11 前世の記憶
月日は流れ、フルールがルースと結婚してから五年の歳月が流れた。
フルールは二十三になり、ルースも二十七となった。
結婚当初から、彼女の生活は何一つ変わっていなかった。
「今日は何も連絡が無いからきっとアリアさんのところへ行っているのね……」
フルールは一人ぼっちの部屋で呟いた。
使用人たちも冷たい態度も、本邸と愛人の家を行き来する夫も、連絡の一つも寄越さない実家も。
彼女の周囲は何も変わらなかった。
ルースは本邸へ帰るときのみ、事前にフルールに連絡を入れていた。
今日は夕方まで連絡が無かったから、愛人の家で寝泊まりするという意味だった。
今頃アリアと共に彼女の家で過ごしているのだと思うと、彼女の胸は痛んだ。
「今日はもう寝よう……来ないのに起きている意味はないわ」
こういう日は何も考えずに早く寝るのが一番いい。
まだ夜の十時を過ぎた頃だったが、今日は夫人会で疲れていたこともあり、彼女は早めにベッドに入った。
ルースが帰ってこない日は、起きているといつも一人で考え込んでしまう。
自分との時間は彼にとって居心地が悪いのかとか、彼は本当はとっくに自分に呆れているのではないかとか。
考えたところで意味がないことを知っているのに。
(私ったらまた……悪い癖だわ……)
フルールはそんな自分に嫌気が差し、ベッドの中で目を閉じた。
そのとき、激しい頭痛が彼女を襲った。
「ウッ……!」
意識を保っているのも難しいほどの、強烈な痛み。
ベッドシーツを握った彼女の手に力が入った。
「い……痛い……何……どうして……」
あまりの痛みに、フルールはその場から動くことができなかった。
そんな中で彼女の頭に流れ込んできたのは、無数の記憶だった。
こことは言語も生活スタイルも全く違う国に住み、会社員として働いていたこと。
休日は友人とご飯に行ったり、趣味に没頭したり、充実した毎日を送っていたこと。
「私に……似てる……?」
記憶の中の自分は、信じられないくらい穏やかな顔で笑っていた。
しばらくして頭痛が収まると、フルールはあることに気が付いた。
「私……転生していたんだわ……!」
フルールが前世の記憶を取り戻した瞬間だった。
***
「信じられないけれど……私はどうやら小説の中の世界に転生したようね……」
記憶を取り戻した数時間前から、フルールは前世の記憶を一つ一つ懸命に辿っていた。
もちろん、思い出せないことも多かったが、一つだけたしかなことがあった。
それはここが前世でたまたま読んだ小説の中の世界だということ。
小説『貧乏伯爵様と平民少女の成り上がり~経営は一筋縄じゃいきません!~』
毒親の元で不遇な幼少期を過ごした主人公ルース・グロリアが運命の相手と出会い、幸せを手に入れるというありきたりな物語だ。
主人公ルースは金遣いの荒い父親の元に生まれ、伯爵家は崩壊寸前。
挙句の果てに父親は全財産を持って行方をくらまし、彼は借金まみれの家に一人取り残された。
そんな彼に手を差し伸べたのが、平民の少女アリアだった。
それから二人は力を合わせて数々の事業を展開し、オルティエ王国最大級を誇ることとなる商団の経営者となった。
そしてエピローグでルースは苦楽を共にしたアリアにプロポーズをする。
アリアは笑顔でそれを受け入れ、物語は終了。
(今は物語の途中ということよね……だって彼らの事業はまだそこまでいっていないもの……)
問題は、その小説の中にフルール・グロリアという登場人物がいないということだった。
フルールは悪役というわけでもなければ、モブキャラでもない。
名前すら出てこない、モブ以下の存在だった。
「ていうかあの二人、恋人同士って書かれてたけど実際は愛人関係だったわけ!?」
小説内では、二人の関係は恋人だった。
ルースに妻がいるなんてことは一切書かれていなかったのだ。
「私の記憶違い……?同姓同名の別人ということかしら……?」
そういえば、小説のワンシーンにルースとアリアのこんな会話があった。
物語の序盤、ルースはアリアと共に起業することを決めたものの、資金調達に困っていた。
アリアはただの平民で、裕福な家庭に生まれたわけでもない。
そしてルースの伯爵家は名ばかりで、父親が莫大な借金を残していた。
そんな彼らに、起業できるほどの資金などあるわけがなかった。
が、しかし――
『ルース、そんなお金どこで手に入れたの?』
『最高の出資者が現れたんだ。借金も返済できたし……おかげで起業はスムーズにいきそうだよ』
『まぁ、それはよかったわね!』
ルースとアリアは手を取り合って、計画が一歩前進したことを喜んだ。
「間違いない……あのお金はウチの実家のものだわ!」
フルールの実家・レスティア伯爵家は国内でも有数の資産家だった。
毎年雑誌に掲載されるオルティエ王国長者番付にランクインするほどの資産を有し、投資家としての一面も持ち合わせていた。
そんな伯爵家は、ルースの借金返済と引き換えに私との結婚を取り付けたのだ。
その後は何かと資金面で彼の経営をサポートしていると聞いていた。
「何て恩知らずな男なのよ……!ウチの伯爵家にそこまでしてもらっておきながら……最後は妻を捨てるだなんて!」
完結後のサイドストーリーではルースとアリアの結婚式の様子が描かれていた。
この国では重婚なんて当然認められていない。
つまり、ルースはフルールと離婚し、アリアと再婚したということだ。
起業できたのも、事業を拡大できたのも、全てはフルールの実家である伯爵家のおかげだった。
そのことも忘れ、成功後は平然と妻を捨てて愛人と再婚。
フルールの中で、ルースへの恋心が急激に冷めていった。




