決意
竜の封印は密やかに、しかし、確実に準備がすすめられた。白竜にはもちろん秘密裡に、である。最後にはどうしてもばれてしまうのだろうが、準備だけでもこっそりと行われる必要があった。 グラディウスは、封印の日を後期節(※)の最初の月の最初の日と決めた。
(※前期節=一~三月、中前期節=四~六月、中後期節=七~九月、後期節=十月~十二月)
ついに、封印の日はきた。キング家の娘、ラヴィーニアは健気に自分の運命に耐えた。家族の者や友人たちとせつない別れを告げ、涙を流したその後は、グラディウスと二人しっかりとその面を上げ、カデカミナの神殿へ赴いた。
その後、どのようにグラディウスが封印の言葉を使い、ラヴィーニアがどのように封印魔法の要となって白竜を山中に封じ込めたのか、詳しくは述べまい。それはグラディウス本人に聞くしかないのだが、彼はこの封印についてついに詳しくは述べぬまま、これより百年の後、かの国――死後の国――へ旅立ってしまった。
さて、話を元に戻そう。彼が無事に封印を終えて疲れ果てて戻ってきたとき、ダゴスの町もラデインの町にも、これまで以上に大きな騒ぎの種をばら撒くことになった。グラディウスは、ラヴィーニアの代わりに一人の女性を伴って戻ってきたのだった。そう、それはラデインの町のあの巫女として無理やり神殿へ上げられた少女であった。
あれから二十年も経つというのに、巫女は神殿へ上げられたときのままの少女の風体であった。
『竜の封印は成功したと言えよう。だが、竜の意思をすべて奪うことができなかった』
グラディウスは苦い口調でキング家の当主以下、町の有力者たちの前で述べた。
『最後の最後に竜は自らをいくつかの分身に分離させ、この世界へ放ってしまった。私にはそれをとどめることはできなんだ。本体は眠っているのだが、彼の意思は地上に残留している』
そして、とさらに苦い口調でグラディウスは巫女であった少女の顔を見やった。
『この女性はその竜の意思を告ぐ者。竜の巫女であり預言者でもある』
苦しげな表情のグラディウスとは対照的に、少女はにっこりと明るく微笑んだ。
『あのお方は、いつかきっと復活なさいます。私はそれをお待ちするだけです』
その時、それまでじっと聞いているだけだった、キング家の当主は耐え切れず大声で叫んだ。
『ラヴィーニアはどうしたのか? あの娘はいったいどうなったのか?』
『あのひとは、竜の巫女となりました。今は静かにカデカミナの奥に眠っていらっしゃいます。でも、きっといつか、お目覚めになるでしょう。あのお方と共に』
キング家の当主は嘆いた。
『なぜ、あなたがあの娘の代わりにずっと竜の巫女をしてはくださらなかったのか。さすれば、ラヴィーニアは』
身勝手な言葉ではあったが、嘆く父の気持ちを思いやってか、さすがに少女は目を伏せた。
『しかたがなかったのです。グラディウス様が封印なさろうとする寸前に、あの方が私を外へ弾き飛ばし、ご自分の意思を託したのです』
『あのお方、というのは白竜のことなのか?』
吐き捨てるようにキング家の当主が言うと、
『はい、あのお方は、私の偉大なるご主人様ですから。私は忠実な僕でありたいと思っております』
一様に苦い顔の町の人々に、少女は屈託のない澄んだ笑顔を向けた。
『私はこれから白竜の占い師として、この町に残ります。これから私を占い女アニス、とお呼びください』
***
「ああ、やはり」
マリオンの唇からかすかに声が漏れた。アウスディールの町で声をかけてきた、あの得体の知れない占い師アニスがそこにいた。あのどうにも読めない、しかしどこかで覚えがある彼女の持つ魔法の気配は竜のものだったのだ。はなから人間の持つ気配ではない。すでに彼女は人間ではあっても、かなりの部分で竜と同化してしまっているのかもしれない。
「なにが年寄りに左目を見せるな、だよ。とんだ役者じゃないか」
彼女がドラゴンズアイであるマリオンの左目を、いまさら怖がるとは思えなかった。それにしても、とマリオンは口元を小さく笑いの形にゆがめた。
「アニスさん、かなり年齢、さば読んでるんじゃないの?」
***
言葉どおりアニスは、ラデインとダゴスを行き来し、双方の町に有益になるような占いをしてすごした。アニスの家の者は二十年前と寸分変わらぬ娘の姿に最初は驚いたが、やがては受け入れ共に暮らそうとした。しかし、アニスは首を縦に振らず、キング家からのラデインとダゴスへ大きな屋敷を立てようという申し出も断っていた。
『私はこのままでよいのです。私の望みはそのようなものの上にはないのですから』
娘は頑なに固辞し、それぞれの町のはずれに一軒の小さな家を借り受けた。町の者たちは畏怖を含んだ畏敬の思いでアニスの世話をし、その代わりに娘からささやかな魔法と確実な託宣を受けた。地上へ戻ったアニスの上に、歳月は流れ行く時間をゆっくりゆっくりと目に見えないほどの穏やかさで刻んでいった。
そして、ここからがいよいよ本題だ。マリオン、覚悟はいいかな? きちんとここまで読めたかね?
君がルーン文字が読めない情けない魔術師だとは思わないが、神殿の資料をグロリアが持っているかもしれないということにちゃんと考えが行きついたかどうか、私としてはそちらのほうが心配だ。
***
「な、んだとっ!?」
マリオンは、さっと顔色を変えた。最後の十数頁になって、明らかに文の調子が変わっていた。
***
もうすでにグロリアかニコーレ、あるいはラヴィーニアに聞き及んでいるであろうが、私は魔術師セルブラントという。本名は、直に会った時にでもゆっくり教えてあげよう。私は君のことは何でも知っている。今、君がマリオン・ローセングレーンではなくアルヴィン・ローウェルと名乗っていることも。
なぜ名乗らないのかね? 魔術師マリオンと。なぜ堂々とその名を名乗らないのか、私は理解に苦しむよ。そんなに自分の腕に自信がないのかな? 自信がないのであれば、今回の竜のことは君にはちと荷が重過ぎるかもしれない。
だが、必死でやらねばなるまいよ。何しろ君の大事な人が、関わっているからね。
ではマリオン、本題を述べよう。本を放り出すのは、それからにしてもらおうか。
***
マリオンの引き結ばれた唇は白く変わり、本の頁を引きちぎらんばかりにきつく抑えていた手が怒りに震えた。
***
それ以来、特に何も変わったこともなく、ラデインの町もダゴスの町も平穏無事に時を刻んでいった。
その平穏が破られたのは、十七年前のことだ。ある一人の魔術師がカデカミナに迷い込んだ。彼の名前を今ここに書き記しても無駄であろう。大それたことをしでかしたわりに、彼はまるで何事もなかったかのようにこの舞台から退場して、二度と再び戻っては来なかったからだ。
その間抜けで能天気な魔術師は、不幸なことにカデカミナの奥に竜が封印されていることに気づいてしまった。竜を救おうとしたのか、利用しようとしたのかはわからないが、彼は封印を解こうと考えた。
しかし、彼はこの封印の複雑さと重大さと強固さに、まるで気がつかなかった。それゆえに彼は気軽に解除を試み、そして失敗した。彼が解いたのは、幾重にも複雑にかけられた封印の真ん中の部分だけだった。
そう、彼が解いた封印は、皮肉にもラヴィーニアにかけられた封印の部分だけだったのだ。封印は半端に、しかも、でたらめな順序で解かれたため、空間を大きく歪めその中にいたラヴィーニアを表に弾き飛ばした。そのため、ラヴィーニアを中心にしてかけられていた封印は、中途半端に解けたままカデカミナ山脈を覆った。魔術師は自分の失敗に気づいたが、それ以上為すすべもなく失意のうちにカデカミナを去った。
弾き飛ばされたラヴィーニアがどうなったか? 彼女が自分の子孫であるグロリア・キングに拾われたのは、恐ろしい偶然だったのか? あるいは竜の導きによるものなのか。
実は、封印を解かれたラヴィーニアの肉体は、今も白竜とともに異空間に残っているはずだ。――それを肉体と呼んでいいものかどうかは迷うところだが――外へ飛ばされたのは、ラヴィーニアの精神部分だけだった。精神体は外へ出たものの行き場を失い、カデカミナの山中をさまよっていたが、やがてダゴスの町の近くで捨てられ、今にもこときれそうになっている生まれたばかりの赤子を見つけ、その中に吸い込まれるように消えた。
もちろん、その中に宿ったラヴィーニアの新しい生命は、過去の記憶を何ももたず、普通の赤子として拾われ、何も知らぬままグロリアは、ラヴィーニアを自分の娘として育てた。拾った赤子にラヴィーニアと言う名前がつけられたのは、偶然ではない。なぜなら彼女の名付け親は、占い女アニスだからだ。
アニスは竜の封印が解かれたことを知り、そのとき何が竜とラヴィーニアの身の上に起きたのかを知った。さすがのアニスと言えども封印を元に戻すすべまでは知らなかったが、これから何をなすべきかは心得ていた。アニスは赤子にラヴィーニアと名づけ、詳しい素性の説明はせぬままグロリアに子供を託した。将来きっとグロリアのためになる子供だ、とでも言ったのかも知れぬが、そこまでは私も聞いてはいない。
グロリアは、ラヴィーニアをニコーレとともに自分の子供として大事に育てた。そう、ラヴィーニア・キングは、これ以上は望めないほど正しい名前を名乗っているのだといえよう。
さて、またさらに年月は過ぎ行く。十五年ほど経った頃のことだ。つまり、今より二年ほど前となるのだが、一人の女性と一人の魔術師がカデカミナを越えようとした。魔術師はカデカミナへ足を踏み入れたとたん、竜の存在に気づいた。
封印は誰ももとに戻すすべを知らず、半端なまま放っておかれていたのだ。そのために白の領域がカデカミナをすっかり覆っていた。魔術師は、黒魔術師だったためその領域を放っておくことができなくなった。白の領域が血の匂いのする黒魔術師を許さず、彼を飲み込もうとしたのだ。やむなく魔術師は、封印の補足を行った。たまたま同行していた女性をラヴィーニアの代わりに、封印の中へ送り込んだのだ。
再度、封印は完成した。だが、それは歪んだ封印であった。危うい均衡を保ち、とりあえずなんとか落ち着いてはいたが、いつどんな形で歪みが増し決壊していくのかわからない。また、それによってどんな危険がカデカミナとその周辺の町を襲うのかわからなかった。封印は一度きちんと解かれ、そして最初からすべてやり直す形で行われなければならない。しかし、白竜の封印を解くことは黒魔術師にとって極めて負担の大きいことであった。やむなく黒の魔術師は一人カデカミナを降り、アニスに出逢い、今までのこの長い事情を聞くことになる。
とはいえ、本当はこの魔術師にとって、ダゴスの町も、ラデインの町も、カデカミナもキングの家もなにもかもどうでもよかった。彼にとってこの世で大事なものも大事な人も、すでにないに等しかったからだ。そう、同行していた女性の生死すらもどうでもいいことだ。
だが、ひとつだけ。最後の最後に、どうしても欲しいものはあった。
そのために彼はグロリアを抱き込み、アニスを説得して、この封印を解くことのできる者、そして再度封印できるであろう一人の魔術師をカデカミナに誘い込むことにした。その誘い込んだ魔術師が失敗すれば、黒の魔術師には欲しいものが与えられることになる。いや、彼がたとえ成功しても、別の報酬が黒魔術師には得られるだろう。
お察しの通り、その黒の魔術師は、私だ。誘い込むために私が待っていた別の魔術師は、もちろん君だ。
では、マリオン。君に尋ねよう。カデカミナへ私がラヴィーニアの代わりに放り込んだ女性は、誰だと思うかね?
彼女は、行方不明の夫を探している、と言った。彼女によく似た自慢の息子は腕のいい魔術師だということで、やはり、二年程前から放浪の旅に出ているらしいと彼女に聞いた。
彼女は私にある大事な物をくれた。私はそれについて非常に感謝をしているが、貰ってしまってから同じくらい困惑もした。その彼女がくれた大事なものを、いつか君に見せる日を楽しみにしているよ。そして、それを見た時に、君がどんな反応を示すのかも、ね。
そういえば、その左目の魔法封じは気に入ったかね? それを貸してくれた魔術師はえらくもったいぶった奴で、その由来についてとうとうとまくし立てていたが、私は半分しか聞いていなかったのだよ。あのうんざりする長広舌に見合うほど、果たして効き目は確かであろうか? たぶん、大丈夫だろうな。
君がそれをはずすために魔法を使おうと試みていない、などとは思えない。必ずや無理をしてでも魔法を使ってみようとしたことだろう。その勇気には恐れ入るよ、マリオン。君は無謀ともいえるほどの勇者だね。だが、きっと君はまだそれに囚われているはずだ。たぶん、その古臭い魔法封じもそれくらいの力は持っていると思う。この本の封印くらいはそのままでも解けるだろうと思うが、それ以上のことは竜の寝所へ行くまでは無理であろう。
いや、今あまり無理をして力を使うことは、お勧めしないよ。これからもっと君の力が必要になるからだ。どうせ寝所へはいったとたん、嘘のように簡単に外れるはずだ。それまで我慢したまえ。では、君の幸運を祈ろう。君には幸運が必要だ。竜の封印を解くことは極めて複雑で、困難を極めることになるだろう。
もちろん、彼、白竜を再び封印することも。
そして、君の母親、シルヴァーナを救うことも。
***
文章は唐突にそこでふつりと途切れていた。マリオンは、いつになく乱暴に本を壁に叩きつけた。本はどさりと重い音をたてて、床に落ちた。
「母上に何をしたんだ! 許さないぞ、絶対に! 魔術師セルブラント・・・・・・」
怒りにマリオンの右目が深い深い緑色に燃えた。
「冗談じゃない」と、思う。竜の封印を何のために誰が行ったのか経緯はわかった。
だが、肝心の封印について、この本では何も触れていないではないか。
『その後、どのようにグラディウスが封印の言葉を使い、ラヴィーニアがどのように封印魔法の要となって白竜を山中に封じ込めたのか、詳しくは述べまい。
それはグラディウス本人に聞くしかないのだが、彼はこの封印についてついに詳しくは述べぬままこれより百年の後、かの国――死後の国――へ旅立ってしまった』
これでは何も判らない。ラヴィーニアを要にして行った何重もの複雑な封印。
そのラヴィーニアの部分が解かれているから、といって、後からシルヴァーナを代わりに入れてしまった歪んだ封印。それは元に戻す、どころか自分に解けるかどうかすらおぼつかない。
「どうすればいい? どうやったら安全に、確実に封印が解ける?」
マリオンは頭を抱えた。白竜の暴走は気にしないことにした。本を読んだ限りでは、あまり理不尽な物分りの悪い竜だとは思えなかった。きっと話せば解ってもらえるだろう。それよりも、その段階へ辿り着けるかどうか、のほうがはるかに重大な問題だった。
竜の封印を解きたいと思うだろう、というグロリアの予言は確かに当たった。だが、思ったからといってできるということにはならない。
「でも、やらなくちゃ。何が何でも解かなくちゃ。僕がやらなきゃ、誰もやってくれないんだぞ」
自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、マリオンは抱えた膝の上に頭を落とした。
「そうだ、ラヴィーニアは・・・・・・」
彼女は元の封印だが、何も覚えてはいない。しかし、そういえば彼女はシルヴァーナ、マリオンによく似た女性を見たことがあるとは言っていなかったか? 白いドレスの彼女を何処で見たのか思い出せない、と。
「そうか、彼女は封印された母さんを『見た』んだ。竜の思考を通して。つまり」
まだ、ラヴィーニアの奥深く眠る精神は、どこかで白竜の意思とつながっているのかもしれない。
「望みはあるんだろうか?」
ラヴィーニアと、そしてアニス。二人の導く者たち。
「絶対、僕が解く! 竜の封印はきっと僕が」
マリオンは立ち上がると、さっき叩きつけた本を拾い、もう一度おさらいをするように頁を繰り始めた。




