第四話 かわいいお供
創生の里では、穏やかな風が草原を吹き抜けていた。
花の香りを運ぶ風に乗って、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。
ミレイが小さく鼻を動かした。
「……あ。」
お腹が鳴る。
「ふふ。」
フローラがくすりと笑った。
「そろそろ、お腹がすいた頃ではありませんか。」
「うん。」
ちょっと照れながらうなずく。
「あそこの森や草原には、いろいろ果実が実っています。」
「木の実やイチゴ、メロンもありますよ。」
「わあ! うれしい! 行こう!」
ミレイの目が一気に輝いた。
軽やかな足取りで歩き始める。
フローラも、その後をゆっくりと追った。
花たちが嬉しそうに揺れ、草が道を開けるように左右へ分かれる。
森へ続く小道には、木漏れ日がやさしく降り注いでいた。
頭上では木々の葉がやわらかく揺れていた。
ミレイは立ち止まり、辺りを見回した。
「フローラさん。」
「はい。」
「春に咲くお花も、夏や秋に咲くお花も、それに春の生き物や夏や秋の生き物も、みんな一緒にいるんですね。」
「そうですね。」
フローラは微笑みながらうなずく。
「この地では、一年中すべての生き物が生活しています。冬眠もしません。」
「そして、ご覧のとおり、皆さん、お話をすることができるのですよ。」
ミレイは目を輝かせた。
「あっ、あのお花。」
少し離れた場所を指さす。
「ウツボカズラ。虫を食べる植物ですよね。」
「人間世界では、そうですね。」
(記憶がないということでしたが……)
フローラは不思議そうにミレイを見た。
「この地では、爽やかなよい香りを出して、みんなの心を和ませてくれます。」
ウツボカズラは、照れたように葉を小さく揺らした。
「こんにちは。」
ミレイが手を振る。
『こんにちは。』
澄んだ声が返ってきた。
ミレイは思わず笑顔になる。
「本当に素敵で、不思議な場所なんだ。」
そのとき、一匹の蝶が二人の前を横切った。
羽ばたくたびに、小さな虹色の光が後ろへ細く伸びていく。
「わあ……。」
ミレイは足を止めた。
「この蝶々、飛んだあと、虹ができる。」
「綺麗。」
しばらく見上げていたミレイは、思わずつぶやく。
「こんなのが友達だといいなあ。」
「ミレイさん、いけません!」
突然、エウロスがミレイの前に降り立った。
ミレイは思わず跳び退いた。
「だめです! だめです!」
いつも穏やかなエウロスとは思えない慌てぶりだった。
「この子がいい、と強く思ったら、供として認定されてしまうことがあります。」
「やり直しはできません。」
「くれぐれも慎重になさってください。」
ミレイは目をぱちぱちさせる。
「びっくりしたぁ。」
胸へ手を当て、小さく息を吐く。
「とっても綺麗で、いいなあと思っただけなんです。」
「そうなんですね。それでもいけません。」
「あなたの命運を左右する供なのです。くれぐれも慎重に。」
「うん、分かった。慎重に、慎重に。」
エウロスはホッとしながら姿を消した。
その様子を見ていたフローラが、口元を押さえて小さく笑う。
「エウロス様が、珍しく慌てていらっしゃいましたね。」
「うん。すごく慌ててた。私も驚いた。」
二人は顔を見合わせ、笑った。
しばらく歩くと、草むらの向こうを、何かが動いた。
ぴょこん。
丸く、ふわふわした桃色のものが顔を出す。
……と思ったら、すぐに草の中へ隠れた。
「ん?」
ミレイは立ち止まる。
また、
ぴょこん。
今度は少し違う場所から現れる。
「フローラさん。」
「あれは何ですか?」
フローラも目を凝らす。
「なんでしょう?」
二人でしばらく見ていると、
ぴょこん。
ぴょこん。
隠れては現れ、現れては隠れる。
「こちらの様子を見ているようですね。」
「なんか面白そう。」
ミレイは少しずつ近づいていく。
「ここには怖い生き物はいないんですよね。」
「はい。」
「この地には、ミレイ様を傷つけるような者はおりません。」
その言葉を聞いて安心したミレイは、そっと草をかき分けた。
そこには、丸い桃色のふわふわが、小さく体を丸めていた。
ミレイは両手でそっと抱き上げる。
「軽い。」
思わず声が弾む。
「ふわふわして気持ちいいー。」
ふわふわは安心したように、ミレイの手のひらの上で小さく揺れている。
すると、そのふわふわの丸い体の横から、もう一回り小さなふわふわが、ぴょんと飛び出した。
「え?」
飛び出したふわふわから、まん丸の可愛い目がのぞいていた。
どうやら、それが顔らしい。
下からは綿毛のような短い足。
横からは小さな手が、ちょこんと伸びる。
くりっとした大きな目で、きょとんとミレイを見つめていた。
しばらく見つめ合う。
次の瞬間、ミレイの口から叫び声が飛び出した。
「かわいいーーー!」
「かわいいーーー! かわいいーーー!」
「だめです!!! ミレイさんー!」
フローラが悲鳴のような声を上げた。
ふわふわの体が、ふわりと淡い桃色の光に包まれる。
ミレイの胸元に柔らかな光が灯った。
二つの光は細い糸のようにつながり、ゆっくりと互いを引き寄せていく。
そのときだった。
空を覆う双子星。
厚い雲の奥に、赤い光が一つ灯った。
最初は小さな火種ほどだった光が、渦を描くように大きく広がっていく。
渦の中心は深い紅。
その周囲を黄金色の光が幾重にも包み込む。
やがて双子星全体が、一瞬だけ淡く輝いた。
そして、何事もなかったかのように厚い雲だけが双子星を覆っていた。
エウロスは黙って双子星を見上げていた。
神殿跡でも、三人が同じ空を見つめている。
「エウロス様。あの魔物……魔物でもなさそうだが、あれは何だぞ。」
サティロスが大声で言う。
「わしは見たことがないですのう。」
ナイアスも首を傾ける。
「私も初めてです。」
オレイアスも首をかしげながら言う。
エウロスは、ふわふわの生き物をじっと見つめていた。
「私も知りません。初めて見ました。魔獣ではなさそうですが……。」
「エウロス様がご存じないぞ!」
「あの生き物はどのような能力を持っているのですかのう。」
「御子様のお役に立つものであればいいのですが。」
三人の期待のまなざしがエウロスに注がれた。
「では、見てみましょうか。どれどれ、スキルは……。」
エウロスの瞳の奥に淡い光が宿る。
一瞬、動きが止まった。
もう一度、ふわふわの生き物を見る。
三人が一斉に身を乗り出した。
「……カワイイ?」
エウロスの叫びが神殿跡にこだまする。
「カワイイ? これがスキルだと! カワイイ!? カワイイ、だと……」
サティロスがぽつりと漏らす。
「そんなスキル……」
「見たことも、聞いたこともないぞ。」
ナイアスも困ったように頭を掻いた。
「力もなく……。」
「可愛いなどという、役に立ちそうもないスキルしか持っておらんようですのう。」
オレイアスも映像を見つめたまま、小さく息をつく。
「可愛いだけが取り柄の、弱小な生き物の突然変異体……。」
「そのように見えます。」
映像の中では、その小さな生き物が、ミレイの両手の上で嬉しそうにふわふわ揺れている。
抱き上げてもらえたことが嬉しいのか、くるくると体を回している。
とても、カワイイ生き物だった。
「今度こそ終わったぞ。」
「本当に、終わったのう。」
二人は、ガクッと座り込んだ。
「私まで、そのように思えてきてしまいました。」
オレイアスまで力なくうなずく。
エウロスは静かに息をつく。
「……もう、どうしようもありません。」
「ご本人の選択です。」
一方、ミレイはそんなやり取りなど知る由もない。
手のひらの小さな生き物を見つめ、頬をほころばせていた。
「ねえ。」
「あなた、とってもかわいいわね。」
小さな生き物は、大きな瞳を細めるようにして鳴いた。
「ミュウ」
小さく鳴いた。
その鳴き声に、ミレイは思わず笑顔になる。
「うふっ。かわいい。」
その一言に応えるように、小さな体が嬉しそうに揺れた。
その様子を、フローラがなんとも言えない顔で見ていた。




