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第5話:限界底辺WEB作家『ぴょんぴょんウサギ』

ひとまずここまでです。

残りは明日から順次投稿します


 翌日の放課後。

 ホームルームが終わるや否や、俺は逃げるように教室を出た。


(……よし、今日は本屋のシフトも入ってないし、まっすぐ帰って寝よう)


 昨日の放課後、図書室で起きた出来事。

 氷の生徒会長こと白峰莉音の致命的なプロットを、俺は思わずプロの目線で赤ペン添削してしまった。

 完全に「元・商業作家」としての悪癖が出た結果だった。


 だが、冷静になって考えてみれば、ただのバイト高校生である俺が、これ以上彼女の趣味に深く関わる義理はない。

 俺はもう、物語の世界からは降りた人間なのだ。

 あんなに不器用で、けれど眩しいほどの情熱を持った彼女の「作り手」としての熱量に当てられれば、いつか俺の古傷まで疼き出してしまう。


(関わらないのが一番だ。うん、それがいい)


 そう自分に言い聞かせながら、昇降口に向かって廊下を歩いていた時のことだ。


「……あ、夏目さんっ!」


 廊下の角から、見慣れた漆黒のロングヘアがひょっこりと顔を出した。

 白峰莉音だった。

 彼女は周囲の生徒の目を気にするようにキョロキョロと辺りを見回すと、小走りで俺に駆け寄り、俺のカーディガンの袖をきゅっと掴んだ。


「ちょっと、一緒に来て!」

「えっ、ちょ、おい白峰――」


 俺の抗議など聞く耳を持たず、彼女は凄まじい握力で俺の袖を引っ張り、人気の少ない旧校舎の方へと歩き出した。

 すれ違う生徒たちが「え、白峰会長が男子の袖を引いてる……?」「嘘だろ、あの影薄い奴、何者だよ」とざわついているのが聞こえる。

 目立たないように生きてきた俺の平和な日常が、音を立てて崩れていくのを感じた。



     *



 連行された先は、昨日と同じ図書室の奥、人気の死角になる閲覧スペースだった。

 白峰は周囲に誰もいないことを確認すると、バフッと大きなため息をついて俺に向き直った。


「いきなり引っ張ってごめんなさい。でも、どうしても早くあなたに見せたくて!」

「見せるって……お前、目の下にクマできてるぞ」


 よく見れば、完璧なはずの彼女の目元には、うっすらと疲労の色が浮かんでいた。

 しかし、その瞳だけは、尋常ではない熱を帯びてキラキラと輝いている。


「昨日、夏目さんが直してくれたプロットをもとに、第一話から第三話までの原稿を全部書き直してきたの!」


 白峰は鞄から、印刷された数枚のA4用紙を取り出し、バンッ! と机の上に叩きつけた。

 分厚い束だ。文字数にして一万字は優に超えているだろう。


「……お前、まさか徹夜したのか?」

「……うん。だって、書かずにはいられなかったんだもの」


 彼女は頬を紅潮させ、少し恥ずかしそうに、けれど誇らしげに笑った。


「夏目さんに言われた通りに構成を直して、ヒロインの感情の動きに理由をつけてみたら……私自身がびっくりするくらい、キャラクターが勝手に動き出したの! 今までずっともやがかかっていた物語の景色が、バーッてクリアになったみたいで……!」


 その言葉は、痛いほどよくわかった。

 構成の破綻という「詰まり」が解消されたことで、彼女が本来持っていた『感情を出力する才能』が、せき止められていたダムが決壊するように溢れ出したのだ。

 クリエイターがその感覚ゾーンに入った時、寝食を忘れて没頭してしまうのは無理もない。


「ほら、早く読んでみて! 絶対に前より面白くなってるはずだから!」


 期待に満ちた目で迫られ、俺はため息をつきながら原稿を手に取った。

 パイプ椅子に腰を下ろし、一文字目から活字を追っていく。


(……なるほどな)


 俺は、内心で舌を巻いた。

 文章の作法や日本語の使い方は、相変わらず素人臭さが抜けていない。荒削りなんてものじゃない、ただ情念を叩きつけただけの粗い文章だ。


 だが――めちゃくちゃに、引き込まれる。


 ご都合主義な『壁のすり抜け』をなくし、暗殺者が血だらけになりながら物理的に扉をこじ開ける展開に変更したことで、物語の緊迫感が段違いになっていた。

 そして何より、ヒロインが暗殺者に救出された瞬間の、安堵と恐怖と孤独が入り混じった泣きじゃくるシーン。


『冷たい氷の牢獄で、私の心はずっと凍りついていた。でも、あなたが流した血の温かさが、私のくだらない強がりごと、全部溶かしてくれたんだ』


 そんな青臭いセリフが、圧倒的な説得力を持って読者の胸を打つ。

 作者の『伝えたい』という切実な願いが、文字の羅列を超えて直接脳に流れ込んでくるような感覚。

 これは、小手先の技術でどうにかなるレベルの才能ではない。


「……どう、かな?」


 俺が最後のページを読み終えるまで、白峰は息を殺すようにして俺の顔色を窺っていた。

 俺は原稿を机に置き、小さく息を吐いた。


「……相変わらず誤字脱字が多いし、視点がブレてる箇所が三つある」

「うぅっ……」

「だけど――昨日より、百倍面白くなった。ヒロインの感情が、ちゃんと読者に刺さる形になってる」


 俺がそう告げた瞬間、白峰の顔がパァァッと明るく輝いた。


「ほんとっ!? やったぁ……!」


 彼女は両手を握り締め、ピョンピョンと小さく飛び跳ねた。

 氷の生徒会長という肩書きなど完全に忘れ去った、年相応の、いや、自分の作品を褒められた限界底辺WEB作家としての無邪気な喜び方だった。


「夏目さん、すごい! あなたのアドバイスのおかげよ! 私、自分の物語が初めて『生きている』って実感できたの!」

「俺は道筋を整えただけだ。書いたのはお前自身だろ」

「ううん、違うわ。私一人じゃ、絶対にここまで辿り着けなかった」


 白峰は真剣な顔つきになり、俺の前に身を乗り出した。

 そして、俺の目を見て、はっきりと言い放った。


「ねえ、夏目さん。私から、一生のお願いがあるの」

「……なんだよ、嫌な予感しかしないんだが」

「私の、担当編集になって!!」


 図書室に、彼女の熱意のこもった声が響いた。


「あなたが読んで、アドバイスをくれるなら、私、もっともっと面白い小説を書ける気がするの! だから、私の物語を……最後まで一緒に見届けてほしいの!」


 まっすぐな瞳。混じり気のない、作り手としての純粋な信頼。

 それは、物語を書く者にとって、これ以上ないほどの賛辞だった。


 だが。

 俺の口から出た言葉は、氷のように冷たいものだった。


「――断る」


「えっ……」


 白峰が、呆然と息を呑む。

 俺は無表情のまま、彼女から視線を外した。


「昨日のは、プロットがあまりに酷すぎたから口出ししただけだ。これ以上、俺をお前の遊びに巻き込まないでくれ」

「あ、遊びじゃないわ! 私、本気で――」

「本気だから面倒くさいんだよ」


 俺は立ち上がり、彼女を冷たく見下ろした。


「物語を作るってのは、そんなに綺麗なものじゃない。読者の反応に一喜一憂して、自分の才能の限界に絶望して、削った身を金と評価に変える作業だ。……お前みたいに、ただ『書きたい』ってだけの自己満足に付き合う暇は、俺にはない」


 わざと、残酷な言葉を選んだ。

 それは彼女への拒絶であると同時に、過去の自分自身への呪詛でもあった。

 俺は知っているのだ。物語に本気で向き合って、それでも誰にも評価されずに打ち切られた時の、あの真っ暗な絶望を。

 だからこそ、これ以上彼女の物語に関わってはいけない。彼女の純粋な熱量を、俺のようなくすぶった人間が濁してはいけないのだ。


「……悪いな。俺は帰る。その原稿は、そのままサイトにでも投稿すればいいさ」


 俺は背を向け、図書室の出口へと歩き出した。

 後ろから、白峰が何かを言いかける気配がしたが、俺は立ち止まらなかった。


「ま、待って! 夏目さんっ!」


 彼女が慌てて俺を追いかけようと立ち上がった、その時だった。


 バサッ、と。

 彼女が慌てて持ち上げた鞄の口から、何かが滑り落ちて床に落ちた。

 それは、使い込まれてボロボロになった、一冊の文庫本だった。


 俺は無意識に振り返り、床に落ちたその本を見た。

 そして――全身の血の気が、一気に引いていくのを感じた。


「あっ、いけない……!」


 白峰が慌ててその本を拾い上げ、愛おしそうに砂埃を払う。

 付箋が何十枚も貼られ、表紙のカバーは擦り切れている。だが、その表紙に描かれたタイトルと、著者名の文字を、俺が見間違えるはずがなかった。


『さよなら、完璧だった嘘つきな君へ』

 著者:文月ソウ


「これだけは、汚せないのに……私の、一番大切な『お守り』なんだから」


 白峰は、俺の打ち切り作を両手で包み込むように持ち、安堵の息を吐いた。


 俺の心臓が、早鐘のように打ち始める。

 息が詰まった。視界がグラグラと揺れる。


「……おい、白峰」

「えっ?」

「その本……なんで、お前が持ってるんだ」


 掠れた声で問いかける俺に、白峰は少し頬を染め、大事な宝物を自慢する子供のように微笑んだ。


「これ? これはね、私が世界で一番尊敬している『神作家様』の小説よ。……私、この本に救われて、自分でも小説を書き始めたの」


 図書室の古い柱時計が、カチリ、と時を刻む音がやけに大きく聞こえた。

 俺が永遠に葬り去ったはずの過去。誰の心にも届かなかったと思っていた、たった一巻の敗北の証。

 それが今、俺の目の前で、完璧な氷の生徒会長の『救い』として握りしめられていた。

 

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