第22話:ランキング急浮上と、見えない嫉妬
WEB小説の世界には、魔物が棲んでいる。
それは『ランキング』と呼ばれる、残酷で絶対的な数字の暴力だ。
星の数ほどある無名の作品が沈む泥の底から、一握りの天才や運の持ち主だけが引き上げられる光の塔。そこには明確な『順位』がつけられ、読者は上位の作品にばかり群がっていく。
翌日の放課後。
純喫茶『琥珀』の扉を開けた俺は、いつもと違う異様な空気に足を止めた。
奥のボックス席。ノートパソコンを開いた白峰莉音が、画面を食い入るように見つめたまま、石像のように硬直していたのだ。
「……おい、白峰。どうした、息してないぞ」
俺が向かいの席に座りながら声をかけると、白峰はギギギ、と錆びた機械のように首を動かし、俺を見た。
その顔は、幽霊でも見たかのように青ざめ、同時に、熱病に浮かされたように朱に染まっていた。
「な、夏目さん……。私、もしかして……死ぬのかしら」
「縁起でもないこと言うな。何があった」
「こ、これ……見て……っ」
震える両手で、彼女がノートパソコンの画面をこちらへ向ける。
そこには、小説投稿サイトのダッシュボード(管理画面)が表示されていた。
昨日まで、累計PVは五百に届くかどうか。ブックマークは十数件。
それが、どうだ。
――累計PV:五千三百。
――ブックマーク:百十五件。
「……は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れた。
たった一晩で、数字が爆発っていた。底辺を這いずり回っていた作品の数字の伸び方としては、異常な跳ね上がり方だ。
「ど、どうしよう夏目さんっ! 朝起きたら通知が止まらなくなってて、昼休みにはPVが三千を超えてて……! これ、絶対システムのバグよね!? 私、運営に怒られるのかしら!?」
「落ち着け、バグじゃない。……ちょっとマウス貸せ」
俺は白峰からマウスを奪い取り、サイトのトップページから『日間ファンタジーランキング』のタブを開いた。
一位から順に、数万、数十万PVを誇る化け物のような商業クラスの作品が並んでいる。
画面を一番下までスクロールしていくと――あった。
『第87位:氷の魔法使いと、不器用な暗黒騎士(作:ぴょんぴょんウサギ)』
「……マジか。日間ランキングのトップ100圏内に、滑り込んでる……」
俺が呟くと、白峰は「ひゃっ!?」と変な悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
「昨日の『すれ違い回』だ。あれが、サイトの読者層に完璧に刺さったんだ。誰かがSNSで紹介したか、新着から一気に読者の熱量が集まって、ランキング入りするアルゴリズムに乗ったんだよ」
俺はマウスをクリックし、作品の『感想欄』を開いた。
そこには、昨日までは見られなかった凄まじい数の読者からのコメントが殺到していた。
『尊い……っ! 暗黒騎士の不器用さが最高すぎます!』
『ヒロインがマントの温もりに気づくシーンで泣きました!』
『なんでもっと早くこの作品に気づかなかったんだ俺は!』
『もどかしい! 早くくっつけ! 更新全裸待機!』
画面を埋め尽くすほどの、熱狂的な賞賛の声。
それは、底辺でもがき苦しんでいた彼女の言葉が、確かに画面の向こうの誰かの心を震わせたという、揺るぎない証明だった。
「夏目さん……っ、私……っ!」
白峰の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
彼女は両手で顔を覆ったまま、しゃくり上げながら必死に言葉を紡ごうとする。
「私のお話が……こんなにたくさんの人に、読んでもらえて……っ。みんな、面白いって、言ってくれて……っ! 本当に、私……小説、書いててよかった……っ!」
嬉し泣きに震える彼女の姿を見て、俺の胸の奥にも、熱くこみ上げてくるものがあった。
俺の教えたロジックを、彼女が持ち前の圧倒的な『感情の熱量』で昇華した。これは間違いなく、白峰莉音というクリエイター自身が勝ち取った栄光だ。
だが。
元・プロの作家であり、かつて『打ち切り』という絶望を味わった俺は、この熱狂の裏に潜む「毒」の存在を、誰よりも知っていた。
「……白峰。よく聞け」
俺は、あえて冷たく、低く這うような声で彼女の名を呼んだ。
白峰がビクッと肩を震わせ、涙に濡れた目でこちらを見る。
「ランキング入り、本当におめでとう。これはお前の努力の結果だ。……だがな。ここから先は、今までみたいな『お前の作品を好きな人間だけが見てくれる、優しい世界』じゃない」
「えっ……?」
「末席とはいえ、ランキングに載るということは、不特定多数の目に晒されるということだ。……お前はもう『無害なアマチュア』じゃない。他の作家を押しのけてランキングの枠を奪った『敵』と認識する連中が、必ず現れる」
俺がそう告げた瞬間だった。
ノートパソコンの画面右下に、ポン、と新しい感想が書き込まれたことを知らせるポップアップ通知が表示された。
白峰が反射的にマウスに手を伸ばし、最新の感想欄を開く。
そこに書き込まれていたのは、これまでの熱狂的なコメントとは全く異質の、冷たく、刃物のような悪意を持った言葉だった。
『通りすがりです。
ランキングに乗ってたから読んでみましたが、ひどいですねコレ。
文章は稚拙で素人丸出し。すれ違いの展開も古臭いテンプレのツギハギ。
よくこんな中学生の妄想日記みたいなゴミを公開できますね。
作者の自己満足に付き合わされる読者の身にもなってください。ブラウザバック推奨』
「…………あ」
白峰の口から、掠れた声が漏れた。
先程までの熱狂的な歓喜が一瞬にして凍りつき、彼女の顔色からサーッと血の気が引いていくのがわかった。
「な、なに、これ……」
白峰の指先が、カタカタと震え始める。
何十件という賞賛のコメントよりも、たった一件の『悪意』のほうが、人間の心を深く、致命的に抉り取る。
それが、WEBという見えない刃が飛び交う戦場の真実だった。
「……これが『アンチ』だ。白峰」
俺は、震える彼女のパソコンの画面をパタン、と閉じた。
「お前の物語が、ランキングという光の当たる場所に登ったからこそ生まれた、暗い影(嫉妬)だよ」
喫茶店のBGMが、やけに遠く聞こえる。
氷の生徒会長という無敵の仮面を被ってきた少女が、クリエイターとして初めて直面する、理不尽で一方的な『悪意の洗礼』。
ここからどう立ち直るかが、彼女が本物の『作家』になれるかどうかの分水嶺だった。




