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第16話:迫り来る中間テストと、プロの執筆ハック


 高校生という生き物には、定期的に避けられない『死のイベント』がやってくる。

 すなわち――中間テストだ。


 図書室の空気がピリピリと張り詰め、放課後の教室には居残りでノートを広げる生徒たちの姿が増え始める時期。

 俺のような無気力な人間は「赤点さえ回避できれば御の字」という低空飛行スタイルでやり過ごすのだが、世の中にはそうはいかない人間がいる。


 純喫茶『琥珀』のボックス席。

 俺の目の前に座る白峰莉音は、完全に『死に体』となっていた。


「……うぅ……っ。もうダメ、数字が……数式がゲシュタルト崩壊してきたわ……」


 彼女の目の前には、分厚い数学の参考書と、開かれたノートパソコンが並んでいる。

 完璧な生徒会長であり、学年トップの成績を維持しなければならないという重圧。それに加えて、最近数字が伸び始めたWEB小説の『毎日更新』というタスク。

 二つの巨大なプレッシャーに挟まれた結果、彼女の目の下にはうっすらとクマができ、虚ろな目で宙を彷徨っていた。


「……おい。限界なら今日はパソコンを閉じろ。更新は休んで勉強に専念しろよ」


 俺が呆れて声をかけると、白峰はブンブンと首を横に振った。


「ダメよ! 昨日、あんなに熱い感想をもらったばかりなのよ? 読者の熱が冷めないうちに、次の展開をぶつけなきゃ……。待ってくれている人がいるのに、休むなんてできないわ」


 その言葉は、作家としての確かな責任感からくるものだった。

 初めて読者を手に入れたクリエイターは、その繋がりを失うことを何よりも恐れる。痛いほど気持ちはわかるが、物理的な時間は有限だ。


「……ふぁ……でも、まぶたが、鉛みたいに重くて……」


 白峰の頭が、カクン、と揺れる。

 手元のシャープペンシルが指から滑り落ち、彼女の身体が、重力に従ってノートパソコンのキーボードへと倒れ込んでいく。


「おい、白峰――」


 俺は咄嗟に身を乗り出し、机に激突する寸前だった彼女の額を、自分の手のひらでガシッと受け止めた。


「……んぅ……」


 俺の手のひらに額を預けたまま、白峰はスースーと小さな寝息を立て始めた。

 至近距離。彼女の長く美しいまつ毛や、ほんのりと色づいた唇が嫌でも視界に入る。手から伝わってくる彼女の体温が、やけに熱い。


(……無防備すぎるだろ、このポンコツ会長)


 俺は小さくため息をつき、数分間だけ、そのままの姿勢で彼女を寝かせてやることにした。

 彼女がどれだけ身を削って、期待に応えようと戦っているかを知っているからだ。


 五分後。

「……はっ!?」

 白峰がビクッと体を震わせて目を覚ました。


「わ、私、寝てた……!? ご、ごめんなさい、夏目さん! 手、疲れなかった!?」

「顔にキーボードの跡がつくよりはマシだろ。……ほら、冷たいコーヒー飲んで目ぇ覚ませ」


 俺が自分のグラスを押しやると、白峰は「ありがとう……」と耳まで真っ赤にしてストローを咥えた。


「……で。このままじゃ共倒れだぞ。テスト勉強も進まないし、小説のストックも尽きる」

「うぅっ……痛いところを突かないで。でも、どうすればいいのよ。一日が三十時間になればいいのに……」

「なら、時間の『使い方』を変えるしかないな。……いいか、白峰。今日は元プロが、締め切りに追われた時の『最強の執筆ハック』を教えてやる」


 俺は自分のスマホを取り出し、メモアプリを開いてテーブルの中央に置いた。


「いいか。素人や初心者が執筆に時間がかかるのは、『頭から順番に、綺麗な文章を書こうとする』からだ。情景描写を考えて、セリフを考えて、また情景描写を考えて……そんなことをマルチタスクでやっているから、脳が疲弊して手が止まる」

「あ……。確かに、パソコンの前で『次はどう書こう』って悩んでる時間が一番長いかも」

「だろ? だから、作業を完全に『分割』するんだ。プロの世界ではこれを『箱書き』とか『プロットの解像度を上げる』って呼ぶ」


 俺はスマホの画面に、箇条書きでリストを作り始めた。


「テスト期間中は、いきなり本文を書くな。まずはノートに、今日書くシーンの『セリフ』と『キャラの感情(心の声)』だけを、箇条書きで全部書き出せ。情景描写なんて後回しでいい。ただのチャット画面みたいになっても構わない。……要は、物語の『骨格』だけを先に作っちまうんだよ」


 白峰は目を丸くして、俺の操作する画面を見つめている。


「骨格が完成したら、あとはそこに『肉』を付けるだけだ。……『ここは悲しそうに言わせよう』とか『ここで風を吹かせよう』とか、そういう装飾は、骨格ができていれば通学中の電車の中や、トイレの中でだってスマホで打ち込める」

「……ああっ!」


 白峰の顔が、パッと明るくなった。


「そうか……! 一から十まで全部パソコンの前でやろうとしてたから時間が足りなかったのね。セリフと感情の『骨組み』さえ決まっていれば、隙間時間でいくらでも書き進められるわ!」

「そういうことだ。……ほら、残り時間で今日の分の『骨格』を作れ。俺がチェックしてやる。それが終わったら、残りの時間は数学に全振りしろ」


「はいっ、夏目編集長!」


 白峰は弾かれたように姿勢を正し、ノートパソコンのメモ帳を立ち上げた。

 俺の教えた『分割作業』の効果は覿面てきめんだった。文章の美しさを気にせず、ただキャラクターのセリフと感情だけを叩き出す作業は、彼女の強みである「熱量」と相性が良かったのだ。

 わずか二十分で、一話分の完璧な骨格が出来上がった。


「すごい……! これなら、テスト勉強の息抜きにスマホで肉付けするだけで、毎日更新が途切れないわ!」


 白峰は感動したように両手を合わせ、尊敬の眼差しで俺を見つめてきた。


「夏目さんって、本当に魔法使いみたい。私が一番困っている時に、いつも完璧な答えをくれるんだもの」

「……大げさだ。ただの効率化だろ」

「ううん。夏目さんがいてくれなかったら、私、絶対に途中で心が折れてた。……本当に、ありがとう」


 夕暮れの喫茶店。まっすぐな好意と信頼を向けられ、俺は居心地の悪さに首の後ろを掻いた。


「……いいから、早く数学やれよ。生徒会長が赤点なんて取ったら、それこそ笑えないぞ」

「ふふっ、任せて。執筆の目処が立てば、数学なんて敵じゃないわ!」


 自信に満ちた笑顔を取り戻した彼女は、再び参考書へと向き直った。

 俺は心の中で小さく安堵の息を吐きながら、冷えかけたコーヒーを飲み干した。

 これで、テスト期間という壁は無事に乗り越えられるだろう。



     *



 しかし、俺たちがそんな秘密の時間を共有し、絆を深めている一方で。

 学園の中では、静かに、しかし確実に、不穏な影が動き始めていた。


 翌日の放課後。青海高校、生徒会室。

 誰もいない静まり返った部屋で、副会長の長谷川は、机の上に広げられた一枚の書類を、険しい目つきで睨みつけていた。

 それは、生徒会役員の『放課後の活動シフト表』だった。


「……おかしい」


 長谷川は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、独りごちた。


「最近の白峰会長は、明らかに様子がおかしい。放課後の残務処理を異常な速度で終わらせて、逃げるように学校を出て行く日が増えている。……それに、あの無気力な不良生徒、夏目創との不自然な接触……」


 長谷川の脳裏に、昇降口で白峰が夏目に向けた『あの笑顔』がフラッシュバックする。

 誰に対しても平等で、そして冷徹だった彼女が、あんな底辺の生徒に向けて破顔するなど、彼の論理では絶対にありえないことだった。


「……間違いない。会長は、あの夏目という男に、何か『致命的な弱み』を握られて、脅されているんだ」


 長谷川は拳を強く握り締めた。

 彼は白峰莉音を生徒会長として尊敬し、同時に、自分こそが彼女を支える一番の理解者だという自負があった。

 だからこそ、彼女を脅かす『害虫』の存在を、許すわけにはいかなかった。


「……会長の尊厳は、僕が守る。あの男の化けの皮を、必ず剥がしてみせる」


 長谷川の冷たい呟きが、生徒会室に虚しく響く。

 俺と白峰の「秘密の共犯関係」は、俺たちの与り知らぬところで、とんでもない方向への『勘違い』を生み出し、暴走を始めようとしていた。

 

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