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第3話:氷の生徒会長の、誰にも言えない裏の顔


 月曜日の朝というものは、どうしてこうも人を陰鬱な気分にさせるのだろうか。

 特に、週末に「絶対に避けるべきだった面倒事」に首を突っ込んでしまった自覚がある場合はなおさらだ。


 俺は、県立青海高校の二年生として、いつも通り目立たないように登校していた。

 校門を抜け、昇降口で上履きに履き替える。周囲では部活の朝練を終えた連中が騒がしく挨拶を交わしているが、俺のような「クラスの背景」に徹する人間には無縁の世界だ。


 週末、本屋のバイト先で起きた出来事。

 あの『氷の令嬢』こと白峰莉音の失態を、俺は夢であったことにしようと決めていた。

 完璧な彼女のポンコツな変装。オタク趣味の露呈。そして、俺による正体看破。

 それらはすべて、一巻限りの物語のように、ページを閉じれば終わるはずだった。


(……少なくとも、俺はそう願っていたんだけどな)


 教室に入り、自分の席に座って机に突っ伏そうとした瞬間。

 クラスの空気が、一瞬にして凍りついたのを肌で感じた。


 話し声が止み、全員の視線が教室の入り口に集中する。

 そこには、俺たちのクラスにいるはずのない人物が立っていた。


 白峰莉音。

 乱れ一つない漆黒のロングヘア。アイロンのきっちりかかった制服。そして、他者を寄せ付けないほどに凛とした、冷徹なまでの美貌。

 まさに『氷の令嬢』という異名にふさわしい立ち振る舞いで、彼女は教室を見渡していた。


「……夏目創さんは、いらっしゃいますか?」


 鈴を転がすような、だが威厳に満ちた声。

 クラス中が「え、誰?」「夏目って、あの影の薄い奴か?」とざわつき始める。


 俺は、心の底から死んだふりをしたかったが、彼女の氷のような視線が、すでに正確に俺の座席をロックオンしていた。


「……あ、俺ですけど」


 俺は気怠そうに手を挙げる。

 白峰は迷いのない足取りで俺の席まで歩み寄ってくると、周囲の連中が息を呑むような距離で立ち止まった。


「夏目さん。少し、お話があります。放課後、図書室の奥の閲覧スペースへ来ていただけますか?」

「え、あー。いや、今日はバイトが――」

「『絶対』です。……よろしいですね?」


 微笑みすら浮かべない、だが拒絶を許さない圧力。

 彼女の瞳の奥には、週末に見せたあの泣きじゃくる少女の面影は微塵もない。

 だが、俺にはわかった。彼女の組んだ指が、わずかに、だが必死に震えていることに。


「……了解。行きますよ」


 俺がそう答えると、彼女は一礼し、嵐が去るように教室を出ていった。

 あとに残されたのは、野次馬根性全開のクラスメイトたちの視線と、俺の盛大なため息だけだった。



     *



 放課後の図書室。

 放課後の喧騒から切り離されたそこは、古い紙の匂いと、静寂が支配する空間だ。


 俺が約束の閲覧スペース――本棚に囲まれた、死角の多い一角へ向かうと、そこにはすでに白峰莉音が待っていた。

 彼女は窓の外を眺めていたが、俺の足音に気づくと、勢いよく振り返った。


「来たわね、夏目さん」


 昼間のような威厳はない。

 代わりに、そこにあったのは『秘密を握られた側の焦り』だった。


「昼間の呼び出し、ちょっと目立ちすぎだろ。クラスの連中に変な勘違いされたぞ」

「そんなこと言っていられない状況なのよ! あなた、昨日のこと……本屋でのこと、本当に誰にも言っていないでしょうね?」


 彼女はぐいっと身を乗り出してきた。

 氷の令嬢という仮面が剥がれ落ち、そこには必死な形相の女子高生がいた。


「言わないって言っただろ。会長のプライベートなんて興味ない。……それにしても、よく俺のクラスと名前がわかったな。俺は目立たないように生きてるんだが」

「ふん。本屋のレジで、あなたのエプロンに『夏目』って名札がついていたわ。去り際に『同級生』なんて自らヒントを出すから、昨日の夜、生徒会室のパソコンで二年生の『夏目』を全件検索したのよ。顔写真と照らし合わせれば一発よ」

「……変なところだけ有能で執念深いな、あんた」


 あの不審者ルックのくせに、俺を特定する手際だけは無駄に良い。


「褒め言葉として受け取っておくわ。……でも、あなたには確認したいことがあるの。あなた、ただのバイト店員じゃないわね?」

「は? 普通のバイトだけど」

「嘘よ! 普通の高校生が、あんな『物語の構造』だの『読者の心理』だの、理詰めで語れるはずがないわ。……私にはわかるの。あなたのその、眠たそうな目の中に隠された『真実』が!」


 ビシッ、と白峰が俺を指差す。

 俺は心臓が跳ねるのを感じた。

(……まさか、俺が元・商業作家だってことまで見抜かれたのか? いや、いくらなんでもそれは――)


「あなた……『重度のラノベオタク』ね!」

「…………は?」

「さては、本屋のバイト特権を利用して、バックヤードでこっそりラノベを読み漁っている不真面目な店員でしょう! じゃなきゃ、あんなにスラスラと三巻の矛盾を指摘できるはずないもの! 私の名推理、図星でしょう!」


 ふんす、と得意げに鼻を鳴らす白峰。

 俺は脱力し、椅子から転げ落ちそうになった。


(……このポンコツ、やっぱりポンコツだ)


 元プロの鋭さなど欠片も見抜けていない。ただ、自分と同じ活字中毒のオタクだというズレた仲間意識を抱いているだけだった。


「……あー、うん。まあ、本はよく読むけど」

「やっぱり! 同類……じゃない、ただのオタクね! なら話は早いわ。オタク同士、互いの秘密は墓場まで持っていくのが暗黙の了解でしょう? 私を裏切ったら、あなたがバイト中に本をサボり読みしてるって本屋の店長にチクるわよ」

「俺はサボってないし、チクる相手がみみっちいな。……まあいい。あんたの秘密はバラさない。だから怯えるな」

「怯えてなんていないわ。私は完璧でなければならないの。生徒会長として、白峰家の娘として。……あんな、ライトノベルを読み耽っているなんて知られたら、すべてが終わるわ」


 白峰は自嘲気味に笑い、自分の鞄を抱きしめた。

 その必死な姿に、少しだけ胸がチクリとする。


「……まあ、息抜きくらい必要だろ。ラノベを読むのがそんなに悪いことか?」

「悪いわよ! 私の周りには、そんな不謹慎な娯楽を認める人は一人もいないんだから! だから、私は……せめて、物語の中だけでも……自由になりたくて……っ」


 白峰の瞳に、再び涙が溜まり始める。

 彼女は慌ててそれを手で拭おうとして、抱えていた鞄のチャックが半分開いていたことに気づかなかった。


「あっ……!」


 彼女が動いた拍子に、鞄から一冊の厚いノートと、数枚のルーズリーフが滑り落ち、床に散らばった。

 床に落ちたルーズリーフに書かれた文字が、俺の目に飛び込んできた。


 独特の記号で区切られた台詞、情景描写、そして物語の進行を示すフローチャート。

 それは、まぎれもなく――『小説のプロット』だった。


「……見ないで! 見ないでっ!!」


 白峰が悲鳴のような声を上げ、地面に這いつくばるようにして紙をかき集める。

 だが、一瞬の間に。プロとしての訓練を受けてきた俺の脳は、その紙に書かれた情報をスキャンしてしまっていた。


『無気力な暗殺者に拾われた氷の魔法使い。~私の本当の居場所は、あなたの隣にしかなかった~』


 ……タイトルの横に、キャラクター設定が並んでいる。

 ヒロインの設定:氷の魔法使い。強がっているが実はポンコツで寂しがり屋。

 プロット:第一話、魔法が暴走して密室に閉じ込められる。第二話、暗殺者が壁をすり抜けて助けに来る。第三話、そのまま暗殺者のアジトで結婚を迫られる。


(……待て、待て待て待て)


 俺は、思わず頭を押さえた。


「白峰……あんた、これ。もしかして自分で書いてるのか?」

「…………っ!!」


 白峰は顔を真っ赤にし、かき集めた紙を胸に抱いて、小刻みに震え始めた。


「……何よ。笑いたいなら笑いなさいよ。完璧な生徒会長が、ネットの片隅でこんな……こんな『恥ずかしい小説』を書いてるなんて、滑稽でしかないわよね!」


 彼女は涙を流しながら、俺を睨みつけた。絶望と羞恥。

 だが、俺の口から出た言葉は、彼女の予想とは全く異なるものだった。


「……笑うわけないだろ。ただ、あまりに酷すぎて言葉が出ないだけだ」

「えっ……?」


 白峰が呆然と目を見開く。


「なんだこのプロット。壁をすり抜けて助けに来る? そんな物理法則を無視したご都合主義があるか。魔法を使うなら『氷で鍵を壊す』とか論理的な手順を踏め。それに、ヒロインの心理描写が重すぎて、ストーリーのテンポを殺してる」


 俺は無意識に、椅子から立ち上がっていた。

 クリエイターとしての本能が、猛烈な拒絶反応を示していた。


「……せっかくヒロインの感情造形がいいのに、これじゃ宝の持ち腐れだ。文章も誤字だらけ、構成はガバガバ。物語としての体をなしていない。……おい白峰、あんたこれ、どこまで本気で書いてるんだ?」

「……な、なによ。本気に決まってるわよ! 私の、唯一の心の拠り所なんだから……!」


「なら、直してやる」


「……はい?」


 白峰が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「あまりに酷すぎて、見てられないんだよ。……俺は、物語が死んでいくのが一番嫌いなんだ」


 俺は彼女の手から、強引にルーズリーフの一枚を奪い取った。

 そして、胸ポケットに差していた赤ペンをカチリと鳴らす。


「いいか、よく聞け。ここはこう繋げるんだ。ヒロインの絶望を描きたいなら、言葉で説明するんじゃなくて、行動で示せ。それから――」


 俺は、かつて自分が捨てたはずの「物語の世界」に、自分から足を踏み入れていた。

 目の前の少女が、どんなに驚愕の表情で見つめているかも気づかずに。

 

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