第八話 いらないものを盗む男
二日後。
昼時の和み亭は、いつものように多くの客で賑わっていた。
食堂の扉が勢いよく開く。
「アテーラさん! アテーラさん!」
弾んだ声が店中に響いた。
入ってきたのはピタリだった。
その後ろにはユーリもいる。
二人とも満面の笑みだった。
いつものような言い合いもせず、肩を並べて楽しそうに歩いてくる。
その様子に常連客たちも思わず顔を見合わせた。
「何、ユーリ。気持ち悪い。」
アテーラが思わず吹き出す。
「あなた方二人、犬猿の仲だったんじゃないの。」
ユーリは胸を張る。
「何をおっしゃいます。二人は親友です。」
すると、すぐ横でピタリが呆れたようにため息をつく。
「ちょっとお待ち。私はそんなこと言ってないよ。」
店の中がどっと笑いに包まれた。
キャンターも笑いながら二人を見る。
「それで、悩みは解決したんですね。その様子では。」
「いやあ!」
ピタリは上機嫌で何度もうなずく。
「あのお嬢ちゃんのおかげだよ。」
「いやあ、たいしたもんだねえ。」
アテーラが身を乗り出す。
「どうやったんですか。」
「聞いてないのかい。」
「ええ。」
「お二人次第だからって、それ以上は聞いていないんですよ。」
「それじゃあ。」
ピタリは椅子へ腰掛ける。
ユーリも照れくさそうに隣へ座った。
近くの客たちも、いつの間にか話へ耳を傾けていた。
ピタリはゆっくりと話し始めた。
占いの館での出来事。
「あなたは前の彼女のことが忘れられない。何も手につかない。このままだとどうなってしまうか、というご相談ですね。」
目の前に座る青年は力なくうなずく。
「はい。」
「忘れなければいけない。次へ進まなければいけないとは思うんです。」
「でも、彼女のことが頭から離れなくて。」
「仕事でもミスばかりしていて。このままじゃ駄目なのは分かっているんです。」
「でも……。」
声は震えていた。
ピタリは静かにうなずく。
「占いでは、彼女の心は、もうあなたから離れていると出ています。」
「そして、このまま未練を持ち続けたら、仕事も失い、何もかも失うでしょう。」
「どうしたらいいんでしょうか。」
「忘れたいんですね。」
「本当に。」
「はい。助けてください。」
ピタリは静かに立ち上がる。
「分かりました。」
「あなたが本当にそう思うのでしたら、その道の専門家をご紹介します。」
青年は驚いた顔で立ち上がる。
「専門家……ですか。」
「ええ。こちらへ。」
ピタリは隣の部屋へ案内した。
その部屋には、一人の男が静かに座っていた。
顔はレースのような布で覆われ、深い紫色のローブをまとっている。
青年は少し緊張した様子で椅子へ座った。
男は穏やかな声で言う。
「そこへお座りください。」
「未練を断ち切れるかどうかは、あなた次第です。私は、お手伝いをするだけです。」
「断ち切れなかった場合は料金はいただきません。よろしいですか。」
青年は力強くうなずいた。
「はい。お願いします。」
男は青年の頭へ、そっと両手を添える。
「未練を断ち切れず、すべてを失う惨めな未来を思い浮かべなさい。」
「そして、彼女との思い出など、いらないと強く思いなさい。」
「その思いが強ければ、あなたは彼女への呪縛から解き放たれるでしょう。」
部屋が静まり返る。
男の両手に、ゆっくりと力がこもった。
そして――
「ハアアアーッツ!」
一呼吸置いて、
「解き放たれました。」
静かな声が部屋へ響いた。
青年はしばらく呆然としていた。
やがて目を見開く。
「え……?え、え、え?」
「何か……、彼女のことなんか、どうでもよくなった。」
驚きの表情が笑顔へ変わる。
「なんで、あんなに気になっていたんだろう。」
「他にも、いい女はいっぱいいるんだー!」
その声は、占いの館中に響き渡った。
「――というわけです。」
話し終えたユーリは、少し照れくさそうに頭をかいた。
食堂が一瞬、静かになった。
最初に口を開いたのはアテーラだった。
「え……どういうこと?」
隣にいるキャンターを見る。
「キャンター、分かる?」
「ユーリの『もらっちゃう』で、盗んだということだろう。」
「役に立たない物しか盗めないんでしょう。」
アテーラは首をかしげる。
すると、ユーリが少し身を乗り出した。
「アテーラさん。」
「役に立たない物じゃなくて。」
ユーリは少し照れくさそうに笑った。
「本人が、いらないもの。」
その言葉に、キャンターはうなずいた。
「なるほど。盗めるのは物だけと思い込んでいたわけだ。」
「心の中にあるものまで盗めるとはな。」
感心したようにユーリを見る。
「すごいな。」
ユーリは照れくさそうに鼻の下をこすった。
「ダメドロのユーリだと思っていたあたしも驚いたよ。」
ピタリが苦笑する。
「ミレイさんからその話を聞いたときは驚いたよ。」
「本人の俺の方が、もっと驚いたよ。」
ユーリは肩をすくめた。
そのとき、食器を運び終えたミレイがこちらへ歩いてきた。
ユーリは立ち上がる。
「ミレイ。」
少し間を置き、照れ笑いを浮かべる。
「いや……。ミレイさん。ミレイ様。」
周囲が思わず吹き出す。
ユーリは構わず続けた。
「ありがとう。本当にありがとう。」
「おれ……、どれだけ、この特技のおかげで嫌な思いをしてきたか。」
「みんなから疎まれて、こんな特技、なくなってくれって、何度思ったか。」
「それが……、人のためになるなんて。」
ユーリはミレイの両手をぎゅっと握った。
「もう、他の奴らになんと思われようと気にしない。」
涙をぬぐいながら笑う。
「おれの特技は、すごいんだ。」
ミレイも嬉しそうに笑った。
「そうですね。」
アテーラも笑顔で頷く。
「そう。私たちは分かっているわよ、ユーリ。」
「それに、あなたは腕のいい細工師でしょ。それだけでも立派よ。」
ユーリは照れくさそうに笑った。
その様子を見ていたピタリが、急に手を叩く。
「ところでさ、こいつは占いの館で、何て呼ぼうかね。」
「さすがにダメドロとは呼べないからね。」
すると、あちこちから声が上がる。
「失恋の占い師。」
「愛の占い師。」
「恋泥棒。」
思いつくまま名前が飛び交う。
ユーリは苦笑いを浮かべた。
「どれも、なんか恥ずかしいな。」
その中で、アテーラがふと思いついたように口を開く。
「細工師なんだから、恋の細工師、なんてどうかな。」
一瞬、店内が静かになる。
「それ、いい!」
「ぴったりじゃないか!」
「いいね!」
賛成の声が次々と上がる。
ユーリは顔を真っ赤にした。
「おいおい、それ、恥ずかしいだろ。」
ピタリが笑いながら肩を叩く。
「うれしいくせに。今日から、お前は『恋の細工師』だ。」
食堂は大きな笑いに包まれた。
ユーリも最後には照れ笑いを浮かべながら、その笑いの中に加わっていた。
店の笑い声がようやく落ち着いた頃。
「アテーラさん。」
「細工師って何ですか。」
アテーラは髪に差していた飾りを一本外し、ミレイへ手渡した。
「装飾具を作ったり、壊れたものを直したりする仕事よ。」
ミレイは両手で受け取る。
葉と蔦をかたどった銀細工。
指ほどの長さの髪留めには、細かな彫刻が施され、中央には小さな緑色の石が埋め込まれていた。
窓から差し込む陽の光を受け、その石が柔らかく輝く。
「きれい……。」
思わず声が漏れる。
アテーラは嬉しそうにうなずいた。
「この綺麗な石ね、最初は付いていなかったの。」
「曲がってしまったので頼んだら、こんな素敵な石まで付けてくれたのよ。」
横からユーリが口を挟んできた。
「その上、無料ときたもんだ。」
「何言ってんの。そのあと、しばらく昼食、無料だったでしょ。」
「へいへい、ごちそうさまでした。」
ユーリは頭をかきながら笑う。
店の中に、また小さな笑いが広がった。
キャンターがユーリを見る。
「ユーリ。細工師と占い師、両方やっていけるのか。」
「細工師がおれの本業。占いの方は、人助け。」
ユーリは迷いなく答える。
「それに、おれの特技、一日一回しか使えないから。」
キャンターは納得したようにうなずく。
「なるほど。」
ピタリも笑顔で続ける。
「キャンター、恋の細工師の出番は、そんなにないよ。」
「今回みたいなお悩み相談は、そう何人も来るもんじゃないからね。」
和み亭には、穏やかな笑い声が流れる。
ユーリは、その輪の中で楽しそうに笑っていた。
ミレイも嬉しそうに笑った。
すると、ピタリがふと思い出したようにミレイへ向き直った。
「そういえば。」
「あたしは、まだお嬢ちゃんに礼を言ってなかったね。」
ピタリは深々と頭を下げる。
「本当に助かったよ。ありがとう。」
ミレイは慌てて首を振った。
「私は何も。」
「いいや。大助かりだよ。」
ピタリは笑う。
「お礼代わりと言ったら何だけど。」
「お嬢ちゃん、占ってあげようか。」
ミレイは興味深そうに目を輝かせた。
「ピタリさんは何でも占えるんですか。」
その問いに、ピタリは苦笑する。
「私の占いも、こいつと同じでポンコツさ。」
そう言って親指でユーリを指す。
「占ってほしいことが見えるんじゃなくて、なんか関係ないことが見えるんだ。」
「役に立たないよ。」
少し肩をすくめ、
「それに、同じ人は二度と占えないよ。」
ミレイは静かに頷いた。
「いつか、占ってもらうことがあると思います。」
「そのときは、よろしくお願いいたします。」
「ああ、その日を楽しみにしているよ。」
飴色の髪の美しい少女フローラは、空気の揺れを通して、この話を聞いていた。
(最初にお会いしたときは、ただお守りして差し上げたくなるような、か弱い幼子に思えました。)
静かに目を閉じる。
広場で初めてミレイと出会った日のことが脳裏によみがえる。
頼りなげで、それでいてどこか不思議な少女。
放っておけない――そんな印象だった。
だが、今は違う。
(実は、あのように聡明なお方でしたのね。)
ローザの悲しみを和らげ、
ユーリの特技の本当の価値を見いだし、
人の心を、争うことなく、自然に動かしてしまう。
ミレイ様がお持ちになっている優しさの賜物なのでしょう。
フローラは穏やかに微笑んだ。
(やはり、私はこの方のおそばで、お守りしていきたい。)
その想いだけは、初めてお会いした日から少しも変わっていなかった。
それから一年後――
ユーリの家。
部屋中に、無数の、ややくすんだ青白い炎が揺らめいていた。
棚の上にも。
机の周りにも。
天井近くにも。
大小さまざまな炎が、音もなくゆらゆらと漂っている。
その幻想的な光景を前に、ユーリは頭を抱えていた。
「おい……。」
青白い炎を見回しながら、大きくため息をつく。
「これ、いつになったら消えてくれるんだよ。」
部屋の中では、青白い炎だけが静かに揺れ続けていた。
第一章 和み亭の不思議な少女 終わり
第二章 創生の里へ続く




