EP 5
執事リバロンの「満月被害相殺プロトコル」
東の稜線から薄紅色の朝靄が立ち上り、三大国の境界線に位置する合同警備駐留基地を静かに照らし出していた。
だが、朝の清々しい光が暴き出したのは、まるで大型台風と局所爆撃が同時に直撃したかのような惨状だった。
木っ端微塵に砕け散った木造兵舎の残骸、側溝に逆さまに突き刺さったルナミス帝国の魔導装甲車、そしてへし折れたレオンハート王国の巨大な鉄骨バリケード。
その破壊の中心地で、赤城鷹人は10トンダンプ(いすゞ・ギガ)のフロントバンパーに腰掛け、手袋を外した手で無精髭の顎を撫でていた。
足元には、マッハ1の音速突進を受け止めて役目を終えた、極太の空母用アレスティング・ワイヤーと巨大な衝撃吸収ウレタンマットが静かに横たわっている。
傍らでは、正気に戻った月兎族の新村長・キャルルが、地面に正座して両手で顔を覆い、滝のような涙を流していた。
タローマン特注の安全靴の爪先を内股に縮こまらせ、頭頂部の長い純白の兎耳をぺしょんと力なく垂れ下げている。
「うぅ……っ、うわぁぁぁん! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ……! 私、またやっちゃった……! 満月の光で頭がカッカして、『みんなたるんでる! 気合注入だよっ♡』って……! 兵舎を素手で粉砕して、装甲車をキックで吹き飛ばして、百人以上の兵士さんたちをボコボコに殴り倒しちゃうなんて……! もうおしまいだぁ、三大国から一斉に宣戦布告されて村ごと更地にされちゃうよぉぉッ!!」
「キャルル、泣いても壊れた壁は元に戻らんわ」
ニャングルが純金算盤『十露盤』をパチリと弾き、深くため息を吐いた。
「装甲車1両で金貨300枚、兵舎の建て替えで金貨200枚……賠償総額、軽く金貨1,000枚(約1億円)コースや。ウチの銀行の金庫、朝イチで差し押さえ食らって死んでまうで……!」
マンミアもパイルバンカー『アグニ』を抱え、琥珀色の瞳を曇らせて項垂れていた。
「私の監督不行き届きであります……! 村長をお守りする立場でありながら、このような国際大失態を……! いざとなれば、私が単身で三大国の軍法会議へ出頭し、首を差し出す所存であります……!」
絶望に包まれる自警団の面々。
そんな中、赤城鷹人だけは、至ってマイペースに作業ジャケットの内ポケットへ手を伸ばした。
取り出したのは、少し潰れた紙巻きタバコの箱。
一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾いた。
――カチッ、シュボッ。
静かな夜明けの荒野に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く響き渡る。
揺れる小さな橙色の炎。先端に火を吸い付け、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
朝靄の空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが漂う中、鷹人は紫煙の向こうから、平然とした目で仲間たちを見下ろした。
「おいおい、朝っぱらから葬式みてぇなツラすんなよ。現場でやっちまったもんは、後戻りできねぇんだ。起きたトラブルをどう収めるか、段取りを組むのが先決だろ」
「鷹人殿の仰る通りでございますね」
背後から、一切の乱れがない凛とした美声が滑り込んできた。
歩み出てきたのは、寸分の狂いもなく仕立てられた黒漆の燕尾服をまとった男――人狼族の筆頭執事にしてポポロ村宰相、リバロンだった。
銀縁の片眼鏡を指先で押し上げ、白手袋の手には、すでに幾重にも割印が押された分厚い羊皮紙のバインダーが握られている。
「リバロン……! ぐすっ、ごめんなさい、私……」
「キャルル様、頭をお上げください。貴女様はただ、満月の導きに従い、隣国の将兵たちへ『極上の愛の鞭』を振るわれただけにございます。……事後処理(後始末)こそが、このリバロンの職務。すでに【満月被害相殺プロトコル】の全工程は、午前五時三十分をもって完了しております」
その時だった。
瓦礫の山の向こうから、怒号と足音を響かせながら、三つの異なる軍服に身を包んだ屈強な男たちが血相を変えて怒鳴り込んできた。
「ポポロ村の者どもぉッ! 村長を前に出せぇぇッ!」
「我がルナミス帝国の警戒装甲車をスクラップにしおって! いかなる意図のテロ行為だ!」
「レオンハート王国の精鋭兵舎も全壊だ! 国家反逆罪で村ごと焼き払ってくれるわぁッ!」
現れたのは、三大国合同警備軍の現地最高司令官たちだった。
帝国の重装歩兵大隊長、王国の熊耳族連隊長、そして魔皇国の漆黒鎧をまとった魔戦隊長。いずれも単体で二百馬力を超える筋骨隆々の猛者たちであり、抜刀せんばかりの殺気を剥き出しにしている。
キャルルが「ひぃっ!」と怯えて耳を伏せる。
だが、リバロンは音もなく司令官たちの前に滑り出ると、完璧な執事の一礼を捧げた。
「これはこれは、各国の前線司令官閣下におかれましては、朝早くからご苦労様でございます。ポポロ村宰相のリバロンと申します。……本日の早朝演習に伴う『施設損壊並びに医療提供事案』に関する示談調書をご用意いたしました」
「じ、示談調書だとぉ!? ふざけるな!」
帝国の司令官が唾を飛ばして喚き散らす。
「演習などではない、明白な夜間奇襲だ! 装甲車の損害、兵舎の倒壊、諸々合わせて金貨千枚! 耳を揃えて即座に支払わねば、全軍をもって貴様らの村を包囲――」
「ええ、もちろん損害額は正確に算定しておりますよ」
リバロンは糸目の柔らかな笑みを崩さず、バインダーの最初のページをシャキリとめくった。
「帝国装甲車1両の全損償却費、金貨300枚。王国並びに魔皇国の兵舎損壊に伴う修繕費、金貨200枚。諸雑費を加え、貴軍側の損害査定額は【金貨550枚】にございます。……至極妥当な数字かと存じます」
「な……!? な、ならば話は早い! 今すぐその金貨五百五十枚を支払え!」
「おや……? まだ続きがございますよ、閣下」
リバロンの銀縁の片眼鏡が、朝日にキラリと冷徹な光を反射した。
手にした万年筆の先端で、二枚目の書類をパチンと叩く。
「これより提示いたしますのは、当村のキャルル村長が貴軍将兵百二十四名に対して深夜に執行いたしました――『超高純度・満月完全再生医療費』の正当なる請求明細書にございます」
「は……? い、医療費……!?」
リバロンは朗々とした、寸分の淀みもない美声で読み上げ始めた。
「まず、帝国軍の第一小隊長殿。過去の魔獣戦で失われ、義足生活を余儀なくされていた右脚の大腿骨および筋肉組織の完全肉芽再生。ルナミス帝都総合病院の最上級特等レート換算で、金貨150枚。……次に、第二分隊長殿の長年患っていた不治の『マナ壊死性肝硬変』の完全浄化。金貨200枚」
「なっ……!?」
「続きまして、レオンハート王国の重装兵団。四十名全員が抱えていた過酷な行軍による『慢性脊椎間板ヘルニアおよび重度腰痛』の骨格矯正・神経完全修復。一人あたり金貨5枚、計金貨200枚。……さらに、魔皇国の魔闘士二十八名が過去の禁忌呪文暴走により負っていた『魂魄マナ気脈の目詰まり』の超高圧デトックス洗浄。金貨300枚」
「ま、待て……! 何を言って――」
「極めつけは、現場にいた将兵全員の虫歯、蓄膿症、白内障、痛風、五十肩、水虫の一斉根治。……これら百二十四名に対する神話級奇跡医療の正規請求総額は、ルナミス帝国公認医療約款に基づきまして――【金貨1,850枚(約1億8,500万円)】にございます」
「い……いちおく、はっせんごひゃくまん……!?」
司令官たちの顎が外れ、目玉が飛び出さんばかりに見開かれた。
「さて、閣下」
リバロンは冷酷無比な笑顔のまま、電光石火で万年筆を走らせた。
「兵舎の破壊損害額【金貨550枚】から、正規医療費【金貨1,850枚】を差し引き相殺いたしますと……差額として、貴軍側から当ポポロ村へ【金貨1,300枚(約1億3,000万円)】の即時お支払い義務が発生いたします。……お支払いは、現金になさいますか? それともルナPayの軍用口座から一括送金されますでしょうか?」
「ぎゃあああああああッ!? な、なんで被害者の俺たちが一億以上払わなきゃいけないんだぁぁぁッ!!」
司令官たちが頭を抱えて絶叫した。
だが、リバロンは冷たい人狼の眼光をスッと細め、燕尾服の胸元から一枚の薄い和紙風の名刺を抜いた。
人差し指と中指で挟まれた名刺から立ち上る、鋼鉄をも両断する超高周波の生体闘気。
「おや……? 不服でございますか? ならば、貴軍の全将兵の肉体を、昨晩の『完治前』の状態――すなわち、右脚を再び切断し、肝硬変を元に戻し、ヘルニアを再発させ、虫歯と痛風を復元させて差し上げてもよろしいのですが……いかがいたしますか?」
「ヒ、ヒイィィィィッ……!! や、やめてくれぇぇぇッ!!」
背後から、基地の兵士たちが一斉に悲鳴を上げて駆け寄ってきた!
「隊長! 勘弁してください! 俺の右脚、十年ぶりに自分の足で走れたんです!」
「腰が……あんなに痛かった腰が羽のように軽いんです! 元の激痛に戻されたら死んじまいます!」
「聖女様! ポポロ村のキャルル聖女様のおかげなんだぁぁッ!」
兵士たちが涙を流し、土下座せんばかりの勢いでキャルルに向かって手を合わせている。
昨晩あれほど恐怖のヤキ入れを叩き込まれたというのに、完治した圧倒的な身体の軽快さに、生存本能が完全に書き換えられていたのだ。
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……ッ!」
司令官たちは全身から脂汗を噴き出し、ガタガタと震えながら部下たちを見回した。
兵舎を壊されたのは事実だが、部隊の総戦力は病気と古傷が全快したことで、平時の130パーセント以上に跳ね上がっている。軍事的な合理性から見ても、リバロンの提示した相殺論理はあまりにも完璧すぎて、反論の余地が1ミリも存在しなかった。
「わ、分かった……! 相殺だ! 相殺で手打ちにしてくれ……!」
帝国の司令官が血を吐くような思いで呻いた。
「おや、差額の請求はよろしいのですか? 当村としては、三大国との末永い友好を重んじ、今回の差額分金貨千三百枚につきましては……特別に【全額免除(不問)】とさせていただく用意がございますよ」
「ほ、本当か……ッ!? 金貨千枚以上の請求を取り下げてくれるのか……!?」
「ええ。ただし条件として――今回の演習に伴う不可抗力の損害について、今後一切の異議申し立てを行わないこと。並びに、当村との平和維持に関する誓約書へのご署名をお願いいたします」
「書く! 今すぐ書くぞ!!」
司令官たちは奪い合うようにペンを握り、リバロンが差し出した示談調書へ次々とサインと捺印を叩き込んだ!
さらに――。
「こ、これはルナミス帝国軍からの感謝の印だ! 帝都特選の最高級霜降り牛ロース五十キロを受け取ってくれ!」
「レオンハート王国からも、王室御用達の熟成エール樽と蜂蜜を!」
「魔皇国からも、ポポロ山の特産高級炭を十箱進呈する!」
へし折れた兵舎の前に、次々と山積みにされていく三大国からの豪奢な貢物と高級食材の数々。
破壊されたはずの駐留基地が、わずか十五分の示談交渉によって、ポポロ村への感謝と畏敬の嵐へと塗り替えられていた。
その神業のような法務・経済手腕をダンプのステップから眺めていた赤城鷹人は、感嘆の息とともに紫煙を吹き出した。
「……おいおい。地球の悪徳弁護士もヤクザの示談屋も真っ青な手際だな」
「過分なお褒めにあずかり、光栄にございます」
リバロンは書類をバインダーへ完璧に収めると、音もなく振り返り、優雅に一礼した。
「契約と数字は、正しく運用してこそ真の力を発揮するもの。……さて、お嬢様」
リバロンは燕尾服の懐から、温かな湯気を上げる銀製のティーポットと、手縫いの人参スコーンを取り出した。
「朝食の給仕でございます。昨夜の件は、すべて示談完了いたしました。本日の村政公務に参りましょう」
「う、うん……! リバロン、本当にありがとう……っ!」
キャルルがスコーンを受け取り、涙を拭ってようやく笑顔を取り戻した。
その横で、ニャングルが金算盤を弾きながら狂喜乱舞している。
「損害賠償ゼロ! 医療費の貸しを作り、三大国から高級牛肉とエールをタダで山ほどせしめよった! リバロン殿、あんたほんまにポポロ村の守護神やでぇぇッ!!」
鷹人は短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込むと、ダンプの荷台から飛び降りた。
作業ジャケットの袖を捲り上げ、安全靴の爪先をコツンと地面に鳴らす。
「さて……事件が片付いたなら、現場の朝飯といこうか。徹夜で走り回って、腹がペコペコだ」
鷹人は三大国から貢がれた最高級霜降り牛ロースの包みをポンと叩いた。
頭の中のスキル【リサイクルマスター】を軽く起動する。
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【所持スクラップPt:92,625 Pt】
・カタログ選択:【居酒屋厨房解体品・大型鋳鉄平鍋&讃岐うどん玉カテゴリー】
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(地球の讃岐うどんチェーン店で余剰在庫になっていた極太生うどん三十玉、濃口出汁醤油、生姜、それに青森県産大玉ニンニク一式……消費ポイント、たったの25Ptだ)
――ヒュンッ!
ダンプのあおりの上に、巨大な平鍋と、ツヤツヤの極太うどん、そして純白の大玉ニンニクが出現した。
「よし、火入れだ」
鷹人は大粒の生ニンニクを手に取ると、黄色い百円ライターを取り出した。
親指の腹でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
朝の澄んだ空気に響く着火音。
小さな橙色の炎で、剥きたての生ニンニクの先端を直接炙り始めた。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクがパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
直後、早朝の冷気を一瞬で吹き飛ばすほどの、猛烈に香ばしく甘い焦がしニンニクのアロマが荒野全体へ爆散した!
「うわぁ……! すっごくいい匂い……!」
キャルルとマンミアが目を輝かせる。
鷹人は炙りニンニクを包丁の腹でバチン! と押し潰すと、平鍋で霜降り牛肉の切り落としと一緒に強火で一気に炒め上げた!
立ち上る甘い牛脂と焦がし醤油の爆ぜる音!
そこへポポロ山の清らかな湧水と出汁を注ぎ込み、極太の讃岐うどんを一気に投入して煮立たせる!
「ほらよ! 徹夜明けの現場特製『直火炙りニンニクと極上牛すき煮込みうどん』だ! 自警団も、各国の兵士たちも、どんぶり持って並びな!」
「「「うおおおおおおおッッッッ!!!!」」」
昨晩まで敵味方として殴り合っていた兵士たちと自警団が、肩を並べて熱々のうどんを啜り始めた。
甘辛い牛肉の旨味と、直火炙りニンニクの暴力的なパンチが、疲弊した五臓六腑を熱く覚醒させていく。
誰もが笑い、美味そうに丼を空にしていく光景を見つめながら、鷹人は再びタバコに火をつけた。
親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
紫煙をゆっくりと朝空へ吐き出す鷹人。
「言葉が通じなくても、拳と美味いメシ、あとはエンジン音があれば世界中どこでも生きていける」
理不尽な天災も、完璧な法務と美味い飯があれば、すべて現場の糧に変えることができる。
確かな手応えとともに、赤城鷹人の異世界現場仕事は、次なる嵐――ポポロ村の空前絶後の「前線スタミナ弁当ビジネス」へと力強く進み始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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