逃亡と裏切りと
がしゃん、と乱暴に鉄格子が蹴られた。
「飯だ。さっさととれよ」
鉄格子の下にあいた隙間から盆を差し入れているのは、ニコーレだった。
「今日は王子様のお給仕かい。悪いね」
マリオンは横になっていたマットの下にさりげなく本を差し入れて隠し、殊更ゆっくりと起き上がって見せた。
「ふん、ラヴィじゃいつまでたっても戻ってきやしねぇからな。それに」
ニコーレは上の隙間から大きな水差しを突き出すと、どんと乱暴に床に置いた。
「なんかやらかしたろ、あいつ」
おやおや、とマリオンは眉を上げた。本を持ち出したことがグロリアにばれていても、不思議はない。セルブラントのほうは最初からマリオンに読ませるつもりだったとしても、グロリアが本のことを言い出さなかったということは、そのつもりでいたわけではなかったということだろう。そんなに簡単にばれてしまうようなことをラヴィーニアがしたとは思えないが、少なくともグロリアにばれて彼女が罰を受けてしまうのは避けたかった。
「なんで?」
とぼけて聞くマリオンに、ニコーレが冷たい笑いを口の端に浮かべた。
「わかるさ。俺たちは生まれたときから一緒だったんだぞ? 嘘をついたり何かしでかしたときはすぐにわかる」
マリオンは胸をなでおろした。ということは、ニコーレにはばれているが、グロリアにはばれていないということだ。本で読んだことを彼に話そうかどうしようか、マリオンは迷った。グロリアの思惑を快く思っていない彼なら、もしかしたらマリオンの味方になってくれるかもしれない。
だが、大事にしているラヴィーニアが、三百年近く前の竜神殿の巫女であったことを、彼は素直に受け入れてくれるのだろうか? ラヴィーニアがいなくては、この封印は解けないかもしれない。どういう形で封印が解除されるのか、今のマリオンにはおぼろげな予測しかついていない。もしかしたらラヴィーニアには一度、封印された状態に戻ってもらわなくてはならないかもしれないのだ。
もし、この話をするのなら、そういう必要があるかもしれないということを、マリオンは公平に彼に告げねばならない、と思っていた。その一方で、それを知ったときニコーレが彼女を連れてどこかへ逃げてしまう危険も冒さなくてはならない。まだ迷いながらマリオンは、盆を受け取った。
「何を知った? お前、何かわかったんだろ?」
牢のそばにしゃがみこんだニコーレが低い声で尋ねてきた。
「うーん」
マリオンはあぐらをかいて座り、パンをちぎり口に運びながら唸った。
「あの変な黒い本を読んだんだろ? 何が書いてあったんだよ」
再び暗く低い声でニコーレがささやき、マリオンは横目でちらりと彼の顔を見た。どうやらニコーレはラヴィーニアが何をやったのかちゃんと知っているようだった。パンを咥えたまま、マリオンは無言で首を振った。
「そいつは答えられないってことか、それとも答えたくないってことか」
「さぁ、どうかな?」
あいまいな言い方をすると、ニコーレは意外にも低い笑い声をあげた。
「つまり、ラヴィは、あの本をお前に持ってきたってことだな」
マリオンが、うっと答えに詰まった。
「汚いぞ、ひっかけたな?」
「魔術師ってもたいしたこたないな。ちょろいもんさ」
低く笑いつづけるニコーレをふん、とマリオンは鼻であしらうと、つんとあごを上げた。
「どうせね。魔術師なんてものは、よっぽどの腕じゃなきゃ、ただのろくでなしと呼ばれるんだって相場は決まってるんだよ。どこに行ってもそんなもんさ」
マリオンの自嘲的な答えに、ニコーレは目を細めた。
「だから、お前は自分が魔術師じゃないって顔をして、旅をしてるってわけか? もしかして名前も変えてるんだろう?」
サラダの皿に伸ばした木製のフォークを止めて、じろりとマリオンがニコーレをきつく睨んだ。
「余計なお世話だ。君なんぞにとやかく言われる筋合いはないね」
「ほっほぅ? 怒ったか? 魔術師殿の弱点は、女顔と偽名ってわけだな?」
ニコーレがからかうように再び低い笑い声を上げ、マリオンは黙り込んだ。
のど元まで「お前の弱点は、ラヴィとグロリアママだろう」という言葉が出かかっているが、それは口にしない。この前のニコーレの反応を見れば、それは無謀というに等しい。
無言でもくもくと盆の上の食事を片付けるマリオンをじっと見ながら、ニコーレが低くつぶやいた。
「食ったら、出て行け」
「な、に?」
聞き間違いかと顔をあげると、ニコーレは牢の鍵を開けようとしているところだった。
「お前なんかがこんなところにいるから、グロリアが変な野心なんぞ持っちまうんだよ。お前がいなけりゃ、あきらめるさ」
「僕を逃がすっていうのか?」
ニコーレは無言でうなずいた。
「そんなことをしたら、あとで困るだろう? いくら息子でもグロリアは容赦しないぜ、きっと」
暗い炎がニコーレの目に再び灯った。だが、その炎はマリオンに向けられているのではなかった。
「しないさ、もちろん。そんなこた、俺が一番よく知っている。グロリアは俺が大嫌いだからな」
「大嫌いって、そんな」
子供の駄々みたいな言い方、という言葉をマリオンは危うく飲み込んだ。
「ふん、お前みたいな奴にゃわかんねぇだろうさ。グロリアは俺を憎んでる。俺なんかいないほうがいいと思ってるんだよ」
「・・・・・・そんなこと」
マリオンが眉をひそめると、ニコーレが重い牢の扉を開いて
「世の中にゃお坊ちゃまにはわからんことなんぞ、たくさんあるんだよ」
と、口の端に自嘲の笑いを浮かべた。
マリオンは、そうかもしれないけどさ、と口の中で言いながら、マットの下から黒い本を取り出すと小脇に抱え込んでから牢の外へ出た。
「悪いけど、その魔法封じははずせないぜ? どっかでかい町へ行って、誰か高名な魔術師さんとやらにでも頼んでくれよな」
ニコーレがさして悪いと思っていないような顔つきでそう言うと、マリオンが口をとがらせた。
「冗談でしょ。このまんまでどっかの町なんかに行ってられないよ。僕は竜の神殿へ行くんだ、案内してくれよ」
ニコーレが目をむいた。
「冗談はそっちだろ? 何しに竜の神殿なんぞ行くんだよ。それをはずすためだけに行くんだったら、無駄だぞ?」
「なんで?」
マリオンの問いにうっと詰まったニコーレが、マリオンの視線を避けるように顔をそむけた。
「・・・・・・あそこに行ったら、お前は二度と戻れないって、奴が、あの魔術師が言っていたからさ」
マリオンは、軽く眉を上げた。
「へーぇ? 一応心配してくれてるんだ?」
面白そうに言うマリオンに、ニコーレは険悪な顔を向けた。
「誰が心配してるつったんだよ。お前なんぞ知ったこっちゃないさ。俺はこれからラヴィと逃げ出すんだ。お前にかまってるひまなんぞねぇよ」
「逃げる? ラヴィと? どこへ?」
急に真剣な表情になったマリオンに、ニコーレの顔が今度は凶悪に変わった。
「なんだよ、文句あんのか? お前にラヴィはわたさねぇぞ? 死んでもだ」
マリオンは、頭を振った。
「そんなことはどうでもいいよ。君がラヴィを好きなら二人で幸せになるのは、僕にとっても嬉しいことだけどね。そういう問題じゃないんだ」
「じゃあなんだよ?」
マリオンは唇を噛んだ。やはりニコーレには話すべきか。話して協力を頼むのか?
いや、きっとそれはだめだろうと思う。ニコーレは、ラヴィーニアをとても大事にしている。たとえ一時といえども、竜のために彼女を貸してくれるはずがない。しかも危険を伴うとわかっているのに、だ。
だが、自分は今、ここを出て行くわけにはいかない。母を救わなくてはならないのだ。では、隙を見てニコーレを牢に閉じ込め、すぐにでもラヴィーニアを連れて竜の神殿へ向かえばよいのか? 確かにそういう手もある。
「ニコーレ、聞いて? 僕は・・・・・・」
しかし、うつむいたマリオンの口から出てきた言葉は、あの本によっておのれが知った真実の話、そのものだった。封じられた竜の話、アウスディールで出会った占い女アニスの話、封じを解いていなくなった魔術師とそのために生まれたラヴィーニアの話。そして、もう一度竜を封じ直したセルブラントの話と、そのために封じられている自分の母親の話。
彼の口から物語られる数奇な運命の話に、最初は気乗りもせず聞いていたニコーレもいつしか真剣なまなざしで聞き入っている。
「だから、ニコーレ。僕は行けないんだ」
話の終わりを、マリオンはそう締めくくった。
「なんでそんなこと俺に話すんだ? 黙ってりゃいいじゃないか。お前、ラヴィに何かさせたいんだろ? 俺はそんなこと許さねぇぞ? それっくらい短い付き合いでもわかるだろうが?」
顔をしかめたニコーレがいらだったような声をあげた。
「だって」
と、マリオンは顔を上げてニコーレの目をまっすぐに見つめた。
「だってそんなの、公正じゃないだろ?」
「お前って」
ニコーレが呆れた顔をした。
「賢そうな顔してるわりに大馬鹿なんだな。少しは頭使えよ、もったいないだろうが」
マリオンが苦笑した。
「ま、賢そうに見えるだけいいや。それで、僕から頼みがあるんだけど」
ニコーレはかぶりを振った。
「ラヴィを連れて神殿へ行くってのか? 絶対だめだ」
「いや、僕一人でもいいんだ。グロリアは、三日後だといったけれど、僕は今すぐにでも行ってみたいんだ。しかもグロリアは抜きで、ね」
ニコーレが再び口を開こうとしたが、それより早く入り口の暗闇から声がかかった。
「あたしは行ってもいいわ」
「ラヴィ?」
「ラヴィーニア!」
ギョッとした二人の声が重なった。
「何で来たんだよ。お前は、もうここには立ち入り禁止だと言っといたろうが」
腹立たしげにニコーレが言うと、
「ニコったら、あたしの時よりも遅いんだもの。また喧嘩になってるのかと思って・・・・・・」
ラヴィーニアがうつむいて、小さな声で言い訳した。
「そんなことより、ラヴィ、行ってもいいってほんとかい?」
マリオンが勢い込んで彼女の顔を覗き込もうとすると、ニコーレが乱暴に彼の胸を押しやった。
「行かせねぇっていったろ? 事情はわかったから一人で勝手に行けよ。場所だけ教えてやるから」
「だめよ、そんなの。あたしが行かなかったら困るでしょ? あたし、巫女なんだし」
「どっから聞いてた?」
ニコーレがラヴィーニアの肩をつかんで自分のほうを向かせ、腹立たしげに問い詰めた。
「ほとんど、最初から・・・・・・。うまく声をかけるタイミングが見つからなくって」
「じゃぁ・・・・・・。知ってるのか、お前・・・・・・」
こくん、とラヴィーニアはうなずいた。
「大丈夫よ、ニコーレ。あたしは大丈夫。ちゃんとやれるわ」
「ちゃんとってなんだよ。何をやるって言うんだよ」
ニコーレは大声をあげ、ラヴィーニアを離すと、今度はマリオンのほうへ向かってきた。マリオンの胸元をつかんで締め上げ、思い切り壁に押し付ける。
「てめぇのせいだ。ラヴィに何をやらせるって言うんだよ。え? ラヴィがいったい何をしたって言うんだよ」
「わ、かってる、よ。ニコ。彼女には、申しわ、けない。それに、き、みにも」
首をきつく締め上げられ、苦しい息の下でマリオンが切れぎれに謝った。
「やめて、ニコ。しかたがないじゃないの」
ラヴィーニアがニコーレの腕にすがった。
「始めたのは、彼じゃないわ。あたしたちのほうが最初に始めてしまったことなのよ? 彼を責めるのは筋違いだわ」
「始めたのは、あいつと、グロリアだっ!」
ラヴィーニアの言葉に、ニコーレが叫ぶように言った。
「あいつが、セルブラント、あいつが始めたんだ。だから、ラヴィには関係ない! そうだろうが!?」
「アルヴィンにだって関係ないわよ! やめて、アルヴィンが死んじゃうわ。離して、ニコーレ!」
ラヴィーニアが、しっかりマリオンの襟首に食い込んだニコーレの指を一本一本引き剥がそうとすると、やっと彼は獲物を離した。マリオンは、その場にくずおれて膝をつき、激しく咳き込んだ。
「俺も行く」
短く切れるように鋭くニコーレはそう言うと、半分あいていた岩牢の扉をがしゃんと乱暴に蹴った。
「ニコはいいのよ。行く必要なんか、それこそないんだわ」
激しく咳き込むマリオンに駆け寄って背中をさすりはじめたラヴィーニアがそう言うと、
「あるさ! グロリアが」
ニコーレが叩きつけるように吐き捨てた。
「俺の母親が、グロリアが、始めたんだ。責任は俺がとる」
「ニコーレ・・・・・・」
手を止めて、呆然とニコーレの顔を眺めながらラヴィーニアがつぶやいた。
「ありがとう、ニコ。それと、ごめん」
喉をさすりながらマリオンがやっと立ち上がり、ニコーレを向いた。
「礼なんか言うな。お前に謝られる筋合いもねえよっ!」
「うん、大丈夫、もう二度と言わない。一生分、今のうちに言っとくよ」
マリオンがにやっと不敵な笑いを見せ、じろっとニコーレがその顔を睨んだ。
「そんな簡単なんで一生分かよ。頭の中身と同じくお手軽な奴だな、お前」
「いいんだ、賢そうには見えるんだろ? 中身はどうでも外側がそう見えればいいよ」
と、マリオンは肩をすくめ、ほんっとに馬鹿かお前? と、ニコーレが呆れてつぶやいた。
「そんなことより、二人ともほんとに行くんなら急いだほうがいいわ。お母様に気づかれたら大変よ」
焦れたようにラヴィーニアが足を踏み鳴らし、二人をせかした。
「そうだね。行こう!」
言うなり、マリオンが落とした本を拾い、再び小脇に抱え込んだ。
「まだ、そいつが必要なのかよ?」
疑わしげにニコーレが本のほうへ顎をしゃくり、マリオンが小首をかしげた。
「なんとなく、必要な気がするんだ」
マリオンが左目を覆う銀の魔法封じに手を当てた。
「何か魔法がかかってる気がするんだ」
あのセルブラントの献辞の血文字を触ったときに感じた、ぴりりとした嫌な感触がどうしても気になる。
「魔法封じがはずれたら、それがなんなのかわかる気がする」
ふうん、とまだ疑わしげにニコーレがつぶやき、早く、とラヴィーニアがせかした。長い階段を静かに上る。
「竜の神殿は、ここから東へ1マイル(約1.6km)ほど行ったところだ。地下の通路がつかえないから、上を行くしかない」
「見つかりやすくなるな。上に何人いる?」
ニコーレは肩をすくめた。
「かなりいる。交代で街道と神殿を見張っているからな。もちろんお前も、だ」
にやっとマリオンが笑った。
「じゃあ、堂々と行ったほうが早いね」
堂々と? とニコーレとラヴィーニアが声をそろえた。
「グロリアの命令だって言えばいいんだろ? 君たちは彼女の腹心ともいえる、ご令嬢とご子息なわけだしさ。誰も疑いやしないよ。僕とニコは仲が悪いってことになってるんだし」
「悪いぞ、今も」
ニコーレも言い返しながら、負けずににやりと笑った。
階段を上りきったところで表へ通じる扉を開ける前にニコーレは、すらりと腰の短剣を抜くと、マリオンを後ろから羽交い絞めにして冷たい刃を首にあてた。彼の小脇から落ちた本は、すかさずラヴィーニアが拾い上げ、上着をたくし上げるとスカートのベルトに挟み込んだ。
「ま、こんな感じだな」
ニコーレに思いきり腕を後ろへ捻りあげられて、マリオンが苦痛に顔をゆがめた。
「楽しんでるだろ、ニコ」
ニコーレは、横目で睨むマリオンに見えるようにわざわざ彼の顔を覗き込んでから、にやりと笑い返した。
「あったりめーだろ!」
ちっとマリオンが舌打ちを返し、ラヴィーニアが表へ通じる扉を開けると同時にわめき声を上げた。
「痛いじゃないか、離せよ、ニコーレ! 僕はあんなとこ行きたくないってば!」
「黙って歩きな! しかたがないだろうが、グロリアのお呼びなんだからよ」
何事かと走ってきた何人かの見張りが、目を丸くしている。
「手伝いましょうか? ニコーレ様」
「いいや、こんなへなちょこ魔術師なんざ、俺一人で充分さ。お前らはよくあたりを見張っとけ」
「いたたたっ! 乱暴だってば! もうちょっと丁重に扱えよっ!」
「うるせーな。とっとと歩けよ、先は長いんだぜ」
楽しんでいる風情のニコーレと、叫んでいる台詞がまんざら嘘でもなさそうなマリオンを見ながら、ラヴィーニアが小さくため息をついた。
「この人たちって、気が合いすぎるのかもね」
白い建物は表門から見ると、いくつもが同じ場所に重なり合っているように建てられているように見える。だが、実際は微妙に高さの違う、同じような形の四角い石造りの建物が表門の一点から見たときにうまく重なり合ってひとつの巨大な建造物に見えるように間隔を置いているようだ。吹きさらしの渡り廊下が、迷路のようにその周りを幾重にも取り囲んでいた。
「誰も疑問に思わないのかな?」
廊下をニコーレに引き連れられているマリオンがつぶやいた言葉に、
「何を?」
と、ニコーレが聞き返した。あいかわらずマリオンの腕は後ろにねじり上げられてはいるが、さきほどよりは歩きやすいように間合いが置かれていた。
「だって、グロリアは、三日後まで僕には会いたくないっていったはずだろ? まだ一日しかたってないぜ? なのに、僕に会いたいっていうのはおかしくないか?」
それを聞いて、ふん、とニコーレが鼻で笑った。
「彼女の言うことをいちいち真に受けてたら、誰もここじゃ生きていけないさ。朝の命令は昼にはもう無効だったりするからな。別に不思議なことじゃない」
「ふーん。そりゃ仕えてるほうは大変だ。あ、悪いこと言っちゃったか」
マリオンの言葉に、ニコーレが肩をすくめた。
「別に・・・・・・。そのとおりだと思うからな」
「でも、人望があるってことだよね。あんなに人がついて来るってことは」
確かに、表へでたとたん、マリオンは人の多さに驚いた。見張りとして立っている者はもちろん、その他にも手下たちの宿舎と称したところには大勢の人間が見えていた。ざっと二百人ほどもいたであろうか。思っていたよりずっと多い。
「ダゴスに帰れば何千人も自由になる兵がいるって話は、まんざら嘘でもなかったわけだ。これだけの人間が付き従うってのは、なかなかすごいと思うよ。まして一応は女性なわけだし」
マリオンが言うのへ、ニコーレは鼻で笑って答えた。
「世の中はな、お坊ちゃまよ。金さえありゃなぁんでもできるんだぜ? たかだか百や二百の人間を金で集めて雇うことなんざ、グロリアにとっちゃ造作ないことさ。こんだけ人間がいてもいざとなりゃ、いったい何人残るものか、わかりゃしねぇ」
「そうね、何か事が起こったら、残るのはニコとあたしと、あの晩餐会のときあの場にいた何人か、だけね、きっと」
二人の後からついて来ていたラヴィーニアが、ニコーレに同調した。
「なるほどね。ま、僕としてはその方が助かるけど・・・・・・」
お坊ちゃまと言われても特に怒るでもなく、マリオンがうなずいた。
「なんで?」
ラヴィーニアがそう尋ねるとマリオンは、不自由な身体をそちらへ捻じ向けるようにして答えた。
「事が起こるからさ、間違いなく。犠牲は少ないほうが、僕としちゃ心苦しくない」
「あいつらにまで影響が及ぶような大それたことが起こるってのか?」
ニコーレが顔をしかめた。マリオンは肩をすくめたきり、それには答えない。
「だって、竜が目覚めるんだもの。それくらいは覚悟しとかなきゃいけないわ、ニコ」
代わりにラヴィーニアが言い聞かせるように言うと、ニコーレがそちらを振り向いてさらに渋い顔をして見せた。
「今からこいつをぶち殺して二人で逃げようぜ? ラヴィ」
「おいおい、当人の前で物騒な冗談を平然と言うなよ」
マリオンが半ばおどけたように言うと、ニコーレが捻りあげている腕に力をこめた。
「言っとくが、前、じゃねぇ、後ろだ。それにまるっきり冗談でもないからな」
「いたたたっ。冗談じゃないなら、もっとたちが悪いって」
ニコーレとマリオンがじゃれあうようにわめき散らしていると、
「あなたたち、どっちにしても早く決断してね。着いたわよ、神殿の入り口に・・・・・・」
妙に冷静な口調でラヴィーニアが、二人に厳かに告げた。
「どっちにしてもって言われてもな」
と、マリオンがぶちぶち口の中でつぶやき、ニコーレが低く唸った。
「しょうがねぇ。とりあえず入るか」
ニコーレが後ろを振り向き顎で入り口をさすと、すいっと彼らを追い越したラヴィーニアがすかさず巨大な両開きの扉に手をかけた。全身の力をこめてラヴィーニアが肩で扉を押すと、ぎりぎりぎりという軋みと共に、重い石造りの彫刻を施した扉がゆっくりと両脇に広げられていく。
「僕の腕を離して、ニコが開ければいいだろ。ラヴィには重いと思うぞ? あの扉」
「ほんとにうるせー奴だな、お前。入れるくらい開いたからもういいぞ、ラヴィ」
ニコーレが前半をマリオンに、後半をラヴィーニアに向かって言うと、彼女がほっと息をついて手を止めた。ちょうど細身の人間が一人通れるくらいの隙間が開いていて、中の漆黒の闇が垣間見える。
「真っ暗か。灯りが欲しいな」
マリオンが、魔法封じの摩擦をできる限る少なくして魔法の灯りを灯す方法はないか考えていると、
「まずはお前から入れ」
捻っていた腕をさらに締め上げて追いやるようにしながら、乱暴にニコーレが扉の中にマリオンの上半身を突っ込んだ。ざりりと音を立てて、石扉の端に魔法封じの銀の眼帯がこすられる。
「ニコーレ、何を!」
マリオンが振り向いて文句を言うひまもなかった。扉からすぐの足元が急な階段になっていたのだ。ニコーレが思い切り突き飛ばしてくれたおかげで、暗闇の中、マリオンの身体は長い階段の下まで勢いよく転がり落ちていった。
落ちていく中で遠くにラヴィーニアの悲鳴が聞こえ、目の端に明るい隙間がどんどん細くなっていくのが見えた。
「んの野郎!」
やられた! 受身を取りながら階段の下まで落ち、やっと止まった体勢から上を見上げたときには、すでに扉の隙間は針よりも細くなっていた。
「がんばれよー」
小馬鹿にしたようなニコーレの声援の言葉を最後に、扉はぴったりと閉じられ、真の暗闇の中マリオンは一人取り残されていた。
油断した。ニコーレが「母の責任は自分がとる」などと、顔に似合わぬ殊勝なことを言っていたから、きっと間違いなく協力してくれるんだと信じていた。
「畜生っ、ざけんな! クソ野郎めっ!」
あちこちにできた打ち身をさすりながらマリオンは、旅で覚えたありとあらゆる罵詈雑言を口にした。もちろんニコーレへなのだが、その中には自分自身へのものも含まれている。
「なんて間抜けなんだよっ!」
怒りに顔を歪めながら立ち上がり、打ち身以外の怪我をしていないか確認する。どうやら受身がうまくいったようで、打ち身と擦り傷しかないようだ。一番ひどいのは背中の痛みだが、それは無視することにした。もともと、治療魔法は得意ではない。魔法封じに逆らってまで治療するつもりはなかった。今はそれよりも、闇を明るく照らす灯りが欲しいところだ。
「灯りっ!」
右手を上げてぱちんと指を鳴らす。怒りに魔力が増幅されているせいなのか、さして摩擦を感じずに蒼白い灯りが闇の中に生じた。はーっと深いため息をついて、マリオンは気を静めようと深呼吸した。ラヴィーニアがぐるだったようには思えないのが、唯一の救いだった。彼女は嘘をついていない。ここが本当に竜の眠る神殿だということだけは、間違いがないわけだ。
「なら、前に進むだけだ。今更ぐだぐだ言ってもしょうがないさ」
マリオンは自分に言い聞かせるようにつぶやき、蒼白い灯りを従えて前へ進み始めた。足元はしっかりとした白い石英のようで、蒼白い灯りがふよふよと浮遊すると明るく反射を返してくる。
「ここの街道と一緒のものか。そういえば、あの街道、誰が手入れをしているのか聞くのを忘れたな」
もしかしたら、一時的にグロリアの手下がやっていたのかもしれない。自分をおびきいれるために。それは考えられなくもなかった。
だが、あの何処までも続く山道をあんなに綺麗に保つために必要な労力を思えば、少し疑問は残る。ただ、今はそれを考えている余裕はなかった。頭の奥に疑問として押し込んでおくことにして、あたりを少し探りながら彼はゆっくりと歩き出した。
狭い廊下は灯りの許す限りでは、かなり長く続いているようで、少し下方へ傾斜しているようだ。傾斜が余りにも緩やかなので、地下深く潜りつつあるという感覚はあまりない。
「魔法封じが外れてくれないってことは、まだここは寝所ではないということだな」
マリオンがひとりごちると蒼白い灯りがそうだ、というように上下に揺れた。
「お前にわかんのか?」
と、マリオンが苦笑すると、灯りはふよふよと彼の足元にじゃれついてきた。
「まだ門前ってことか。先は長そうだな」
小さくため息をついてマリオンは、ぐるんと肩を回した。おかげであちこちの打ち身が悲鳴をあげたが、眉をかすかに寄せただけにしてあえて無視をする。
「そういや、武器もないんだっけか」
剣と短剣は最初に取り上げられたっきり、見ていない。魔法が使えないままだったら、マリオンの武器は自分の肉体だけ、ということになる。体術には多少自信はあったが、竜相手、あるいはセルブラント相手に通用するとは思えなかった。
そう、セルブラント、だ。絶対来る。必ず奴はやってくる。今、この瞬間も、奴はこちらの隙を窺っているに違いない。
「きっと、化けの皮をひっぺがしてやるからな」
マリオンは、こぶしを握り締めた。




