12 反撃
フルールはこれまでどんな扱いを受けようとも、ルースを一途に想い続けていた。
彼女の世界の中心には常に彼がいて、彼が唯一の救いだった。
彼がいればどんな屈辱にも耐えられたし、彼の妻でいられるのならお飾りの妻と裏で嘲笑されてもかまわなかった。
それほどに、彼女は彼に惚れ込んでいた。
しかし、前世の記憶を取り戻したフルールにとって、彼の存在はもはやどうでもいいものになっていた。
(私の実家のおかげであそこまで事業を拡大できたくせに……)
いくら彼女が仕事において必要不可欠な存在だからといって、妻に対してこんな仕打ちはないだろう。
フルールは五年間の間に何度かもう少し家に帰る頻度を増やせないかとルースに提案したが、良い返事はもらえなかった。
『彼女は仕事において必要不可欠なパートナーなんだ』
彼はいつだってそう言ってフルールを黙らせてきた。
お前は仕事において何の役にも立っていないんだから我慢しろ、そんな風に言われているようだった。
「――ちょっと、奥様!」
「……?」
そのとき扉を勢いよく開けて入ってきたのは、グロリア伯爵家の侍女長だった。
先代伯爵の頃から伯爵家に仕えている彼女は、ルースからの信頼も厚いと聞く。
しかしフルールにとっては、一言でたとえるなら「口うるさい性悪おばさん」だった。
彼女は大股で歩いてくると、フルールの前で声を荒らげた。
「今日は旦那様が帰ってくる日だから部屋の掃除を済ませておくように言ったではありませんか!」
「……」
そういえば昨日そんなことを言われたような気がする。
伯爵家の使用人たちは、何かとフルールに自分たちの仕事を押し付けていた。
当然、掃除や洗濯など伯爵夫人のやることではなかったが、特にすることもなかったフルールは黙って受け入れていた。
実家の伯爵家でも掃除をよくやらされていたせいか、不思議と変な感じはしなかったのだ。
(うるさいわね……朝っぱらから大声出さないでよ……)
甲高い侍女長の声は耳障りだった。
「奥様、聞いていらっしゃるんですか!?このままでは旦那様に……」
「――アンタ、誰に向かってそんな口を利いているの?」
「……………何ですって?」
反論されるとは思わなかったのか、侍女長は固まった。
「私はこの家の女主人よ?わかっているのかしら?」
「女主人……?旦那様を脅迫し、汚いお金で妻になったくせに……!」
「ええ、そうね、たしかにその通りだわ」
潔く認めたフルールに、侍女長は眉を上げた。
「――でもね、その汚いお金を使って生活し、食べていけているのはあなたもでしょう?」
「……!」
フルールとの結婚前、グロリア伯爵邸には使用人が僅か数人しかいなかった。
先代伯爵の夜逃げ以降、使用人たちはほとんど全員が伯爵家をやめていったからだ。
侍女長は唯一ルースの傍に残った使用人だった。
何故、当時一介の侍女だった彼女が最後まで伯爵家に残ったのか。
「変な噂を聞いたことがあるのよ。この屋敷にいるみんなは気にしてないようだけどね。先代伯爵夫人――旦那様の母君がまだ生きていた頃、邸で伯爵と密会を重ねていたメイドがいたと」
「……!」
侍女長はビクリと肩を上げた。
フルールはそんな噂を聞いたことなど無かった。
彼女が今言ったことは全て、小説の中に書かれていたことだった。
「――あなた、先代伯爵の愛人だったんでしょう?」
「……」
侍女長は何も言わずに、黙り込んだ。
それがまさに肯定を意味していた。
「当然、旦那様や周囲に知られたら困るわよね。――だって、旦那様の母君が亡くなったのは信頼していた侍女と夫の不倫を知って絶望した末の自殺だもの」
「……ッ!」
ルースの父親の先代伯爵は好色家としても知られていた。
妻子がいるにもかかわらず、多くの女と関係を持っていた。
伯爵夫人は、子供を放置し浮気を繰り返す夫に憔悴していた。
そんな彼女を支えていたのが、幼い頃からの仲である侍女長だったのだ。
彼女の存在だけが、夫人にとっての救いだった。
しかし、そんな彼女もまた、伯爵の愛人となっていたのだ。
唯一信じていた侍女にも裏切られた夫人は、その後自ら命を絶ってしまった。
「ち、違うの……あれは一時の気の迷いで……」
「気の迷い?そのせいで夫人は亡くなったのよ?――彼女は旦那様にとっての唯一の心の拠り所だったのよ」
その言葉に侍女長は膝から崩れ落ち、大粒の涙を流した。
「わ、私は……大きな過ちを犯してしまった……だからせめて……彼女が遺していった旦那様のことだけは……命に代えてでも守ろうと……」
「……」
小説で侍女長が辿る末路は悲惨だ。
彼女が父親の不倫相手だったことを知ったルースは、彼女を邸宅から追放してしまう。
その後、侍女長は路頭に迷った末に、先代伯爵夫人の墓の前で自害してしまうのだ。
(まぁ、大きな罪を犯したのは事実だけれど、伯爵家が崩壊しても旦那様の傍に残り続けたのは彼女だけだしね……)
フルールはどうせ死ぬことになるくらいなら、彼女を利用する方がいいと考えた。
「わかったから、立ちなさい」
「奥様……?」
フルールは立ち上がった侍女長の手を握り、顔を近付けて囁いた。
「このことをバラされたくなければ、私に協力しなさい。いいわね?」
「……」
彼女には、受け入れる以外の選択肢はなかった。




