EP 8
ぬるい陽薬茶と、悪魔たちの笑顔のブラックメール交渉
白亜の村長公邸の奥にある応接室は、外の秋晴れの爽やかさとは裏腹に、鉛のように重苦しい威圧感に包まれていた。
部屋の中央に置かれた重厚なマホガニーの円卓。その革張りソファーに、ふんぞり返るようにして腰掛けていたのは、三大国合同徴税査察部の筆頭主任査察官、ベルグ・フォン・ガリクソン男爵とその部下たちだった。
三段に波打つ顎肉の汗を最高級の絹ハンカチで拭いながら、ベルグは机の上に査察棒をカツンと叩きつけた。
「ふん! 表に魔導戦車やバズーカを並べて威嚇したところで、無駄なことだ! 三大国最高評議会の徴税権規約に基づき、ポポロ村の過去十年に及ぶ全資産、流通帳簿、および隠田の収穫記録をすべて押収する! 少しでも辻褄が合わねば、即座に不法脱税の重罪として村落資産を凍結し、関係者全員を鉱山送りにしてくれるわ!」
唾を飛ばして威張り散らすベルグ。
その両脇を固める帝国、王国、魔皇国の副査察官たちもまた、腕を組んで傲慢な薄笑いを浮かべていた。
ガチャリ。
静かな室内に、無骨な足音が響いた。
入ってきたのは、薄汚れたワークジャケットの袖を捲り上げ、無精髭の顎を撫でる男――赤城鷹人だった。
手にした木製のお盆の上には、欠けた陶器の湯呑みがいくつか並んでいる。
「おいおい、お役人さんたち。朝っぱらから血管切れそうなほど怒鳴り散らしてると、血圧が跳ね上がって倒れちまうぞ」
トスン、トスン、と遠慮のない音を立てて、鷹人は役人たちの前へ湯呑みを乱暴に配っていった。
中に入っているのは、野草を煎じたような淡いエメラルドグリーンの液体――ポポロ村の野生ハーブから煮出した「ぬるい陽薬茶」だった。
湯気すら立っていない。熱くもなく冷たくもない、喉越しすら曖昧になるような絶妙に中途半端なぬるさだ。
「な、なんじゃこの粗末な茶は……! 毒でも入っておるのではあるまいな!?」
「毒なんざ現場の資材にも入ってねぇよ。胃腸を整えるただの野草茶だ」
鷹人は鼻で笑うと、作業ジャケットの内ポケットから少し潰れた紙巻きタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、取り出したのは地球の百円均一ショップで買った安っぽい黄色いプラスチック製ライターだ。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾く。
――カチッ、シュボッ。
張り詰めた応接室に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く響き渡った。
揺れる小さな橙色の炎。先端に火を移し、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
天井へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが部屋に充満していた役人たちの脂汗の臭いを打ち消していく。
鷹人の放つあまりにも動じない現場の空気に気圧されたのか、ベルグは喉の渇きに耐えかね、恐る恐る湯呑みに口をつけた。
ズズッ……。
「ぬ、ぬるい……! なんという間の抜けた温度だ……!」
文句を言いながらも、陽薬草の滋養が染み渡り、役人たちの強張っていた肩の力がわずかに抜ける。
「ほな、お茶で人心地ついたところで……現実的な数字の話をさせてもらいましょか」
ソファーの対面に腰掛けた猫耳商人ニャングルが、仕立てのいい和装スーツの襟を正し、純金算盤『十露盤』を机の上にトンと置いた。
真鍮のキセルから細く紫煙を吐き出し、黄金色の双眸を細める。
「査察官の旦那がた、あんたらほんまに【計算】できてますか? ポポロ村はな、緩衝地帯の慣習法に基づいて、毎年ルナミス、レオンハート、アバロンの三大国に対して適正な納税を1ミリの遅れもなく完納しとるんですよ」
「だ、だが、貴様らの村の羽振りは異常だ! 隠田や密輸で不当に蓄財しているのは明白――」
「せやから、それを調査するためにわざわざ本国から正規軍の騎士団を動員して、この村を力づくで潰す【コスト】がどこにあるんや、っちゅう話ですよ」
パチパチパチッ!
ニャングルの指先が算盤の珠を超高速で弾く。耳障りな生体闘気の火花が散る。
「仮にですよ? あんたらがこの村を武力制圧しようとした瞬間、ウチらは真っ先に『他の二カ国』へ緊急の救援要請を出しますわ。……ポポロ村のインフラと流通網をどこか一国が独占しようとしたら、残る二国はどう動くと思います? 当然、自国の権益を守るために大軍を国境へ雪崩れ込ませる。結果どうなるか……三大国による全面戦争の引き金が引かれるだけや。たかだか地方都市ひとつの税金調査のために、国家予算が何百億と消し飛ぶ大戦を起こす気ぃですか? そろばん勘定、合わへんにも程があるやろ」
「う、ぐ……ッ!」
ベルグの額に、嫌な汗がじわりと滲み出た。
軍事バランスを突いた冷徹な経済論理。だが、役人としての面子があるベルグは、歯を剥き出して机を叩いた。
「へ、屁理屈をこくな! 国家の法規を舐めるなよ! 貴様らがどれほど口先で誤魔化そうと、我が国の通貨発行権と金融制裁をチラつかせれば、こんな辺境の経済など一夜で干上が――」
「あぁ、それな」
ニャングルはキセルをカチリと灰皿に叩きつけ、邪悪な笑みを浮かべた。
「言うときますけど、ポポロ村の基軸通貨は独自の【PG】なんですよ。……経済戦争でも、通貨戦争でも、受けて立ちまっか? ウチのゴルド商会の金融ネットワークを舐めたらアカンで。いざとなれば、あんたら三大国の紙幣の信用を一撃で暴落させて、その懐に入っとる分厚い札束を、ただの【ケツフキ(尻拭き紙)】に変えたってもええんやぞ?」
「なっ……!?」
「いや〜、怖い顔してはるなぁ♡ 冗談ですよ、冗談! ……ほら、そんなに震えんと、ポポロ村名産の高級ポポロシガーでも吸って落ち着きなはれや。一本銀貨3枚、きっちり【有料】で請求書回しときますけどねぇ♡」
「ぷ、ぷるぷる……ッ!」
手渡された葉巻を握りしめたまま、ベルグの贅肉が屈辱と恐怖で激しく痙攣した。
その時、応接室の奥の扉がスッと開き、可憐な足音が響いた。
入ってきたのは、オーバーサイズのパーカーを着たポポロ村長、月兎族のキャルルだった。
タローマン特注のミスリル鉄板入り安全靴をコツコツと鳴らし、胸元の人参刺繍ハンカチをそっと揺らしながら、役人たちの真後ろへと回り込む。
「ピピ〜ピピピ〜♪」
気の抜けた口笛を吹きながら、ベルグの丸々とした後頭部を、真紅の瞳でじっと見下ろすキャルル。
そして――天使のように無邪気で、爛漫とした笑みを浮かべ、小首をかしげた。
「ねぇ、役人さんたち。……あんまりグダグダ言ってると、その太い顎、トンファーで粉々に【砕いちゃおっかな〜?♡】」
「ヒッ……!?」
ガシャンッ! チャキッ! ガチャリ!
キャルルの言葉が終わるか終わらないかの瞬間、応接室の窓ガラスの外、そして廊下の扉の隙間から、数十門を超える銃口が一斉に部屋の中へと突きつけられた!
九九式魔導ライフル、魔導誘導バズーカ、そしてパイルバンカー『アグニ』の極太シリンダー。
自警団長マンミアを筆頭に、窓の外に張り付いた村人たちが、全員満面の笑みを浮かべながら、寸分の狂いもなく役人たちの眉間と後頭部へ照準をロックしていた!
「あ、あわわわわ……っ!」
副査察官たちが腰を抜かし、ソファーの上で失禁寸前になって震え上がる。
「あはは〜☆ 役人さんのイキリ顔、すっごく情けなくて超ウケる〜♡」
ソファーの端で、淡い桜色のツインテールを揺らす美少女――天使キュララが、魔導タブレットを掲げてケラケラと笑い声を上げた。
頭上の光輪をピカピカと点滅させ、画面をベルグの鼻先へ突きつける。
「ねぇねぇ、この情けないお顔、全宇宙八千万人のリスナーに生配信で【晒しちゃおっかな〜♡】 あ、ほら見て! キュララTVの特定班リスナーさんたちから、超ホットなタレコミが届いてるよ〜☆」
キュララが魔導画面をスクロールさせ、読み上げ始めた。
「『ベルグ・フォン・ガリクソン査察官。帝都の第二商業区にある愛人のマンションへ、公用馬車を使って週4日通い詰め。さらに先月、隠し子が生まれた事実を本妻の実家に必死で隠蔽中』だって〜! うわぁ〜、本妻の実家って帝国の法務大臣の家系じゃん! これSNSにポストしたら、秒で社会的息の根止まるやつじゃな〜い?☆」
「な……な、何故それを貴様らが知っておるのだぁぁぁッ!?」
ベルグの顔面が、土気色を通り越して真っ白に染まり上がった。
「あら……? 私の可愛い植物たちからも、素敵なお知らせが届きましたわよ♡」
円卓の対角線上で優雅に紅茶を啜っていた世界樹のエルフ令嬢、ルナ・シンフォニアが、慈愛に満ちた聖母の笑みでおっとりと身を乗り出してきた。
華奢な指先を、窓辺に置かれた観葉植物の葉へそっと滑らせる。
「まあ……植物たちのネットワークは大陸中に広がっていますの。……え? 最近、そちらのベルグ様、夜の酒宴で泥酔した帰り道に……盛大に【おねしょ】をしてしまわれたのですか? あらあら、それだけではありませんのね? ……なんと、【大きい方】も漏らしてしまわれて、あまりの恥ずかしさに翌朝、裏山へスコップを持って登り、土の中に埋めて証拠隠滅を図った……ですって?♡」
「ぎゃあああああああッ!? だ、誰にも見られておらんはずだぁぁぁッ!!」
ベルグが両手で頭を抱え、絶叫した。
「まぁまぁ、大人の尊厳を失って可哀想に……。でしたら、私の特製魔植物『ハッピー・ドリーム』で脳をキメて、幼児から教育をやり直しましょうか?♡」
ズズズズズ……ッ!
ルナの足元の床から、巨大なピンク色の艶かしい花弁が開き、ダラダラと甘い香りのヨダレを滴らせる無数の触手がニュルリと這い出てきた!
その触手の一本が、ベルグの脂ぎった首筋や丸い頬へヌメヌメと巻き付き、まるで赤子をあやすかのように優しく【ナデナデ】し始めた。
「ヒギッ……! あ、甘い匂いが……頭が、とろける……!?」
ベルグの瞳がトロンと濁りかけ、だらしなく口端からヨダレが垂れそうになる。
「お、ええ情報入ったなぁ! ほな、村の地下メインサーバーに入力しとくで。これでベルグ査察官の【ブラックメール(脅迫台帳)】入り完了や!」
ニャングルが手元の端末をカタカタと叩き、底知れぬ悪徳金融の笑みを浮かべた。
「あんたらの恥ずかしい裏の顔、ポポロ村はなんぼでも握っとるんや。……どうします? このパンドラの箱、三大国の全新聞社とネット回線へ一斉開示してみますかぁ?♡」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ……!!」
ベルグも副査察官たちも、完全に精神の骨を折られ、ガタガタと震えながら抱き合っていた。
目の前にいるのは、無害な農民などでは断じてない。
軍事力、経済力、情報力、そして精神攻撃のすべてを極めた、大陸最強の「悪魔たちの巣窟」だったのだ。
その阿鼻叫喚の客間の片隅で、赤城鷹人は短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込んで揉み消した。
作業ジャケットの胸ポケットから、大玉の青森県産ニンニクを一片取り出す。
薄皮を指先で器用に剥ぎ、黄色い百円ライターの直火を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクがパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
立ち上る、暴力的なまでの濃厚な焦がしニンニクのアロマ。
鷹人はそれを前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「……ん。やっぱり現場のケジメには、これくらいのパンチが必要だな」
鷹人はニヤリと無精髭の口元を吊り上げ、ブルブルと震えるベルグたちを見下ろした。
「言葉が通じねぇなら、まずは座って相手のツラをじっくり見るこった。……さて、お役人さん方。ポポロ村の現場のルール、少しは呑み込めたかい?」
国家権力の徴税官たちに対するポポロ村の容赦なきおもてなしは、いよいよトドメの狂騒曲へと突入しようとしていた。
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