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第24話:次なる展開へのプレッシャー


 点滅するカーソル。

 真っ白な画面。

 それが、今の白峰莉音の世界のすべてだった。


 放課後の図書室。窓際の目立たない席で、白峰はノートパソコンの画面を睨みつけたまま、ここ三十分ほど微動だにしていなかった。

 キーボードに置かれた指先はかすかに震え、時折「うぅ……」という苦しげな唸り声が漏れる。


「……おい。さっきからカーソルが一行目から一ミリも動いてないぞ。フリーズしたのか?」


 俺が向かいの席から、借りてきたミステリ小説から顔を上げて声をかけると、白峰はビクッと肩を跳ねさせた。


「ふ、フリーズなんかしてないわ! 頭の中では、何万文字もの壮大なストーリーが駆け巡っている最中よ!」

「そうか。じゃあ、その駆け巡ってる文字を一つでいいから画面に出力してくれ。じゃないと今日の更新に間に合わないぞ」

「うっ……!」


 白峰は図星を突かれ、力なく机に突っ伏した。


 ランキング入りを果たし、アンチの洗礼を乗り越えた。

 彼女の作品『氷の魔法使いと、不器用な暗黒騎士』は、今や日間ランキングの中堅に定着し、毎日数千人の読者が新しいエピソードの更新を待ちわびている状態だ。

 底辺作家からすれば夢のような状況だが、同時にそれは、クリエイターにとって『第二の地獄』の始まりでもある。


「……夏目さん。私、怖い」


 机に顔を押し当てたまま、白峰がポツリと呟いた。

 その声には、完璧な生徒会長の威厳も、昨日までの強気な姿勢もなかった。


「ランキングに乗るまでは、ただ自分が書きたいものを書いていればよかった。でも今は……毎日、何千人もの人が私の更新を待ってる。昨日の『すれ違い回』がすごく好評だったから、読者の期待値もパンパンに膨れ上がってるの」

「まあ、そうだろうな。感想欄も『次はどうなるんだ!?』ってお祭り騒ぎだ」

「だから、怖いのよ……っ!」


 白峰はガバッと顔を上げ、すがるような目で俺を見た。


「もし、次に書いたお話が、つまらなかったらどうしよう。読者が『なんだ、期待はずれじゃん』って離れていっちゃったら……。アンチの言う通り『ただのゴミ』だって思われたらって考えると、怖くて、指が動かないの……っ」


 プレッシャー。

 それは、数字という可視化された評価を手に入れた者が、必ずぶち当たる壁だ。

 期待を裏切りたくない。失敗したくない。その強すぎる責任感が、彼女の本来の強みである『勢い』と『熱量』を完全に殺してしまっていた。


(……痛いほど、わかるぜ)


 俺は心の中で、深く同意した。

 かつて俺も、デビュー作の第一巻がほんの少しだけ話題になった後、この強烈なプレッシャーに押し潰された。

 『次も面白いものを書かなければ』と縮こまった結果、無難でつまらない展開に逃げ、読者に見放されて打ち切られたのだ。


 だからこそ、俺は『担当編集』として、同じてつをこいつに踏ませるわけにはいかない。


「……白峰。お前は今、読者の顔色を窺って『安全な道』を探そうとしてるだろ」


 俺は本を閉じ、まっすぐに彼女の目を見据えた。


「読者に嫌われないように、無難な展開でまとめよう。設定に矛盾が出ないように、綺麗に整えよう。……そうやって縮こまって書いた『八十点の優等生な文章』が、一番読者を白けさせるんだよ」

「えっ……」

「いいか。読者がWEB小説に求めているのは、教科書みたいな綺麗なお話じゃない。感情を揺さぶられるような『熱』と『驚き』だ。……失敗を恐れて守りに入った瞬間、物語は死ぬ」


 俺の低く、静かな言葉が、図書室の空気に溶け込んでいく。

 白峰はハッとしたように息を呑み、自らの手を見つめた。


「……守りに、入ってた。私、嫌われたくなくて……綺麗にまとめようとしてた……」

「ああ。だが、それじゃあ『文月ソウ』には届かない」


 俺があえて、彼女の『神様』の名前を出すと、白峰の肩がビクンと跳ねた。


「文月ソウの小説がなぜ面白いのか。それは、作者自身が『どうやって解決するんだこれ?』と思うような絶望的な状況にキャラクターを放り込んで、そこから無理やり、感情の爆発で突破口を開くからだ。……安全な道なんて、最初から用意されてないんだよ」


 自分の過去の執筆スタイルを自分で解説するのは死ぬほど恥ずかしいが、今は背に腹は代えられない。

 俺は身を乗り出し、彼女のパソコンの画面を指差した。


「縮こまるな。読者の予想を裏切って、一番度肝を抜くような『最強の危機クライマックス』を用意しろ。キャラクターが絶対に逃げられない、残酷で、物騒で、絶望的な状況を作れ。……解決策なんて、後からキャラクターと一緒に血反吐を吐いて考えればいい」


 俺の言葉に、白峰の瞳の奥で、消えかけていた炎が再びボワッと燃え上がるのが見えた。


「……絶望的な状況。絶対に、逃げられない危機……」


 彼女はブツブツと呟きながら、ノートパソコンの画面をパタンと閉じた。


「どうした。書かないのか?」

「……今のままじゃ、ダメ。パソコンの画面を見てると、どうしても綺麗に書こうとしちゃう」


 白峰は鞄の中をごそごそと漁り、一冊の真新しい、分厚い大学ノートを取り出した。

 表紙には『創作ノート(絶対に見るな!!)』と、物騒な太字で書かれている。


「まずはこのノートに、頭に浮かんだ『一番ヤバい状況』を書き殴ってみるわ。読者も、暗殺者も、ヒロイン自身も絶対に予想できないような……究極の密室と、絶体絶命のトリックを!」


 すっかりクリエイターの狂気ハイテンションを取り戻した白峰は、シャーペンを握りしめ、ノートの白紙のページに向かって凄まじい勢いで文字を書き殴り始めた。

 その横顔には、もうプレッシャーによる怯えはない。

 あるのは、純粋に「面白い物語を作ってやる」という、作家としての飢えだけだ。


(……よし。これでスランプは脱却だな)


 俺は心の中でガッツポーズをし、再び自分のミステリ小説へと視線を落とした。


 ――しかし。

 プレッシャーから解放され、タガが外れた彼女の『想像力』が、この後いかに恐ろしく、物騒なアイデアをそのノートに書き記してしまうのか。

 そしてそのノートが、生徒会はおろか教師陣をも巻き込む『大事件』の火種になることを。

 この時の俺は、完全に甘く見ていたのである。

 

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