EP 4
インテリ奇樹「ネギオ」の朝説法と工学ディベート
ポポロ・コーポのガレージ前でリキ兄貴の特注単車『爆音天聖号』の快音を見届けた赤城鷹人は、作業ジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、村の西外れへと向かって歩いていた。
抜けるような青空の下、田畑の畦道を進むにつれて、人の気配が途絶え、代わりに立ち込めてきたのは、上質なポポロシガーの濃厚な紫煙と、挽きたての深煎り珈琲の芳醇なアロマだった。
「……おいおい、ずいぶんとハイカラな匂いが漂ってる現場だな」
木立を抜けた先、赤錆びた波トタンと石組みで出来た古い鍛冶小屋――『村外れの廃工房』の前に、十数人の農民や村の料理人たちが遠巻きに人だかりを作っていた。
人垣の中心、工房の軒先に据えられたアンティーク調の木製デスクに、その奇妙な怪物は優雅に腰掛けていた。
身の丈は百六十センチほど。
全身は古びたチェスのポーン駒を思わせる、年輪の刻まれた堅牢な木偶の肉体。寸分の狂いもなく仕立てられた黒の三つ揃えベストを着こなし、木彫りの指先には琥珀色の煙をくゆらせる極太のポポロシガー。傍らの真鍮製ドリップスタンドからは、ポタポタと漆黒の珈琲が陶器のカップへ落ちている。
そして何より異様なのは――その頭頂部から天を衝くように真っ直ぐ伸びた、長さ一メートルを超える極太の神聖長ネギ『ネギカリバー』の偉容だった。
みずみずしい純白の茎と、翡翠のように輝く鮮烈な青葉。大気中の高純度マナを吸い上げて自生するその葉先からは、嗅いだだけで唾液が溢れ出すような、暴力的なまでの甘みと香味の波動が立ち上っていた。
ポポロ村の客員教授にして、廃工房を不法占拠する突然変異ポーン――インテリ奇樹『ネギオ』である。
「頼む、ネギオ先生! 今日の夕方、娘の婚約祝いにどうしてもピラダイの鍋を作ってやりてぇんだ! 頼むから、ネギカリバーの葉先を三寸ばかり分けてくれぇ!」
初老の農夫が、泥にまみれた手をついて必死に懇願していた。
だが、ネギオは表情のない木彫りの顔のまま、プハリと優雅にシガーの紫煙を天へと吐き出した。
「……朝っぱらから感情論の押し売りかね? 実に嘆かわしい」
澄み切った、だがどこか金属質で冷徹なソムリエのようなテノールが響く。
「貴様のその懇願には、近代経済学における『需要と供給の適正な均衡価格』が完全に欠落している。私のネギカリバーは、大地のエントロピーを逆転させて結晶化させた超高純度マナ繊維。それを『娘の祝い』などという極めて私的な感傷を理由に無償供出すれば、村の市場原理は歪み、私の希少価値は暴落する。資本の論理を理解せぬ者に、我が葉先を口にする資格はない。……論破だ。出直し給え」
「う、うぐぅ……ッ! ぐうの音も出ねぇ……!」
農夫は毒舌の刃に精神をへし折られ、涙目でトボトボと退散していった。
周囲の村人たちからも「今日も駄目か……」「あの屁理屈大根、相変わらず手厳しいぜ……」と諦めの溜息が漏れる。
◆
その時、人垣を割って、安全靴の硬質な足音を響かせながら一人の男が進み出た。
煤と油でくすんだ無骨なワークジャケット。
無精髭の残る引き締まった顎に、左手首に巻かれた無骨な金属製腕時計。
赤城鷹人である。
「……おいおい、ずいぶんと小難しい講釈を垂れてる現場だな」
鷹人は作業着のポケットから紙巻きタバコを取り出すと、唇に一本をくわえた。
取り出したのは、地球の百円均一ショップで買った安っぽい黄色いプラスチック製の使い捨てライターだ。
親指の腹で、ヤスリを無造作に弾く。
――カチッ、シュボッ。
静かな廃工房の前に、硬質で鋭い着火音が木霊した。
先端に灯った小さな橙色の炎で火を吸い付け、深く煙を吸い込む。
「…………ふぅーーーーっ」
青空へと真っ直ぐ立ち上る、一筋の紫煙。
ツンとしたタバコの香りが、ネギオの高級シガーの甘い香りと空中で静かに激突した。
「おや……?」
ネギオの木彫りの首が、ギギッと油の切れたゼンマイのような微小な音を立てて鷹人を向いた。
「粗野な労働者が現れたね。……君が、アパートの管理人室に入り込み、力任せに重機を乗り回しているという噂の異界人かね? 言っておくが、腕力や筋肉の量でこのネギオを脅迫しようなどと思わないことだ。知性と論理の前に、ただの物理現象など無力に等しいのだからね」
ネギオは珈琲カップをソーサーに戻すと、嘲笑するように木彫りの指先を組んだ。
「君もあの農夫と同じく、私のネギカリバーを恵んでくれと懇願しに来たのかね? ならば問おう。君のような『泥にまみれる現場の労働者』の存在価値とは何かね? 文明を前進させるのは、いつの時代も私のような高度な理論と抽象化を司る『知性』だ。図面を引き、方程式を解く知性こそが至高であり、現場で汗を流すだけの作業員など、ただのエントロピー増大の奴隷に過ぎないのではないかね?」
ざわり、と村人たちが息を呑んだ。
労働そのものを根底から否定するような、極めて傲慢な哲学的命題。
並の職人なら怒りで我を忘れて殴りかかり、ディベートの敗北条件を踏んでしまうところだ。
だが――赤城鷹人は、眉ひとつ動かさなかった。
指先でタバコの灰をトントンと地面に落とすと、紫煙の向こうから、冷徹で、だが底知れぬ深みを湛えた瞳でネギオを見据えた。
「おい、インテリ木偶人形」
鷹人のドスの利いた静かな低音が、工房の空気をビリビリと共鳴させた。
「『禅とオートバイ修理技術』って本を読んだことはあるか?」
「……なに?」
「机の上でどれほど完璧な数式を並べ立てようがな、ネジ山が一本ナメただけで、時速百キロの鉄の塊はただの鉄屑になるんだよ。……お前は『抽象化』が文明を動かすと言ったが、真逆だ。サン=テグジュペリの『人間の土地』にもある通り――機械が真に完璧に達するのは、それ以上何も足すものがなくなった時ではなく、現場の風と油と摩擦の中で、何も引くものがなくなった瞬間だ」
「な……ッ!?」
ネギオの木彫りの眉間が、ピクリと動いた。
「図面はな、現場で泥を被り、職人の手の油を吸って初めて『命』を宿すんだ。ボルトの締め付けトルク、気温による金属の熱膨張、微細な金属疲労の歪み……机の上の理論だけをこねくり回してる奴には、その『鉄の悲鳴』が一生聴こえねぇんだよ」
鷹人は大股でネギオのデスクへと歩み寄った。
そして、手袋を外した素手の指先で、ネギオが座っているアンティーク椅子の脚と、ネギオ自身の左肘の関節部を、コツコツと二度叩いた。
「現にお前、さっきから首を回すたびに、第3頸椎の木製ギアがギチギチと嫌な音を立ててるぜ。左肘の真鍮ブッシュも偏摩耗して、珈琲カップを持つ手が毎秒二ミリ振動してる。……さらに言えば、背後の旋盤の主軸受、ベアリングの球が一つ欠けて芯ブレを起こしてやがるな」
「な……っ!? な、何故それを……!?」
ネギオの端正な木彫りの顔が、初めて驚愕に歪んだ。
それは、ここ数日ネギオ自身が密かに気に病んでいた、自らの機体構造の「物理的限界」そのものだったからだ。
音を聴いただけで、触れただけで、機械の内部疲労を寸分の狂いもなく看破する――異次元の工学鑑識眼。
「能書きを垂れるのは結構だがな、現場の道具を愛せねぇ知性なんざ、ただの錆びたクラクタだ。……机上の空論で煙草を吹かしてる暇があるなら、油差してネジ締め直せ。それが出来て初めて、職人の土俵に立てるんだよ」
◆
静寂が、廃工房を支配した。
ネギオはくわえていたシガーを取り落としそうになりながら、震える手でソーサーの珈琲を一口啜ろうとした。
だが、カチカチと陶器が鳴り、唇に運ぶことすら叶わない。
「……完敗だ」
ネギオは深く、重いため息を吐き出した。
「観念論の枠組みを軽々と飛び越え、物理現実の摩擦と摩耗をそのまま哲学へ昇華させるとはね。……参ったよ、赤城鷹人君。君の言う通りだ。現場の泥を恐れる知性など、ただの空虚な言葉遊びに過ぎなかった」
ネギオはデスクの引き出しから、手入れの行き届いた銀色の園芸用ハサミを取り出した。
そして自らの頭頂部へ手を伸ばすと――。
シャキィィィンッ!
小気味よい金属音とともに、翡翠のように輝く『ネギカリバー』の上部三十センチを、綺麗に切り落とした。
切り口から溢れ出すのは、蜂蜜のように濃厚で甘やかな、高純度マナの果汁。
「持って行き給え。約束の報酬だ。……君ほどのエンジニアに調理されるのであれば、我が葉先も本望というものさ」
「おう、ありがたくいただくぜ」
鷹人はずっしりと重いネギカリバーを受け取ると、無造作に作業着のポケットから大粒の青森県産ニンニクを取り出した。
「さてと……。知恵熱を出した現場には、極上のアロマで景気付けといこうか」
ネギカリバーの青葉を一口大にちぎり、剥きたての生ニンニクと一緒に手のひらに乗せる。
取り出すのは、あの安っぽい黄色い百円ライターだ。
親指の腹でヤスリを弾く。
――カチッ、シュボッ。
揺らぐ小さな橙色の炎。
鷹人は生ニンニクとネギカリバーの断面へ、ライターの炎を直接あてがった。
――チリチリチリ……ジュワッ。
直火に炙られたネギの葉先がパチパチと音を立て、糖分が凝縮されて香ばしい鼈甲色の焼き目がついていく。
続けて炙られたニンニクから、濃厚な植物性油のエキスが滲み出る。
その瞬間――。
ボワッッッッ!!!!
朝の冷気を一瞬で灼熱に変えるほどの、凄まじく甘美で香ばしい焦がしネギとニンニクの二重奏アロマが空間全体に爆散した!
ツンとした刺激の中に潜む、極限まで濃縮された果実のような甘みと、野太いスタミナの香気。
「うわぁぁぁぁ……っ!? な、何だこの芳醇な香りは……!?」
「ごくり……!」
ネギオが木彫りの目を限界まで見開き、村人たちが一斉に喉を鳴らした。
鷹人は火を吹き消すと、軽く焦げ目のついた熱々のネギカリバーとニンニクを、そのまま豪快に口の中へ放り込んだ。
――シャクッ、ジュワァァッ。
「…………っっっ!!!!」
鷹人の背筋を、電撃のような衝撃が突き抜けた。
美味い。次元が違う。
ネギ特有の辛味は熱によって完全に極上のトロトロの甘味へと化け、直火で炙られたニンニクの暴力的なパンチと融合して、口の中で爆発的な旨味のスープとなって溢れ出す。
五臓六腑がカッと熱くなり、全身の細胞が歓喜の産声を上げるような圧倒的活力。
「……最高だな。現場のメシに、これ以上の贅沢はねぇよ」
鷹人は笑うと、もう一片炙ったネギカリバーを、デスクのネギオの前へスッと差し出した。
「ほらよ、先生。頭を使いすぎた脳みそに、一本入れときな」
「あ……ありがとう……」
ネギオは震える木彫りの指先で炙りネギをつまみ、口へと運んだ。
――ハフッ、ジュワッ。
「――っっっ!?!?!?」
ネギオの全身の木製関節から、プシューッと白い蒸気が噴き上がった!
木彫りの瞳に熱いマナの光が宿り、机をバンと叩く。
「あ、甘い……! そして何という力強い香気だ……! 私のマナ繊維が、熱によってこれほどまでに完璧な調和を生み出すとは……! これぞ……これぞまさに、生きた現場の味だ……ッ!」
◆
その瞬間――ピロリン♪ と鷹人の脳裏に澄んだ電子音が響いた。
『善行を検知しました』
『事象:孤高の知的求道者との工学的対話による精神的救済および村内文化交流の促進』
『事象:最高級食材『ネギカリバー』の正当な獲得と調理法の開拓』
『スクラップPt +1,500Pt を獲得しました』
(よし、これで所持ポイントは34,220Ptか。順調そのものだな)
鷹人は内心で小さく頷き、短くなったタバコを携帯灰皿へねじ込んで立ち上がった。
ネギオが椅子から立ち上がり、慇懃に一礼してくる。
「赤城鷹人君。君にはいつでも我がネギカリバーを切り分けよう。……またいつでも、その泥臭くも高潔な現場の講義を聞かせてくれたまえ」
「ああ、機械の軸受の交換用ベアリングなら、今度うちのガレージから持ってきてやるよ。……じゃあな、先生」
鷹人は軽く片手を挙げ、見事にネギを手に入れた姿に歓声を上げる村人たちの間を抜けて歩き出した。
だが、その帰り道――村の中央広場の方角から、何やら尋常ではない泣き叫ぶ声と、狂乱の怒号が響いてきた。
「お願いだから目を覚ましてぇぇッ! 貴方、台所にはもう生米と水道水しかないのよぉぉッ!」
「うるせぇぇぇッ! 俺とメロロンの純愛を引き裂く気かぁぁッ! 俺は女房を捨ててメロロンと駆け落ちするんだぁぁぁッ!!」
「……あ?」
鷹人は立ち止まり、眉をひそめた。
耳を澄ませば、甘ったるいメロンの匂いと、中年夫婦の修羅場の叫び声。
「生米と水道水……メロロンと駆け落ち……? おいおい、今度はどんなイカれた現場のトラブルだよ」
鷹人は手にしたネギカリバーを肩に担ぎ直し、無精髭の口元をニヤリと吊り上げた。
現場の兄ちゃんの異世界日常業務は、息つく暇もなく次の修羅場へと繋がっていた。
読んでいただきありがとうございます。
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