第四話 フルルをくれない?
「さて、これからが今日の本題です。」
フィリップの目が、どこか楽しそうに輝いていた。
「今日は、ぜひミレイさんに紹介したい人がいるのです。」
「紹介したい人?」
ミレイの瞳が輝く。
「どなたですか?」
「まずは、お会いいただけますか。」
フィリップの顔から笑みがこぼれる。
「なんかフィリップさん、楽しそう。ぜひ、お会いしたいです。」
「ありがとうございます。」
「では、私の部屋へ参りましょう。」
フィリップの足取りはいつになく軽やかだった。
(どんな人なんだろう。全然わからない。でも、すごく楽しみ。)
フィリップは廊下の奥にある一室の前で足を止めた。
「こちらです。」
静かに扉を開ける。
部屋へ一歩足を踏み入れたミレイは、思わず辺りを見回した。
右側には、異国の工芸品や年代物と思われる品々が、美しく並べられたガラスケース。
左側の壁一面には、歴史書や地理書が隙間なく収められた本棚が続いている。
正面には大きな木製の机。
その背後の壁には、この世界全土を描いた巨大な地図が掲げられていた。
さらに周囲には、旅先で書き込まれたのであろう地図やメモがいくつも貼られている。
(すごい……この部屋だけで、世界中を旅しているみたい。)
その机の近くで、一人の少女が厚い本を開いていた。
銀色の髪が窓から差し込む朝日に照らされ、やわらかく輝いている。
若草色の膝丈チュニックに革の細帯。
動きやすいズボンと編み上げのブーツ。
上質ながら飾りすぎない服装は、活発な性格を思わせた。
フィリップが声を掛ける。
「待たせたかな。」
少女は本を閉じ、振り向いた。
「ああ、フィリップ叔父様。」
親しい家族だけが見せる自然な口調だった。
フィリップはミレイへ向き直る。
「ミレイさん。彼女は私の兄の娘、サーシャです。」
「サーシャ、こちらはミレイさん。」
ミレイはにこりと笑って頭を下げた。
「こんにちは、ミレイです。よろしくお願いします。」
しかし、サーシャは返事をしなかった。
ただ、じっとミレイを見つめている。
頭の先から足元まで。
ミレイは少し戸惑った。
(私……何か変なのかな。)
サーシャはなおも見つめ続ける。
やがて小さく首をかしげた。
「叔父様、この方が、叔父様のおっしゃっていた奇跡の少女?」
「ああ、そうだが。」
フィリップがうなずく。
サーシャはもう一度、ミレイを見つめた。
そして、あっさりと言った。
「私、何にも感じません。」
その言葉に、フィリップは興味深そうに笑った。
「サーシャが何も感じないか。」
「面白い。」
その瞬間だった。
「フィリップさん!」
ミレイの声が部屋に響いた。
その真剣な口調に、フィリップもサーシャも目を丸くする。
「奇跡の少女って何ですか。」
「その呼び方……嫌です。やめてください。」
普段の穏やかなミレイからは想像もできない、はっきりとした言い方だった。
フィリップはゆっくり息を吐いた。
そして静かに頭を下げる。
「……失礼しました。軽い気持ちで口にしていました。」
「当事者のお気持ちを考えておりませんでした。」
「私の配慮が足りませんでした。申し訳ありません。」
ミレイは少し表情を緩めた。
「分かっていただければ、それでいいです。」
そのやり取りを見ていたサーシャが、小さく笑う。
「叔父様にそんなにはっきり言える人、初めて見たわ。」
「あなた、見どころあるじゃない。ちょっと、興味がわいてきたわ。」
フィリップは苦笑しながら肩をすくめた。
「叔父様、奇跡の少女、事務所の人たちも言っていたわよ。」
「事務所のほうも早急に徹底させます。もう二度と、その呼び方はいたしません。」
「ありがとうございます。」
ミレイは素直に微笑んだ。
「そんなことより、あなた。」
「肩に乗っている、それ、何、見せてよ。」
ミレイの肩を指さす。
ミレイの顔に緊張が走る。
思わず肩を見る。
「なんで……分かるんですか?」
サーシャは不思議そうな顔で答えた。
「だって、私、分かるんですもの。」
その一言に、フィリップは思わず吹き出す。
「サーシャ、それでは分かりませんよ。」
ミレイは思わずフィリップを見る。
「サーシャ、ミレイさんに話してもいいかな。」
「いいわよ、減るものでもないし。」
サーシャは肩をすくめる。
「サーシャの特技は、鑑定することなのです。」
「鑑定……?」
「ただし、一般的に言われる鑑定とは少し違います。」
「サーシャの鑑定は、価値のあるものを見つけることができるのです。」
「価値のあるもの……」
ミレイは小さく繰り返した。
サーシャがすぐに首を横へ振る。
「そんなに便利な能力じゃないわ。」
「価値には、良い価値も悪い価値もあるの。」
「私は、その違いまでは分からない。」
そう言って椅子にもたれた。
「もし私が、『この人は価値があります』なんて紹介しても、その価値が悪いものだったら、大変でしょう。」
なるほど、と素直に思った。
何でも分かる能力ではないから、使い方が難しいのだ。
フィリップも静かに続ける。
「この特技もあって、サーシャは兄の商会を継ぐことになっています。」
サーシャが即座に口を挟んだ。
「勝手なこと言わないで。」
「私は継がないわよ。他の誰かに継がせればいいのよ。」
「私、トレジャーハンターになるんだから。」
その瞳が急に輝き始める。
「世界中の秘境や魔境を歩いて、まだ誰も見たことがない、本当に価値のある宝物を見つけるの。」
その姿を見ながら、フィリップは肩を落とした。
「もう、親族会議で決まっただろう。」
「私には関係ないわ。」
まったく譲る気はない。
ミレイは、そんな二人のやり取りを見ながら思わず笑みを浮かべた。
本当に仲がいい。
サーシャはフィリップを指さした。
「叔父様だって、若い頃は世界中を飛び回る、凄腕のトレジャーハンターだったんでしょう。」
「えっ!」
ミレイが思わず声を上げる。
「フィリップさんが?」
(そういえばこの部屋……)
異国の工芸品。
年代物の道具。
壁いっぱいの地図。
旅先で書き込まれたような印。
(だからなんだ。だからこの部屋には旅の匂いがするんだ。)
一人で納得しているミレイを見て、サーシャは得意そうに笑う。
「叔父様の特技、すごいんだから。」
「罠を発見する特技なの。トレジャーハンターには最高の特技よ。」
フィリップは苦笑した。
「今では、その特技のおかげで苦労することも多いんだけどね。」
「この前の決算報告書の件も、私の特技で見抜けると思われることが多いんだよね。」
「でも、あれは無理なんだ。」
「私の特技は、ダンジョンの中だけでしか発動しない。」
ミレイは心の中で、小さく頷いた。
(だから私は、『なんとなく変』としか思わなかったんだ。)
少しだけ、自分の中で疑問がつながった気がした。
すると、サーシャは待ちきれなくなったように身を乗り出す。
「そんなことより、見せて!」
その目は、もうミレイの肩しか見ていなかった。
「フルル、どうする?」
服の中から、ふわふわした綿毛が、ぴょこんと現れた。
続いて、大きな丸い瞳。
きょろきょろと辺りを見回し、サーシャを見つける。
安心したように、ぴょん、と机の上へ飛び降りた。
「まあ……」
サーシャは思わず息をのむ。
ゆっくりと近づき、
右から。左から。
上から。下から。
前から。後ろから。
夢中になって見つめる。
フルルも負けじと、
右へ。左へ。
上へ。下へ。
首を傾げるように体を動かしていた。
その姿がおかしくて、ミレイは思わず笑ってしまう。
しばらく見つめ合った後、サーシャがぽつりと呟いた。
「ふうん……、こんな生き物、初めて見たわ。」
そして、自然に笑顔になる。
「それに――すごく、かわいい。」
その言葉とともに、そっと両手でフルルを包み込んだ。
両手の中へ収まったフルルは、不思議そうにサーシャを見上げている。
「ホワホワしてる……」
「それに、サワサワ。」
指先でそっと撫でる。
「さわり心地も素敵。」
フルルは嫌がる様子もなく、気持ちよさそうに小さく鳴いた。
「ミュウ」
ローザが抱いた時と同じように、体が光に包まれることもなかった。
(あれ、来ない。え? サーシャさんもロリィさんと同じ? エッ、エッ?)
一方、サーシャの興味はますます大きくなっていた。
抱いたまま、あちらこちらから眺める。
耳はあるのか。
足はどうなっているのか。
綿毛はどう生えているのか。
夢中になって観察している。
やがて満足そうに頷いた。
「かわいい、本当にかわいい。」
「ねえ、この子、私にくれない?」
言葉の意味を理解するまで、一瞬かかった。
ミレイは目を見開く。
思わずフルルを見る。
次の瞬間だった。
フルルはぴょんと飛び上がり、一目散にミレイの胸へ飛び込んだ。
服の中へ潜り込み、小さく震えている。
ミレイは両手で優しく包み込んだ。
それから静かにサーシャを見た。
「フルルは、私の一番のお友達です。」
「お断りします!」
サーシャは不思議そうに首をかしげる。
「サーシャ、失礼なことを言うのではありません。」
フィリップの低い声が、その言葉を遮った。
「大切な友達を『くれ』と言われて、平気な人はいません。」
「だって叔父様、この子、人気者になるわ。」
「それがどういうことか、あなたじゃ分からないでしょ、ミレイさん。」
「フルルは私の一番のお友達です。あげるとか、あげないとか、失礼です。」
「それに、フルルが人気者になったら困ります。」
「フィリップさん、私、帰ります。」
扉の方に向かいかける。
「サーシャ、謝りなさい。」
強い口調で言った。
サーシャはフィリップのいつになく真剣な顔を見て、やっと今の状況が理解できた。
少しずつ表情が曇っていく。
「……あ。」
サーシャはゆっくりとミレイへ向き直る。
「ごめんなさい。」
「私……これだって思う物を見つけると、周りが見えなくなるの。」
「本当に、ごめんなさい。」
ミレイは胸元のフルルをそっと撫でる。
小さな震えが、少しずつ収まっていく。
「もう大丈夫だよ。」
優しく声を掛けると、
「ミュウ」
安心したような返事が返ってきた。
その様子を見届けてから、ミレイはサーシャへ微笑んだ。
「もう大丈夫です。」
「でも、フルルは家族みたいな存在だからびっくりしました。」
サーシャは何度も頷いた。
「うん、本当にごめんなさい。」
「あなたのお話を聞いていて、気になったことがあるの。聞いてもいいかしら?」
「え、いいですけれど。」
(今度は何を言われるのだろう。)
不安そうにサーシャを見た。




