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第21話:すれ違いの構造を、物語に組み込め


 純喫茶『琥珀』の店内には、ジャズのBGMをかき消すほどの激しいタイピング音が響き渡っていた。


「……うーん、違う。これだとただの嫌なヤツになっちゃう……っ。消去、消去!」


 白峰莉音は、ノートパソコンの画面を睨みつけながら、バックスペースキーを連打した。

 昨日、一年生の女子生徒が引き起こした『子猫保護と怪文書騒動』。そこから学んだ「不器用な好意ツンデレ」と「すれ違い」の構造を自分の小説に落とし込もうとしているのだが、どうやら難航しているらしい。


 俺は向かいの席で、微糖のアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、彼女の苦悩を見守っていた。


「……筆が止まってるな。何に引っかかってるんだ?」

「あっ、夏目さん……」


 白峰は泣きそうな顔で顔を上げた。


「頭ではわかってるの。本心は『助けたい』なのに、言葉では『突き放す』。……でも、それをいざ文章にしてみると、暗殺者の言葉がただの冷酷な暴力みたいになっちゃって。ヒロインが本心に気付くきっかけが、どうしても不自然になっちゃうのよ」


 俺はグラスを置き、テーブルに身を乗り出した。


「お前は、キャラクターの視点に寄り添いすぎているんだ。……いいか、ラブコメや人間ドラマにおける『すれ違い』を面白くするための最大の秘訣を教えてやる」

「最大の、秘訣……?」

「ああ。それは『読者(神)の視点』と『キャラクターの視点』を意図的にズラすことだ」


 俺は手元にあった紙ナプキンに、ペンで二つの丸を描いた。


「例えば、暗殺者がヒロインに傷薬を渡すシーンだとする。いきなりヒロインの視点から『暗殺者が無言で傷薬を投げつけてきた』って書いたら、読者もヒロインと同じように『なんだこいつ、乱暴だな』って反感を抱くだけだ。……そこで、事前に『読者にだけ』情報を与えておく」

「読者にだけ……?」

「そうだ。ヒロインが目覚める前、暗殺者が傷薬を持って、渡そうか渡すまいか、ドアの前でウロウロと葛藤している描写を数行だけ挟むんだ。……読者は『こいつ、本当は心配でたまらないんだな』と知っている状態になる」


 白峰の瞳が、ハッと見開かれた。


「その状態で、ヒロインが目覚める。慌てた暗殺者は照れ隠しで『勘違いするな、荷物になったから捨てただけだ』と悪態をついて薬を投げる。……ヒロインは『乱暴な人!』と反発するが、読者はどう思う?」


「……『違うのよヒロインちゃん! 彼はあなたを助けたくてずっとウロウロしてたのよ! 素直になって!!』って……もどかしくて、画面の前で叫びたくなるわ!」

「正解だ。それが『すれ違いのカタルシス』だ」


 俺は紙ナプキンをトントンと叩いた。


「読者は、真実を知っている。だからこそ、すれ違う二人を見てやきもきし、感情移入する。……そして、ヒロインがふとした瞬間に『もしかして、あれは不器用な優しさだったのか?』と気づく瞬間のエモさが、何倍にも膨れ上がるんだよ」


「……っ!」


 白峰は、雷に打たれたような顔で俺の言葉を反芻していた。

 そして、昨日の旧校舎裏での出来事を思い出す。

 一年生の女子が、怒られる恐怖から『脅迫状』という形をとってしまったこと。その不器用なSOSの裏にあった、小さな命を救いたいという震えるほどの優しさ。

 表面的な言葉や行動の裏にある、本当の感情。


「……わかったわ。私、ヒロインと暗殺者を、完璧にすれ違わせてみせる」


 白峰の目に、クリエイターとしての強烈な光が宿る。

 彼女は再びキーボードに向き直ると、今度は迷うことなく指を滑らせ始めた。


 タタタタタタッ! ターンッ!


 迷いのない、リズミカルで力強いタイピング音。

 俺が教えた「箱書き」の技術と、現実の事件から抽出した「人間の感情のロジック」が、彼女の中で完全に融合し、物語へと昇華されていくのがわかった。


 小一時間ほどが経過した頃。

 白峰が「ふぅっ……」と深く息を吐き、満足げな顔でノートパソコンの画面をこちらへ向けた。


「夏目さん、読んでみて。……今度こそ、自信作よ」


 俺は画面に視線を落とす。


 そこに書かれていたのは、吹雪の吹き荒れる洞窟の中。

 傷ついたヒロインが眠る傍らで、暗黒騎士(暗殺者)が、自分のマントを彼女にかけるべきか否か、冷たい手で何度も躊躇うシーンから始まっていた。

 読者には、彼の不器用すぎる優しさが痛いほど伝わる。


 そしてヒロインが目を覚ました瞬間、彼は慌ててマントを乱暴に投げつけ、背を向けてこう言い放つ。


『……死体になられては目覚めが悪い。ただの防寒具だ、勘違いするな』


 冷たい言葉。しかしヒロインは、投げつけられたマントから、彼の微かな体温と、吹雪の中で彼がどれほど自分を守ってくれていたかという痕跡に気づく。


『……ひどい人。でも、このマント……すごく、温かい……』


 言葉はすれ違っているのに、心だけが静かに触れ合う。

 それは、ただのファンタジーの枠を超えた、極めて質の高い「ラブコメディ」のワンシーンとして完成していた。


「……どう、かな」


 不安げに様子を窺う白峰に、俺は顔を上げ、小さく笑みをこぼした。


「完璧だ。……ヒロインの心の動きも、暗黒騎士の不器用さも、読者の胃をねじ切るくらいに最高のもどかしさが出てる。文句なしだ」

「やったぁっ……!」


 白峰はガッツポーズをして、そのままの勢いで小説投稿サイトのマイページを開き、最新話の『公開』ボタンをターンッと叩いた。


「これできっと、読者の皆も喜んでくれるわよね!」

「ああ。この『すれ違い回』は、間違いなく今の読者にぶっ刺さる。……更新時間が夕方で、ちょうどアクセスが増える時間帯だ。明日の朝には、数字が大きく動くかもしれないぞ」


 俺の言葉に、白峰は「えへへ」と照れくさそうに笑いながら、パソコンを閉じた。


 物語の構造ロジックを学び、それを自分の武器として使いこなし始めたポンコツ作家。

 彼女の放ったこの一撃が、WEB小説という巨大な海において、予想を遥かに超える大波を引き起こすことになるとは。

 この時の俺たちは、まだ知る由もなかったのだ。

 

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