第34話:神様とポンコツの、気まずすぎる反省会
第34話:神様とポンコツの、気まずすぎる反省会
「なんで黙ってたのよぉぉぉぉぉぉっ!!」
絶叫が、放課後の旧校舎にビリビリと響き渡る。
先ほどまでの「完璧な生徒会長」の面影など微塵もなく、白峰莉音は顔を真っ赤に茹で上げ、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
「バカっ! 声がでかい! 会議室から権田たちが様子を見に出てくるだろ!」
「出てきてもいいわよ! もういっそ、さっきの会議を最初からやり直して、私をテロリストとして警察に突き出してちょうだい! 今の私なら、恥ずかしさで取調室の壁を素手で破壊できるわ!」
完全に錯乱している。
俺は「落ち着け!」と暴れるポンコツ作家の口を塞ぎ、その腕を強引に引っ張って、逃げるように校舎を飛び出した。
*
数十分後。
駅前の純喫茶『琥珀』のいちばん奥のボックス席。
俺と白峰は、マスターが運んできたアイスコーヒーと紅茶を挟んで、お互いに無言のまま俯いていた。
チクタク、と店内の柱時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
気まずい。死ぬほど気まずい。
お互いに、相手の顔を直視できないのだ。
「…………ねえ」
十五分ほどの沈黙の後。
両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏していた白峰が、指の隙間から恨めしそうな声を出した。
「昨日……私、あなたに向かって、なんて言ったかしら……」
「……『夏目さん、あなた本をたくさん読んでるくせに見る目がないわね』、だっけか」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!! やめてぇぇぇっ!!」
白峰は頭を抱え、テーブルの上でのたうち回った。
「原作者本人に向かって『見る目がない』って説教したの!? 私!? しかも『文月先生の文章はすべてが完璧に計算された芸術作品なのよ!』って、同級生相手にドヤ顔で熱弁まで振るって……っ! ああっ、死にたい! 今すぐ消し炭になりたい!」
「やめろ、やめてくれ……俺だって死にたいんだよ……」
俺もまた、頭を抱えて低く呻いた。
「お前があの恥ずかしいセリフを大音量で朗読するたびに、俺は『締切に追われてヤケクソで書いた中身ペラペラのセリフだ』とか『ただの回収し忘れの伏線を無理やり繋げただけだ』って、心の中で土下座してたんだぞ……。自分の黒歴史をファンに目の前で大絶賛される拷問、お前にも味わせてやりたいぜ……」
白峰の「熱狂的なファンとしての羞恥」と。
俺の「未熟な打ち切り作家としての羞恥」。
二つの黒歴史が正面衝突し、ボックス席の周辺だけが、まるで地獄の釜の底のような重苦しい空気に包まれていた。
「……でも」
ひとしきり身悶えした後。
白峰は、乱れた髪を手で軽く整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、まだ少し涙目が残っていたが、先ほどのパニックは収まり、代わりに静かな『疑問』が浮かんでいた。
「……どうして、教えてくれなかったの?」
「え?」
「夏目さんが、文月ソウ先生だってこと。……私が初めてあなたの前で小説の設定を話した時、気づいてたんでしょ? 私が、あなたの小説に影響を受けてるって」
白峰は、両手で紅茶のカップを包み込みながら、俺をじっと見つめた。
「もしあの時『俺が作者だ』って言ってくれてたら、私、もっと早く……。ううん、なんで隠してたの? 同じクラスの高校生がプロデビューしてたなんて、すごいことじゃない」
「……すごいこと、ね」
俺は自嘲気味に鼻で笑い、グラスの氷をストローでカラリと鳴らした。
「お前は『さよなら、完璧だった嘘つきな君へ』を、ボロボロになるまで読み込んでくれてたな。……じゃあ、二巻がいつまで経っても発売されない理由も、知ってるだろ?」
「それは……先生が、体調を崩されたか、執筆にこだわっているから……」
「違うよ。ただ単に『売れなかったから、打ち切られた』んだ」
俺のあっさりとした言葉に、白峰が息を呑む。
「デビュー作が少しだけ話題になって、調子に乗った。でも、プレッシャーに負けて、読者の顔色ばかり窺う無難な展開に逃げた。……結果は惨敗さ。二巻のプロットは突き返され、俺は出版社の担当編集から『もう君に書かせる枠はない』って、事実上のクビ宣告を受けたんだ」
俺は、窓の外の雨景色に視線を向けた。
「プロの世界は数字が全てだ。売れない作家に価値はない。……俺は、自分の紡ぐ言葉に、物語に、完全に自信を失ってた。だから、お前が『文月ソウは神作家だ』って目を輝かせて語ってくれた時……俺は、その幻想を壊したくなかったんだよ」
「幻想……?」
「ああ。目の前にいる無気力で、売れなくて筆を折った負け犬の同級生が、お前の憧れの神様だなんて。……そんな残酷な現実、言えるわけないだろ」
それが、俺が正体を隠し続けていた最大の理由だった。
俺は、白峰莉音という純粋な読者を、がっかりさせたくなかったのだ。
……沈黙が落ちた。
白峰は、黙って俺の話を聞いていた。
そして。
「……バカみたい」
ポツリと、彼女が呟いた。
「夏目さん、本当にバカね。……売れなかったとか、打ち切られたとか、そんなこと、私には関係ないわ」
俺が顔を向けると、白峰莉音は、出会った頃のような『氷の生徒会長』の凛とした顔つきで、俺を真っ直ぐに射抜いていた。
「あなたがどんなに自信を失っていようと。出版社から見放されようと。……あなたの紡いだ『あの物語』が、私の心を震わせた。私に『自分もこんな風に小説を書いてみたい』って、夢を与えてくれた。……その事実は、絶対に消えないわ」
「白峰……」
「だから、幻滅なんてするわけないじゃない。……ううん、むしろ逆よ」
白峰は、フッと柔らかく、そして力強く微笑んだ。
「ただの無気力で目立たない同級生だと思ってた人が、実は、一度は自分の力でプロの舞台に立ち、厳しい世界で戦ってきた本物の作家だった。……やっぱり、私の目に狂いはなかったって、すごく誇らしい気持ちよ」
その言葉は。
打ち切りという絶望に打ちひしがれ、心の奥底でずっと燻っていた『文月ソウ』という作家の魂を、これ以上ないほど優しく、そして熱く救済するものだった。
俺は、思わず目頭が熱くなるのをごまかすように、深くため息をついた。
「……お前、本当に生意気な生徒会長だな。さっきまで泣きながらのたうち回ってた奴のセリフとは思えないぜ」
「ふふっ。それが『完璧な生徒会長』の強みよ」
白峰は鞄の中から、あの因縁の『創作ノート(絶対に見るな!!)』を取り出し、テーブルの上に置いた。
「ねえ、夏目さん……ううん。夏目、先生」
「先生はやめろ。背中が痒くなる」
「じゃあ、私の『担当編集』さん」
白峰は、ノートの上に手を置き、悪戯っぽく笑った。
「会議室で、私のこと『優秀なアシスタント』だって言ってくれたわよね。……でも、私はアシスタントで終わるつもりはないわ。あなたのロジックを吸収して、いつか必ず、あなたを超える『神作家』になってみせる」
「……大きく出たな」
「だから、これからも私の『担当編集』として、ビシバシ鍛えてよね。……私がトップランカーになるまで、逃がさないわよ?」
それは、もはやただのクラスメイトではない。
お互いの秘密(黒歴史)を共有し、同じ物語という戦場で背中を預け合う、対等の『相棒』としての宣戦布告だった。
「……いいだろう。せいぜい食らいついてこい、ポンコツ作家」
俺は、溶けかけたアイスコーヒーを飲み干し、口角を上げた。
「さあ、茶番は終わりだ。会議室で『物理的に不可能』だって論破してやっただろ。あのガバガバな密室トリックのプロットを、今日中に一から練り直すぞ」
「うっ……! あ、あれは、あくまで仮組みで……っ!」
「言い訳は聞かん。読者の度肝を抜く、完璧な絶望を作ってみせろ」
雨上がりの夕焼けが、喫茶店の窓から差し込み、ノートの白紙のページをオレンジ色に染め上げる。
打ち切り作家の元・プロと、秘密を抱えた完璧な生徒会長。
二人の本当の意味での『共作』が、今、ここから始まろうとしていた。




