13 閃き
「あ、あの……奥様……」
「何かしら?」
フルールが振り返ると、侍女長はビクリと身体を震わせた。
これではまるで、彼女が虐めているみたいではないか。
(私に弱みを握られているからか、低姿勢になったわね……)
侍女長はこの五年間ずっとフルールを虐げていた。
彼女に部屋の掃除を押し付けたり、横を通るたびに何かと文句を言ってきた。
(よっぽど私が気に食わなかったんでしょうね……まぁ、仕方ないわ。夫の弱みに付け込んで妻の座に収まった女だもの)
侍女長は良い人とは言えないが、彼女のルースを大切に思う気持ちだけは本物だった。
そんな彼女が、この数年後ルースの手によって地獄に落とされることになるとは、何と残酷なのだろう。
「じ、侍女たちに……これからは奥様を丁重に扱うよう、叱りつけておきました……」
「そう、ご苦労」
いくら嫌いな相手でも、侍女長の命令なら彼女たちが背くことはないだろう。
これでしばらくは快適に過ごせそうだ。
しかし、そんな生活が訪れたとして、いつまで続くかわからない。
(問題は、この先私がルースに離婚されてしまうということ……)
原作小説の最後は、ルースとアリアが結婚するというところで終わっている。
つまり、遅かれ早かれルースはフルールとの離婚を選ぶというわけだ。
(どのみち離婚されるなら、これ以上彼のご機嫌を取る必要もないわよね……)
今必要なのはルースに尽くすことではなく、自らが生き残る道を必死で考えることだった。
フルールは両親や家族たちから虐げられて育ったため、実家を頼ることはできない。
頼みの綱であるルースも、最終的には彼女を捨ててアリアを選ぶのだ。
信じていた相手に裏切られ、原作の彼女はどれほど辛かっただろう。
ルースがフルールを妻として尊重していたあの行動は、彼女を愛していたからしていたわけではないと今ならわかる。
彼は事業を拡大させるために必要な資金源を失いたくなかったのだ。
フルールは拳をギュッと握りしめた。
(まったく、成功した途端すぐ美しくて有能な女に乗り換えるだなんて!どうしてそんなに恩知らずなことができるのかしら!)
険しくなる彼女の顔に、侍女長の顔が凍り付いた。
彼女は心の中で何かやらかしてしまっただろうかと不安になっていた。
「ねぇ、旦那様は今日も工房にいるのかしら?あなたなら知っているでしょう?」
「え、い、いえ……首都リーテルに本社を構えたと聞いております」
「本社ですって……?」
フルールは目を見開いた。
本社を、それも経済や文化の中心である首都リーテルに置くだなんて。
ルースの会社はいつの間にそこまで大きくなったのか。
「は、はい……これからはそこを活動拠点にするのだとか……新しく店をオープンするとも聞いております」
「店?工房のこと?」
「いえ、今度は女性向けの化粧品店だとか……」
「……」
――化粧品店
その言葉でフルールはピンと来た。
原作小説ではちょうど第一章のあと、アリア自ら手掛ける化粧品店をオープンさせるというエピソードがある。
そこで彼女は、一世を風靡するある商品を生み出すこととなる。
それは鉛を使わない白粉だった。
白粉とは、現世でいうファンデーションのことである。
貴族のご婦人たちは、美しさのために毎日のように鉛入りの白粉を顔に塗りたくっていた。
しかし、それは危険極まりない行為だった。
肌はボロボロになり、最悪の場合鉛中毒で死んでしまうおそれがある。
アリアはルースの叔母である侯爵夫人が肌荒れに悩んでいることを機に、鉛を使わない化粧品の開発を試みる。
何度も失敗を繰り返した末に、とうとう彼女は成功させるのだ。
――鉛を一切使わない化粧品を。
そこからアリアの化粧品店は有名になり、王国中の人々にその名が知れ渡ることとなる。
(どうせ私の実家のお金でやってるんでしょう、全部!)
資金源はレスティア伯爵家だったが、アリアの化粧品開発の腕はたしかだった。
アリアは元々化粧品や香水に強い関心があり、幼い頃から様々な化粧品を分析していた。
「自分の店を開く……か」
「奥様……?」
侍女長が不思議そうにフルールを見つめた。
「ねぇ、自分のお店を開くとそんなに儲かるの?」
「ひ、人によるとは思いますが……旦那様の工房では月に百万ゴールド以上の売り上げがあるそうです」
「ひゃ、百万ゴールド!?」
「もちろん、従業員に支払う給料などもあるため、その全てが手元に入ってくるわけではありませんが……」
百万ゴールドといえば、首都に小さな家を購入できるほどの額だ。
具体的な額を聞いたフルールのテンションは爆上がりだ。
「何よ!結構儲かってんじゃない!もっと早く知ればよかったわ!」
「お、奥様……?どちらに行くおつもりですか!?」
いきなり部屋を出て行ったフルールに、侍女長が慌ててついて行った。




