EP 5
豪農・泥沼夫妻の「仮面夫婦」騒動
村外れの廃工房でインテリ奇樹ネギオを現場工学の哲学で論破し、翡翠色に輝く至高の長ネギ『ネギカリバー』を肩に担いで中央広場へと戻ってきた赤城鷹人は、その異様な光景に足を止めた。
石造りの噴水の前で、泥に汚れたエプロン姿の中年女性が、地面に突っ伏して号泣していた。
周囲を取り囲む農民たちも、おろおろと視線を交わすばかりで誰も近づけない。
「お願いだから目を覚ましてぇぇッ! あなた、通帳の残高もゼロ、台所にはもう生米と水道水しかないのよぉぉッ!!」
「うるせぇぇぇッ! 俺とメロロンの純愛を引き裂く気かぁぁッ! 俺は女房を捨てて、あの子と駆け落ちするんだぁぁぁッ!!」
広場に面した豪奢な温室の扉を内側から固く閉ざし、中から響いてくるのは、血管が切れそうなほど逆上した男の怒号だった。
ハウスの隙間からは、嗅いだだけで頭の芯がフワフワと痺れるような、ねっとりと甘ったるい熟れた果実の香気が漏れ出している。
「……おいおい、昼間っからずいぶんと激しい家庭内紛争だな」
鷹人は作業ジャケットのポケットに手を突っ込み、野次馬の端にいたニャングルへ声をかけた。
「ニャングル、あそこで喚き散らしてるのは誰だ?」
「おお、鷹人はん! 厄介な時に戻ってきてもうたなぁ。あれはポポロ村屈指の豪農、泥沼夫妻や。数代続く広大な果樹園の地主なんやけどな……旦那のトメゾウの奴が、温室で栽培しとる魔導果実『メロロン』の精神汚染に完全に脳みそを溶かされてもうたんや」
ニャングルは真鍮のキセルをガリッと噛み鳴らし、苦虫を噛み潰したような顔で解説した。
「メロロンっちゅうのはな、高級クラブのホステスじみた疑似恋愛営業を仕掛けてくる、ポポロ村特産の精神汚染作物なんや。本来は耳栓と防毒マスクを着けて栽培するのが鉄則なんやけど……夫婦仲が冷え切っとったトメゾウの奴、素手と素顔でハウスに入り浸るうちに、メロロンの甘い囁きに狂わされて全財産を貢ぎ込みよったんや!」
「果物に全財産貢ぎ込んで家庭崩壊……? どんな昼ドラだよ」
「笑い事やないで! しかも泣いとる奥さんのキヨはんもな、昔『プリンスメロロン』っていうホスト営業の品種にハマって貯金を数百万円溶かした前科があるんや! お互いに果物へ浮気し合って仮面夫婦を気取っとった報いやが、このままトメゾウが餓死するか駆け落ちでもされたら、村の果樹園の権利関係がドロ沼化してウチの銀行も大損害なんや!」
「……なるほどな。夫婦の心の隙間に、甘ったるい寄生虫が入り込んだってわけか」
鷹人は短く息を吐くと、ネギカリバーを地面にトンと立てた。
◆
その時、温室の中から、背筋が寒くなるほど甘美な、鈴を転がすような囁き声が風に乗って漏れ聞こえてきた。
『よくないわ、トメゾウさん……私はメロンよ? 果物と人間が結ばれるなんて、許されない……よく考えて?』
『関係ない! 俺は本気だ! 女房とも別れてきた! 俺の畑も山も、全部お前の肥料にしてやる!!』
『馬鹿……でも、嬉しい……♡ ふふっ、私を食べてくれるのね? 愛するあなたと一つになれるなら……身も心も捧げるわ……♡』
『メロロォォォォンッッ!!』
ハウスの窓越しに見えるのは、美しい網目模様の丸々としたマスクメロン。
その果皮には、蠱惑的な美女の顔立ちが浮き彫りになっており、熟れた果肉から溢れ出す濃厚な果汁とフェロモンが、ハウス内の空気をドロドロに染め上げていた。抱きしめているトメゾウの目は完全に虚ろで、頬は痩せこけ、廃人のように涎を垂らしている。
「あぁぁ……! もう駄目だわ……! あの人、メロロンに食べられて種だけ残して心中する気よぉぉッ!」
地面を叩いて泣き崩れる妻キヨ。
農民たちが怯えて後ずさる中、赤城鷹人は作業ジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出した。
一本を唇にくわえ、安っぽい黄色いプラスチック製の百円ライターを構える。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾いた。
――カチッ、シュボッ。
静かな広場に、硬質で澄んだ金属の着火音が鋭く響き渡る。
揺れる小さな橙色の炎。
先端に火を移し、鷹人は肺の奥深くまで煙を吸い込んだ。
「…………ふぅーーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが、漂っていた甘ったるいメロン臭をピシリと切り裂いた。
「おい、奥さん」
鷹人は紫煙の向こうから、平然とした目でキヨを見下ろした。
「台所に生米と水道水しかないなら、そこに美味い具を放り込んで、熱々の飯を炊き直せばいいだけだ。……旦那を連れ戻してやる。台所で冷やご飯と卵、それと中華鍋を準備しときな」
「え……? で、でも、ハウスの中はあの恐ろしい誘惑の気体で満ちていて、入ったら誰でも骨抜きに……!」
「現場の毒気なんざ、適切な換気と保護具で対処すりゃただの空気だ。……ニャングル、少し離れてろ」
鷹人は短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込むと、頭の中のユニークスキル【リサイクルマスター】を起動した。
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【所持スクラップPt:34,220 Pt】
・カタログ選択:【地下鉄工事・トンネル換気設備廃棄品カテゴリー】
・カタログ選択:【産業安全衛生保護具カテゴリー】
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(地球の地下鉄工事現場で型落ちになって放置されていた、200V高圧産業用ポータブル有圧換気ファン・大型スパイラルダクトホース50メートル一式……それに、3M製全面形防毒マスクと自衛隊仕様の防音イヤーマフだ)
消費ポイント、わずか45Pt。
――ヒュンッ!
地面の上に、ドカンと黄色い鋼鉄製の大型シロッコファンと、蛇腹状の太い送風ホース、そして無骨な軍用防毒マスクが出現した。
「なっ!? またその鉄の筒か!?」
「動力は現場直結だ」
鷹人は手際よく防毒マスクを頭部に装着し、イヤーマフで耳を完全に密閉した。
メロロンの甘い囁きも、催涙フェロモンも、1ミリたりとも通さない完全防備。
続けて換気ファンのコードを、腰の携帯型大容量バッテリーへガチリと接続した。
スイッチを――ON!
――グオォォォォォォンッッッッ!!!!
凄まじい風切り音とともに、超強力なプロペラが毎分三千回転で唸りを上げた!
鷹人は太いダクトホースの先端を抱えると、温室のガラス扉の蝶番へ安全靴の踵を叩き込み、蹴破るようにして内部へと突入した!
バガァァンッ!
「な、なんだぁてめぇはぁぁッ! 俺とメロロンの愛の巣に土足で――」
「邪魔だ、換気するぞ!」
鷹人はトメゾウの抗議を無視し、ダクトホースの吸気口をメロロンの目の前へドン! と据え付けた。
ゴォォォォォォッ! と猛烈なバキュームが発動し、温室内に充満していたピンク色の精神汚染ガスが、竜巻のようにダクトへと吸い込まれ、上空百メートルの風上へと一気に強制排気されていく!
『いやぁぁぁんっ!? 私のフェロモンがぁ……! お肌が乾燥しちゃうぅぅっ!!』
メロロンが悲鳴を上げ、トメゾウが「あ、頭が……急に冷えて……?」と呆然と頭を押さえた。
だが、まだ瞳の奥には、長年蓄積された執着と虚無の影が残っている。
「……よし、空気の入れ替えは終わった。次は、てめぇの冷え切った胃袋と夫婦の絆をオーバーホールしてやる」
防毒マスクを外した鷹人は、ニヤリと無精髭の口元を吊り上げた。
◆
温室の前の庭先に、ドンガン製の極厚黒皮鉄板の中華鍋と、プロパン仕様の高火力ガストーチバーナーが据え付けられた。
集まってきた村人たちや、妻のキヨ、そして正気に戻りかけてへたり込んでいるトメゾウが見守る中、鷹人は腕まくりをして調理台の前に立った。
台の上に並べられたのは――。
先ほどネギオから譲り受けた、大気のマナを吸って育った神聖長ネギ『ネギカリバー』。
鷹人が【リサイクルマスター】で召喚した、地球の食品工場で端材として処分された極上の『煮豚チャーシューの端っこブロック』。
泥沼家の台所から持ち出してきた、パサパサに冷え切った冷やご飯と、新鮮な鶏卵。
そして――赤城鷹人の魂の友、青森県産の大玉ニンニクだ。
「さてと……。まずは現場の火入れだ」
鷹人は大粒のニンニクを三粒手に取ると、薄皮を剥ぎ、いつもの黄色い百円ライターを取り出した。
親指の腹でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
澄んだ硬質な着火音。
揺れる小さな橙色の炎を、剥きたての生ニンニクの先端へ直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたニンニクの表面が、パチパチと音を立てて香ばしい狐色に焦げていく。
滲み出る濃厚な植物油のエキス。
直後、温室に残っていた甘ったるいメロン臭を完全に消し去るほどの、猛烈に香ばしく甘い焦がしニンニクのアロマが空間全体へ爆散した!
「うわぁ……! な、何この匂い……!? 胃袋を直接掴まれたみたいだ……!」
トメゾウの喉が、ゴクリと大きく上下した。
「ここからが現場の本番だ。見てな!」
鷹人はサバイバルナイフを構え、炙りニンニクを一気にみじん切りにした。
続けて、ネギカリバーの極太の白茎をザクザクと豪快な小口切りにしていく。刃が入るたび、翡翠色の断面から甘美なマナの果汁がほとばしる。チャーシューも一センチ角のゴロゴロとしたサイコロ状にカット。
ガストーチバーナーのバルブを全開にする!
――ボォォォォォォッッ!!
青白い業火が中華鍋の底を舐め、一瞬で鉄を煙が出る極限状態まで熱する。
鷹人は純正ラードをドカンと投入。
ラードが溶けて煙を上げた瞬間、溶き卵を一気に流し込んだ!
――ジュワァァァァァァッッッ!!!!
黄金色の泡となって膨らむ卵!
間髪を入れず、そこへ冷やご飯をドサリと投下!
カッカッカッカッ! ガギィィィンッ!
重厚な中華鍋が、鷹人の強靭な腕力によって宙を舞うようにリズミカルに煽られる。
自衛隊の野戦炊具車で何百人前ものチャーハンを叩き出してきた神業の鍋さばき。
高温のラードと卵の油膜が、冷えて固まっていた米粒の一粒一粒を瞬時に解きほぐし、パラパラの黄金色へとコーティングしていく。
「おおおっ! 米が……米が鍋の中で生き物みたいに跳ねてるぞ!」
「仕上げだ! 具材をぶち込むぞ!」
鷹人はサイコロチャーシュー、炙りニンニク、そして山盛りのネギカリバーを一気に鍋の中央へぶち撒けた!
――バシュウウウゥゥッッッ!!!!
豚の動物性脂肪のコク、炙りニンニクの強烈なスタミナ、そしてネギカリバーの暴力的なまでの甘みと香味の蒸気が、中華鍋の熱気とともに竜巻のように立ち上る!
仕上げは、地球の特選醸造醤油。
カンカンに熱された鍋肌へ、円を描くように醤油を回し入れた瞬間――。
――ジョワッッッッッッ!!!!
焦がし醤油の暴力的な香ばしさが、ニンニクとネギの蒸気を巻き込んで天へと吹き上がった!
もはや料理ではない。五臓六腑を強制的に叩き起こす、現場の奇跡だった。
「へいお待ち! 現場特製『焦がしニンニクとネギカリバーの極上野戦チャーハン』だ!」
大皿の上に、黄金色に輝くパラパラのチャーハンが山盛りに盛り付けられた。
◆
「ほらよ、トメゾウの親父、それに奥さん。冷めないうちに腹一杯掻っ込みな」
鷹人は木製のレンゲを二本、呆然と立ち尽くす泥沼夫妻の手へ無理やり握らせた。
「あ……あ……」
トメゾウは震える手でレンゲを動かし、湯気を上げる黄金のチャーハンを山盛りにすくった。
立ち上る焦がし醤油と炙りニンニク、そしてネギカリバーの香気だけで、胃袋が痙攣するほど激しく鳴る。
そのまま、貪るように口の中へ放り込んだ。
――ハフッ、ハフッ、ジュワッ。
「――!!!!????!!!!」
ドッガァァァァァァァンッッッッ!!!!
トメゾウの全身を、雷鳴のような衝撃が突き抜けた!
目を限界まで見開き、咀嚼するごとに顔が真っ赤に紅潮していく。
「う……う、うんめぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!! なんだこれぇぇぇッ!? 米が一粒一粒パラパラなのに、噛んだ瞬間に豚の脂と焦がし醤油がじゅわっと溢れてくる! それにこのネギ……トロットロで信じられないくらい甘い! 直火で炙られたニンニクのパンチが、脳天をガツンとぶん殴ってくるぞぉぉッ!!」
妻のキヨもまた、涙を流しながらレンゲを口に運んだ。
「おいしい……! おいしいわ、あなた! 身体の芯から、温かい血が巡ってくる……! 冷え切っていた胃袋が、ポカポカと燃え上がっていくみたい……!」
二人は無我夢中で、競い合うようにチャーハンを掻っ込み始めた。
米粒を噛み締めるたびに、メロロンの甘い幻影など跡形もなく吹き飛んでいく。
そこにあるのは、土と火と鉄が育んだ、圧倒的に泥臭く力強い「本物の命の味」だった。
「うぐっ……うぅ……っ!」
最後の一粒を飲み干したトメゾウの目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
彼は隣に立つ妻の手を、泥だらけの両手で力強く握りしめた。
「キヨ……! すまなかった……! 俺は……俺はどうかしていた! 果物の甘い言葉に目が眩んで、お前を……長年連れ添ったお前を裏切ろうとするなんて……!」
「あなた……! 私こそごめんなさい! 私も昔、ホストメロンに浮気しかけて……あなたの寂しさに気づいてあげられなかった……!」
広場のど真ん中で、抱き合って号泣する泥沼夫妻。
冷え切っていた「仮面夫婦」の分厚い心の殻が、熱々のニンニクネギチャーハンによって完全に溶け去り、本物の夫婦の愛が蘇った瞬間だった。
その背後で、換気ファンに吸われて萎びたメロロンが、悔しそうにプルプルと震えていた。
『キィィィッ……! なによあの男臭い炭水化物はぁぁ……! 私の至高のフェロモンが、ニンニクとネギの暴力に完敗するなんてぇぇぇ……ガクッ!』
メロロンは白目を剥いて卒倒し、ただの甘いマスクメロンへと戻っていった。
◆
わぁぁぁっ! と村人たちから割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
その瞬間――ピロリン♪ と鷹人の脳裏に澄んだ電子音が響き渡った。
『善行を検知しました』
『事象:精神汚染作物『メロロン』による家庭崩壊・心中危機の完全阻止』
『事象:村内重要豪農(泥沼夫妻)の正気回復および地域農業秩序の回復』
『判定:高度な換気技術と極上の野戦料理による、愛と家庭の救済』
『スクラップPt +2,000Pt を獲得しました』
(よし、これで所持ポイントは36,175Ptか。家庭問題の解決も、立派なインフラ整備だな)
鷹人は胸の中で小さく笑い、中華鍋を布で拭い上げた。
「鷹人はん、ほんまにおおきに!」
駆け寄ってきたニャングルが、満面の笑みでトメゾウの土地権利書をパチンと叩いた。
「これで泥沼家の果樹園の経営破綻も回避や! トメゾウはん、更生した記念に、今期のメロン売上の手数料、ウチの銀行にちょっと色つけて預金してもらうでぇ!」
「ああ、いくらでも持って行ってくれ! 俺はもう、キヨと二人で真面目に畑を耕すよ!」
トメゾウとキヨが手を取り合い、深々と頭を下げて去っていく。
鷹人は濡れ縁のような広場のベンチに腰を下ろすと、新しいタバコを取り出して唇にくわえた。
安っぽい黄色い百円ライターを取り出し、親指でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
昼下がりの穏やかな日差しの中に、揺らぐ橙色の炎。
紫煙をゆっくりと青空へ吐き出す鷹人。
「言葉が通じなくても、拳と美味いメシ、あとはエンジン音があれば世界中どこでも生きていける」
腹を割って美味い飯を食えば、大抵の人間は前を向ける。
それが、赤城鷹人が世界中の修羅場を渡り歩いて叩き込んできた、絶対の真理だった。
だが――その平和な広場の片隅から、村の若者たちを引き連れて歩く、見慣れない不穏な二つの影があった。
「おい、見たかよ今の『攻撃力+5000』の剣! これさえあれば、俺たちも一撃でA級冒険者になれるぞ!」
「ああ! 鮫島さんと火原さんの『限定サロン生』になって本当に良かったぜ!」
手にした真新しい剣を自慢げに掲げる若者たちと、その奥で下品な薄笑いを浮かべる、青いスーツ姿の男と煤けた土木作業服の男。
鷹人は紫煙の向こうに目を細め、タバコの灰を指先で弾いた。
「……おいおい。今度は、現場の匂いがしねぇ胡散臭いペテン師のお出ましってわけか」
ポポロ村に忍び寄る「偽装武器詐欺」の黒い影。
赤城鷹人の現場仕事は、新たな悪党との激突へと向かっていた。
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