第18話:厳格なる副会長と、差出人不明の告発状
キーンコーンカーンコーン。
青海高校の校舎に、長く、そしてどこか晴れやかな響きを持った終業のチャイムが鳴り渡った。
三日間にわたる中間テストの全日程が終了した合図である。
「おっしゃあああああっ! 終わったぞおおおっ!」
「今日の放課後カラオケ直行な! マジで数学は死んだ!」
教室内は、解放感に満ちた生徒たちの歓声と、机を寄せるけたたましい音で一瞬にして喧騒に包まれた。
俺――夏目創は、解答用紙が回収されるや否や、机の上に突っ伏して深々とため息をついた。
(……ようやく終わったか。徹夜で白峰のプロットの骨格作りに付き合わされたせいで、睡眠時間が限界突破してる……)
テスト勉強自体は要領よくこなしたつもりだが、いかんせんあの限界底辺WEB作家の執筆熱に付き合うのは体力が要る。
今日は純喫茶『琥珀』に直行して、マスターの淹れたコーヒーを飲みながら一時間ほど仮眠をとらせてもらおう。そんなことを考えながら、のろのろと鞄に筆箱をしまっていた時のことだった。
「――夏目創。少し、面の皮を貸してもらおうか」
頭上から降ってきたのは、教室内のお祭り騒ぎを一瞬で凍りつかせるような、冷たく厳格な声だった。
顔を上げると、そこには眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、俺をゴミでも見るような目で見下ろしている男子生徒が立っていた。
生徒会副会長、長谷川である。
「……あ? なんだよ、長谷川。俺はこれから忙しいんだが」
「忙しい、だと? 貴様のような無気力な人間に、学業以上の何の用事があるというのだ」
「睡眠だよ」
俺が欠伸混じりに返すと、長谷川の額にピキリと青筋が浮かんだ。
周囲の生徒たちが「おい、なんで副会長が夏目のところに……」「なんか怒ってないか?」と遠巻きにヒソヒソと囁き始めている。
「……ここではなんだ。ついてこい。拒否権はないぞ」
長谷川は有無を言わさぬ威圧感を放ち、踵を返した。
面倒くさいことこの上ないが、ここで騒ぎを起こせば、俺と白峰の『秘密の関係』にまで注目が集まってしまうかもしれない。
俺は舌打ちを一つ飲み込み、鞄を肩にかけて、渋々彼の背中を追うことにした。
*
連行された先は、旧校舎の三階にある、現在は使われていない空き教室だった。
長谷川は俺を中に入れると、わざわざスライド式のドアをピシャリと閉め、内側から鍵をかけた。
「……で? 生徒会サマが、ただの帰宅部に何の用だよ」
「白々しい真似はやめろ、夏目」
長谷川は俺と数メートルの距離を取り、まるで汚物でも糾弾するような、悲壮感すら漂う声で告げた。
「貴様……白峰会長を、裏で脅しているな?」
「…………は?」
俺は、素っ頓狂な声を漏らした。
脅している? 俺が、白峰を?
「……お前、テストのストレスで頭が沸いたのか?」
「誤魔化せると思うな! 私はずっと見ていたのだ。完璧であったはずの会長が、最近、放課後になるたびにそわそわとし始め、逃げるように学校を後にする姿を! そして、貴様のような底辺の生徒に向けた、あの屈辱に満ちた愛想笑いをな!」
長谷川はバンッ! と窓際の教卓を叩いた。
(……愛想笑いって。お前、あいつのあの限界致死量のデレ顔が、脅されて引きつった顔に見えてたのか……。ある意味すげえな、そのフィルター)
俺は長谷川のあまりの的外れな推理に、呆れを通り越して感心すら抱き始めていた。
しかし、長谷川の暴走は止まらない。
「会長は清廉潔白だ! 自ら貴様のような男に近づくはずがない。貴様は、会長の何らかの弱みを握り、放課後に密会を強要しているのだろう。……例えば、金銭の要求か、あるいは暴力か、それとも……っ」
長谷川はギリッと歯を食いしばり、懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
そしてそれを、俺の目の前の教卓に乱暴に叩きつけた。
「シラを切るなら、これを見ろ。……今朝、生徒会の意見箱に投げ込まれていたものだ」
「なんだこれ」
「とぼけるな! 貴様の悪行は、すでに他人の目にも留まっているという証拠だ!」
俺はため息をつきながら、その紙切れを手に取った。
安物のレポート用紙に、定規を当てて書いたような、不自然で角張った文字が並んでいる。
『白峰会長の裏の顔を知っている。
彼女は放課後、ある男子生徒と恐ろしい密約を交わしている。
学園の秩序を守りたいなら、真実を暴け。』
(……なるほど。『裏の顔』に、『男子生徒との密約』ね)
文章だけを見れば、確かにスキャンダラスな告発状だ。
だが、俺にはこの文面から、ある『強烈な違和感』がプンプンと漂ってくるのがわかった。
「……読んだか、夏目。この『恐ろしい密約』とは、貴様のことだろう」
長谷川が勝ち誇ったように――いや、悲痛な決意を秘めた顔で俺を睨む。
「貴様が自らこの手紙を投函して、私たち生徒会を挑発しているのか。それとも、貴様と会長の密会を目撃した第三者が、正義感から告発したのか……それはわからない。だが、どちらにせよ貴様の悪事はここまでだ! 私は会長を、貴様のような害虫から――」
バンッ!!
長谷川の演説がクライマックスを迎えようとしたその瞬間。
空き教室のドアが、凄まじい勢いで蹴り開けられた。
内鍵がかかっていたはずの古びた錠が、物理的な衝撃で弾け飛ぶ。
「なっ……!?」
驚愕して振り向く長谷川。
そこに立っていたのは、肩で大きく息をし、髪を振り乱した白峰莉音だった。
「はぁっ……はぁっ……っ!」
彼女の顔は、幽霊でも見たかのように真っ青に青ざめていた。
どうやら、長谷川が俺を連行したという噂を聞きつけ、テスト終了と同時に校内を駆け回って探し当てたらしい。
「か、会長!? なぜここに……っ」
「長谷川君……あなた、夏目さんに……何を……っ!」
白峰はよろめきながら教室に入り、そして――教卓の上に置かれた『告発状』の文面を、見てしまった。
『白峰会長の裏の顔を知っている』
その文字が目に入った瞬間。
白峰は「ひっ……!」と、喉の奥で引きつった悲鳴を上げた。
(あ、ヤバい。これバレた……! 私の裏の顔……限界底辺WEB作家の『ぴょんぴょんウサギ』だってことが、全校生徒にバレる……っ!)
俺には、彼女の脳内を駆け巡っているであろうポンコツな絶望の声が、はっきりと聞こえる気がした。
「ああ……あああっ……どうしよう、夏目さんっ!」
白峰はガクガクと膝を震わせ、今にも泣き出しそうな顔で俺を見た。
あの痛々しいポエムを書き殴ったノートを見られたのか。
それとも、喫茶店で『暗殺者が壁をぶっ壊すシーン、最高だわ!』と鼻息荒くタイピングしているところを盗撮されたのか。
彼女の頭の中は、生徒会長としての威厳など微塵もない、ただの「黒歴史を暴かれた女子高生」のパニックで満たされていた。
だが、その白峰の震えを、長谷川は全く別のベクトルで解釈した。
「……会長! もう怯える必要はありません!」
長谷川が、バッと両手を広げて白峰を庇うように俺との間に立ち塞がった。
「やはり、この男に脅されていたのですね……! 手紙の内容を見ただけで、これほどまでに震えられるとは……! 安心してください、この長谷川が、必ずや貴女をこの男の呪縛から救い出してみせます!」
「……え?」
白峰が、パニックの頂点でポカンと口を開けた。
長谷川は俺をキッと睨みつけ、指を突きつける。
「さあ、言い逃れはできないぞ夏目! この告発状が何よりの証拠だ! 貴様の罪を今ここで――」
「あー……。お前ら、そろそろそのコント、やめていいか?」
俺は、重たい空気をぶち壊すように、深々と、わざとらしいほど大きなため息をついた。
「な、なんだと……?」
「夏目、さん……?」
俺は教卓の上にあったレポート用紙をヒラヒラと揺らしながら、呆れ顔で長谷川と白峰を交互に見やった。
「長谷川。お前は思い込みが激しすぎる。それから白峰。お前は早とちりしてパニックになりすぎだ」
「な、何を言っている! この手紙にははっきりと――」
「だから、その手紙だよ」
俺はレポート用紙の角を指先で弾いた。
「いいか? これは、俺が書いた自作自演でもなければ、悪意を持った第三者の『告発』でもない。……こんなものは、ただの不器用で、臆病で、回りくどいだけの『SOS(相談)』だ」
俺の断言に、教室の空気がピタリと止まる。
長谷川の怒りも、白峰のパニックも、俺の放った『SOS』という単語によって一時停止させられていた。
「SOS……? これが、助けを求める手紙だというのか!?」
「ああ、そうだ。……お前ら二人には、物語を読み解く『読解力』が絶望的に足りてないみたいだな」
俺は眠気を振り払うように首をポキリと鳴らし、手紙の文面をもう一度見つめた。
現実の謎には、いつだって人間の不器用な感情が隠されている。
さあ、俺の担当するポンコツ作家に、新しい『すれ違いの構造』をインプットしてやる時間だ。




