第25話:思いついた最強(最悪)のトリック案
スランプを脱した物書きという生き物は、時として常人には理解し難い『狂気』を発揮することがある。
読者の度肝を抜くような、最強で最悪の絶体絶命の危機を用意しろ。俺のそのアドバイスを受けた翌日からの白峰莉音の行動は、まさに何かに憑りつかれたかのようだった。
昼休み。俺は購買で買った焼きそばパンをかじりながら、旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下で、信じられない光景を目撃していた。
「……ここから中庭までの高低差が約五メートル。風向きは南東……。換気口のサイズから計算して、気体が充満するまでの時間は……」
我らが誇る完璧な生徒会長・白峰莉音が。
ブツブツと物騒な独り言を呟きながら、メジャーを使って渡り廊下の幅や、通気口のサイズを真剣な顔で測っていたのである。
その手には、昨日図書室で取り出したあの『創作ノート(絶対に見るな!!)』が握りしめられている。
通りすがる生徒たちが「会長、何してるんだろう……」「設備点検かな? 偉いなぁ」と的外れな感心をしているが、俺だけは彼女が今、脳内で何を企てているのかがはっきりと分かっていた。
「……おい、白峰。何やってんだお前」
俺が呆れ顔で声をかけると、白峰はメジャーを巻き取りながら、パァッと顔を輝かせた。
「あっ、夏目さん! ちょうどいいところに来てくれたわ! 聞いて、私、最高の『密室トリック』を思いついたの!」
「……お前なぁ。声がでかい。誰かに聞かれたらどうするんだ」
俺は周囲を気にしながら、彼女を渡り廊下の死角へと引っ張った。
「で? ファンタジー小説のトリックを考えるのに、なんで現実の学校の通気口なんか測ってるんだよ」
「リアリティよ、リアリティ! 夏目さんが言ったじゃない、『安全な道を選ぶな、一番絶望的な状況を作れ』って!」
白峰は興奮した様子で、持っていた創作ノートを開いて俺に見せた。
そこには、青海高校の平面図(おそらく生徒会室の資料から書き写したもの)がデカデカと描かれており、その上に赤いペンで無数の矢印やバツ印が書き込まれていた。
「いい? 物語の舞台は、敵の本拠地である『大城塞』の広間よ。私はその構造のモデルを、この学校の『体育館』と『旧校舎』に設定したの。自分が一番よく知っている現実の建物をベースにすれば、キャラクターの動線や距離感に矛盾が出ないでしょ?」
「……まあ、プロの作家もよくやる手法だな。で、トリックの中身は?」
「ええ。暗黒騎士は、ヒロインをこの広間(体育館)に誘い込み、すべての出入り口を物理的に封鎖する。……ここまでは普通の密室ね。でも、ここからが違うわ」
白峰の瞳が、クリエイター特有のヤバい光を帯び始める。
「広間を密室にした後、彼は隣接する塔(旧校舎の化学準備室)から、通気口を伝って『致死性の毒霧』を流し込むの。しかもその霧は、一定の濃度に達した状態でわずかでも火の気に触れると、大爆発を起こす性質を持っている!」
「……おい」
「つまりヒロインは、毒霧で窒息するか、魔法で扉を壊そうとして引火・爆発するかの究極の二択を迫られるのよ! これなら、絶対に逃げられない絶望的な状況になるわ!」
白峰は「どう!?」と言わんばかりに、ドヤ顔で胸を張った。
確かに、ファンタジー小説の絶体絶命のピンチとしては、申し分のない緊迫感だ。読者も「どうやって助かるんだ!?」と手に汗握る展開になるだろう。
問題は――彼女がそれを、この『現実の学校の図面』の上に、具体的な単語で書き殴っているということだ。
俺は、彼女の創作ノートに書かれた『設定メモ』の文字列を見て、血の気が引くのを感じた。
『ターゲット:全校集会』
『実行場所:体育館の扉をすべて南京錠で封鎖する』
『発火装置:旧校舎3階・化学準備室の薬品(※マグネシウムと〇〇を混合)』
『タイマー:校内放送のチャイムの電気信号に連動させる』
『結果:密室での大量殺戮(大爆発)の完成。絶対に逃げられない』
「…………白峰」
「えへへ、すごいでしょ? 昨日の夜、ネットで化学薬品の燃焼実験の動画を見まくって、現実でも理論上可能なレベルまでロジックを煮詰めたのよ!」
「お前、自分が今、ノートに何を書いたか分かってるか?」
俺はこめかみを押さえながら、深く、重たい溜息をついた。
「どう見ても、悪質なテロリストの犯行声明文だろうが。……もしこんなノートを教師に見られでもしたら、小説の設定ですなんて言い訳、絶対に通用しないぞ。下手すりゃ警察を呼ばれるレベルだ」
俺の至極真っ当な指摘に、白峰はポカンとした後、「むっ」と頬を膨らませた。
「もう、夏目さんまでそんな頭の固いこと言うの? これはあくまで私の頭の中の『設計図』よ。誰かに見せるわけじゃないんだから、リアルに書かないと意味がないじゃない」
「いや、だから万が一落としたりしたら――」
「絶対に落とさないわよ! このノートは私の命の次に大切なネタ帳なんだから。お風呂に入る時も寝る時も、肌身離さず持ってるわ!」
白峰はノートをギュッと胸に抱きしめ、絶対に手放さないという強い意志を示した。
……ポンコツな自覚がない人間の「絶対に大丈夫」ほど、信用できない言葉はこの世に存在しない。
「……まあいい。確かにトリックの緊迫感は最高だ。あとはヒロインがどうやってこの絶望的な密室を打破するか……」
「あっ、そこはもう考えてあるの! ヒロインはね、毒霧の性質を逆手にとって――」
キーンコーンカーンコーン。
白峰が解決編のドヤ顔解説を始めようとしたその時、昼休みの終わりを告げる予鈴のチャイムが校舎に鳴り響いた。
「しまった、もうこんな時間! 次の授業、移動教室だったわ!」
白峰は慌ててメジャーをポケットに突っ込み、ノートを抱えたまま踵を返した。
「夏目さん、解決編は今日の放課後、いつもの喫茶店で聞かせてあげる! 絶対、度肝を抜かせてみせるからね!」
「……はいはい。せいぜい期待しとくよ。廊下走んなよ、生徒会長」
俺はヒラヒラと手を振り、足早に去っていく彼女の背中を見送った。
まったく、とんだじゃじゃ馬の担当編集になっちまったもんだ。
だが、あいつのあの熱量がある限り、ランキングはまだまだ上を狙える。
俺は残りの焼きそばパンを口に放り込み、のんびりと自分の教室へと歩き出した。
――この数時間後。
その『命の次に大切なノート』が、よりにもよって最悪の形で、最悪の人物の手に渡ってしまうことなど。
ポンコツ限界作家も、元プロの担当編集も、まだ知る由もなかったのだ。




