EP 5
血を吐く聖女村長キャルルと、算盤を弾く猫耳商人ニャングル
石造りの村役場の中に入ると、外の怒号とは打って変わって、鼻を突く強烈な血と汗の臭いが立ち込めていた。
薄暗い大廊下の壁沿いには、包帯を巻いた農民や自警団の兵士たちが力なく座り込んでいる。
急ごしらえの開墾作業で重機代わりに大岩を担いで腰を砕いた熊耳族の男、国境警備の小競り合いで矢傷を負った人間族の若者、さらには魔導工作機械の暴走で指先を挫滅させたドワーフの職人まで――村の急造診療所と化した廊下は、まるで戦場の野戦病院そのものだった。
その廊下の最奥、半開きになった村長執務室から、雷鳴のような怒鳴り声が響き渡った。
「アホかキャルル! 治癒するたびに金貨1枚取らんかい! お前の命の原価計算はどうなっとんねん!!」
バチバチバチィッ! と甲高い金属音が空間を震わせる。
鷹人が扉の隙間から中を覗き込むと、そこでは異様な光景が繰り広げられていた。
部屋の中央、血塗れの長椅子に横たわる大男の腹部に、両手をかざして必死に祈りを捧げている一人の少女がいた。
年齢は二十歳前後。艶やかな銀白色のショートボブに、透き通るような真紅の瞳。頭頂部からは純白の長い兎耳がピンと伸び、感情の昂ぶりに合わせて小刻みに震えている。
着ているのは豪奢なドレスなどではなく、動きやすさを重視したラフなオーバーサイズのパーカーとショートパンツ、そして足元にはホームセンター『タローマン』で特注したという、爪先にミスリル鉄板芯の入った頑丈な安全靴を履いていた。胸ポケットには、手縫いの人参柄刺繍ハンカチが覗いている。
彼女こそが、前村長の高飛びによって急遽担ぎ上げられた月兎族の新村長、キャルル・ムーンハートだった。
「――『月影の御手』ッ!」
キャルルの華奢な両手から、まばゆい月の燐光が迸る。
男の腹部を走っていた十数センチの深い裂傷が、肉芽を盛り上がらせて瞬く間に塞がっていく。神業のような治癒魔法だ。
だが、傷が完治した瞬間――。
「うっ……ゲホッ、ゴホッ……!」
キャルルの小さな口から、鮮血がドッと吐き出された。
真っ白な長椅子のシーツに、生々しい赤が飛び散る。他者の肉体欠損や重傷を肩代わりして癒す、自己犠牲の代償だった。
「キャルル様! あ、ありがとうございます……!」
「いいの、気にしないで……怪我が治って、本当によかった……!」
キャルルは胸元の人参刺繍ハンカチで血の滲む唇を拭いながら、天使のような柔らかな笑顔を農民に向けた。
その隣で、仕立ての良いミスリル和装スーツを羽織った黒茶の毛並みの猫耳青年が、真鍮のキセルをガリッと噛み砕きそうな勢いで怒り狂っていた。
首には金無垢のチェーン、片手には純金メッキの計算珠が光る特注魔導金算盤『十露盤』。大陸最大の金融コングロマリット「ゴルド商会」のゴールドランク商傑にして、ポポロ村のCFO兼ゴルドスマイル銀行支店長、ニャングル(二十五歳)である。
「笑てる場合かドアホッ! 感謝の言葉だけで腹が膨れるか! 怪我人は治るわ、村の医療費はタダやわ、その代わり村長は血ぃ吐いて内臓ボロボロやわ……収支バランスがマイナス一億点じゃボケ! お前が過労死したら、この村の赤字誰が背負うんじゃい!」
ニャングルは高速で算盤を弾き、バチバチと耳障りな闘気音を鳴らした。
「でもニャングル、お金がないからって痛がってる村のみんなを見捨てるなんて、私にはできないよ……!」
「せやから適正価格を取れ言うとんねん! 『持続可能な善意』にせぇ! ……あかん、胃が痛い。ムーンキャピタルのドブスメル嗅いだ時より胃液上がってきたわ……!」
キャルルはふらつく足取りで立ち上がろうとするが、膝の力が抜けてバタリと床に倒れ込みそうになった。
そこへ、背広組の言い争いを廊下から眺めていた鷹人が、大股で執務室へと足を踏み入れた。
「おっと、危ねぇな」
倒れかけたキャルルの肩を、鷹人は作業着越しにガシッと力強く受け止めた。
「ひゃっ……!? だ、誰……?」
「おい貴様! どこの馬の骨や! 村長室に勝手に入ってきて、ウチのキャルルに気安く触っとんのちゃうぞ!」
ニャングルがキセルを突きつけて威嚇してくるが、鷹人は眉ひとつ動かさなかった。
キャルルをそっと近くのパイプ椅子に座らせると、ポケットからいつもの紙巻きタバコと、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを取り出す。
親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
硬質な着火音とともに、揺らぐ橙色の炎。
先端に火を吸い付け、深く吸い込んだ煙を天井へ向けてゆっくりと吐き出した。
「…………ふぅーーーーっ」
立ち上る紫煙。
薬品と血の匂いが充満していた部屋の空気が、ツンとしたタバコの香気で一気に塗り替えられる。
「な、神聖な治療室で煙草吸うとるやと……!? 非常識にも程があるやろが!」
「おいおい、猫耳の旦那。朝からキーキー喚くなよ。現場の親方が真っ先に倒れて、下請けが右往左往してる一番ダメなパターンの現場だぜ、ここは」
鷹人は紫煙越しに、青白い顔で肩で息をしているキャルルを見下ろした。
「嬢ちゃん。人を助けたいって根性は立派だが、段取りを間違えちゃいけねぇ。てめぇの血を吐いて治すような大技は、心臓が止まりかけた重症者だけに絞るもんだ。切り傷や骨折程度の外傷に、いちいち命削って魔法を使ってたら、いくら命があっても足りねぇぞ」
「で、でも……お医者様を呼ぶお金も、高級な治癒ポーションを買うお金も、今のこの村にはないんです……!」
キャルルが潤んだ真紅の瞳で訴えてくる。
鷹人はタバコをくわえ直すと、ニヤリと無精髭の口元を歪めた。
「ポーションなんざ要らねぇよ。道具と段取りがありゃ、現場の外傷なんざ素人でも処置できる。……ちょっと場所を借りるぜ」
鷹人は意識を集中させ、頭の中のインターフェースを開いた。
――――――――――――――――――――
【所持スクラップPt:1,400 Pt】
・カタログ選択:【医療現場廃棄品・警察押収応急キット】
――――――――――――――――――――
(地球の病院で余剰在庫になって廃棄期限が迫った滅菌ガーゼ、消毒用イソジン、伸縮包帯、医療用スキンステープラー(ホチキス)、骨折固定用のアルミ副木、消炎鎮痛湿布……一式まとめて召喚だ)
消費ポイントはわずか40Pt。
――ヒュン。
執務室のテーブルの上に、ダンボール一箱分の医療物資が無造作に出現した。
プラスチックケースに入った茶色い消毒液のボトル、真空パックされた白いガーゼ、銀色に光る特殊な医療器具。
「なっ……!? また空間召喚魔法か!? 自分、何者やねん!」
「ただの現場の兄ちゃんだよ。海外の紛争地帯で、野戦病院の手伝いを嫌ってほどやらされたんでな」
鷹人は手際よく段取りを組んだ。
作業ジャケットの袖を捲り、石鹸で手を洗うと、廊下に並んでいた怪我人たちを一瞥する。
「おい、そこの矢傷のアンちゃん、こっち入れ。次、腕を折ったドワーフの親方、横の椅子に座りな」
鷹人のドスの利いた、だが迷いのない現場指揮の声音に圧され、怪我人たちがおずおずと執務室へ入ってきた。
鷹人は一切の無駄のない動きで、矢傷の若者の衣服をハサミで切り裂いた。
「傷口は浅い。毒もねぇな。……おい嬢ちゃん、傷口を水で洗い流せ。バイキンを物理的に洗い流すのが先決だ」
「は、はいっ!」
キャルルが反射的に駆け寄り、水魔法で傷口を洗浄する。
鷹人は茶色いイソジン液を脱脂綿に浸し、傷口の周囲を素早く消毒。そして、金属製のスキンステープラーを傷口の皮膚にピタリと当てた。
――カシャッ、カシャッ、カシャッ。
「ひぎゃっ!?」
「動くな。傷口を針金で留めただけだ。糸で縫うより十倍早ぇし、感染症も防げる」
あっという間に、ぱっくり開いていた傷口が医療用ステープラーの針で綺麗に密着させられた。その上から滅菌ガーゼを当て、伸縮包帯をキュッと巻き上げる。所要時間、わずか一分半。
「ほら、終わりだ。一週間は濡らすなよ。次のドワーフの親方、腕を引くぞ。息を吐け――フッ!」
バキボキッ! と鈍い整復音が響く。
外れていた関節と骨折部位を、柔道整復と野戦外科の技術で瞬時に元の位置へ戻したのだ。痛みに叫ぶ暇すら与えず、鷹人はアルミ副木を腕に添え、テーピングテープでガチガチに固定した。
「よし、これで骨は綺麗にくっつく。重いもん持たなきゃ二週間で現場復帰だ」
「お、おおお……!? 痛みが引いた……! 腕がぶらぶら動かねぇぞ!」
ドワーフの男が目を丸くして立ち上がった。
さらに鷹人は、腰を痛めた熊耳族の大男の背中に、冷感を放つ消炎鎮痛湿布をバチンと貼り付け、痛み止めの錠剤を二粒手渡した。
「冷やして安静にしとけ。明日には畑に出られるぜ」
――信じられない光景だった。
廊下に溢れかえっていた十数人の怪我人たちが、魔法を一切使われることなく、次々と的確に応急処置を施され、笑顔で部屋を退出していく。
静まり返った執務室の中で、キャルルとニャングルは完全に言葉を失っていた。
「す、すごい……! 魔法を全く使わずに、あんなに手早く傷口を塞いじゃうなんて……!」
キャルルは真紅の瞳を輝かせ、驚嘆の声を上げた。
自分が血を吐いて命を削らなければ救えないと思い詰めていた怪我人たちが、地球の近代的な応急手当によって、あっさりと立ち直っていったのだ。
一方、ニャングルはというと――。
「……ま、まじか……」
キセルをポロリと床に落とし、呆然と魔導算盤を握りしめていた。
「原価数十銅貨の布切れと針金で……治癒ポーション数十本分、キャルルの寿命数週間分の医療効果を叩き出しよった……! 費用対効果が天文学的すぎて、ウチの脳内の算盤の珠が全部ぶっ飛んだわ……!!」
ニャングルは頭を抱え、信じられないものを見る目で鷹人を凝視した。
打算なき愛で赤字を垂れ流すキャルルの横で、必死に帳尻を合わせようと胃を痛めてきたニャングルにとって、鷹人の見せた「圧倒的に低コストで持続可能な救済」は、まさに神の御業に見えたのだ。
「おい、嬢ちゃん。これ齧りな」
鷹人はポケットから、昨晩の残りの乾燥ニンニクのスライスを取り出すと、百円ライターの直火でチリチリと炙ってキャルルへ差し出した。
香ばしい、濃厚なスタミナの香りがふわりと広がる。
「血を吐いたんだ。血圧上げて、ニンニクパワーで造血しねぇと身体が持たねぇぞ」
「あ……ありがとう、ございます……!」
キャルルは恐る恐る炙りニンニクを口に含み、カリッと噛み砕いた。
直後、カッと全身が熱くなり、貧血で白くなっていた頬に、見るみるうちに健康的な桜色が戻っていく。
「おいしい……! 身体の芯から、力が湧いてくるみたい……!」
その瞬間だった。
――ピロリン♪
鷹人の脳裏に、あの小気味よい電子音が響き渡った。
『善行を検知しました』
『事象:限界集落における医療崩壊の阻止および村長(重要要人)の延命救護』
『判定:高度な技術と私財を用いた純粋な人道支援』
『スクラップPt +2,000Pt を獲得しました』
(よしよし、ガッツリ稼げたな)
鷹人は胸の中で小さくガッツポーズを作った。所持ポイントは一気に3,360Ptまで跳ね上がっている。これだけあれば、地球のかなり大型の建機や特殊資材も視野に入ってくる。
「あんた……一体何者なんや?」
我に返ったニャングルが、床のキセルを拾い上げて深々と頭を下げてきた。先ほどまでの刺々しさは完全に消え失せ、瞳には深い敬意と、商傑特有のギラリとした計算が宿っている。
「ウチはゴルド商会のニャングルや。……キャルルを、この無茶ばかりするアホな村長を助けてくれて、ほんまにありがとうな。金なら払う。なんぼでも請求書回してくれてええで」
「赤城鷹人だ。金なんざ後でいいさ。困ってる現場があったから手を出した、それだけだ」
鷹人は灰皿代わりに空き缶を机に置き、タバコの灰をトントンと落とした。
「それより村長さんよ。さっき廊下で聞いたが……この村、山賊へのみかじめ料の支払いが明日だとか言ってたな? 防壁もボロボロ、水道管もガタがきてるって話だが、防衛の段取りはどうなってんだ?」
鷹人の問いに、キャルルとニャングルは重苦しい表情で顔を見合わせ、深いため息を吐いた。
「……その件については、ウチらの村の『防衛の要』に直接話を聞いてもらった方が早いわ」
「防衛の要?」
「ああ。隣の詰所で、パイルバンカー磨きながら毎日『未婚クライシス』で泣いとる、生真面目すぎるウチらの自警団長様や」
読んでいただきありがとうございます。
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