EP 2
最初の善行と「スクラップPt」の覚醒
どこまでも広がる乾いた赤茶けた大地を、赤城鷹人は一人、黙々と歩いていた。
頭上からは容赦のない陽光が照りつけ、地表からは陽炎が立ち上っている。
普通の地球人であれば、三十分も歩けば熱中症でへたり込むような過酷な環境だ。だが、真夏の舗装道路でアスファルトの熱気と格闘し、海外の砂漠地帯で重機のキャタピラ修理に明け暮れてきた鷹人にとって、この程度の暑さは「いつもの現場」と大して変わらなかった。
吹き抜ける風が、かすかに地鳴りのような重低音を響かせる。
かつて自衛隊の工作部隊で聴いた大型油圧ショベルのアイドリング音を思わせるその風音に、鷹人はくつくつと喉を鳴らした。
「……さてと。一息入れるか」
街道沿いに転がっていた手頃な岩に腰を下ろし、鷹人は作業着の胸ポケットから紙巻きタバコの箱を取り出した。
残り少ない一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製のライターを構える。地球の百円均一ショップで調達した、何の変哲もない使い捨ての道具だ。
親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
乾いた硬質な着火音とともに、揺らぐ橙色の小さな炎が灯る。
先端に火を吸い付け、深く煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、紫煙。
鼻腔をくすぐる独特のタバコの香りが、張り詰めていた神経を心地よく解きほぐしていく。
ポケットの中には、まだ少しだけ炙り用の乾燥ニンニクスライスが残っている。腹は減っているが、焦る必要はない。現場の段取りと同じで、まずは周囲の状況を把握するのが最優先だ。
そう思っていた、矢先だった。
「――ひっ、誰か助けてくれぇっ!」
「荷物を寄越せ! 抵抗する奴はミンチにして砂漠の肥やしにしてやるよぉ!」
風に乗って届いたのは、引き裂くような悲鳴と、下卑た男たちの怒号だった。
「……ん?」
鷹人は紫煙の向こうに目を細めた。
数百メートル先の街道の曲がり角。もうもうと立ち上る砂煙の奥で、一台の巨大な幌馬車が立ち往生していた。
馬車の周囲を取り囲んでいるのは、ボロ布と革鎧をごたまぜに着込んだ、十数人の薄汚い男たち――街道を荒らす野盗集団だ。それだけではない。男たちの足元には、巨大なハイエナとトカゲを掛け合わせたような、赤黒い体躯の獰猛な魔獣が二頭、涎を垂らしながら低く唸っていた。
馬車の荷台の前では、恰幅のいい商人風の小太りな中年男が腰を抜かし、その背後で若い娘が荷物を抱えてガタガタと震えている。
護衛らしき傭兵が二人ほど地面に転がっており、どうやら前線は完全に崩壊したらしい。
「おいおい……昼間っからずいぶんと景気のいいカツアゲだな」
鷹人は短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込んで揉み消すと、億劫そうに立ち上がった。
見捨てて通り過ぎることもできただろう。だが、赤城鷹人という男の辞書に「目の前で困っている奴を見殺しにする」という選択肢は存在しなかった。
正義の味方を気取るつもりはない。ただ、倒れている電柱があれば起こし、壊れた配管があれば溶接する。目の前で理不尽に踏み躙られている現場があるなら、気のいい現場の兄ちゃんとして首を突っ込む――それだけの話だ。
キュッ、と安全靴の紐を締め直す。
鷹人は砂利を踏みしめながら、大股で騒ぎの現場へと歩き出した。
◆
「へへへ! 金貨も物資も全部置いていきな! その積荷の美味そうな肉も、後ろの別嬪な娘車掌も、丸ごとアジトへ連れて行ってやるよ!」
野盗の頭目とおぼしき巨漢の男が、鋸状の蛮刀を振り回して下品に笑う。
商人たちはもはや絶望に瞳を染め、念仏のように神への祈りを唱えていた。
そこへ――。
「おう、作業中すまねぇな」
拍子抜けするほど気の抜けた声が、砂煙を割って響いた。
野盗たちの動きがピタリと止まる。
「あ……? なんだてめぇは」
頭目が怪訝そうに眉をひそめ、振り返った。
そこに立っていたのは、くすんだ作業ジャケットの袖を捲り、無精髭を生やした二十五歳の青年だ。武器らしい武器すら持たず、ただポケットに手を突っ込んで立っている。
「に、逃げて! そいつらは『赤砂の牙』っていう凶悪な強盗団よ!」
馬車の陰から、商人の娘が悲痛な叫びを上げる。
だが、鷹人は首をコキリと鳴らしただけだった。
「おいアンちゃん、野盗の仕事にケチつける気か? ……おい、コイツの生体出力を測れ」
頭目の合図で、斥候らしき細身の男が左目の魔導単眼鏡を覗き込んだ。次の瞬間、男は腹を抱えて爆笑し始めた。
「ぎゃはははっ! 頭、冗談じゃねぇや! コイツの生体出力、たったの『1馬力』だぜ!」
「はぁ!? 1馬力だと!? 生まれたてのヒヨコかよ!」
「この大陸じゃ、鼻水垂らしたガキですら無意識の闘気で20馬力は出すってのによぉ!」
ドッと下品な嘲笑が荒野にこだまする。
異世界マンルシアの大陸基準において、生体出力1馬力とは「風が吹けば吹き飛ぶゴミ屑」と同義だった。
「おいゴミ拾い、命が惜しけりゃ土下座して靴の裏でも舐め――」
野盗の一人が、嘲笑いながら鷹人の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
その瞬間だった。
――ガッ!
「ぎゃぶっ!?」
鈍い破砕音が響いた。
男の腕が鷹人に触れるよりコンマ数秒早く、鷹人の安全靴の爪先が、男の膝関節の内側を正確無比に蹴り抜いていたのだ。
靭帯を破壊された男が姿勢を崩し、前のめりに倒れ込む。鷹人はその勢いを利用し、男の後頭部を作業着の肘で容赦なく地面へ叩きつけた。
ドゴォッ!
大地に顔面からめり込み、男は白目を剥いて即座に失神した。
「……あ?」
野盗たちの笑い声が、一瞬で消え失せた。
「おいおい、段取りが悪すぎるぜ」
鷹人は冷めた瞳で、倒れた男を一瞥した。
愛読する『五輪書』にはこうある――敵の拍子を狂わせ、先手を取り、最短で急所を制す。
鷹人は元陸上自衛隊・工作部隊の少尉であり、世界中の過酷な紛争地帯を渡り歩き、ルール無用の地下賭け格闘技(MMA)で生き延びてきた男だ。闘気や魔法の出力がどれほど高かろうと、「人間の急所」と「重心の崩し方」を熟知している鷹人にとって、ただ力任せに暴れているだけの素人など、障害物未満に過ぎない。
「き、貴様ぁぁッ! 殺せ! 魔獣を放てッ!」
激怒した頭目が怒鳴り散らす。
鎖を解かれた二頭の巨大なハイエナ型魔獣が、血走った眼をギラつかせ、鷹人の喉笛を目掛けて左右から跳躍した。
「グルァァッ!」
時速六十キロを超える突進。鋼鉄すら噛み砕く牙が迫る。
だが、鷹人は左手の手首に巻かれた、無骨で傷だらけの金属製腕時計に手を伸ばした。
バックルを外すと、分厚いステンレス製のコマが連なる金属ベルトを、器用に左手の拳へとグルグルに巻き付ける。
簡易ナックルダスター(メリケンサック)の完成だ。
「『身の回りにある道具は、すべて現場の武器になる』――自衛隊でも現場でも、叩き込まれた基本だ」
左から飛びかかってきた魔獣の顎の下へ、鷹人は身を沈めながら潜り込んだ。
下からのスクリューを利かせた右アッパー。だが狙ったのは顎ではない。魔獣の鼻先、神経が集中する最も脆い急所だ。
バチィィィンッ!
肉を断つ音ではなく、骨が圧壊する金属的な破砕音が炸裂した。
一頭目の魔獣が悲鳴すら上げられずに痙攣し、横倒しになって吹っ飛ぶ。
「ギャンッ!?」
間髪を入れず、右から飛びかかってきた二頭目の牙が、鷹人の作業ジャケットの袖をかすめた。
鷹人は眉ひとつ動かさず、空いた右手で魔獣の首筋の皮を掴むと、そのまま柔道の要領で全体重を浴びせて背負い投げの軌道を描いた。
宙を舞う百キロを超える魔獣の巨体。
そして――。
「オラッ!」
落下してくる魔獣の眉間へ、金属製腕時計をガチガチに巻き付けた左拳を、渾身の力で叩き込んだ!
ドッガァァァンッ!!
大地が震えた。
鈍い衝撃波とともに、魔獣の頭骨が粉砕され、地面にクレーター状の窪みが生まれる。魔獣は四肢をピクピクと痙攣させ、そのまま動かなくなった。
わずか十秒足らずの出来事だった。
「ヒッ……!? な、なんだコイツは……!? 化け物かよ!」
「1馬力じゃねぇのかよ!? なんで魔獣が素手でワンパンなんだよぉ!」
残った野盗たちが、腰を抜かして後ずさる。
鷹人は金属製腕時計の汚れをジャケットで無造作に拭いながら、ゆっくりと顔を上げた。その双眸に宿る歴戦の獣のような冷徹な光に、野盗たちは息を呑む。
「おい、頭の悪そうな親玉」
鷹人は顎で頭目をしゃくった。
「現場で道具を大事にしねぇ奴と、他人の汗水を横取りするクズは、一番気に食わねぇんだよ。……まだやるか? それとも、ここで全員解体工事されたいか?」
ドスの利いた静かな恫喝。
頭目は血の気を引かせ、持っていた蛮刀を取り落とした。
「ひ、ひいいいっ! 退却だぁ! 逃げろぉぉぉッ!」
我先にと武器を放り出し、蜘蛛の子を散らすように荒野の彼方へ逃げ去っていく野盗たち。
取り残されたのは、二頭の魔獣の巨体と、気絶した野盗が一人。そして、あっけにとられて口を開けたままの商人たちだった。
◆
「た、助かった……のか……?」
商人風の男が、信じられないものを見るように鷹人を見つめていた。
鷹人は左手の金属製腕時計をカチリと巻き直すと、やれやれと首を振って歩み寄る。
「怪我はねぇか、おっちゃん」
「あ、ああ! かすり傷程度です! あ、ありがとうございます! なんとお礼を言ったらいいか……!」
商人とその娘が、涙を流しながら深々と頭を下げてきた。
倒れていた二人の護衛も、意識を取り戻して痛そうに体を起こしている。致命傷を負った者はいないようだ。
その瞬間だった。
――ピロリン♪
鷹人の頭の中に、軽快な電子音のような音が直接響き渡った。
『善行を検知しました』
『事象:武装強盗団からの民間人救助および治安維持行動』
『判定:極めて純粋な利他行動(対価の事前要求なし)』
『スクラップPt +1,500Pt を獲得しました』
(……お?)
鷹人は立ち止まり、視界の端に浮かび上がったステータスウィンドウに視線を向けた。
――――――――――――――――――――
【ユニークスキル:リサイクルマスター】
・所持スクラップPt:1,500 Pt
・解放機能:地球廃棄物・押収品召喚カタログ(初級〜中級)
――――――――――――――――――――
(なるほど……! 本当に善行でポイントが貯まりやがった)
鷹人は胸の内でニヤリと笑った。
神殿の神官どもは「ゴミしか出せない」と罵倒したが、とんでもない。
試しに意識の中でカタログを展開してみると、そこには鷹人にとって眩暈がするほどの「お宝」がズラリと並んでいた。
【召喚可能リスト(一部抜粋)】
・警察押収品:新品同然の高強度鉄パイプ(消費:10Pt)
・工場規格外品:高精度モンキーレンチ&ラチェットセット(消費:30Pt)
・流通廃棄品:賞味期限間近の特売厚切り豚バラ肉(1kg)(消費:50Pt)
・産地余剰品:不揃いの大玉ニンニク&香味野菜詰め合わせ(消費:20Pt)
・建設現場型落ち:携帯式アーク溶接機(バッテリー内蔵)(消費:500Pt)
・戦場遺棄品:軍用耐刃・難燃性ミリタリー作業着一式(消費:200Pt)
・戦場放棄重機:小型油圧ショベル(要修理・エンジン不動)(消費:1,200Pt)
(……おいおい、マジかよ)
思わず口笛を吹きそうになった。
鉄パイプに工具セット、果ては肉や野菜、重機に至るまで――地球で「要らない」と捨てられたり差し押さえられたりした資材が、ポイントを払うだけでこの異世界に取り寄せられるのだ。
しかも、元工作部隊で重機オペレーターの鷹人にとって、「壊れた機械の修理」や「工具の扱い」は呼吸と同じくらい日常茶飯事の技術である。型落ちだろうが故障品だろうが、現場で直して動かせば新品以上の性能を発揮させることができる。
「ゴミどころか……現場の技術屋にとっては、無限の資材置き場じゃねぇか」
確かな手応えが、鷹人の胸を満たした。
困っている人間を助け、インフラを直し、その対価で地球の資源を引き出してさらに現場を回す。これほど自分の性に合ったスキルは他にない。
「あの……旅の旦那? 大丈夫ですか?」
考え込んでいた鷹人に、商人の男がおずおずと声をかけてきた。
「ん? ああ、なんでもねぇよ」
「本当に助かりました! 私はポポロ村へ物資を運ぶ行商人のモリスと申します! 旦那、もしよろしければ、この先の宿場町……いえ、私たちの向かうポポロ村までご一緒しませんか? もちろん、護衛としての報酬はお支払いします!」
「ポポロ村、ねぇ……」
聞き慣れない地名に、鷹人は顎を撫でた。
「ええ! 三大国のちょうど境目にある、少し寂れた限界集落なんですがね……最近色々とゴタゴタがあったらしくて、物資を届けに行く途中だったんです」
その言葉を聞いた瞬間、ぐうぅぅ――と、鷹人の腹が盛大な音を立てて鳴った。
見れば、日はすでに西に傾きかけており、荒野の空が鮮やかな茜色に染まり始めている。
「報酬なんざ後でいいさ。だがおっちゃん、ちょうど腹が減ってたところなんだ。……この辺で、少し早めの野営にしないか? 美味い飯の材料なら、俺の手持ちに心当たりがあるぜ」
鷹人はニッと白い歯を見せて笑い、ポケットのライターを軽く指先で弄んだ。
読んでいただきありがとうございます。
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