第九話 ユーリが見抜いたもの
二階の奥の部屋。
窓から柔らかな陽射しが差し込み、外の賑わいが遠くに聞こえてくる。
部屋へ入ると、それぞれが腰を下ろした。
ミレイはどこか落ち着かない様子で皆の顔を見回す。
一方、サーシャはいつものように背筋を伸ばし、話が始まるのを待っていた。
「じゃあ、ミレイ、説明して。」
困ったような顔でアテーラが言う。
するとフィリップが静かに口を開いた。
「ミレイさんも、まだよく分かっていないことがあると思いますので、私の方からご説明させていただいてよろしいでしょうか。」
「はい、よく分かっていないです。フィリップさん、お願いします。」
「ミレイがいいなら、お願いします。」
そうして、ミレイが共同経営者となった経緯が、一つ一つ丁寧に説明された。
話を聞き終えたアテーラは腕を組む。
「共同経営者ねえ。仕事を探してとお願いしておいて、こんなこと言ったら失礼だけど、だまされているんじゃないの。」
「アテーラ、それはいくら何でも失礼です。」
キャンターがすぐにたしなめる。
するとサーシャが頬をふくらませた。
「ほんとに失礼な方。」
部屋に少しだけ張りつめた空気が流れる。
「フルルがいい人だって言っていました。ね、フルル。」
その声に応えるように、ミレイの陰から小さな綿毛がぴょこんと顔を出し、クリッとした目で部屋を見回した。
「ミュウ」
愛らしい鳴き声が響く。
「え、フルル、そこに居たの?」
「きゃあ、フルルだ、フルルタン。」
サーシャの顔がぱっと明るくなる。
先ほどまでの真面目な社長の顔はどこへやら。
思わず身を乗り出していた。
「そういえば、あなたが襲われているとき、フルルはどこにいたの。」
アテーラがふと気になったことを尋ねる。
「危ないからここから出ないようにさせていました。」
「そうよね。フルルがいてもどうしようもないものね。」
フルルは意味が分かったのか分からないのか、小さく首をかしげるようにふわりと揺れた。
「では、そろそろ、本題に入らせていただいてよろしいですか。」
「はい。でも、私たちはこの子の保護者としてここにいさせてもらいます。」
「全てご存じなんだから、かまわないだろ、サーシャ。」
サーシャは小さくため息をつく。
「しかたないわね。その代わり、口を挟まないでください。」
「はいはい。」
と答えそうな空気だったが、二人は笑ってうなずくだけだった。
サーシャはバッグを開き、大切そうに包みを取り出す。
「フルルのぬいぐるみの見本を作らせたの。」
「これよ。」
机の上へそっと置かれたぬいぐるみを、皆が覗き込んだ。
「ほう、よくできているな。」
キャンターが手に取り、様々な角度から眺める。
続いてアテーラも受け取った。
丁寧な縫製。
丸い目。
柔らかな綿毛までよく再現されている。
「何か感じられる?」
サーシャが少し期待を込めて尋ねる。
「とってもかわいいわよ。」
アテーラは素直な感想を口にした。
「でしょ、かわいいのよ、かわいいだけなのよ。」
サーシャは悔しそうに唇を尖らせる。
「ミレイさん、フルルをここに来させて。」
「フルル、机の上に来て。」
「ミュウ」
フルルは元気よく飛び上がった。
ふわふわ。
ふわふわ。
綿毛を揺らしながら、ゆっくりと机の上に降りてくる。
まるで部屋の空気そのものが、少しだけ柔らかくなったようだった。
サーシャがぬいぐるみを指さす。
「分かるでしょ。」
部屋にいた全員が、本物のフルルとぬいぐるみを見比べた。
「確かに。」
自然と漏れた一言だった。
「フルルがいるだけで心が落ち着く、幸せな気持ちになる。」
「フルルを触ってみて。」
アテーラがそっとフルルへ手を伸ばす。
「わああ、気持ちいい、幸せ。」
思わず笑みがこぼれる。
サーシャは、その様子を見て嬉しそうに微笑んだ。
「これがフルルなの。これは説明しても、ダメ、伝わらないの。これは実際にフルルに会った人でないと分からないの。」
部屋の誰もが、その言葉に静かにうなずいていた。
「だからミレイさん、職人をフルルに会わせて。」
ミレイはフルルを見つめる。
「フルル、どうする?」
「ミュ~ウ」
少し考えるように鳴く。
「ん、わかった。」
「フルルは知らない人に会うのは嫌だって。すごく嫌がっている。」
「じゃあ、どうするのよ!」
サーシャは思わず立ち上がりそうな勢いで声を上げた。
「サーシャ、落ち着きなさい。」
その場に、しばし沈黙が流れた。
キャンターがおもむろに口を開いた。
「ちょっとそのぬいぐるみを見せてくれますか。」
キャンターはぬいぐるみを手に取り、しばらく見つめた。
「なんとかなるかもしれないな。これ、お借りしますね。」
ぬいぐるみを持って、階下に向かった。
「サーシャ、キャンターさんなら期待できるかもしれないよ。」
フィリップは、サーシャの気を静めようとした。
しばらくして、キャンターが戻ってくる足音が聞こえてきた。
キャンターが扉を開き、静かに身を引いた。
「入ってきてください。」
廊下から聞き慣れた足音が近づいてくる。
「ああ、ミレイさん、お加減はどうですか?」
姿を現したのはユーリだった。
いつもと変わらぬ調子で部屋へ入ってきたその姿を見つけ、ミレイは目を丸くする。
「ユーリさん、どうしてここへ?」
「私が来てもらいました。」
キャンターが穏やかな笑みを浮かべて答えた。
そのやり取りを見ていたサーシャが、不思議そうに首をかしげる。
「あなた、何者?」
突然の問いに、ユーリは眉をひそめた。
「何者呼ばわりとは失礼なガキだな、お前こそ何者だよ。」
「私はサーシャよ。」
胸を張って名乗るサーシャに、ユーリも負けじと胸を張る。
「ダメドロ改め、愛の細工師とは俺様のことだ。」
その言い回しに、部屋の空気が一瞬止まる。
「何をかっこつけてんのユーリ。」
アテーラの呆れた一言が飛んだ。
「これはアテーラさん、失礼しました。」
頭を下げるユーリを見て、サーシャは容赦なく追い打ちをかける。
「ダメドロなんて、最低。」
「おいおい、けんか売ろうってのかよ。」
「おやめなさい、二人とも。」
キャンターが苦笑交じりに割って入る。
険悪になりそうでいて、どこか微笑ましい。
アテーラは肩をすくめる。
「まるで、犬と猿ね。」
部屋のあちこちから小さな笑い声が漏れ、先ほどまで張りつめていた空気が柔らかくほどけていった。
キャンターは手元のぬいぐるみを持ち上げる。
「さて、ぬいぐるみの話だが、ユーリ、そのぬいぐるみ、どう思う。」
ユーリは受け取ると、表情を一変させた。
ふざけた様子は消え、職人の目になる。
縫い目を確かめる。
体の丸みを指でなぞる。
毛並みを光にかざし、角度を変えて眺める。
部屋は自然と静まり返った。
誰もが、その一挙手一投足を見守っている。
しばらくして、ユーリは静かに口を開いた。
「よくできていますね。でも、これはフルルじゃない。まがい物だね。」
「え! あなたそれが分かるの、なんで?」
サーシャが思わず身を乗り出す。
ユーリは当然だと言わんばかりに肩をすくめた。
「当たり前だろ、俺が分からないわけないだろ。な、フルル。」
そう言って机の上にいるフルルを優しくなでる。
「ミュウ」
フルルは嬉しそうに鳴き、小さな体をふわりと揺らした。
その様子を見たミレイの頬も自然と緩む。
やはりフルルは、ユーリを信頼している。
キャンターはその反応を見届けると、静かに尋ねた。
「ユーリ、君なら本物のフルルのぬいぐるみを作れるかな?」
問い掛けられたユーリは、にやりと笑う。
その笑みには、職人としての自信が満ちていた。
「俺がいつもやっている細工に比べたら、こんなものお茶の子さいさいさ。」
その一言を聞いた瞬間――。
ガタンッ。
椅子を鳴らしてサーシャが勢いよく立ち上がる。
「作りなさい! あなた、ぬいぐるみを作るのよ!」
部屋中の視線が一斉にサーシャへ向いた。
「な、何だよ、突然。」
ユーリは思わず一歩のけぞる。
しかしサーシャの瞳は真剣そのものだった。
アテーラも静かにうなずいた。
「そうね、細工師のユーリなら作れるわね。フルルのこともよく知っているし。」
ミレイは期待を込めてユーリを見る。
「ユーリさん、お願いできますか。」
その真っすぐな眼差しを受けたユーリは、照れくさそうに頭をかいた。
そして、いつもの調子で胸を叩く。
「ミレイさんのためなら、火の中、水の中、ですよ。もちろん喜んで。」
「ありがとうございます。」
ミレイが深々と頭を下げる。
キャンターも満足そうに目を細める。
これで、本物のフルルを知る職人が加わった。
サーシャはすぐに気持ちを切り替え、実務の顔へ戻る。
「詳しい打ち合わせの日時などは、のちほどこちらから連絡させていただきます。」
ユーリは今自分の部屋の漂っている「あれ」を思った。
「俺様の家はちょっとまずいな、この食堂に、昼頃なら毎日いるから。」
「分かりました。」
サーシャが力強くうなずく。
こうして、本物のフルルを世に送り出すための第一歩が、静かに踏み出された。




