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第4話:構成はゴミ、伏線は皆無。だが感情だけは本物だ


 静まり返った放課後の図書室に、カリカリ、という赤ペンが紙を走る音だけが響いていた。


 俺は机に広げた数枚のルーズリーフに覆い被さるようにして、猛烈な勢いで文字を書き込み、そして不要な文章に容赦なくバツ印をつけていた。


「あっ、ちょ、ちょっと! そこは私が三時間も悩んで書いたお気に入りのシーンで――」

「三時間悩んでこの出来なら、お前の構成力は絶望的だ。このシーンは丸ごとカット。テンポが悪くなるだけだ」

「カ、カットぉ!?」


 隣から悲鳴のような声が上がるが、俺の手は止まらない。

 完全に『作り手』としてのスイッチが入ってしまっていた。


 かつて俺が、身を削るようにして物語と向き合っていた頃の熱。

 もう二度と引っ張り出すことはないと思っていたその熱源が、目の前にある不器用すぎるプロットを前にして、勝手に燃え上がり始めていた。


「いいか白峰、よく見ろ。第一話でヒロインの魔法が暴走して密室に閉じ込められる。ここまではいい。密室という『障害』は、読者のハラハラ感を煽る古典的だが優秀な手法だ」


 俺はプロットの一行目をペン先で叩く。

 白峰は涙目で頷きながら、俺の横顔を食い入るように見つめていた。


「問題は解決編、第二話だ。……『助けに来た暗殺者が、愛の力で壁をすり抜けてヒロインを抱きしめる』。なんだこれは」

「な、なによ! 愛は物理の壁を越えるっていう、ロマンチックな隠喩じゃない!」

「寝言は寝て言え。これはファンタジーであって、ギャグ漫画じゃないんだ。魔法のルールを自分で設定しておきながら、都合が悪くなった瞬間に『愛の力』という謎のチートで解決する。これを世間では『ご都合主義』と呼ぶんだよ」

「うっ……」


 白峰が言葉に詰まり、うつむく。


「主人公にズルをさせるな。壁をすり抜けられるなら、最初から密室の緊迫感なんて意味がないだろうが。読者はな、主人公が知恵と努力で『絶対に無理だと思われる障害』を乗り越える姿を見たいんだよ」

「じゃ、じゃあどうすればいいのよ……っ。ヒロインは氷の魔法で部屋を凍らせちゃってて、外からは開けられないの! 助けに行けないじゃない!」


 感情的になって言い返してくる白峰に、俺はため息をついた。

 そして、赤ペンで『壁をすり抜ける』という一文を二重線で消し、その横に新しい展開を書き殴る。


「……ヒロインの氷の魔法を利用するんだよ」

「えっ?」

「暗殺者は壁をすり抜けない。その代わり、凍りついた扉の隙間に水を流し込み、ヒロインの冷気でさらに凍らせる。水は凍ると体積が膨張する。その物理現象と、暗殺者の身体能力を掛け合わせて、内側から扉の蝶番ちょうつがいを破壊してこじ開けるんだ」


 俺がさらさらと書き連ねた展開を読んで、白峰の目が大きく見開かれた。


「暗殺者は息を切らし、拳を血だらけにしながら扉をこじ開ける。そして、寒さと孤独で震えているヒロインに上着をかけ、こう言うんだ。『……お前の魔法は、随分と冷たいんだな』って」

「あ……」


 白峰の口から、小さな吐息が漏れた。

 彼女の脳内で、俺が再構築したシーンが鮮明に再生されているのだろう。

 ただ壁をすり抜けるだけのチープな展開が、一瞬にして、痛みと熱を伴ったドラマチックな救済シーンへと変貌したのだ。


「す、すごい……」


 白峰は震える手で口元を覆い、ルーズリーフに書かれた文字を食い入るように見つめた。

 その反応を見て、俺は少しだけ口角を上げた。


「……だがな、白峰」

「へっ?」


 俺はペンを置き、椅子の背もたれに深く寄りかかった。


「俺がすごいんじゃない。お前の書いた『素材』が良かったんだ」


 予想外の言葉だったのか、白峰がパチクリと瞬きをする。


「俺が直したのは、あくまで『構成』という外枠だけだ。物語のロジックを整えて、読者が読みやすいように道を作ってやったに過ぎない。……だが、物語の心臓はそこじゃない」


 俺は、プロットの端に書かれていた、ヒロインの台詞を指差した。

 そこには、魔法が暴走して孤独に震えるヒロインの、たった一言のモノローグが書かれていた。


『――だれか、わたしの嘘を、溶かして』


 俺は、その一文を初めて読んだ時の衝撃を、どう伝えればいいのかわからなかった。

 ただの痛いポエムだと言ってしまえばそれまでだ。

 だが、この言葉には、尋常ではない『熱量』がこもっていた。


「構成はゴミだし、伏線なんて皆無だ。……だけど、このヒロインが抱えている『孤独』と『誰かに見つけてほしいという願い』の感情だけは、本物だった」


 俺は、目の前に座る完璧な生徒会長の顔を見つめた。

 学校中から氷の令嬢と呼ばれ、周囲の期待に応えるために、完璧な優等生という仮面を被り続けている少女。

 このヒロインの悲痛な叫びは、間違いなく彼女自身の魂の叫びそのものだった。


「だから俺は、このヒロインを『ご都合主義』なんかで安っぽく救ってほしくなかったんだ。……お前、キャラの感情を描く才能だけは、間違いなくあるぞ」


 それは、元・商業作家としての、一切の忖度のない本音だった。

 文章も構成も素人以下。だが、他者の心を抉るような強烈な感情の出力だけは、教えて身につくものではない。彼女は、それを持っている。


「な、夏目さん……」


 白峰の瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 今度の涙は、羞恥や恐怖からくるものではない。

 自分の心の奥底にある一番やわらかい部分を、見ず知らずの他人に初めて『肯定』されたことによる、魂の震えだった。


「私……ずっと、誰にも言えなくて。小説を書いてることも、本当は完璧なんかじゃないことも。……でも、このお話を書いてる時だけは、息ができるような気がして……っ」


 彼女は両手で顔を覆い、しゃくり上げながら泣き始めた。

 俺は何も言わず、ただカーディガンのポケットに手を入れて、彼女が泣き止むのを待った。


 数分後。

 どうにか落ち着きを取り戻した白峰は、赤く腫らした目をこすりながら、俺が添削したプロットを大事そうに胸に抱きしめた。


「……ありがとう、夏目さん。私、あなたをただのラノベオタクだなんて勘違いしてて……ごめんなさい」

「気にするな。実際、ただのオタクみたいなもんだ」


 俺は自分が元プロであることは伏せたまま、軽く肩をすくめた。

 まだ、俺の過去を話す必要はない。


「これなら、きっと読者の人にも伝わるわ。……私、絶対にこれを書き上げて、サイトに投稿してみる!」


 晴れやかな笑顔を見せる白峰。

 その顔は、氷の令嬢でもなんでもない、ただの夢見る少女のそれだった。

 俺もつられて、少しだけ微笑んでしまう。


「ああ、頑張れよ。……で、ちなみにその小説、どこのサイトで、なんていうペンネームで投稿する予定なんだ?」


 俺が何気なく尋ねた瞬間。

 白峰の動きが、ピタッと止まった。


「え……?」

「いや、せっかく俺が構成を直してやったんだ。一応、最初の読者として読んでやろうかと思ってな」

「あ、あああ、あのねっ! それは、その……!」


 突然、白峰の顔がゆでダコのように真っ赤に染まった。

 先ほどの感動的な空気はどこへやら、彼女は慌ててプロットの端を隠そうとする。

 だが、俺の動体視力は、ルーズリーフの右上に書かれた『作者名』を、すでに見逃していなかった。


「……『ぴょんぴょんウサギ』?」


 俺がその単語を口にした瞬間、図書室の空気が完全に停止した。


「わあああああっ! 言わないでっ!!」


 白峰が頭を抱えて机に突っ伏した。


「……お前、正気か?」

「な、なによ! 可愛いじゃない! 私だって、本当は可愛いものが大好きなの!」

「いや、お前な……学校じゃ氷の令嬢とか呼ばれて恐れられてるくせに、ネット上の名前が『ぴょんぴょんウサギ』って。ギャップの振り幅が致死量超えてるぞ」

「うるさーい! ペンネームのセンスなんてどうでもいいでしょ!」


 涙目で抗議してくる白峰を見て、俺はついに堪えきれず、吹き出してしまった。


「くっ……はははっ! ダメだ、お前……本当に、面白すぎるだろ」


 腹を抱えて笑う俺を見て、白峰は不満げに唇を尖らせていたが、やがて彼女自身も、毒気を抜かれたようにふふっと笑い声を漏らした。


 窓の外では、夕日が図書室をオレンジ色に染め上げていた。

 完璧な生徒会長と、無気力な本屋のバイト店員。

 絶対に交わるはずのなかった二人の日常は、こうして一つの『物語』を通じて、奇妙な形で結びついてしまった。


 だが、この時の俺はまだ気づいていなかったのだ。

 彼女が書こうとしているこの物語の根底にある、さらなる秘密。

 そして――彼女が『ぴょんぴょんウサギ』として熱狂的に崇拝している神作家が、他でもないこの俺自身であるという、最悪で最高な運命の悪戯に。

 

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