第二話 和み亭の人々
和み亭の中へ入ると、祭りの賑わいはそのまま店の中へ流れ込んでいた。
正面には受付、右手には食堂兼酒場が広がっている。
木のテーブルはほぼ埋まり、旅人たちが酒を酌み交わし、町の人々が楽しそうに笑い合っていた。
料理の湯気と焼きたてのパンの香りが、店いっぱいに広がっている。
忙しく立ち働く店員たちの「はい、ただいま。」「こちらです。」という元気な声が絶えない。
「ただいま。」
アテーラが声を掛けると、カウンターの中に立っていた男が振り向いた。
右目は黒い眼帯で覆われている。
長身で姿勢がよく、店全体を見渡すように立つ姿には落ち着きがあった。
アテーラは男に向かって軽く目配せをした。
「この人が宿の主人、私の旦那様のキャンターさん。この子、ミレイさんね。」
「よろしく、ミレイさん。」
穏やかな声だった。
「よろしくお願いします。ミレイです。」
「うん。」
短く頷いたキャンターは、それ以上は何も聞かなかった。
「ミレイ、お腹すいていない? 何か食べようか。」
「うん。」
「ピッキー、この子に何か食事を。」
「はい。」
若い店員が笑顔で近づく。
「こちらへどうぞ。」
ミレイは案内され、食堂の隅の席へ腰掛けた。
しばらくすると、焼きたてのパン、チーズ、野菜の煮込みが運ばれてくる。
立ちのぼる湯気を見つめながら、小さく手を合わせた。
「いただきます。」
パンを一口。
外は香ばしく、中はふんわりとしている。
続いて温かな煮込みを口へ運ぶ。
(おいしい……)
自然と頬がゆるむ。
その様子を、少し離れた場所からアテーラが嬉しそうに見つめていた。
「やけに可愛い子だけど、どこの子だ。」
キャンターが小声で尋ねる。
アテーラは、広場で出会ってからの出来事をキャンターに話して聞かせた。
ミレイが記憶を失っていること。
フルルという不思議な生き物がいること。
そして、食い逃げを捕まえたこと。
話を聞き終えたキャンターは、腕を組んだ。
「あの子の特技は君と同じだって言うのか。」
「そうとしか考えられないわ。」
アテーラは小さく息をつく。
「突然転んで、そのまま転がっていった。」
「相手を巻き込んで気絶するまで転び続ける。」
「でも本人はかすり傷一つない。」
「あたしの『ドタン』とまったく同じでしょ。」
キャンターはミレイへ目を向けた。
パンをちぎりながら、幸せそうに食事をしている。
どう見ても、ごく普通の少女だった。
「しかし、まったく同じ特技を持つ人がいるというのは聞いたことがないな。」
「同じ『ドタン』の特技でも、転んだ後に何か必ず拾うとか、転んだ勢いで遠くまで跳ぶとか、どこか違っているはずなんだが。」
「そうなのよ。」
アテーラも首をかしげる。
「あの子の場合、本当にあたしと同じなの。」
「……いや。」
キャンターは静かに首を振った。
「まだ決めつけるのは早い。」
「え?」
「あまりにも出来すぎている。」
「偶然とは思えないが、特技とも言い切れない。」
「もう少し様子を見た方がよさそうだ。」
アテーラも静かに頷いた。
「そうね。」
二人は再び仕事へ戻る。
それでも時折、ミレイへ視線を向けていた。
パンとチーズ、野菜の煮込みを食べているミレイに、一人の中年の男がゆっくりと近づいてきた。
少し猫背で、どこか居心地悪そうに歩いてくる。
暗い表情を浮かべているが、その視線はミレイから離れなかった。
それに気づいたアテーラが、さりげなく二人の間へ入った。
「あなた、何の用。」
男は肩をすくめる。
「用なんてないけど、子供が一人でこんな所にいるからどうしたのかなと思って。」
「それだけだよ。」
「あなたには関係ない。あっちに行きなさい。」
「チェッ。」
男は小さく舌打ちすると、背中を丸めたままとぼとぼ歩いて行った。
その後ろ姿を見送りながら、アテーラは小さくため息をつく。
「あの人が誰かに興味を持つなんて珍しいわね。」
ミレイも男の背中を見つめていた。
「ユーリといってね。悪い人じゃないんだけど。」
「細工師としては、たいしたもんなのよ。」
「でも特技が特技だから、みんな警戒しちゃってねえ。」
「そのうちあの人、人嫌いになって、人を避けるようになってしまったの。」
ミレイは首をかしげる。
「特技って?」
「ユーリの特技は『もらっちゃう』。人の物、盗めるの。」
アテーラは少し困ったように笑う。
「もっとも、人様がいらないってものだけしか盗めないらしいけどね。」
「いらないものがなくなるなら、捨てる手間が省けて、かえってありがたいんじゃないかと思うんだけど、世の中はそう思ってくれなくてね。」
「そうなんだ。」
「そういえばミレイの特技はなんなの? やっぱり『ドタン』かな。」
ミレイは迷うことなく首を振った。
「私、特技ない。」
「知らないとか覚えていないとかじゃないの?」
「ううん。特技、持っていない。」
アテーラの笑顔が止まった。
「間違いないの?」
「うん、絶対。」
アテーラは思わずミレイを見つめた。
特技を持たない人間など、聞いたことがない。
アテーラはすぐに穏やかな表情へ戻る。
「ミレイ、人から特技は何って聞かれたら、『分からない』って答えなさい。」
「なんで?」
「普通は一つ持っているものだから、変な人って思われちゃう。」
ミレイは少し考え、小さくうなずく。
「約束よ。」
「うん。」
「『うん』じゃなくて。」
「……約束。」
アテーラは優しく微笑んだ。
「いい子ね。」
そのとき、大柄な男が豪快な足音を立てながら近づいてきた。
立派な顎ひげ。
鋭い目つき。
初めて見る者なら思わず身構えてしまうほどの迫力だった。
「食い逃げだって。」
「捕まえてやったわよ。」
「いつもの『ドタン』だな。」
「一人はね、もう一人はこの子が捕まえてくれたの。」
アテーラがミレイを見る。
男もゆっくり近づき、顔を覗き込んだ。
「ん?」
「か弱いといおうか、可愛いこの子が捕まえたのか?」
「まあいいじゃないの。」
「マスターの隠し子か。」
「馬鹿言ってんじゃないの。」
「そんなことより、そんな厳つい顔近づけたら怖がるでしょ。」
男は笑いながらミレイを見る。
ミレイも男を見つめ返し、にこりと笑った。
「怖くない、この人、いい人。」
一瞬、男の表情が止まった。
次の瞬間、豪快に笑った。
「お、人を見る目があるねえ。いい子だなあ。」
そう言うと、ミレイをひょいと高く持ち上げた。
突然景色が高くなる。
ミレイは驚きながらも、微笑んだ。
「酒臭い。あっち行きなさい。」
アテーラが呆れ顔で言う。
「祭りの最終日だ。ちょっとぐらいいいだろ。」
男は笑いながら仲間の待つテーブルへ戻っていった。
「顔は怖いけど、いい人よ。」
「突貫組のリーダー、キサナギ。」
「突貫組って?」
「まあ、一言で言うと何でも屋ね。」
「それも凄腕の。」
「強いしね。頼りになるよ、あの人たちは。」
ミレイは仲間たちと笑い合うキサナギの姿を見つめた。
怖そうな顔。
でも、本当に楽しそうに笑っている。
(ほんとだ。いい人。)
そう思うと、自然とミレイも笑顔になっていた。




