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第7話:かくして、放課後の秘密会議は始まった


 白峰莉音の「担当編集」になるという、身の程知らずな約束を交わした翌日の放課後。


 ホームルームが終わるや否や、俺のスマホに一通のメッセージが届いた。

『今日の放課後も、図書室の奥で待ってます! ノートパソコン持参しました!』

 文末には、ぴょんぴょん飛び跳ねるウサギのスタンプ。


 俺は画面を見て、深々とため息をついた。

 氷の生徒会長という表の顔はどこへやら、今の彼女は完全に「自分の作品を見てもらいたくて尻尾を振っている大型犬」状態である。


(……図書室は、マズいな)


 俺は素早く『図書室には行くな。昇降口から少し離れた、旧校舎の裏口に来い』と返信を打ち込んだ。

 完璧な生徒会長である白峰が、俺のような日陰者の男子生徒と連日密会しているなどとバレたら、学校中が大パニックになる。


 旧校舎の裏口で落ち合った白峰を連れ、俺は駅から本屋へと続く裏路地の一本外れた場所へと向かった。

 そこに、ツタの絡まるレンガ造りの外観が特徴的な、小さな喫茶店があった。


 純喫茶『琥珀こはく』。


「……喫茶店? 高校生が入り浸るには、少し大人っぽすぎる気がするけれど」

「ここなら、うちの学校の生徒はまず来ない」


 カランカラン、とレトロなベルの音を響かせてドアを開ける。

 店内は焙煎されたコーヒーの深い香りと、静かに流れるジャズの音に満たされていた。


「いらっしゃい……おや」


 カウンターの奥でサイフォンを磨いていた白髪のマスターが、俺の顔を見てわずかに目を見開いた。


「……そうくんじゃないか。一年ぶりかな。……少し、背が伸びたか?」

「ご無沙汰してます、マスター。……奥の席、いいですか」


 マスターは俺の隣で緊張している白峰を一瞥し、やがてすべてを察したように、フッと優しく微笑んだ。


「ああ。君の指定席は、いつでも空けてあるよ」


 一年。俺が『文月ソウ』としての打ち切りを告げられ、この店で最後の原稿を書き終えてから、それだけの月日が流れた。

 もう二度と座ることはないと思っていた一番奥のボックス席に、俺は白峰を促して腰を下ろした。



     *



「……よしっ。じゃあ、打ち込んでいくわね!」


 白峰は真新しいノートパソコンを広げ、気合いを入れるように両手で頬を叩いた。

 そして。


 ……ポチッ。

 数秒の沈黙の後。

 ……ポチッ。ポチッ。


「おまっ……白峰、嘘だろ。一本指かよ」

「えっ? だって、キーボードなんて慣れてないんだもの。いつもはスマホでフリック入力だし……」


 彼女は右手の人差し指一本で、キーボードの文字盤を血眼になって探していた。

 物語の構成を考える熱量に対して、あまりにも出力速度タイピングが追いついていない。


「……貸せ」

「えっ? 夏目さんが打ってくれるの?」

「いや、俺が全部打ったらお前のための練習にならないだろ。……いいか、一回だけ手本を見せる。作家にとって、タイピングはペンと同じだ。思考の速度に指が追いつかないようじゃ、物語の熱が逃げちまう」


 俺はパソコンを自分の方へ寄せ、ホームポジションに指を置いた。

 一年ぶりの、この感触。


 タタタタタタタタタタッ――!


 静かな喫茶店に、機関銃のような凄まじいタイピング音が響き渡る。

 俺の指は、まるでそれ自体が独立した生き物のように、正確に、かつ滑らかにキーボードの上を踊った。

 画面上に、白峰が書いた文章が魔法のような速度で出力されていく。


「な、ななな……っ!? 指が……残像で見えないわよ!?」

「……これがプロのリズムだ。いいか、指はこう置く。左手の人差し指が『F』で、右手が『J』だ」


 俺は白峰に席を譲り、彼女の震える指を一つずつ正しい位置へ導いた。

 至近距離で触れる彼女の指先は、少しだけ冷たく、けれど物語を書き上げようとする意志で固くなっていた。


「……うぅっ、難しいわね。でも、確かにこの方が速く打てそうな気がするわ」

「今日中に第一話を全部打ち込め。自分の物語だろ。一文字ずつ、自分の責任で入力しろ。……俺は横でコーヒー飲んでるから」


 突き放すような言い方だが、白峰は「うんっ!」と力強く頷いた。

 ……ポツ。……ポツポツ。

 覚えたてのたどたどしい手つきで、けれど彼女は必死に、自分の紡いだ言葉をデジタルへと変換していく。

 その真剣な横顔を見ていると、俺の胸の奥にある、冷え切っていたはずの炭火が、少しだけ赤く燃え上がったような気がした。



     *



 二時間が経過した。

 白峰のココアがすっかり冷めた頃、ようやく第一話の清書が終わった。


「……できたわ。夏目さんに教わった通り、改行も空白も調整した……完璧な第一話よ」


 白峰は額の汗を拭い、画面を見つめた。

 そこにあるのは、以前の彼女が一人で書いていた、誰にも読まれないゴミ原稿ではない。

 元プロの俺が構成を保証し、彼女自身が魂を込めて一文字ずつ打ち直した、紛れもない『作品』だ。


「よし。じゃあ、投稿ページを開け」

「……ええ」


 白峰が震える手で、WEB小説投稿サイトのマイページを開く。

 そこには、これまで彼女が一人で投稿し続けてきた、無残な数字が並んでいた。


『累計PV:2』『感想:0』。


 そのたった二回のPVも、おそらくは彼女自身が確認のために開いたものだろう。

 白峰は、これまで投稿してきた未熟な原稿を、迷うことなく全削除した。


「……もう、後戻りはできないわね」

「退路を断つのは、いい心がけだ」


 俺は彼女の隣に立ち、画面を指差した。

 新規エピソード投稿。タイトルは以前と同じだが、中身は別物。


「……押せ。今のお前の原稿なら、誰かに届く」


 白峰は大きく深呼吸をし、固く目をつぶった。

 そして、人差し指ではなく、俺が教えた正しい指の形で、マウスをクリックした。


 ――カチッ。


 画面が切り替わり、『エピソードの公開が完了しました』という無機質な文字が表示される。


「はうぅ……っ」


 白峰はそのまま机に突っ伏した。

 完璧な生徒会長の面影はどこにもない、ただの結果を待つ一人の震える新米作家の姿がそこにあった。


「やったな。これで『ぴょんぴょんウサギ』の再デビューだ」

「心臓が……止まるかと思った……」


 涙目でこちらを睨みつけてくる白峰を見て、俺は思わず声を出して笑ってしまった。


「とりあえず、今日の目標は達成だ。……明日の朝、PVが少しでも動いてるといいな」

「うん……! 誰か一人でもいいから、読んでくれるといいな」


 画面の片隅に表示された、PVカウンター。

 今はまだ『0』のその数字が、これからどう化けていくのか。


 コーヒーの香りに包まれたレトロな喫茶店で、俺たちは並んでその画面を見つめていた。

 こうして、隠れ元プロ作家とポンコツ底辺作家による、放課後の秘密会議が、本格的に幕を開けたのだった。

 

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