EP 9
暴走魔獣カプセルの鎮圧と、本物の特殊合金
――グギャオオオオオオオオオオッッッッ!!!!
吹き飛んだ特設テントの頭上へ、鼓膜を劈く狂乱の絶叫が轟いた。
黒紫色の瘴気が晴れ上がった荒野に出現したのは、異形の悪夢そのものだった。
体長は五メートルを超え、巨躯を支えるのは筋骨隆々たる猛獣の四肢。獅子の頭部、山羊の胴体、そして尾には鎌首をもたげる大蛇の頭――アバロン魔皇国の禁忌の錬金術によって生み出された『特級暴走魔獣・酸液キマイラ』である。
何より恐ろしいのは、その赤黒い鱗と毛皮の隙間から、まるで沸騰したタールのようにポタポタと滴り落ちる緑色の分泌液――生体強酸だった。
ジュウウゥゥゥッ! ボッ、ボッ!
酸が落ちた瞬間、荒野の硬い岩石が激しい白煙を上げて瞬時に泡立ち、飴細工のようにドロドロに溶け崩れていく。立ち込めるのは、鼻腔の粘膜をチリチリと焼くような刺激性の亜硫酸ガスハザードだ。
「ギャハハハハッ! 見ろ、これが魔皇国の特級魔獣だぁッ!」
壁際にへたり込んでいた元土木作業員の男・火原元が、血まみれの顔を歪めて狂笑した。
「その酸は鉄だろうがミスリルだろうが数秒で溶かすんだよ! テメエら全員、骨まで溶けて泥水になりやがれぇぇッ!!」
「グルァァッ!」
キマイラの獅子の顎が開き、喉奥にドス黒い酸液の奔流が渦巻いた。
狙いは、逃げ遅れた村の若者たちとヒエン――!
「みんな、私の後ろへ……ッ!」
ケンタウロス自警団長マンミアが、四肢を踏み鳴らして前に割り込んだ。
背中から外した巨大盾『アグニ』を両腕でガッチリと構え、ミスリル装甲板を前傾させる。
だが、その琥珀色の瞳には、歴戦の戦士ゆえの戦慄が走っていた。魔導杭を放つパイルバンカーの機構も、盾の鋼鉄装甲も、あの超高濃度の生体酸を浴びれば一瞬で腐食し、溶断されることは明白だった。
「団長さん、下がってろ!」
背後から飛んできた鋭い怒号とともに、マンミアの肩を作業着越しの手がグイッと引き戻した。
「た、鷹人殿……!?」
「金属の耐薬品限界も知らねぇで正面から受けるな! 道具を溶かされたら、整備した現場監督の苦労が水の泡だろうが!」
前に滑り出たのは、赤城鷹人だった。
鷹人は安全靴の爪先で荒野の砂利をガシッと蹴ると、頭の中のユニークスキル【リサイクルマスター】を限界まで展開した。
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【所持スクラップPt:38,675 Pt】
・カタログ選択:【地球化学プラント解体資材・航空宇宙廃棄金属カテゴリー】
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(地球の重化学工業プラントと製鉄所が、寸法ミスと過剰発注でスクラップヤードに放り投げた『超特殊耐食合金』――現場の職人が見れば、喉から手が出るほどのお宝だ!)
【召喚リスト】
・三菱マテリアル製・耐熱耐強酸ニッケル基超合金『ハステロイC-276』極厚圧延プレート(厚さ80ミリ×幅2メートル×高さ2.5メートル・重量3.5トン)(消費:4,000Pt)
・高張力炭素鋼製・アースアンカー杭(2メートル)4本(消費:200Pt)
――――――――――――――――――――
合計消費Pt:4,200 Pt ――【召喚実行】
――ズゥゥゥゥゥゥンッッッッ!!!!
大気を震わせる凄まじい質量感とともに、空間が歪んだ。
鷹人の目の前の地面へ、天から叩き落とされたかのように、鈍い灰銀色の光を放つ一枚の巨大な超極厚金属壁がドカリと突き刺さった!
同時に、四隅を固定する極太の炭素鋼アースアンカー杭が、地中深くへとガチリと自動根入れされる。
間髪を入れず――。
――ドバシュウウウウウウゥッッッッ!!!!
キマイラの口から、数十リットルもの超高濃度生体酸液ブレスが、津波のような勢いで吹き荒れた!
直撃を受けた周囲の地面がボコボコと沸騰し、岩が蒸発するように消えていく。
だが――。
ジジジジッ……ツゥゥゥ……。
「な……な、何ィィィッ!?」
火原の目が、頭蓋から飛び出さんばかりに見開かれた。
あらゆる金属を数秒で溶かすはずのキマイラの強酸が、鷹人の召喚した灰銀色の金属板に触れた瞬間、激しい泡立ちすら起こさず、ただの油汚れのように表面を滑り落ち、地面へと垂れ流されたのだ!
プレートの表面には、酸化被膜の変色ひとつ残っていない。
「ば、馬鹿なッ!? 魔皇国の特級酸液だぞ!? 鉄も、ミスリルも、アダマンタイトすら溶かす劇薬が……なんでその鉄板には傷一つ付かねぇんだよぉぉッ!?」
「鉄板なわけねぇだろ、三流のコピー野郎」
金属壁の陰から、鷹人の冷徹な声が響いた。
鷹人はプレートの裏側に手をつき、作業ジャケットの袖で額の汗を拭う。
「地球の化学プラントで、濃硫酸や塩酸、塩素ガスを配管に流すために開発されたニッケル・モリブデン・クロムの耐食超合金『ハステロイ』だ。クロムとモリブデンが高濃度で結合して表面に強固な不動態皮膜を形成してんだよ。……ファンタジーの魔獣が垂れ流す程度の生体酸ごときで、現代地球の化学工学の結晶が侵食されるわけねぇだろ」
「は、はすてろい……!? 何言ってんだかサッパリ分からねぇよぉッ!」
「要するに、てめぇのナマクラと同じで『理屈が通らねぇ攻撃は通用しねぇ』ってことだ」
鷹人はプレートの影から身を乗り出すと、背後のヒエンへ向けて鋭い視線を投げた。
「ヒエン! ハンマーを捨てて、お前が打った本物の鋼鉄剣を構えな!」
「おうっ!!」
ヒエンが抜刀した。腰の鞘から引き抜かれたのは、装飾を削ぎ落とし、三日三晩ひたすら熱処理と鍛造を繰り返して打ち上げられた、ポポロ村の職人の魂が宿る一振りの実用鋼鉄剣。
ヒエンの半神の血が滾り、刀身へ紅蓮の闘気が螺旋を描いて纏わりつく。
「あいつの表皮は酸の粘膜で覆われてるが、ニッケル合金の盾でブレスの吐き出し口を塞いでやれば、酸の分泌器官ごと内圧でパンクする! 眉間の蛇の尾を俺が叩き落とす! お前は懐へ飛び込んで、胸の魔核を一刀両断しろ!」
「了解だ、鷹人の兄貴! 本物の鉄の切れ味、見せてやるぜぇッ!!」
◆
「グルァァァァッ!」
自慢の強酸を弾かれたキマイラが逆上し、巨大な鉤爪を振り上げて突進してきた。
時速八十キロを超える巨体の突進。衝撃力だけで家屋を圧壊させる質量攻撃だ。
だが、鷹人は逃げない。
左腕の金属製腕時計に手を伸ばすと、すでにバックルを外し、分厚いステンレス製のコマを左手の拳へガチガチに巻き付けていた。
さらに右手には、ハステロイ召喚の余剰ポイントで引きずり出した、長さ一・五メートルの『超高張力特殊合金バール(解体用バール)』。
「団長さん! 脚を止めろ!」
「応ッ!!」
マンミアが四肢を躍動させ、キマイラの突進の側面へ回り込んだ。
パイルバンカー『アグニ』の前面装甲を、キマイラの左後脚の関節へ向けて全力のシールドバッシュで叩き込む!
――ドゴォォォンッ!
「ギャンッ!?」
一瞬、キマイラの巨体のバランスが崩れ、頭部が大きく前へと傾いた。
その隙を、赤城鷹人が見逃すはずがなかった。
『五輪書』に記された「踏み込みの間合い」。
地面を爆発的な脚力で蹴り、鷹人はキマイラの剥き出しになった頭上へと跳躍した。
キマイラの尾から伸びていた大蛇の頭が、毒牙を剥いて鷹人の喉笛へ噛みつこうと迫る。
鷹人は空中ですれ違いざま、右手の特殊合金バールを大蛇の顎の間へ強引に噛ませ、テコの原理で思い切り抉じ開けた!
メキメキッ、バキィッ!
「蛇の骨格なんざ、現場のワイヤーより脆ぇんだよ!」
顎関節を破壊された大蛇が悲鳴を上げて悶絶する。
そのまま鷹人は落下速度を乗せ、左腕に金属製腕時計を巻き付けた拳を、キマイラの獅子の額――頭骨の接合面へ向けて、真上からフルスイングで叩き落とした!
ドッガァァァァァンッッッッ!!!!
「ギャブゥッ!?」
金属と頭骨が衝突する凄まじい衝撃音とともに、キマイラの巨頭が地面へ激突した。
強烈な脳震盪。五メートルの巨体が完全に痙攣し、胸元の防護がガラ空きになる!
「今だヒエン! 叩っ斬れぇッ!!」
「うおおおおおおおおッッッッ!!!!」
大地を蹴立て、紅蓮の炎を纏った鍛冶青年が駆け抜けた。
ヒエンの鋼鉄剣が、夕暮れの空を真っ二つに引き裂くような鮮烈な軌道を描く。
「偽物の数字に負けてたまるかぁ! これが……俺とポポロ村の職人が鍛え上げた、本物の鉄だぁぁぁッ!!」
――ズバッッッッッッ!!!!
閃光一過。
ヒエンの剣は、キマイラの胸板の分厚い鱗を紙のように両断し、その奥に脈動していた黒紫色の魔核を一撃で真っ二つに断ち割っていた!
カチィィィン……ドォォォォンッ!
魔核を両断されたキマイラは、断末魔の叫びを上げる間もなく四散し、黒紫色の塵となって荒野の熱風の中へと消滅していった。
◆
静寂が、荒野を支配した。
地面には、キマイラの酸液に濡れながらも、傷一つなく鈍い銀光を放ち続ける厚さ八十ミリのハステロイ鋼板。
そしてその前で、刃こぼれ一つない鋼鉄剣を構え、肩で息をしながら立ち尽くすヒエンの姿があった。
「お、折れて……ねぇ……」
ヒエンが自分の剣を見つめ、震える声で呟いた。
「俺の剣……魔獣の鱗を叩き斬っても、刃こぼれ一つしてねぇぞ……!」
「当たり前だ」
着地した鷹人が、バールを地面にトンと突き立て、ヒエンの肩をバンと力強く叩いた。
「正しく炭素を抜き、正しく火を入れて叩いた鉄だ。小手先の偽装や粗悪なコピーなんぞに、本物の職人の汗水が負けるわけねぇだろ」
「兄貴……! 鷹人の兄貴ぃぃッ!」
ヒエンの紅蓮の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
若手鍛冶師としてのプライドが、そして自分たちの技術が本物であったという確信が、胸を熱く満たしていく。
一方――。
「ひ、ヒイィィィィッ……! あ、あんなデカい魔獣が……一瞬で……!?」
奥で腰を抜かしていた火原元は、もはや恐怖で歯の根が合わなくなっていた。
演壇の下では、鷹人の左フックでKOされた鮫島剛が、まだ白目を剥いて泡を吹きながら転がっている。
「おや……? ずいぶんと見苦しい姿ですねぇ」
砂煙の奥から、寸分の乱れもない黒漆の燕尾服を着た人狼執事・リバロンが、音もなく姿を現した。
白手袋の指先には、すでに印紙と割印が完璧に整えられた、二束の法務書類が握られている。
「火原元殿、並びに鮫島剛殿。貴方方の身元につきましては、すでにルナミス帝国内務省法務執行部、並びに『地下帝国ドンガン鉱山局』との間で引渡調印が完了いたしました」
「ど、ドンガン鉱山……!? ひ、引き渡し……!?」
「ええ。脱走罪の加算、並びにポポロ村における詐欺営業・威力業務妨害・危険魔獣の無許可召喚事案を合算いたしまして……お二人の労働刑期は、それぞれ【四百年】の追加決定となりました。本日より、地下二千メートルの高熱坑道にて、ツルハシを用いた手掘り作業に従事していただきます」
「よ、四百年ぇぇぇぇッ!? 死んじまうよぉぉッ!!」
火原が絶叫して泣き喚くが、リバロンは糸目の穏やかな笑みを崩さない。
「ご安心ください。ドンガン鉱山には栄養価の高いモグラの燻製と、一日三杯の温い泥水が支給されますので、健康を害することなく刑期を満了できますよ。……さあ、護送車がお待ちです」
◆
ガタゴトと重装甲のドンガン護送車が砂煙の向こうへ走り去り、詐欺サロンの特設テントは、村人たちの手によって完全に解体撤去された。
被害に遭いかけた村の若者たちは、全額返金された金貨を握りしめ、深々とヒエンと鷹人に頭を下げて村の中へと帰っていった。
静けさを取り戻した丘の上。
赤城鷹人は、作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾いた。
――カチッ、シュボッ。
硬質な着火音とともに、揺らぐ橙色の炎。
先端に火を移し、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
夕焼けの空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
タバコのツンとした香りが、硝煙と酸の臭いを綺麗に塗り替えていく。
続けて鷹人は、胸ポケットから大粒の青森県産ニンニクを取り出すと、指先で器用に薄皮を剥ぎ、ライターの炎を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクがパチパチと音を立て、香ばしい狐色に焦げていく。
立ち上る、ガツンと鼻腔を殴りつけるような濃厚なスタミナのアロマ。
鷹人はそれを前歯でカリッと噛み砕いた。
――シャクッ。
「……ん。いいパンチだ。血が巡るぜ」
その瞬間、頭の中に軽快な電子音が鳴り響いた。
『超大規模善行を検知しました』
『事象:特級暴走魔獣カプセルの完全無力化による村落壊滅危機の回避』
『事象:悪徳転生者による偽装武器投資サロンの完全壊滅および脱走囚の再収容』
『判定:一切の私欲なき純粋な防衛治安維持行動(死者ゼロ・被害金全額回収)』
『スクラップPt +5,000Pt を獲得しました』
(よし、これで所持ポイントは39,475Ptか。ガッツリ貯まったな)
鷹人は胸の中でニヤリと笑った。
「鷹人の兄貴!」
ヒエンが汗を拭いながら、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「今日は本当にありがとうございました! 兄貴がいなきゃ、俺の工房も、村の信用もズタズタになるところだった……! あの、もし良かったら……この後、俺の工房で打ち上げをやりませんか!? 母ちゃんも呼んで、美味い酒を飲みたいんです!」
「打ち上げか。いいじゃねぇか」
鷹人はタバコの灰を落とし、ニッと白い歯を見せた。
「現場のトラブルを綺麗に片付けた後の酒と飯は、何物にも代えがたいからな。……肉と焼き台なら、俺の現場資材から極上のやつを出してやるよ」
茜色に染まるポポロ村の空の下、現場の兄ちゃん・赤城鷹人と仲間たちの絆は、また一つ、鋼のように固く鍛え上げられていた。
読んでいただきありがとうございます。
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