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第15話:祝勝会のアイスと、氷の令嬢の致死量デレ


 駅前にあるコンビニの自動ドアを抜け、夕暮れの冷たい空気に触れる。

 俺はレジ袋から、金色に輝く高級アイスクリームの小さなカップを取り出し、隣を歩く白峰に差し出した。


「ほら。約束の一番高いアイスだ。溶けないうちに食え」

「わぁ……っ! 本当にいいの? これ、普通のアイスが三つも買えちゃう値段よ?」

「一〇〇〇PVを目指す作家への投資だ。遠慮なく食え」


 俺たちは駅前の小さな公園のベンチに腰を下ろした。

 オレンジ色の西日が、ブランコやジャングルジムの影を長く伸ばしている。

 白峰は木製の小さなスプーンでアイスをすくい、ぱくりと口に含んだ。


「んん〜っ……! おいしいっ。バニラがすっごく濃厚!」


 彼女は両手で頬を押さえ、これ以上ないほど幸せそうな顔で身悶えした。

 その顔は、全校生徒から恐れられ、そして尊敬を集めている『氷の生徒会長』の面影など微塵もない。ただの甘いものが大好きな、年相応のポンコツ女子高生だ。


 俺は自分の安いソーダアイスを齧りながら、その横顔を眺めた。

 数時間前、喫茶店で長文の感想を読んで号泣していた彼女の目は、まだ少しだけ赤い。


「……ねえ、夏目さん」

「ん?」

「私ね。こうやって放課後に寄り道して、男の子と一緒にベンチでアイスを食べるなんて、想像したこともなかったわ」


 白峰はスプーンを口に咥えたまま、少しだけ恥ずかしそうに視線を落とした。


「ずっと『完璧な白峰家の娘』でいなきゃって、気を張ってたから。……まさか、自分の書いた小説のことでボロボロに泣いて、それをこんな風に慰めてもらう日が来るなんて」

「俺は慰めたつもりはない。お前が書いた文章が、読者を殴り飛ばした。その結果が返ってきただけの、正当な対価だ」


 俺のぶっきらぼうな返答に、白峰は「ふふっ」と小さく笑った。


「そうね。夏目さんはいつだって、私の『物語』を一番に見てくれる。……だから、信じられるの」


 夕風が吹き抜け、彼女の漆黒のロングヘアがふわりと揺れた。

 西日を背に受けた彼女の横顔は、ハッとするほど綺麗だった。俺は思わずソーダアイスを齧る手を止め、誤魔化すように視線を逸らした。


「……ま、とりあえず今日は余韻に浸ってろ。明日からはまた、次のプロット作りで容赦なくしごくからな」

「ええ、望むところよ! 私、もっともっと読者の心を揺さぶるお話を書きたいもの!」


 空になったアイスのカップを握り締め、白峰は力強く頷いた。

 その瞳に宿る熱量は、出会った頃のただの「憧れ」から、明確な「クリエイターとしての自覚」へと変わり始めていた。



     *



 そして、翌朝。

 青海高校の昇降口は、いつも通りの慌ただしい空気に包まれていた。


「おはようございます。ネクタイが少し緩んでいるわよ。直してから教室に入りなさい」


 冷徹で、凛とした声。

 腕に風紀委員の腕章を巻き、登校してくる生徒たちに目を光らせているのは、我らが誇る『氷の生徒会長』こと白峰莉音だ。

 昨日、公園のベンチで高級アイスに舌鼓を打っていたポンコツ限界オタクと同じ生き物だとは、世界中の誰がどう見ても信じられないだろう。


 彼女の隣には、副会長の長谷川が立ち、バインダーを片手に生徒の風紀チェックをサポートしている。


「白峰会長、昨日の文化祭ポスターの件、織田の再提出分で無事に印刷所へ回せました。会長の完璧な対応のおかげです」

「当然の仕事をしたまでよ。長谷川君も、スケジュールの調整ご苦労様」


 隙のない、完璧な優等生同士の会話。

 俺はそんないつも通りの光景を横目に、気怠い足取りで昇降口へと向かった。

 目立たないように、その他大勢の生徒の一人として、サッと通り過ぎるつもりだった。


 だが。

 俺が白峰の前を通り過ぎようとした、まさにその瞬間だった。


 ふと、白峰がこちらを向いた。

 視線が、完璧に交差する。


(……やべ)


 俺は咄嗟に目を逸らそうとした。

 学校では、俺たちは「ただの生徒会長と、無気力な日陰者の男子生徒」という建前だ。ここで親しげに話しかけられでもしたら、副会長の長谷川あたりに面倒な目を向けられる。


 白峰もそれは分かっているはずだ。

 だから、彼女は絶対に言葉を発しなかった。


 その代わり――。


「…………」


 俺と目が合った数秒間だけ。

 彼女は、他の誰からも見えない絶妙な角度でバインダーを少しだけ持ち上げ、口元を隠した。

 そして、冷徹な氷の仮面をスッと溶かし、俺にだけわかるように。


 ふにゃり、と。

 昨日アイスを食べていた時のような、とびきり甘くて、無防備で、嬉しそうな笑顔を向けたのだ。


「……っ!」


 俺は思わず、呼吸を忘れて足をつまずきそうになった。


 バインダーの陰で、彼女の耳がほんのりと赤く染まっているのが見える。

 それは、「おはよう、私の担当編集さん」という、二人にしかわからない秘密の合図だった。

 たった数秒の致死量のデレ(ギャップ萌え)を俺の心臓に叩き込むと、彼女は一瞬で元の『氷の令嬢』の顔に戻り、「廊下は走らないように」と別の生徒へ注意を向けた。


(……あいつ、無自覚なのか計算なのか知らねえが、破壊力高すぎるだろ……)


 俺はドッと噴き出した冷や汗を拭いながら、逃げるように教室へと向かった。


 だが、その一部始終を、すぐ隣にいた人間が見逃すはずもなかった。


「……白峰会長」

「ん? 何かしら、長谷川君」

「今、あの2年の夏目という生徒に……笑いかけませんでしたか?」


 長谷川が、眼鏡をキラリと光らせて鋭く問いかける。

 白峰は内心の焦りを微塵も表に出さず、涼しい顔で首を傾げた。


「気のせいじゃないかしら。私はただ、登校してきた生徒に挨拶をしただけよ」

「……そうですか」


 長谷川はそれ以上何も言わなかったが、俺の去っていった廊下の先を、疑念に満ちた目で見つめていた。


 ――そして、教室。

 自分の席に座り、机に突っ伏した俺の肩を、前の席の高坂がバンバンと叩いた。


「おーい夏目! お前、今朝の白峰会長見たか!? なんか今日、いつもよりすげー可愛くなかったか!? オーラがこう、キラキラしてたっていうか!」

「……気のせいだろ。いつも通り怖かったよ」


 俺は顔を伏せたまま、心の中で深々とため息をついた。


(……頼むから、俺の平穏な日常を壊さないでくれよ、ぴょんぴょんウサギ先生)


 共通の秘密と、作品の成功体験。

 それは、確実に俺と彼女の距離を狂わせ始めていた。

 そしてこの「隠しきれない甘い空気」が、やがて生徒会という厄介な組織を巻き込んだ、新たな波乱を呼ぶことになるとは。

 この時の俺は、まだ知る由もなかったのだ。

 

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