第33話:俺が、原作者(文月ソウ)だからだ
「……は、ははっ! 何を言い出すかと思えば!」
静まり返った会議室の空気を破ったのは、長谷川の乾いた、そして嘲笑を含んだ声だった。
彼は大袈裟に肩をすくめ、周囲の役員たちに同意を求めるように両手を広げた。
「聞いたか皆! この不良生徒は、自分が商業小説の原作者だと言い張っているぞ! ただの高校生がプロの作家だなどと、いくらその場しのぎの嘘にしても荒唐無稽すぎる! なぁ権田先生!」
「……ふざけるのも大概にしたまえ、夏目」
権田教諭もまた、深く刻まれた眉間のシワをさらに険しくし、低い声で威圧した。
「君の作り話には付き合いきれん。これ以上、見え透いた嘘で会議を妨害するというのなら、君の処遇についても――」
「作り話かどうか、その目で確かめてから処分を決めればいいでしょう」
俺は権田教諭の言葉を冷たく遮り、先ほどから手に持っていたスマートフォンの画面を、彼の目の前にある机の上へと滑らせた。
ピタリ、と権田教諭の鼻先で止まった画面。
そこには、インターネットの適当なサイトなどではなく、パスワードと二段階認証を突破しなければ絶対にアクセスできない『ある専用ページ』が表示されていた。
「……なんだ、これは」
「俺がお世話になっていた出版社の、作家専用のポータルサイト(管理画面)ですよ。そこに表示されている『本名』と『ペンネーム』、それに『担当編集者からのメール履歴』を、声に出して読んでみてくださいよ。……国語の教師なら、読めますよね?」
俺の挑発的な口調に、権田教諭は忌々しげに舌打ちをし、スマートフォンの画面へと視線を落とした。
そして。
数秒間、画面の文字を目で追っていた権田教諭の表情から、さぁーっと血の気が引いていくのを、俺は見逃さなかった。
「な……これは……っ」
権田教諭の太い指が、微かに震え始める。
彼が画面の中で見たもの。それは、紛れもない『絶対的な証拠』だ。
――【作家ポータル・マイページ】
――登録者名:夏目創
――筆名:文月ソウ
――担当作品:『さよなら、完璧だった嘘つきな君へ』
そしてその下には、担当編集者からの『第一巻の初版部数決定のお知らせ』や、『第二巻のプロットについての打ち合わせ』といった、出版業界の内部の人間しか知り得ない生々しいメールのやり取りが、ズラリと並んでいたのだ。
「権田先生……? どうしたんですか?」
長谷川が不審に思い、権田教諭の横から画面を覗き込む。
直後、彼の目が見開かれ、顎が外れんばかりに口がポカーンと開いた。
「な、夏目……創……? ふ、文月……? ほ、本物、の……?」
「理解してもらえましたか。俺が『ただの高校生』じゃないってこと」
俺は二人の反応を冷ややかに見下ろし、長机に両手をついた。
「そこに並んでいるメールの履歴を見ればわかるはずだ。俺は半年前に、そのノートに書かれた『密室と毒ガスのクライマックス』を担当編集に提出している。……日付を確認しろ。間違いなく、ノートが書かれた昨日よりずっと前だ」
もはや、反論の余地はどこにもなかった。
『夏目創=プロ作家・文月ソウ』という揺るぎない事実と、プロットの提出履歴。
それが、この物騒なノートが『テロ計画』ではなく、『俺が考えた物語の設定』であることを、完璧に証明してしまったのだ。
「ば、馬鹿な……本当に、ただの生徒が、商業出版を……」
「ありえん……こんな、こんな馬鹿げた偶然が……」
権田教諭も長谷川も、完全に言葉を失い、その場にへたり込むようにして絶句した。
彼らが振りかざしていた「秩序」と「正義」は、たった一つのスマートフォンの画面によって、ただの「滑稽な勘違い」へと成り下がった。
――だが、俺の仕事はこれだけじゃない。
大人たちを黙らせただけでは、まだ五十点だ。一番重要なのは、隣で硬直している『ポンコツ作家』の尊厳を、完璧に守り抜くこと。
「な、なつめ……さん、が……? ふ、ふづき、センセイ……?」
白峰莉音は、完全にキャパシティを超えた情報量に脳をショートさせ、目を白黒させながら震えていた。
昨日、熱弁を振るって「あなた見る目がないわね!」と説教した相手が、自分が信仰する神(原作者)その人だったのだ。その衝撃たるや、テロリスト扱いされること以上のパニックだろう。
俺は、パニックで言葉を失っている彼女の肩を、ポンと軽く叩いた。
そして、まだ呆然としている大人たちに向かって、堂々と『嘘』をついた。
「……権田先生。俺は、未完に終わった第二巻を、どうしても書き上げたかった」
俺の声に、会議室の視線が再び集まる。
「でも、俺一人じゃ設定の穴が多くて、リアリティが足りなかった。……だから、全校生徒の中で一番頭が良くて、論理的な思考ができる『生徒会長』に、頼み込んだんです」
「頼み、込んだ……?」
「ええ。『俺の考えた密室トリックに、論理的な矛盾がないかチェックしてくれ』ってね」
俺は、机の上に放り投げられたノートを手に取り、パラパラと振って見せた。
「このノートの文字が白峰の筆跡なのは、当然です。俺が口頭で説明したトリックの案を、彼女がメモにとり、矛盾点を指摘してくれていたんだから。……つまり彼女は、俺の『テロ計画』に加担したんじゃない。俺の『物語の整合性』を整えるための、優秀なアシスタントをしてくれていただけなんですよ」
完璧なアリバイ工作。
これにより、白峰莉音は『痛い中二病小説を書いている底辺WEB作家』という黒歴史を暴かれることなく。
逆に、『同級生の才能を密かに支援してあげていた、面倒見の良い完璧な生徒会長』という、美しく気高いポジションへとスライドしたのだ。
「……白峰。君は、彼のために、こんな物騒なメモを……?」
権田教諭が、信じられないというように白峰を見た。
俺は白峰の背中を、トン、と軽く突いた。(話を合わせろ)という合図だ。
「あ……えっと……」
白峰はビクッと肩を震わせ、俺と権田教諭を交互に見た後。
その持ち前の圧倒的な『生徒会長の仮面(演技力)』を、ギリギリのところで発動させた。
「……はい。夏目さんの才能を、こんなところで埋もれさせるのは惜しいと思いまして。……少しだけ、お手伝いをさせていただきました」
澄み切った、凛とした声。
その完璧な令嬢の振る舞いに、役員たちからは「会長、なんて優しいんだ……」「不良の夏目にも分け隔てなく接するなんて……」という、感嘆の吐息が漏れた。
「……誤解は、解けましたね」
俺はスマートフォンをポケットにしまい、ノートを小脇に抱えた。
もはや、この会議室に俺たちを留める理由は一つもない。
「じゃあ、俺たちはこれで。……ああ、そうだ。権田先生、長谷川。本気でテロが起きると思って真剣に心配してくれたことには、一応、感謝しておきますよ」
俺は最後に、肩をすくめて皮肉たっぷりにそう言い残し。
呆然と座り込む大人たちと役員たちを尻目に、白峰莉音の腕を引いて、堂々と第一会議室を後にした。
ドアの外に出ると、廊下は静まり返っていた。
俺は大きく伸びをして、深く息を吐き出した。
(……やれやれ。これでなんとか、最悪の事態は回避できたな)
担当編集としての、大立ち回り。
これで白峰も、心置きなく物語の続きを――。
「…………夏目、さん」
俺がそう安堵した直後。
背後から、地獄の底から響くような、低く震える声が聞こえた。
振り返ると、そこには。
先ほどの『完璧な生徒会長』の仮面をかなぐり捨て、顔を真っ赤に茹でダコのように染め上げ、今にも噴火しそうな顔で俺を睨みつける、限界ポンコツ作家の姿があった。
「あなたが……文月、先生……?」
「あー……その件については、非常に言い訳が苦しいというか……」
「なんで黙ってたのよぉぉぉぉぉぉっ!! 昨日、私に向かってどんな顔で朗読聞いてたのよぉぉぉぉっ!!」
青海高校の廊下に、白峰莉音の絶叫がこだまする。
大人たちから生徒会長の尊厳を守り抜いた代償として、俺は今から、この熱狂的すぎる『ファン』兼『担当作家』の、凄まじい尋問を受けることになるのだった。




