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17/30

第三話 ロリィが戻ってきた

一週間後。

和み亭の前には、一台の落ち着いた深緑色の四輪馬車が停まっていた。

扉には、グランティス会計事務所の紋章が控えめに描かれている。

玄関の戸が開き、ミレイがキャンター夫妻とともに外へ出る。


「なんですか、この馬車は。」

思わず目を丸くすると、ロンダーが一歩前へ出て、丁寧に一礼した。

「本日は、グランティス会計事務所の正式なお客様としてお迎えに参りました。」

そう言って静かに扉を開く。

「ミレイ様、どうぞお乗りください。」

「ロンダーさん。『様』はやめてください。ミレイでお願いします。」

ロンダーは少し困った顔になる。

「そういうわけには……」

「お願いします。」

真っ直ぐな瞳で見つめられ、ロンダーは苦笑した。

「分かりました。」

「それでは……ミレイさん。」

「どうぞ、お乗りください。」

「ありがとうございます。」

そのやり取りを聞いていたアテーラが、肩をすくめて笑う。

「聞いているこっちが疲れてきたわ。」

皆も思わず笑みを浮かべた。

「仕事のこと、お願いしてあるからね。よく相談に乗っていただいてらっしゃい。」

「はい。ありがとうございます。」

「行ってきます。」


馬車へ乗り込み、小さく手を振る。

馬車は石畳を軽く弾むように進む。

車内には、心地よい静けさが流れていた。


しばらく景色を眺めていたロンダーが、静かに口を開く。

「ローザのことで、お話ししておいた方がいいことがあるのですが。」

「よろしいでしょうか。」

「はい。何でしょう。」

ミレイは姿勢を正した。

「ちょうどこのあたりでしたか。馬車の中で、フルルさんを見せていただいたときのことですが。」

「『ロリィが抱きしめたいと言っている』と、ローザが言ったのを覚えておりますか。」

「はい。」

「まだ完全には回復していないのでは、と思われませんでしたか。」

「いいえ、そんなことは思いませんでした。」

「ローザさんの心には、ロリィさんとの思い出がたくさん詰まっていますから。」

ロンダーは、ゆっくりと首を振った。


「思い出ではありません。」


静かな声だった。

けれど、その言葉には確かな強さがあった。

「ローザの中で、ロリィは生きています。」

「えっ?」

ミレイは思わず息をのむ。

「ローザの特技が発動したのです。」

車内が静まり返る。

馬車の車輪だけが、石畳を静かに刻んでいく。

「特技の中には、非常に稀《まれ》ですが、どのような能力かわからないものがあるのです。」

「発動して初めて分かるのですが、発動条件も分からないのです。」

「その上、発動条件自体も特殊なようです。」

「ですので、発動されずに一生を終える人も少なくありません。」

ロンダーはミレイのほうに顔を向けた。

「それが発動したのです。ミレイさん、あなたとの出会いによって。」

「ローザの特技は、強く想う人の心を、自分の心の中によみがえらせる能力のようです。」

ローザがフルルを抱きしめた時、自分は何も感じなかった。

(あの時、フルルを抱きしめていたのはロリィさんだったから……)

胸の中で、小さな疑問が一つにつながった。


「ロリィさんに会えるんですね。」

「今度、ローザさんに会うのが楽しみです。」

自然と笑みがこぼれる。

その言葉に、ロンダーは微笑んだ。

だが、すぐに表情を引き締める。

「このことは、決して他言しないでください。決して。」

「このような特技が世間へ知られれば、ローザの身に危険が及ぶことは間違いありません。」

ミレイも真剣な表情になる。

「分かりました。絶対に誰にも話しません。」

「でも、ローザさん、とても素敵な特技をお持ちなんですね。」

ロンダーは静かに目を閉じた。

「……はい。」

声が震えていた。


「ロリィが、ロリィが戻ってきました。」


やがて馬車は、グランティス会計事務所へ到着した。


「ミレイさんをお連れしました。」

「お待ちしていました。」

フィリップが和やかな顔で迎えた。

「先日はありがとうございました。本当に助かりました。」

その笑顔には、あの日と変わらぬ温かさがあった。

「こんにちは、フィリップさん。」

ミレイも自然と笑顔になる。

「今日おいでいただいたのは、この間のお礼をさせていただきたいと思いまして。」

「それから、一人、ぜひ会っていただきたい者がおります。」

「この間の件に関しても、その後のことについて、少しお話しさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。」

「はい。」


フィリップは机の上へ一冊の書類を置く。

「まず、オスカー商会ですが。」

「役員二名が事件に関与しておりました。」

「使い込みの発覚を恐れ、帳簿の改ざんを行っていたとのことです。」

「現在は両名とも留置されております。」

ミレイは黙って耳を傾けていた。


「そして、当事務所のオットーですが。」

フィリップの表情が少し曇る。

「賭け事にのめり込み、多額の借金を抱えておりました。」

「その返済のため、賄賂を受け取っていたことが判明しております。」

ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。

「見抜くことができなかったことは、支店長として大変恥ずかしく思っております。」

「内部調査中に異変を察知したようで、現在、所在が分からなくなっております。」

「関係機関が全力で捜索しておりますので、近日中には身柄を確保できるでしょう。」

そこでフィリップは真っ直ぐミレイを見た。

「ミレイさんに危害を加える可能性は低いと思われます。」

「ですが、念のため十分お気をつけください。」

「この件はキャンターさんにもお伝えしてあります。」

「はい。」


「さて。」

その場の重い空気を変えるように軽く手を打った。

「今日は、もう一つ大切なお話があります。」

「キャンターさんから、ミレイさんに何か仕事を紹介できないか、というご相談を受けました。」

ミレイの表情がぱっと明るくなる。

「はい!」

「お金がないので、働きたいんです。」

その言葉に、フィリップは思わず笑みを浮かべた。

「ミレイさん向きのお仕事ですね。」

「何でもいいです。働ければ。」

フィリップはその真っ直ぐさに目を細める。

「分かりました。」

「あなたに合う仕事を、一緒に考えましょう。」

その一言に、ミレイは嬉しそうに微笑んだ。

「よろしくお願いします。」


その時だった。

肩の上から、ひょこっとフルルが顔を出した。

「ミュウ、ミュウ」

まるで、「ぼくからもお願い」と言っているようだった。

フィリップは思わず吹き出す。

「おやおや、フルルくんからも頼まれてしまいましたね。」

ロンダーも思わず笑う。


「そうだ、大切なことを忘れていた。」

「事務所を救っていただいたお礼を、まだお渡ししておりませんでした。」

「そんなこと、いいです。」

ミレイは慌てて首を振る。

「私は何もしていませんから。」

「いえいえ、私どもにとっては、それほど大きな出来事だったのです。」

フィリップは席を立ち、壁にはめ込まれた金庫の前へ歩いていく。

鍵を回し、重い扉を開く。

中から取り出したのは、一つの薄い桐箱《きりばこ》だった。

両手で丁寧に机まで運び、静かに蓋を開ける。


箱の中には、一枚の黒いカードが納められていた。


「これを差し上げます。」

ミレイは不思議そうにカードを見つめた。

「何ですか、それは。」

その横で、ロンダーの表情が一変した。

目を見開き、思わず一歩前へ出る。


「そ、それは……」


思わず息をのむ。

フィリップはミレイを見て、少し意外そうに笑った。

「カードです。ご存じありませんか。」

「はい。」

「では、後ほど、ロンダー君から詳しく説明させましょう。」

「ロンダー君、お願いします。」

「……はい。」

ロンダーは背筋を伸ばした。

その返事には、いつになく緊張が滲《にじ》んでいる。

フィリップは桐箱ごとカードを持ち上げ、ロンダーへ差し出した。

「このカードは、あなたにお預けします。あとはよろしくお願いします。」

ロンダーは両手で箱を受け取った。

まるで壊れやすい宝物でも扱うような慎重さだった。

「このロンダー、命に代えて、お預かりいたします。」

その言葉に、ミレイは首をかしげる。

(そんなに大切な物なのかな。)

ロンダーの様子を見る限り、とても特別な物らしい。

フィリップは、そんなミレイの様子を見て小さく笑った。


「さて、これからが今日の本題です。」


フィリップの目が、どこか楽しそうに輝いていた。

「今日は、ぜひミレイさんに紹介したい人がいるのです。」

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