ。今夜中に、現場のインフラを一気にオーバーホールするぞ。……資材も道具も、俺が全部出してやる」
読んでいただきありがとうございます。
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