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第10話:秘密の答え合わせと、初めての感想


 純喫茶『琥珀』の店内には、今日も静かなジャズが流れ、焙煎されたコーヒーの香りが満ちていた。

 一番奥のボックス席。マスターがそっと置いていってくれた微糖のアイスコーヒーと甘いココアを挟んで、俺と白峰は向かい合っている。


「……さあ、夏目さん。焦らさないで教えてちょうだい。あの密室の部室で、本当は何が起きていたの?」


 白峰はココアには目もくれず、身を乗り出して俺に迫ってきた。

 手にはバインダーに挟んだノートとペンを握り締め、いつでもメモを取る態勢が整っている。すっかり作家の顔だ。


「そう焦るな。お前はどう推理したんだ?」

「ええっと……。相沢さんが『鏡が消えて助かる』理由よね。もしかして、あのアンティーク鏡には何か恐ろしい呪いがかかっていて、それを手放すために自分で捨てたとか……」

「お前はすぐファンタジーに逃げるな。現実の女子高生が呪いのアイテムなんか持ち歩くか」


 俺はため息をつき、アイスコーヒーのグラスを傾けた。

 カラン、と氷の鳴る涼しげな音が響く。


「……いいか、白峰。あの事件に、外部からの侵入者なんていない。密室トリックも存在しない。ただ、一人の女子高生が『自分のついた嘘』をごまかすために、結果的に密室ミステリーを作り上げてしまっただけだ」

「自分のついた嘘……?」

「ああ。相沢リサは、SNSで『高価なアンティークの鏡を使っている』と見栄を張っていた。だが、部室のゴミ箱にあった破片を思い出してみろ。あれは百円ショップで買える安物のプラスチックに、自分で銀色の塗装をしただけの代物だった」


 白峰がハッとして、ノートに視線を落とす。


「彼女は昨日の放課後、うっかりその鏡をぶつけるか何かして、塗装を剥がしてしまったんだ。下地の安いプラスチックが丸見えになった。……もしそれを部室の誰かに見られたら、どうなる?」

「……『なんだ、安物じゃない』って、笑われちゃうわね。相沢さんはいつも完璧に自分を飾っている人だから、それは絶対に耐えられないはずだわ」

「その通りだ。だから彼女は、証拠隠滅のために壊れた鏡をゴミ箱の底に隠し、あるいは持ち帰るなりして、いつも通り部室の鍵をかけて帰った。ここまでは、ただの『見栄っ張りの隠蔽工作』だ」


 俺はテーブルの上で、水の入ったグラスを相沢に見立てて動かした。


「問題は今朝だ。相沢が登校してくるより前に、彼女の友達が先に部室を開けた。そして、いつも机のど真ん中にあるはずの相沢の鏡がないことに気づいた」


 俺の言葉に、白峰の大きな瞳が見開かれていく。

 彼女の優秀な頭脳が、俺の提示したピースを繋ぎ合わせ、一つの残酷で滑稽な真実へと辿り着こうとしていた。


「あっ……! じゃあ、もしかして……」

「そうだ。友達は『相沢の大事な鏡がない! 盗まれたんだ!』と大騒ぎした。後から登校してきた相沢は、青ざめたはずだ。ここで『あ、ごめん。あれ安物で壊れたから私が昨日捨てたんだ』と言えば、自分の見栄が全部バレてしまう」

「完璧なインフルエンサーを演じている彼女には、それが死ぬほど恥ずかしかった……。だから彼女は、『そ、そうなの! 私の鏡が盗まれたの!』って、被害者のフリをして嘘に便乗するしかなかったのね……っ」


 白峰の声が微かに震えていた。

 それが、この密室事件の全貌だ。


「相沢が昨日、最後に自分で鍵をかけて返却した記録が残っていたせいで、彼女の『盗まれた』という嘘は、図らずも『密室から盗まれた』という不可能な状況を生み出してしまった。……意図して作った密室じゃない。引っ込みがつかなくなった見栄と嘘が、雪だるま式に膨らんで出来上がっただけの、馬鹿げた喜劇だ」


 俺が説明を終えると、白峰はしばらくの間、呆然として口を開けたまま固まっていた。

 やがて彼女は、ゆっくりと息を吐き出し、手元のノートを見つめた。


「……相沢さん、意地悪な人だと思ってたわ。でも……自分の恥ずかしい秘密を守るためだけに、あんな大騒ぎになってまで嘘をつき通そうとするなんて」

「人間ってのはそういう生き物だ。論理的じゃない。機械的なトリックなんかより、『恥ずかしい』とか『見栄を張りたい』っていう感情の方が、よっぽど突拍子もない行動を引き起こす」


 俺は彼女の目を見据え、編集者としての、いや、元・作家としての本音をぶつけた。


「いいか、白峰。お前の書くヒロインは氷の魔法で密室を作る。……あれは、敵の物理的な攻撃から身を守るための壁じゃないはずだ。自分の『本当の弱さ』や『恥ずかしい素顔』を、暗殺者に見られたくないから、パニックになって閉じこもったんだろ?」


 白峰の肩が、ビクッと跳ねた。

 俺の言葉が、彼女の物語の核心――そして、完璧な生徒会長を演じている彼女自身の心の一番柔らかい部分に、深く突き刺さったのがわかった。


「……だから、暗殺者は壁をすり抜けちゃダメなんだ。ヒロインが必死に隠そうとしているその『嘘(見栄)』に気づきながら、それでもお前を一人にしないって、不器用に扉をこじ開けてやらなきゃいけないんだよ」


 静かな喫茶店に、俺の言葉だけが響く。

 白峰はポロポロと涙をこぼし、それでも顔を伏せることなく、俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。


「……わかったわ。私、わかった。キャラクターが、本当に生きているみたいに感じられる。……夏目さん、私、書くわ。今すぐ、第二話を」


 彼女は涙を乱暴に袖で拭うと、鞄からノートパソコンを取り出し、凄まじい勢いで画面を開いた。

 俺が教えた正しいホームポジションに指を置き、深く深呼吸をする。

 

 タタタタタッ、と。

 まだ少しぎこちないが、昨日よりもずっと力強いタイピング音が鳴り始めた。


 俺は黙って自分のアイスコーヒーを飲みながら、彼女が物語を紡ぐ横顔を眺めていた。

 現実の事件から人間の感情をサンプリングし、それを自分のファンタジーへと昇華していく。その吸収力と、感情を出力する圧倒的な熱量。

 荒削りだが、こいつは間違いなく化ける。


 一時間ほどが経過した頃。

 白峰が「ふぅっ……」と深く息を吐き、エンターキーをターンッ! と少し強めに叩いた。


「……書けた。夏目さん、読んでみて」


 差し出された画面を覗き込む。

 そこに書かれていた第二話は、昨日のプロットとは全く別物になっていた。


 魔法が暴走して密室を作ってしまったヒロインの、強がりと寂しさが入り混じった切実な独白。

 そして、扉越しにヒロインの嘘を見抜き、「お前の嘘は下手くそだ」と悪態をつきながら、血だらけの手で氷の扉を破壊して入ってくる暗殺者の不器用な優しさ。


(……すげえな)


 俺は内心で舌を巻いた。

 文章の稚拙さはまだあるが、キャラクターの感情の解像度が昨日とは段違いだ。相沢リサの事件を通じて学んだ「見栄と嘘」の心理が、ヒロインの造形に見事にハマっている。


「……文句なしだ。そのまま投稿しろ」

「ほんと!? やったぁっ!」


 白峰はガッツポーズをして、そのままの勢いで小説投稿サイトのマイページを開き、第二話の公開ボタンを押した。


「これで、毎日更新のストックが一つできたわね。……あ、そうだ。昨日の第一話のPV、どうなってるかな」


 彼女はマウスを操作し、自分の作品のダッシュボード(管理画面)を開いた。

 今朝の時点では『8』だったPV。

 それが、夕方になった今、少しは増えているだろうか。


 画面が切り替わる。

 そして。


「……え?」


 白峰が、間抜けな声を漏らした。

 俺も画面を覗き込み、わずかに目を細めた。


 累計PV:45。

 ブックマーク:3件。


 そして、画面の一番下にある『感想』の項目に、赤い通知マークで『1』という数字が点灯していた。


「な、夏目さんっ。これ……これって!」

「……落ち着け。ただのスパムか、荒らしの可能性もある。WEBの海は残酷だぞ。あまり期待しすぎるな」


 俺はあえて冷たく釘を刺した。

 俺自身、過去に心無いレビューで何度も心を折られてきたからだ。初心者が最初に触れる刃は、時に致命傷になる。


 だが、白峰の手は震えながらも、迷うことなくその感想通知をクリックした。

 展開された画面に、たった三行の、見知らぬ読者からのメッセージが表示される。


『通りすがりです。

構成は少し粗いですが、密室の中で震えているヒロインの強がりが、痛いほど伝わってきて泣けました。

彼女が救われるところが見たいです。更新、待ってます』


 …………。

 静寂が、落ちた。


「あ……」


 白峰の口から、掠れた吐息が漏れる。

 彼女の大きな瞳から、ぽろりと、今日何度目かわからない大粒の涙がこぼれ落ちた。


「夏目、さん……っ。私……私のお話、届いた……っ。誰かの心に、ちゃんと届いたの……っ!」


 彼女は両手で顔を覆い、しゃくり上げながら、子供のように泣き始めた。

 嬉しくて、嬉しくてたまらないというように。

 自分の存在が、自分が紡いだ嘘の物語が、この世界のどこかにいる誰かに肯定された喜び。


 俺はその姿を見て、胸の奥底で、かつて自分が捨てたはずの情熱が、ドクン、と大きく脈打つのを感じた。


 初めて感想をもらった日の、あのどうしようもなく世界が輝いて見えた瞬間。

 忘れていたはずの熱が、このポンコツな底辺作家の涙を通して、俺の中に流れ込んでくる。


(……ああ、やっぱり。物語ってのは、クソみたいな現実をひっくり返す魔法だ)


「……泣いてる暇はないぞ、ぴょんぴょんウサギ先生」


 俺はカーディガンのポケットに手を突っ込んだまま、呆れたように、けれど確かな敬意を持って声をかけた。


「待ってる読者がいるんだ。……次のネタを探しに行くぞ」


 オレンジ色の西日が差し込む喫茶店。

 俺たちの共犯関係は、この小さな「初めての感想」をきっかけに、さらに深く、後戻りできない場所へと進んでいくのだった。

 

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