EP 3
100円ライターで炙るニンニクと野戦料理
茜色に染まっていた荒野の空は、瞬く間に深い藍色へと沈み、肌を刺すような冷たい夜風が吹き抜けていた。
大聖堂を飛び出してから数時間。見渡す限りの荒野には街灯はおろか民家の一軒もなく、夜の闇は地球のそれよりも濃く、重い。
街道の脇、風を遮る手頃な巨岩の陰で、商人モリスの幌馬車は野営の態勢を整えていた。
「ふう……旦那のおかげで、奪われた荷物も馬も無事でした。本当に命拾いしましたよ」
モリスは安堵の息を吐きながら、焚き火の薪をくべていた。
二人の護衛の傭兵は、まだ先ほどの戦闘のショックが抜けない様子で、湿布薬のような軟膏を体に塗りながら交代で見張りに立っている。モリスの娘――栗色の髪をポニーテールにした少女ミリアが、木製の小さな鍋を取り出してため息をついた。
「お父さん、今日のご飯どうするの? 干し肉はカチカチだし、保存用の硬焼きパンも湿気ちゃってて……」
「贅沢を言うんじゃない。野盗に殺されずに済んだだけでも儲けものだ。湯でふやかして塩を振れば、なんとか腹には入るさ」
差し出されたのは、革靴の底のように硬直した塩漬けの干し肉と、歯が折れそうなほど硬い茶色い乾パンだった。
過酷な街道を行く行商人の食事など、栄養補給の域を出ないのは当然だ。しかし、腹の虫を盛大に鳴らしていた鷹人は、その貧相な陣容を見てポリポリと無精髭の顎を掻いた。
「おいおい、おっちゃん。死線を潜り抜けた現場の締めが、そんな湿気たレーションじゃ士気が下がるぜ」
「は、はあ……ですが旅の旦那、荒野の野営なんてこんなものですよ。新鮮な肉や野菜なんて、大きな宿場町へ行かねぇと手に入りませんからね」
「現場で一番大事なのは、美味いメシを腹いっぱい食ってぐっすり寝ることだ」
鷹人はニヤリと白い歯を見せ、作業着のポケットに手を突っ込んだ。
意識を集中させ、頭の奥にある【リサイクルマスター】のインターフェースを呼び出す。
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【所持スクラップPt:1,500 Pt】
・カタログ選択:【流通廃棄品・余剰食材カテゴリー】
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(さっきの野盗退治でガッツリ稼いだからな。食材のレートは……っと)
カタログに並ぶ地球の廃棄リストをスクロールする。
スーパーで消費期限が明日までに迫り、半額シールを貼られたままバックヤードへ下げられた特売の国産豚バラブロック。
形が歪というだけで市場に出荷されず、農協の選別場で廃棄処分を待つばかりだった青森県産の大玉ニンニク。
同じく規格外の泥付きタマネギに、トラックの荷崩れで外葉が少し痛んだだけの高原キャベツの山。
どれも地球では「売れないから」とゴミ箱行きを宣告されたものばかりだが、食材としての鮮度や栄養には何の問題もない。技術屋からすれば、極上の素材が転がっている宝の山だ。
(豚バラ1キロで50Pt、香味野菜盛り合わせで20Pt、ついでに調理用の厚板鉄板と油、醤油に塩コショウのデッドストック一式で30Pt……合計100Ptポッキリか。安すぎるな)
鷹人は迷わず購入(召喚)を確定させた。
――ヒュン。
モリスたちが目を丸くする前で、大岩の上の空間がわずかに歪み、銀色の保冷発泡スチロール箱と、真っ黒な極厚の黒皮鉄板、そしてズッシリと重い食材の包みがドサリと出現した。
「ひ、ひええっ!? 空間転移魔法……!? 旦那、あんた魔法使いだったのか!?」
「いや、ただの廃品回収屋だ」
鷹人は短く答えると、作業ジャケットの袖を腕まくりした。
保冷箱を開けると、見事な赤身と白身の三層を描く分厚い豚バラ肉が、冷気を放ちながら姿を現す。さらに、拳骨ほどもある丸々とした純白のニンニクがゴロゴロと転がり出た。
「な、なんだこの肉は……! こんな霜降りの脂が乗った肉、王都の高級レストランの貴族用肉でも見たことがねぇぞ!」
「それにこの白い野菜……香味が強烈だけど、すごく瑞々しい……!」
モリスとミリアが息を呑むのを横目に、鷹人は手際よく段取りを進めた。
荒野の小石を組んで即席の竈を作り、焚き火の熾火の上に無骨な厚板鉄板をドンと据える。
そして――鷹人はおもむろに腰を下ろすと、大玉ニンニクから分厚い一升をむしり取り、指先で器用に薄皮を剥いた。
「さてと……まずは現場の安全祈願と気合入れだ」
取り出したのは、作業着のポケットに入っていた、あの安っぽい黄色いプラスチック製の100円ライターだ。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾く。
――カチッ、シュボッ。
静かな夜の荒野に、硬質な金属の着火音が響く。
揺れる橙色の小さな炎。鷹人は剥きたての生ニンニクの先端に、ライターの炎を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュッ。
直火に炙られたニンニクの表面が、パチパチと音を立てて狐色に焦げていく。
滲み出る濃厚な植物油のエキス。
直後、夜の冷気を一瞬で吹き飛ばすほどの、猛烈に香ばしいニンニクの焦げ香が立ち上った。
ツンとした刺激の中に潜む、極限まで濃縮された甘美なアロマ。それは世界中のどんな僻地、どんな過酷な修羅場でも、泥に塗れた男たちの疲弊した胃袋と本能を強制的に叩き起こしてきた、現場の香気だった。
「うわぁ……! な、何この匂い……!? すっごくいい匂い……!」
「ごくり……」
モリスの喉が大きく上下し、護衛たちも思わず見張りの足を止めて鼻をヒクつかせた。
鷹人はライターの火を吹き消すと、軽く焦げ目のついた熱々のニンニクを、そのまま前歯でカリッと一噛みした。
――シャクッ。
「……ん。いいパンチだ。血が巡るぜ」
鼻腔を突き抜ける刺激的な辛味と、熱によって引き出された濃厚な甘味。胃の腑がカッと熱くなり、全身の細胞がバチバチと覚醒していく感覚がある。
自衛隊時代、極寒の演習地で凍えそうな夜も、こうして100円ライターで炙ったニンニクを齧って寒さを凌いだものだ。
「よし、本番いくぞ」
腰のサバイバルナイフを抜き、鷹人はまな板代わりに割った木板の上で、豚バラ肉を一センチを超える豪快な厚切りへとスライスしていった。
続けて、残りの大玉ニンニクを丸ごと三房分、容赦のない量でザクザクと厚めの輪切りにしていく。タマネギはくし切り、キャベツは手で豪快に大振りにちぎった。
充分に熱された鉄板に、少量の油を引く。
そこへ――厚切りの豚バラ肉を一気に投入した!
――ジュウウウウウウウウッッッッ!!!!
夜の静寂を切り裂く、猛烈な爆ぜ音。
白煙とともに立ち上る、豚の甘く芳醇な脂の焼ける匂い。鉄板の縁から余分な脂がパチパチと飛び散り、肉の表面が一瞬でカリッとした黄金色の焼き目を纏っていく。
「ひゃああっ! すごい音!」
「た、たまらん……! 匂いだけで腹がねじ切れそうだ!」
「まだだ、ここからが現場の本番だ」
鷹人は肉をひっくり返すと、中央の溜まった熱々の豚のラードの中へ、山盛りのスライスニンニクを一気にぶちまけた!
――バシュウゥゥッ!!
豚の動物性脂肪のコクと、ニンニクの刺激的な旨味が鉄板の上で激突し、爆発的なスタミナの香気が荒野全体へ広がっていく。
さらにタマネギとキャベツを投入し、金属製のヘラでガシガシと豪快に煽る。
仕上げは、地球の醸造醤油と粗挽き黒コショウだ。
鍋肌ならぬ、鉄板の縁へ醤油を回し入れた瞬間――。
――ジョワッッッ!!!
焦がし醤油の暴力的な香ばしさが、ニンニクと豚脂の煙を巻き込んで天へと吹き上がった。
もはや料理というより、一つの熱狂的な儀式だった。
「ほらよ、おっちゃんたち。皿出しな!」
鷹人は木製の深皿へ、山盛りの豚バラ肉とクタクタに炒まった野菜、そして黄金色にホクホクになったニンニクをドカドカと盛り付けた。
さらに、固かった行商人のパンを鉄板に残った極上の豚脂とニンニク醤油に押し付け、両面をカリッと焼き上げて添える。
「こ、これを……俺たちに?」
「当たり前だ。現場にいる奴全員が同じ釜の飯を食う。それが鉄則だ。冷めないうちにガツガツ食え、明日動けなくなるぞ」
「い、いただきます……!」
モリスは震える手でフォークを伸ばし、脂の滴る厚切り豚バラ肉とニンニクを口の中へ放り込んだ。
――ジュワッ。
「!!!!????」
モリスの全身が雷に打たれたように硬直した。
目を限界まで見開き、咀嚼するごとに顔が紅潮していく。
「な……な、なんじゃこりゃあぁぁぁッ!? 肉が……肉が柔らかい! 噛んだ瞬間に甘い脂が洪水みたいに溢れてくる! それにこの黒いタレと、ニンニクのパンチが……脳天を突き抜けるような旨味だ!!」
「おいしい……! おいしいよお父さん! キャベツが甘くて、カリカリになったパンにタレが染み込んで……こんなの食べたことない!」
ミリアも涙目になりながら、小さな口いっぱいに肉と野菜を頬張っている。
見張りをしていた護衛たちも、一口食べた瞬間に膝から崩れ落ち、無言で猛烈な勢いで皿を平らげ始めた。旅の疲労や恐怖で強張っていた彼らの顔に、みるみるうちに血の気が戻り、活力に満ちた笑顔が浮かんでいく。
「言葉が通じなくても、拳と美味いメシ、あとはエンジン音があれば世界中どこでも生きていける」
鷹人は自分の皿を手に取り、鉄板の上でカリッと焼けた厚切り豚バラとニンニクを豪快に口へ放り込んだ。
「んぐ……ふぅ、うめぇな。やっぱり現場メシはこうでなくちゃいけねぇ」
濃厚な脂の旨味を、炙りニンニクの刺激がガツンと引き締める。胃の底から活力が湧き上がってくるのを感じながら、鷹人はあっという間に一皿を平らげた。
◆
食後、空になった皿をミリアが甲斐甲斐しく片付けてくれた。
全員が腹をさすり、焚き火の温もりの中で幸福そうな息を吐いている。
鷹人は食後の一服として、紙巻きタバコを唇にくわえた。
再びカチリと100円ライターで火をつけ、青白い紫煙を夜空へ細く吹き出す。
「ふぅーーーー……」
その横顔を見つめながら、モリスが畏敬の眼差しで尋ねてきた。
「旦那……本当にあんたは何者なんだ? あれだけの強さを持っていて、こんな神がかった美味いメシを一瞬で作るなんて……」
「ただの通りすがりの現場作業員だよ。それよりおっちゃん、さっき言ってた『ポポロ村』ってのは、どんな場所なんだ? 物資を届けるって言ってたが」
鷹人が煙の向こうから問いかけると、モリスは「ああ……」と苦笑いを浮かべ、困ったように頭を抱えた。
「実はですね……ポポロ村は今、村の歴史が始まって以来のトンデモない大混乱の真っ只中なんですよ」
「大混乱?」
「ええ。ポポロ村ってのは、ルナミス帝国、レオンハート王国、アバロン魔皇国のちょうど境界線上にある緩衝地帯の農村なんです。人口千人ほどの小さな限界集落なんですがね……数日前、前村長のロップっていう七十歳の爺さんが、とんでもない不祥事をやらかしましてね」
「不祥事?」
「隣町のゲートボール大会に出場したロップ村長が、そこで対戦相手だった妖艶な魔族の未亡人と電撃的に恋に落ちちまったんです。で、目が眩んだ村長は、村の金庫にあった防衛積立金――数千万円を着服して、その未亡人と手を取り合って魔導飛行船のファーストクラスで雲の上へ高飛びしちまったんですよ! いわゆる『高飛びラビリンス』ってやつです!」
「……は?」
鷹人は思わずタバコを取り落としそうになった。
「七十のジジイが、ゲートボールで知り合った未亡人と駆け落ちして公金横領……? どんな昼ドラだよ」
「笑い事じゃないんです! その持ち逃げされた積立金ってのが、緩衝地帯の治安を維持するための『暴行しない券』――山賊たちに襲撃を見逃してもらうための定期契約料(サブスク代)だったんですよ! 金が底をついたせいで、近隣の凶悪な武装山賊団が『今月のみかじめ料を払え、払わなきゃ村ごと焼き払う』って乗り込んでくる寸前なんです!」
モリスは額の汗を拭いながら、さらに続けた。
「残された村人たちは大パニックですよ。急遽、獣人族の元姫君だったキャルル様っていうお嬢さんが新村長に担ぎ上げられたんですが……あの人は人が良すぎて、村の怪我人を無償で治癒しては自分で血を吐いて倒れてる始末でね。それを支える幼馴染の猫耳商人・ニャングル支店長が『命の原価計算はどうなっとんねん!』ってキレ散らかしながら算盤を弾いて、自警団長のマンミア様っていう生真面目なケンタウロスの女性が必死に村の防衛線を支えてる……もう、村中が火の車なんです」
「……なるほどな」
鷹人は灰を指先で弾き、ニヤリと不敵に口元を吊り上げた。
前村長の高飛び、持ち逃げされた防衛資金、強盗サブスクの集金予告、血を吐く聖女村長に、頭を抱える猫耳商人、そして孤軍奮闘するケンタウロスの自警団長。
図面通りにいかない現場など、これまでの人生で山ほど見てきた。
だが――これほど手入れのし甲斐がありそうな、無茶苦茶で泥臭い現場は地球でも滅多にお目にかかれない。
「いいじゃねぇか。穴だらけの現場ほど、埋め甲斐があるってもんだ」
鷹人は短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込んで立ち上がった。
夜風を胸いっぱいに吸い込み、安全靴の爪先をコツンと地面に鳴らす。
「決まりだ。おっちゃん、明日そのポポロ村とやらに俺も連れて行ってくれ。……困ってる現場があるなら、職人が顔を出さねぇわけにはいかねぇからな」
読んでいただきありがとうございます。
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