第二話 フルル、大興奮!
「このお店?」
今にも跳びだしそうな声で、「ミュー」
「出ちゃ駄目だよ。帰っちゃうからね。」
力強く「ミュウ」
店内は甘い香りに包まれ、ショーケースには色とりどりのお菓子が並んでいた。
その瞬間、フルルの興奮は最高潮に達した。
胸元の中で跳びはねる。
「やっぱり、かーえろ。」
その途端、ピタリと止まった。
ちょっと低い声で、「これが最後よ、フルル。」
情けない声で、「ミュ~ウ」
その様子を見ていたローザが、くすくすと笑う。
「笑い事じゃないんです。」
「ごめんなさい。仲がいいのね。フルルちゃん、本当にスイーツ好き。」
その言葉にフルルは全力で体を揺らした。
「ミュウ!」
「フルル、どれがいい? お菓子の前に順番に立つから、欲しいのがあったら教えて。」
「これは?」
「ミュウ」
「次は?」
「ミュウ」
「え、これは?」
「ミュウ」
「これも?」
「ミュウ」
「まさか全部?」
「ミュウミュウ!」
「フルル!」
ミレイが思わず声を上げる。
慌てて口を押さえ、ひそひそ声で。
「欲張り言ったらだめでしょ!」
フルルは全く反省していなかった。
むしろ、「全部!」と言わんばかりに揺れている。
ローザはとうとう吹き出した。
「ふふふっ。」
「ローザさんまで。」
「だって、本当に可愛いんですもの。」
そしてフルルに向かって優しく話しかける。
「大丈夫ですよ。ちゃんと買ってもらえますからね。」
「いい子にしていましょうね。」
その様子にミレイは目を丸くした。
「すごい……」
「え?」
「私の言うことより聞いてる気がする。」
ローザは楽しそうに笑った。
「みんな一つずつ下さい。」
「いや、待て。ミレイさんの分もあるんだ。二つずつだな。」
「承知いたしました。」
「あなた、私の分は?」
「おお、一番大切な君のことを忘れるなんて、どれがいい?」
「五千八百ギルになります。」
「……あ。」
ミレイの笑顔が固まる。
「私、お金、持っていない。」
困ったように立ち尽くすミレイを見て、ロンダーは穏やかに微笑んだ。
「これで。」と言って、店員にカードを渡す。
「すみません……」
「私、お金がないことを忘れていました。」
「子どもの君に払わせるわけないでしょう。」
「それにあなたには返しても返しきれないほどの恩があります。」
その言葉に、ミレイは困ったような顔をした。
ローザが、そっとミレイの肩へ手を添えた。
「それより、今度お買い物に行きましょう。」
「ロリィが、ミレイさんと一緒に行きたいんですって。」
「ね、約束ですよ。」
ミレイの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい。」
「ぜひ、一緒にお願いします。」
その返事を聞き、ローザも嬉しそうにうなずいた。
和み亭へ戻る頃には、箱いっぱいのケーキが馬車の中を甘い香りで満たしていた。
店へ入るなり、ミレイは少し照れたように笑う。
「食いしん坊のフルルのせいです。」
「お店のケーキ、全部欲しいっていうから、こんなことになりました。」
テーブルの上へ箱が並べられる。
蓋が開くたびに、色とりどりのケーキが姿を現した。
その数に、アテーラ一家は思わず目を見張る。
「こんなに食べられないわよ。」
「早く食べたーい。」とでもいうように、フルルは、ホワホワした綿毛を揺らして、ケーキの上を嬉しそうに飛び回っている。
「ミュー、ミュー!」
「全部食べたいの?」
「駄目です。特別に三つ。」
今にも泣きそうな声で、「ミュ~ウ」
「フルルが三つなら、私も三つ。」
ティナが大きな声で言った。
「お姉ちゃんが三つなら、私も!」
ミナも負けじと手を挙げた。
その様子に、皆が微笑む。
アテーラが苦笑しながら言った。
「あなたたちは一つ。」
「私たちも一ついただきましょう。」
キャンターは積み上げられた箱を見回した。
「それにしても、まだ余るな。」
「ビッキーが甘い物好きだったな。ほかの若い連中も喜ぶんじゃないか。」
「お店の子たちにあげてもいい?」
「はい、おねがいします。」
いつの間にかフルルの前には、ショートケーキ、モンブラン、チーズケーキの三つがきれいに並べられていた。
ティナの前にはオペラ。
ミナの前にはピスタチオケーキ。
「いただきまーす!」
明るい声が重なる。
フルルは待ちきれない様子で、ふわふわの綿毛を伸ばした。
ケーキを抱えると、そのまま大きく口を開ける。
ぱくっ。
口いっぱいにクリームが広がる。
「ミュウ!」
幸せいっぱい。
口の周りはクリームだらけ。
ミレイは笑いながら、指先でクリームを拭ってあげた。
「あ~あ、食いしん坊のフルルさん。」
「そんなに慌てて食べなくても、誰も取ったりしませんよ。」
ティナの方をチラッと見る。
「でも、ティナなら危ないかもね。」
「えー! ひどーい。」
ティナが頬を膨らませる。
「そんなことしないわよ!」
店中が笑いに包まれた。
その笑い声の中でも、フルルだけは忙しかった。
ミレイの指先についたクリームをぺろり。
続いて二つ目のケーキへと、大忙し。
甘い香りと笑い声が満ちる和み亭。
いつもの食堂は、この日いっそう温かな空気に包まれていた。
窓から差し込む午後の陽射しが、食堂の床を柔らかく照らしている。
食器を片づける音。
常連客たちの楽しげな話し声。
その中で、ミレイは湯気の立つお茶を両手で包み込むように持ちながら、何かを考え込んでいた。
フルルは満足したのか、ミレイの肩の上で丸くなり、気持ちよさそうに「ミュウ……」と小さく鳴いている。
しばらくして、ミレイは意を決したように顔を上げた。
「アテーラさん」
「ん?」
食器を拭いていたアテーラが振り返る。
「教えていただきたいことがあるんですが。」
「なあに?」
「お金って、どうしたら手に入れることができますか。」
アテーラは一瞬きょとんとした。
「どうしたの、急に。」
「今日、スイーツ屋さんでケーキを買ったとき、お金を払わなければいけないことを知らなくて……」
ちょっと恥ずかしそうな表情になった。
「ロンダーさんが払ってくださったんです。」
「そうかあ、買い物ってまだしたことなかったのね。」
「はい。」
ミレイは素直に頷く。
「これからも、フルルが何か欲しがることがあると思うので。」
その言葉を聞いたフルルが、肩の上で小さく体を揺らした。
「ミュウ」
「そうね。」
アテーラは微笑んだ。
「お金はね、働いて稼ぐものなの。」
「働く?」
「例えばビッキー。」
アテーラは食堂の奥を指さした。
「料理を運んだり、お客様のお世話をしたりしているでしょう。」
続いて食堂の方へ目を向ける。
「ユーリは髪飾りや首輪を作ったり、修理したりしているわ。」
「みんな、自分にできる仕事をして、そのお礼としてお金をいただくの。」
(働く。そのお礼として、お金をいただく。)
しばらく考えた後、ミレイはまっすぐアテーラを見た。
「私も、この食堂で働かせてもらえますか。」
アテーラは少し驚いたあと、柔らかく笑った。
「私はかまわないけれど、主人に聞いてからね。」
「ちょっと待っていて。」
「はい、よろしくお願いします。」
ミレイは嬉しそうに頭を下げた。
その夜。
和み亭の営業が終わり、静けさが戻っていた。
店内には、片づけを終えたキャンターとアテーラだけが残っている。
「……というわけなの。」
アテーラが昼間の出来事を話し終えると、キャンターは腕を組んで考え込んだ。
「うちで働くのは構わない。」
「だが、あの子にはもっと別のことの方が向いているような気がするな。」
「あなたもそう思う?」
「ああ。」
「私もそう思ったの。」
「でも何がいいか思い浮かばなくて……」
「どうだろう、フィリップさんに相談してみたら。」
「フィリップさん?」
「あ、ロンダーさんから聞いていないのかい。」
「何を?」
「今日、ミレイがグランティス会計事務所最大の危機を救ったそうだ。」
「詳しいことは話せないそうだけれど、やはり奇跡の子だと、ずいぶん感激していたらしい。」
アテーラは目を丸くした。
「そんなことがあったの?」
「ミレイったら、何も言わないんだから。」
キャンターは小さく笑う。
「あの子にとっては、大したことではなかったのかもしれないな。」
「そうね……あの子らしいわ。」
少し考えてから、ぽつりとつぶやく。
「フィリップさんなら顔も広いし、ミレイに合った仕事を探してくださるかもしれないわね。」
「明日にでも、ロンダーさんを通してお願いしてみよう。」
二人は、まだ知らなかった。
その相談が、やがてミレイだけでなく、多くの人々の人生を変える大きな始まりになることを。




