EP 4
熱狂空間の洗脳と、囚われた若者たちの悲鳴
夜の帳が降りたポポロ村の広場は、いつもなら居酒屋や食堂から笑い声が漏れる時間帯だったが、今宵は異様な静けさと冷たい緊張感に包まれていた。
自警団詰所の前庭に、一台の巨大な黄色い鉄塊――赤城鷹人が整備し直した10トンダンプ(いすゞ・ギガ)が、低く唸るディーゼルエンジンのアイドリング音を響かせながら待機していた。
その巨大なバンパーの脇で、二人の男が冷たい夜風に吹かれながら、地面に正座させられていた。
竜人のイグニスと、A級冒険者のフェイトである。
「うぅ……頭が割れるように痛ぇよぉ……。俺様、なんであんなペテン師の紙切れにサインしようとしてたんだ……?」
イグニスが分厚い手のひらで頭を抱え、涙目を瞬かせた。
「実家の親父とお袋に、本物の純金像が建ったって自慢したくてよぉ……。月給三十万の手取り十四万から、さらに毎月借金返済なんてされたら、本当に土を食って生きるしかなかったぜ……」
「俺もだ……。コイントスで表が三回連続で出たから、全能感で頭がハイになってたんだ……。でも、あの会場に満ちてた桃色の霧……あれを吸い込んだ瞬間、思考が全部停止して、『借金してでもサインしなきゃ人生の敗北者だ』って強迫観念に脳みそが塗りつぶされてたんだよ……!」
フェイトも青ざめた顔で震え、愛用の真鍮コインをポケットの奥へ押し込んだ。
二人の前には、腕組みをした自警団長マンミアが、巨大盾『アグニ』を地面に突き立てて仁王立ちしていた。
その琥珀色の瞳は怒りと情けなさで激しく揺れ、馬脚の蹄をギリリと鳴らしている。
「反省しなさい、この大馬鹿者どもがッ! 鷹人殿がダンプで壁ごと突入してくれなければ、貴様らは今頃、人生のすべてを毶り取られてドンガン地下鉱山行きだったのですよ! 今年で二十五歳、恋人もおらず、手取り十四万とギャンブル中毒で生きているというのに、これ以上人生の負債を増やしてどうするのですかッ!!」
「ひ、ヒィィッ! マンミア団長、二十五歳を強調しないでぇぇッ!」
「耳が痛い! 魂に突き刺さるぅぅッ!」
二人が頭を抱えて縮こまる中、詰所の階段から、カツカツと小気味よい足音が降りてきた。
姿を現したのは、純金算盤『十露盤』を小脇に抱え、真鍮のキセルを燻らせる猫耳商人ニャングルだった。
その後ろには、白手袋の手で極厚の調査資料をめくる人狼執事リバロンが、冷徹な糸目の笑みを浮かべて付き従っている。
「ニャングル、裏の調査はどうなった?」
ダンプのステップから飛び降りた赤城鷹人が、作業ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま歩み寄った。
「……最悪や、鷹人はん」
ニャングルはキセルの吸い口をガリッと噛み、吐き捨てるように紫煙を吐き出した。
「あのクソマルチ『ADP』の特設ドーム、今夜が最終クロージング(集金)のクライマックスらしいわ。帝都や周辺の宿場町から集まった若い冒険者、ハズレスキル持ちの農民、家出娘……合わせて五百人以上が、完全に逃げ道を塞がれた状態でドームの中に監禁状態にされとる」
「監禁だと?」
鷹人の眉間に、ピクリと険しい皺が寄った。
「ええ、その通りでございます」
リバロンが銀縁の片眼鏡を指先で押し上げ、淡々とした美声で補足した。
「首謀者の円城寺明は、ユニークスキル【熱狂空間】の出力を限界まで引き上げ、ドーム内の大気全体を高濃度の精神干渉マナで満たしております。正常な判断力を奪われた若者たちは、互いに『ここで投資しなければ一生の負け組だ』『仲間を救うための聖なる借金だ』と叫び合い、次々とゴルドスマイル銀行のダミー違法高利貸しから借用書にサインさせられているとのこと。すでに集まった被害総額は、金貨三千枚――地球の通貨にして【約三億円】に達しております」
「三億円……! そんな大金、どこへ消えるんだ?」
マンミアが息を呑む。
「その大半は、円城寺の懐……そして、あの悪名高き秘密結社『ナンバーズ』のスリー(ギリルク)の地下資金洗浄ルートを通じて、帝都の闇市へ送金される手筈になっております。……さらに、先ほどポポロ・コーポの食堂で鷹人殿が暴かれた通り、一部は魔王ラスティア様の推し活資金として裏口からキックバックされる手筈でした」
「ケッ……反吐が出るぜ」
鷹人は短く吐き捨てると、作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾いた。
――カチッ、シュボッ。
静かな夜の空気に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く響き渡る。
揺れる小さな橙色の炎。先端に火を吸い付け、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
夜空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが夜風に乗り、鷹人の冷徹な瞳が遠く西の荒野――怪しく発光する特設ドームの方角を捉えた。
「努力が報われねぇ世の中に絶望して、藁にもすがる思いで集まった連中だろ。……そいつらのなけなしの金と人生を、声のデカい詐欺師が甘い言葉で絡め取って、自分だけシャンパン飲んで高笑いか」
鷹人は携帯灰皿に灰をトントンと落とすと、胸ポケットから大粒の青森県産ニンニクを取り出した。
指先で素早く薄皮を剥ぎ、黄色い百円ライターの直火を直接あてがう。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクの表面がパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
滲み出る濃厚な植物油のエキス。
立ち上る、ガツンと鼻腔を殴りつけるような暴力的なまでのスタミナのアロマ。
鷹人はそれを前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「……ん。腹の底が煮え滾ってきたぜ」
五臓六腑に火が灯り、鷹人の全身の毛穴から、研ぎ澄まされた戦士の気迫が立ち上る。
「おい、ニャングル。村長と居候どもを呼んでこい」
「え? キャルルと、あの手羽先天使にポンコツ魚かいな?」
「ああ。……他人の夢を食い物にして、汗も流さずに甘い汁を吸うペテン師にはな、現場の職人の怒りと、物理の鉄槌を叩き込んでやるのが一番の薬だ」
鷹人は左手首の傷だらけの金属製腕時計をカチリと締め直すと、ダンプの荷台をドン! と手のひらで叩いた。
「段取りを組むぞ。……あの薄っぺらいマルチの会場ごと、今夜中に更地へ解体撤去だ」
静かな夜のポポロ村で、巨悪のマルチ商法を粉砕するための「物理的解体作戦」が、怒涛の勢いで動き始めた。
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