EP 2
下水と高級香水が混ざる地獄のスメルハザード!
ポポロ村の東部幹線道路を抜け、緩衝地帯の険しい山道を越えた先――。
赤城鷹人がハンドルを握る10トン大型ダンプ(いすゞ・ギガ)は、低く唸るV8ディーゼルエンジンの咆哮を響かせながら、白銀の敷石が敷き詰められた雄大な大通りへと滑り込んでいた。
助手席には、防毒マスクを首からぶら下げて青ざめた顔で「ガスター・オメガ」をポリポリと噛み砕く猫耳商人ニャングル。
荷台のあおりの陰には、パイルバンカー内蔵盾『アグニ』を抱えて背筋を伸ばすケンタウロス自警団長マンミアと、タローマン特注の安全靴を履いた新村長キャルルが警戒を怠らずに身を潜めている。
フロントガラスの向こうに広がっていたのは、まさに「おとぎ話の絵本」からそのまま抜け出してきたかのような、眩いばかりの絶景だった。
天を衝く白亜の尖塔、純白の大理石で築かれた壮麗な宮殿群、そして七色に光り輝くクリスタルの巨大な噴水。
通りを行き交うのは、豪奢なフリルドレスをまとった令嬢たちや、銀糸の刺繍が入った外套を羽織る貴公子たち。街灯の柱には金のレリーフが施され、至る所に極上のシャンパンタワーがディスプレイされている。
月の女神カグヤが大陸沿岸部の直轄領に築き上げた、美の都――『ムーンキャピタル』である。
「う、うわぁ……! すっごく綺麗な街……! キャルル、こんな大都会初めて見たよっ!」
キャルルが荷台からピョコッと兎耳を出し、真紅の瞳を輝かせた。
マンミアもまた、息を呑んで白亜の街並みを見上げる。
「全女性が息をするだけで溺愛されるという、伝説の美の都……。これほど優雅で清潔な街が、本当にこの世に存在するとは……」
「アホか! 騙されたらアカン!! 鼻を塞げ! 絶対に外気(空気)を直で吸い込むなぁぁぁッ!!」
助手席のニャングルが、泡を吹き散らしながら絶叫した!
だが、その警告よりも――ダンプの運転席の窓の隙間から、一陣の生温かい風が吹き込んできた方が、わずかにコンマ数秒早かった。
――ボワッッッッ……。
その瞬間。
「「――ッッッ!?!?!?(オエェェェェェッッッッ!!!!)」」
荷台のキャルルとマンミアの瞳から一瞬で光が消え去り、二人は同時に胃袋を抱えて床板へ突っ伏した!
マンミアは褐色の肌を土気色に変えて白目を剥き、キャルルは純白の兎耳を固く結んで激しく悶絶している。
「な……な、何これぇぇぇぇッ!? 鼻の奥が……脳みそが腐ったキャベツでシェイクされてるみたいだよぉぉッ!!」
「ご、ゴフッ……! あ、頭蓋骨の裏側が激痛で割れそうであります……! 何たる猛毒……! 帝国の化学兵器攻撃でありますかぁッ!?」
「言うたやろが! これがムーンキャピタル名物――【下水と高級香水の致死性スメルハザード】じゃあぁぁッ!!」
白亜の大通りの両脇、美しい大理石の歩道のすぐ下――。
そこには、蓋すらされていない無数の側溝が口を開けていた。
数十万人が暮らす巨大都市でありながら、この街には地下下水道という概念が1ミリも存在しない。
宮殿や高級レストラン、無数の貴族邸から排出された生ゴミ、汚水、そして人糞や汚物が、そのまま側溝へと垂れ流されていたのだ。
日光と地熱で発酵した汚泥は、まるで毒沼のように緑色の泡をボコボコと吹いて猛烈な腐敗ガスを立ち上らせている。
そして――何より狂悪だったのは、その汚水処理に対する「解決策」だった。
プシューーーッッ! プシューーーッッ!
通りの街灯や噴水のノズルから、絶え間なく大量の微細な霧が噴射されていた。
月の女神カグヤが下界の貴族たちへ売りつけている、一本金貨十枚(十万円)の超高濃度フレグランス――『月の薔薇と夜香木の高級香水』である。
生ゴミと下水のドブ臭に、狂乱の超高濃度フローラル香水が1対1の比率で正面衝突。
中和などされるはずがない。
「強烈な腐敗便所臭」の隙間から「甘ったるい濃厚な薔薇の刺激臭」が突き刺さり、二重の悪夢となって吸い込んだ者の鼻腔と粘膜を直接焼き焦がす、まさに地獄の神経化学ガスへと錬金術的変貌を遂げていたのだ!
街を行き交う貴族や令嬢たちを見れば、誰もが扇子を狂ったように仰ぎ、首元には香水瓶を何本もジャラジャラとぶら下げ、青白い顔で引きつった笑みを浮かべ合っている。
「あら……今朝の薔薇の香りは一段と芳醇ですこと……(オエッ)」
「ええ……さすがカグヤ様の都……気品に満ち溢れておりますわ……(ゲホッ)」
虚飾の美のために、都市の住民全員が呼吸器を犠牲にしながら集団やせ我慢を続けているという、狂気のディストピアがそこにあった。
だが――。
ダンプの運転席で、ハンドルを握っていた赤城鷹人だけは、眉間にわずかな皺を寄せただけで、至って平然としていた。
「……なるほどな。東南アジアの未開拓のスラムや、紛争地帯の破壊された下水処理場を思い出す現場だ」
鷹人は窓をカチリと全閉すると、作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、取り出したのは地球の百円均一ショップで買った安っぽい黄色いプラスチック製のライターだ。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾く。
――カチッ、シュボッ。
静かな車内に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く響き渡った。
揺れる小さな橙色の炎。
先端に火を移し、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
フロントガラスへと吹き出された、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが、車内に忍び込んできたわずかな悪臭をスッと解きほぐしていく。
続けて鷹人は、胸ポケットから大粒の青森県産ニンニクを一片取り出すと、薄皮を剥ぎ、ライターの炎を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクの表面がパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
立ち上る、ガツンと鼻腔を殴りつけるような濃厚なスタミナのアロマ。
鷹人はそれを前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「ん。胃袋に芯が入ったぜ」
胃の腑がカッと熱くなり、全身の血液が巡る。
鷹人は携帯灰皿に吸い殻をねじ込むと、頭の中のユニークスキル【リサイクルマスター】を素早く起動した。
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【所持スクラップPt:137,600 Pt】
・カタログ選択:【警察・自衛隊特殊部隊放出資材カテゴリー】
・カタログ選択:【化学工場解体品・防毒安全装備カテゴリー】
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(地球の化学防護部隊で耐用年数経過に伴い払い下げられた、3M製・有機ガス・アンモニア対応全面形防毒マスク4個、超高性能活性炭吸収缶フィルターパック一式!)
消費ポイント、わずか40Pt。
――ヒュンッ!
運転席のシートの上に、無骨な黒い強化樹脂製のガスマスクが四つ出現した。
鷹人は窓の小窓を開け、荷台へ向けてマスクをポイポイと投げ渡した。
「おい、お前ら! 泣き言言ってねぇで、さっさとそれを装着しろ! 密着面のゴムを顎に合わせ、バンドを対角線にきつく締め上げるんだ!」
「は、はいぃぃっ!」
「助かったでありますぅぅッ!」
キャルルとマンミア、そしてニャングルが貪るようにガスマスクを顔面へ押し当て、ハーネスをガチリと固定した。
――スゥゥゥゥ……ッ。
活性炭フィルターを通過した瞬間、地獄の腐敗臭と香水の毒気が完全に遮断され、純度100%の無臭の冷気が肺胞を満たした!
「ふ、ふはぁぁぁぁぁ……っ!! 空気が……空気が美味しいよぉぉっ!」
「生き返ったであります……! 地球の化学工学、神話の回復魔法すら凌駕する実用性であります……ッ!」
キャルルたちが涙を流して胸を撫で下ろす。
ニャングルもマスクの排気弁をカパカパと鳴らし、ようやく人心地がついたように算盤を構え直した。
「ひ、ひぃぃ……! 鷹人はん、ほんま命の恩人や! マスクなしでこの街を歩くなんざ、裸で溶岩地帯に飛び込むような自殺行為やで……!」
「見た目だけを着飾って、一番肝心なケツの拭き方(排泄インフラ)を放棄した都市の末路だな。……さて」
鷹人はダンプをゆっくりと路肩に停車させ、エアブレーキをプシューッ! と響かせた。
金属製腕時計に目を落とし、大通りの奥――白亜の豪奢な大公爵邸の方角を睨みつける。
「で、亡命希望の転生令嬢エミリアとやらは、どこにいるんだ?」
ニャングルが手元の魔導通信石の座標を確認しようとした、まさにその瞬間だった。
――キャアアアアアアアアッッッッ!!!!
大通りの曲がり角の向こうから、今にも泣き出しそうな、だが芯の通った少女の絶叫が木霊してきた!
「誰かぁぁぁッ! 助けてぇぇぇッ!! 溺愛なんていらないから、綺麗な水洗トイレとバキュームカーのある世界へ連れてってぇぇぇぇッッッ!!!!」
ドタバタバタバタッ!
砂煙を巻き上げて全力疾走してきたのは、ドレスの裾を豪快にたくし上げ、ハイヒールを両手に持って裸足で爆走してくる、一人の絶世の金髪碧眼の令嬢――エミリア・シフォンヌ(22歳・元社畜OL)であった!
その胸元には、手のひらサイズのもふもふした白い九尾の小狐『コン太』がしがみつき、恍惚とした表情で令嬢の胸元に顔をスリスリと埋めている。
そして――そのわずか五メートル真後ろ。
――スッ……スッ……スッ……。
足音すら立てず、プラチナシルバーの長髪を冷涼になびかせながら、無表情・無言のまま、音もなく恐るべき超高速の摺り足でエミリアの背後へピタリと追尾してくる男がいた。
氷のように透き通った青い瞳に、帝国北部軍総司令官の漆黒の軍服。
腰に冷気を放つ魔剣を佩いた美男子――『氷血公爵』ヴァルター・フォン・アーデルハイト(28歳)であった。
その顔面とエミリアの後頭部の距離、わずか【3センチ】!
「ヒエェェェッ! 近いいいっ! 息がかかってる! 離れてぇぇぇッ!!」
「…………(無言で間合いを詰める)」
「なんやあれぇぇぇぇッッッ!?!?!?」
ニャングルの純金算盤の珠が、驚愕のあまりガシャガシャと激しく爆ぜた!
「噂以上や! 公爵の皮を被った、ただの超音速ストーカー事案やないかぁぁぁッ!!」
白亜の都の悪臭と狂気の只中で、現場の兄ちゃん・赤城鷹人と亡命令嬢エミリアの運命が、激しく交錯しようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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